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トリスとセーラ その五

今回、長いです。すみません。

 見慣れた編纂室に、見慣れない真紅のマント。

 せっかく家人に洗濯してもらったのだからシワにするわけにはいかないと、何となく仮眠室の壁に貼り付けてある。


 この日は、早朝に高貴なる方がお忍びでいらしたりして、普段の編纂室にはないうわっついた空気が漂っていた。それも全ては、たったひとりの編纂室員である私がうわっついていたからにほかならないんだけど。

 貴族の底辺に位置する家に属するものとして、天辺にいる人の相手は非常に疲れる。

 ましてや、仮眠室にはデカデカと近衛隊のマントが掛けられているのだ。

 中立を標榜しておきながらあれを見咎められたら、と思うと背筋がゾッとした。そこでなんとか丁重にと心がけたのだけど、結論を言うと無駄だった。私の辞書に謙るという文字はなく、更に言うなら、肥大した仕事へのプライドは、王族相手に折れることも許さなかった。

 相手が酔狂な人だから助かっているが、これがあの国王とか宰相とかなら、今頃私は冷たい地面の下に横たわっていただろう、犯罪者として。不敬罪は立派な犯罪なのだ。

 外は嵐だ。

 穏やかに見えても、プルデンシオ派、ウィンベリー公派、レスリー派の中にはレスリー王子自身の派閥と宰相派に分かれる複雑さ。

 中立を標榜したのは保身のためか、足場を確認する一時のものか。

 こんなことで命を危険に晒すくらいなら、現実逃避と言われようと、美形な方々で誰が右か左かで悩んでいたほうが、遥かに健全な気がする。


 なのに、なのに。

 手元にあるネタ帳は真っ白なままだ。

 しばしの充電期間があるとはいえ、ここまで進捗がないと我が事ながら心配になる。

 これっきり書けなくなったら、私はどうすればいいんだろう?

 血なまぐさい現実に戻る?

 とんでもない!

 ライティングデスクに頬をぺったりとくっつけていると、どこからかパキリという乾いた音が響いた。

 中庭に来客があるようだ。

 枯れ枝が転がっている庭は、危険といえば危険だが、鳴子代わりにちょうどいいとも言える。

 私は真っ白いままのノートを閉じて、外に向かった。


 そこにいたのは、栗色の柔らかな髪を背中でひとまとめにし、最先端のガラス製品『メガネ』をかけた碧眼に軍服の青年。もっと詳しく言うと、近衛隊の略式衣装を身にまとった、神経質そうな二十三歳の青年。もっともっと詳しく言うと、死に顔が映ると嘘を教えられて、十五歳まで頑なに夜の鏡を覗かなかった元少年。ちなみに嘘を教えたのは私だ。


 「テッド! どうしたの、こんなところに? お遣い? 熊の縫いぐるみはお留守番なのかしら?」

 両腕を広げて問うと、彼は心底うんざりとした顔を私に向けてきた。

 「お遣いではありません、私用です。

 縫いぐるみは十五年前にはとっくに卒業しています」

 尖った声ではあるけど、いちいち律儀に答えるところがテッドらしい。

 六歳も年下の母方の従弟は、昔からとても素直だ。

 「ベアトリクス、伯母上があなたを大変心配しておいでです。先日も見合いをすっぽかしたと聞きましたが?」

 私の母とテッドの母は仲の良い姉妹で、テッドは母のお気に入りだ。

 度々お茶に誘っては、ご歓談あそばしていると聞いていた。何を話題に……、と訝しく思っていたが、そういうことか。

 「昨夜もここに泊まったんですね? 年頃の令嬢が無断外泊などと! ますます婚期が遠ざかりますよ?」

 母の生霊に憑依されたらしい従弟は、立て板に水のようにお小言を垂れ流していく。

 「婚期?」

 私はせせら笑った。

 「もうとっくに逃しているってのがわからないの?

 現実を見てちょうだい。三十路まで一年を切った私に! 今更! 婚期!」

 「だからこそ、急いで……」

 「急いだ挙句に、あの見合い? バカにしないで頂戴。私は今のほうがずっと幸せよ!」


 先日の見合いだって、釣書を見ると大層なことが書かれていたものの、ちょっと調べてみれば後妻としての見合いだということがすぐにわかった。

 更に言うなら、素行もあまりよろしくない相手だ。

 世間体のために後妻をおいておいて、自分は遊ぶ気満々ってやつ。先妻が跡継ぎももうけているから、そのあたりの心配もない、という。

 清い結婚というなら、win-winになれたかもしれないけど、最悪の女好き。つまみ食い程度はされそうで、身の危険も感じる。

 この年齢まで仕事と創作に明け暮れた私は、男女の経験などないが、だからこそ愛という幻想も抱いていられる。

 一方的であろうと、両思いであろうと、愛が介在しない関係を私は嫌った。

 祖父のようにはなりたくない。


 「確かに、先日の見合い相手はどうか、と私も思いました」

 テッドがメガネをくいっと上げてそんなことを言うものだから、私はまじまじと従弟を見つめた。

 と言うか、よその家に来た釣書をお前は見たのか? 一見生真面目青年を装って、どんだけ出歯亀だ?

 私の喉まで出かかった文句は、しかし、テッドの続く言葉でたち消えた。

 「伯母上には、私からも注意しておきました。

 釣書と資産に惑わされないