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第12章

 結婚式とパーティが滞りなく無事に終わったその夜、ローズ邸の二階の寝室で、ローラとトミーはようやくふたりきりになることができた。トミーがローズ邸で暮らすということ――それがエリザベスのだした、結婚を許可するための条件であった。

 ローズ邸には下に居間と客間の他に四寝室あり、二階には三寝室、他に屋根裏部屋ふたつがあった。今、下の上品にあつらえ直した寝室のひとつに、伯爵夫人とその乳母とがおり、エリザベスもエドワードもフレデリックも、おのおの一階の自分の部屋で床についているはずであった。屋根裏部屋のひとつは物置となっていて、もうひとつにマーシー少年がつい最近まで寝起きしていたのであったが――少年はこれからは家から通ってくるようにと言い渡されていた。まだ十三歳になったばかりのマーシー・マコーマックはトミーのことが大好きであったので、何故自分がそのまま屋敷にいてはいけないのか、不思議でならなかった。

「ねえ、エリザベスさん。それとエドワードさんもフレディおじさんも、どうかお願いしますよ。俺のことを追いださないでください。こんなに雇い人によくしてくれる家が、ロチェスター中のどこにもないってこと、俺よくわかってるつもりです。これからも一生懸命働きますから、どうかここにいさせてください」

 ある夕食が終わった時のこと、マーシーはそう言って家族のみんなに頭ほ下げた。ローラはやはり自分がフラナガン農場のほうに嫁として一緒に住んだほうがいいのではないかと考え、エドワードとフレデリックはただ顔を見合わせて頭をかいた。エリザベスは毅然とした面持ちで、雇い人としての立場をわきまえるよう、少年にきっぱり言った。

「そうだね。うちは他のどこの家の手伝いをするよりお給金もいいだろうし、料理だって美味しいし、あんたのことを正当に扱っているとも思うよ。だったら、こっちがこうして欲しいっていう時には、やっぱりそれに従うのが筋ってものだろう。トミーは戦争にいくとはいえ――もしこの家に赤ん坊が生まれるということにでもなればね、色々あると思うのだよ」

「色々ってなんですか?俺、べつに――下でローラとトミーさんがいちゃいちゃしていても気にしません。どうせ屋根裏へは疲れて眠るためだけに上がるようなものだし」

 マーシー少年も、コウノトリが赤ん坊を連れてくるのだなどとは流石に思ってはいなかったが、それでも性の秘密についてはまだあまりよくわかってはいなかった。ローラはマーシー少年がうちにいたがっているのに追いだすのはあんまりだと思え、エリザベスにおずおずと提言することにした。

「あの、おばさん……わたしとトミーのことなら心配いりませんわ。マーシーも、帽子山の麓にある、マコーマックおじいさんの山小屋からここまでくるのは大変だと思うし……ここへきて朝働いたあと、学校にだっていかなくちゃいけないし」

「いいや、駄目だよ。これはわたしがもうすでに決めたことなんだからね。マーシー・マコーマックにはここから出ていってもらいます。なに、べつにあんたのことが気に入らないから追いだそうっていうんじゃない――あんたもいつか嫁をもらえば、わかることなんだからね」

「おばさん!」

 マーシー少年にはなおも、ローラが何故赤くなっているのかがわからなかった。ただ、エリザベスがローズ家の中で一度こうと決めたからには――その鉄の意志を翻すのは、エドワードとフレデリック、それにローラの三人が束になったところで難しいということだけはよく理解していた。それでチェッ、と心の中で舌打ちし、がっかりしながら屋根裏部屋へと上がっていったのだった。

 エリザベスはマーシーがいってしまうと、咎めるようにふたりの弟と姪のことをじろりと睨んだ。

「もとはといえば、あんたたちがあの子を甘やかすのがいけないんですよ――雇い人にはしっかり、自分の分というものをわきまえさせておかなくてはいけないんですからね。休憩時間でもないのに、林檎をもぎながらそれを食べてもいいと言ってみたり、ローラに至っては夜食としておやつをしょっちゅうあげたりしてるんですから、雇い人にしてみたらここは天国のような働き場ですよ。まあ確かにあの子はあの年齢の子にしては悪くないですけどね――家から何か物がなくなったというようなこともないし」

 エドワードとフレデリックとローラは、ただお互いに顔を見合わせ、心の中で舌をだしたり、肩を竦めたりする以外になかった。

「ああ、まったくね、もしあたしが明日、また卒中でも起こして倒れた日には――ローズ農場はどうなっちまうんだろう。それだけがあたしは心配だよ。死ぬとか、死んだら本当に天国へいけるのかとか、そんなことなんかよりずっとね」

「それなら大丈夫だわ、おばさん。おばさんは熱心な教会員として、これまで地域に随分たくさん貢献してきましたもの。神さまは必ずおばさんのことをイエスさまの血の贖いゆえに、無条件に真珠の門へ通してくださるでしょう」

「そうだといいのだがね」

 エリザベスは疲れたように溜息を着いたが、ローラは伯母が必ず天国へいくだろうと確信していた。何故なら、かつて自分を裏切って悲しい思いをさせた妹の子供を――孤児院へもやらずにこうして育て、それだけではなく厳しく躾けてもくれたのだ。ローラがエリザベスに逆らえない主な理由はそこにあるといってもいい。何故ならエド伯父さんもフレディ伯父さんも優しいし、滅多なことでは人を叱ったりもしないが、それだけでは――子供が成長するのに、間違いなく何かが足りなかった。言ってみればローズ家では、エリザベスが父親としての権威を発揮しており、エドワードとフレディが母性的な愛情を持ってローラを育てたといってよいかもしれなかった。


「何を、考えてるの?」

 招待客からのプレゼントを整理しながら、喜んだり笑ったりしていた時、不意に会話が途切れた。ローラはモスリンのドレスに着替え、トミーはもうフランネルの寝間着に着替えていた。それはジェシカが贈ってくれたもので、ローラのと色や柄がおそろいであった。

「べつに……何も。無事何もかも終わってよかったなあってそう思ったら、急に気が抜けちゃって」

「そうだね。明日伯爵夫人を無事、駅まで送っていったら、ようやく一安心といったところだろうね」

「そうね」

 ローラはこれまで誰も使っていなかった<ふたりの>寝室となった部屋を見回し、奇妙な気持ちになった。自分としては――ここでトミーにおやすみなさいを言って、前まで自分の寝室だった部屋へいき、寝間着に着替えたいところであった。もちろんこの部屋のベッドをしつらえたのは自分で、枕や枕カバーを縫ったのも、その上の布団や楓模様のパッチワークのベッドカバーを縫ったのも自分だ。

家具はタンスもチェストも、以前からこの部屋にあったものだったけれど――なんだかまるで馴染みがなく、赤の他人の部屋に突如放りこまれたみたいな気持ちだった。

「今日は疲れただろうから、もう寝よう」

 トミーはあくびをしながら何気なく言った。それでローラも幾分ほっとした――そうだ。今日は彼も疲れているだろうし、何しろ下には――真下ではないにせよ――伯爵夫人が眠っておられるのだ。今夜は何もないかもしれない、ローラはそう思ってなんとなくほっとした。

「着替えないの?」

 トミーはベッドに入り、枕元のランプに手をやった。燈用石油がもったいないから、早く消そう、とでもいうように。

「ええ……ちょっと待って」

 ローラは部屋の隅のほうでモスリンのドレスを脱ぐと、ペチコートの上からジェシカのくれた薄い水色の寝間着を着た――それはまるで寝間着というよりも、ちょっとしたドレスのようだった。肩のところが小さくふくらみ、胸元にはレースの襞飾りがある。

「ローラ」

 後ろにあるファスナーがうまく閉まらなくて、ローラがそれを途中まで上げていると、ベッドからトミーが呼んだ。

「こっちにおいで。それを自分で上げるのは無理だよ」

 確かにそれはローラにもわかっていた――それで、何故こんな不便な寝間着をジェシカがくれたのだろうと苛立たしくなった。トミーはベッドの端に座って背中を向けているローラの長い髪を横に流すと、寝間着の背中のファスナーを、上まであげた。

「……ありがとう」

 振り返った時、トミーと目があった。彼の瞳にはランプの炎が揺らめき、それがローラの心の奥の何かを大きく揺さぶった。

「ローラは、本当に僕のことが好き?」

 ええ、もちろん、と答えようとしたが、ローラはそうできなかった。彼はローラの腰に両腕をまわしたまま、彼女の白いうなじに口接けていたから。

「本当に、愛している?」

 今度は、答えることができた。

「ええ、愛してるわ」

 トミーは一度上げたファスナーをもう一度下までおろしていたが、ローラは黙っていた。寝間着の下の、絹の下着を脱がせた時も。

「この世界で一番僕のことが大切だと思う?」

 枕の上からトミーのことを真っすぐに見つめて、ローラは答えた。

「わたしは……大切だわ。でもあなたは?」

 彼は答えなかった。かわりに、何度も繰り返しキスし、言葉ではなくそうだと言った。

 その夜、ローラが初夜の床で思ったことは――次のようなことだった。痛みを伴う犠牲の中に悦びを見出したこと、それから自分にとっては夫が初めての相手でも――夫にとってはおそらくそうではないということを。


 よく考えてみると、トミーがロカルノンにある美術アカデミーへいって一時帰省した二年目の夏――ローラは確かに、彼に対してある変化を見出していたような気がする。彼はその夏もローラに求婚し――自分が美術学校を卒業したら結婚しようと言った――そして彼女はいつものようにそれを跳ねつけた――だが彼はその前の年や、ロカルノンへ旅立つ時のようには熱心ではなく、断られるのはわかっているけど、ついいつもの習慣でね、といったようにさっぱりしていた。ローラは内心そのことを複雑に感じながらも、それでいいのだわ、次期に彼の気持ちは自分から離れていくでしょう、と自分のことを納得させていた。

 それからトミーがある政治的な集会で酒をしこたまきこしめして警察に捕まり、留置場に一晩、仲間とともに留め置かれた時も――ローラは心配のあまり、ジョサイアとともに、ロカルノンまで彼を迎えにいった――その同じ美術学校の仲間たちに対して、ローラは好印象を抱くことができなかった。

「ヒュー、あの美人、おまえの女かよ」

「もうものにしたのか?」

「ステファニーのことはどうするんだよ?」

 そう――そうだわ!とローラは突然思いだした。確かステファニー・ゴードンとかいったんじゃなかったかしら?なんでも、同じ美術学校の同期だとかで――でも彼らの会話を総合して判断するに、向こうが勝手にトミーに熱を上げているだけのようだったから、ローラは大して気にも留めなかったのだ。

(じゃあ、そのステファニーとかいう女が、トミーの最初のお相手だったのかしら?)

 トミーの隣で、彼の規則正しい寝息を聞きながら、ローラはその女に対して嫉妬を感じていない自分を不思議に思った。何故なのかは自分でもうまく説明できなかったけれど――おそらくローラ自身が彼のことをあまりにも長く待たせすぎたせいだと、心のどこかでわかっていたからかもしれない。どんな男でもあれだけ剣突を食わせられれば――色目を使うモデルのひとりとでも、短い期間恋に落ちても仕方がなかったのではないか?

 トミーはうーんとうなりながら、身じろぎして、ローラに背を向けた。そしてローラが彼の背中にぴったりと体を寄り添わせると、トミーは突然はっと目覚めたようだった。時刻は夜明け前だった。

「……もう、起きる時間かい?」

 トミーはいかにも寝ぼけたように言った。

「いいえ、まだ夜中の三時よ。もう一眠りできるわ。ねえ、トミー……わたし、あなたに聞きたいことがあるのだけれど」

「なんだい?」

 彼はくるりと向きを変えると、下着姿のローラと向きあった。

「あの……あのね……」ローラはトミーの広い胸に抱かれると、これから自分が質問しようとしていることが、ひどく間抜けで馬鹿なもののように感じられてきた。

「去年のクリスマスのこと、覚えてる?あなたがサッカレイ夫人の肖像画を届けにいった時のこと」

「サッカレイ夫人?」一体それは誰だっけ、というように、トミーはローラを抱きしめたまま、眉をひそめて記憶をつまぐった。「ああ、サッカレイ夫人ね。彼女がどうかした?」

「あの時……あなた、首のところに口紅がついていたわ。あれって、どうしてだったの?」

 トミーの全身から震えが伝わり、彼が笑いをこらえているのがわかると、ローラは憤然とした。

「一体、何がおかしいの?わたし、べつに嫉妬しているわけじゃないわ。たぶんきっと夫人がお礼にキスしてくれただけなんだろうってわかってる。ただ、あなたの口から直接そのことを聞きたかったの」

「可愛いローラ」トミーはローラの広い、形のいい額に口接けた。「君みたいな人でも、嫉妬するものなんだね。僕は嬉しいよ……ローラの言うとおり、夫人とはなんでもないんだ。それとも、僕が君に求婚していながら――他の女性とも時々火遊びを楽しんでいたとでも思ったの?」

「いいえ――いいえ……」

 ローラはその否定の声に眠気をもたせた。そして目はまだ冴えきっていたが、突然眠くなってきたというふりをして、彼の胸の中で目を閉じた。そうだ。彼は夏も冬も帰省のたびに、必ず自分にプロポーズしたではないか――そして彼は片一方の女性に求婚していながら、他でも遊べるような人間ではないと、それは自分が一番よくわかっていることではないか。

 ローラはトミーのとくとくという心臓の音を聞きながらやがて本当に眠りに落ち、随分昔の、古い記憶が元となった夢を見た。帽子山でヒグマと出会った時に、トミーの胸に抱かれた時のことを――自分は本当はあの時、ずっとそうしていたいと思ったのだ。でも頭の理性の声が――淑女としてはしたないというようなことを言ったので――誘惑をはらいのけるために彼のことをぴしゃりと打ったのだ。でも考えてみたら自分は、あの時、あの瞬間からもうすでに彼のものだったのだと、朝目覚めて鏡の前に立った時、ローラはもはや処女ではない、少女時代に別れを告げた自分を見て、突然に理解した。


 ミネルヴァ伯爵夫人は結婚式と結婚披露パーティが行われた翌日の、朝一番の列車で首都タイターニアへと出発した。ローズ家とフラナガン家を含めた、家族総出で送りにいき、まだ朝の早い時刻であるにも関わらず、村中のほとんどの人間が――伯爵夫人のお見送りにきた。

 ジョスリンをはじめ、チェスター夫人やスミス夫人など、短い時間にすっかり伯爵夫人と懇意になった婦人たちはみな、目頭の涙をハンカチでぬぐっていた。伯爵夫人はアーヴィング村長やローズ家、フラナガン家の人々にお礼とともに別れの挨拶をしたあと、それらひとりびとりの気安い婦人たちとも握手を交わした。

「ジョスリン、あの特製スープの味を、わたしは決して忘れませんよ――それとスミス夫人のアップルタルトの頬の落ちそうなことや、チェスター夫人の芸術的なミンスパイのことも――え?レシピを送ってくださるだなんてそんな……大丈夫ですよ。あなたたちのことが恋しくなったら、いつでもまた八時間汽車に揺られてここ、ロチェスター村へとやってきますからね」

「ミルドレットさま、そろそろ……」

 滅多に顔の表情に変化といったものを見せない、浅黒い顔をした愛想のない乳母が、伯爵夫人を促した。不思議なことだがこの乳母の無愛想さは、伯爵夫人の気どりのない上品さを引き立てるのに実に役立っていた。もっとも乳母のジャネットにはそのことがよくわかっていて、あえてそうしている部分もあったのだが。

 ミネルヴァ伯爵夫人が列車の特別席に腰を落ち着け、車窓から優雅に手を振るのを村人たちは見送ったあと、三々五々、それぞれ自分の家へと帰っていった。祭りが終わったあとのわびしさのようなものが、どの人の胸にも去来していた。ドナもまた、駅舎の窓からそっと伯爵夫人をお見送りし、ジョスリンの特製スープを飲んで伯爵夫人をはじめ、他の村の誰もが――お腹を壊したり、毒に倒れたりしなかったことを、心の底から神に感謝したい気持ちでいっぱいだった。

(ああ!今にして思えば、どうしてあんな恐ろしいことを思いつけたのだろう?……今はもう、憑きものが落ちたかのように、ローラに対しても何も感じない――背の高いトミーが彼女の肩を抱きよせて歩いているのを見ても、幸せそうに笑いあっているのを見ても――ミネルヴァ伯爵夫人が兵役に就くトミーのことを、最後に励ましていたけれど……ケネスにそれがなかったからといって、それが一体どうだというのだろう?彼はきっと出世して、この自分の元にいずれは帰ってくるだろうし、ローラも近いうちに同じ別離を経験するのだ――ああ!可哀想なローラ!むしろ深く愛されている分だけ……あなたのほうがよりつらいかもしれないわ)

 ところで、クイーン駅にはマイク・マコーマックじいさんの他にもうひとり、滅多に村人たちの前に姿を現わすことのない人物が、駅舎の前である人物がででくるのを待っていた――それは帽子山の第十の橋を渡ったところに住んでいる、魔女と噂されるエメリン・ゴールディだった。最初、村の人たちは誰も、それがエメリンだとは気づかなかった――何しろ彼女が村人たちの前から姿を消してもう何年にもなるし、きのうは街からもたくさんの、どこの誰ともわからない人間の出入りが激しい一日だったからだ。

 だがわし鼻に大きな口をした、古くさいショールを被った小柄な老婆がローラとトミーに声をかけるなり、マックじいさんが怒鳴った。

「おい、エメリン!そのふたりに何を言うつもりだ!」

 その時停車場にいた人々は誰も、ローズ家とフラナガン家の馬車のほうに視線を集中させた。みなが昔から噂になっているエメリンのことを、ざわめきをもって注目した。

「はん!うるさいじじいだね、まったく。昔わたしが吊橋から落ちそうだったあんたを助けてやったことを、お忘れかえ?」

 マックじいさんはぐっと押し黙った。そうなのだ。彼はそれ以外にもエメリンに対して負い目のようなものがあった。しかしマックじいさんはそのことで、より激しくエメリンのことを憎んでいた。彼女が人の前に姿を現わすというのはすなわち――誰かに災いを告げる時だけなのだから!

「あんたがトミー・フラナガンで、こっちがエミリーの娘のローラだね。お母さんにそっくりで、なんて器量よしなんだろうね――あんたがまさかわたしにまで結婚式の招待状を送ってこようとは、正直思ってもみなかったよ。村の連中の中で、あたしに何か用のある者は――大体、薬草が欲しいとかそういうことだがね――帽子山の第三の橋の近くにある大きなモミの樹の下にお願いごとを書いてよこすのさ。いってみればまあ、木のうろのところがポストがわりってわけさね。嬉しかったよ、ローラ――あんたの母親のエミリーも、あたしに会いに第十の橋のところまで、わざわざやってきたことがあったっけね――懐かしいよ。もうかれこれ二十年以上も昔の話だがね」

「お母さんが?」

 ローラの顔色がぱっと変わるのを見て、エリザベスは危険なものを感じた。エリザベスはエメリンの若い頃をよく知っていた――そしてマイク・マコーマック同様、エメリンのことを激しく憎悪していた。

「トミー、さっさとローラを家へ連れ帰っておくれ。その女に関わると、ろくなことはないんだからね」

 馬車に乗った姑からぴしゃりと命令されても、トミーはその場から動けなかった。よくわからないが、エメリンが話のあるのはローラではなく、この自分であると、直感的にわかっていた。村人から魔女と噂されるとおり、エメリンは本当に魔女そのものという容貌をしていた。古着を何枚も合わせて作った襤褸雑巾のようなドレスに、油のしみがいっぱいついた白いエプロン――いや、服装などどうでもいいが、老婆の皺くちゃな顔の中で、なんとしても不快なのは鼻や大きな口ではなく、その眼だった。緑色の、猫のように大きなその目には、子供のような無邪気さが宿っていたが、同時に蛇のような狡猾さをも、見る者に与えずにはおかなかった。

「あんたはなかなか察しのいい若者のようだね、トミー・フラナガン。あたしはローラが招待状を送ってくれたことと、この娘の母親に免じて――あんたにひとつ忠告をしてやろうと思ったのさ。あんたは今度の戦争で必ず死ぬ。だが兵役に就かなければ――この村で長生きをして、ローラと一緒に同じ墓へ入ることになるだろうよ。それを決して忘れるんじゃない、トミー・フラナガン。そしてよく考えるんだ。考え直すんだ――こんなくだらない戦争のために、あんたが犬死にすることはないんだからね。伯爵夫人だかなんだか知らないが、他の人間があんたになんと言おうと――恥も外聞もかなぐり捨てて、臆病者と笑われようとどうしようと、戦争へいくのはやめにするんだ。いいかい?あたしは忠告したからね」

 エメリンは人垣の波の一角を切り崩すようにさっと突き進んでいき――そのしっかりした歩き方たるや、まるで老女とは思えなかった――やがて姿を消した。とり残された人々はみな一様にぽかんとし、それからエリザベスの馬車がでたのに続いて、それぞれ馬を駆っておのおのの家へと進路をとった。

「トミー……」

 ローラが不安そうに彼のことを見上げると、トミーは何ごともなかったかのように、ローラに手を貸して自分の隣へ乗せた。そして栗毛の馬のデニスに鞭をくれると、何やら思案顔で道を進んでいった。彼の顔からは、いつもの優しげな微笑が消え、その横顔にはいつになく厳しい表情が浮かんでいた。






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◇オリジナル小説サイト『天使の図書館』
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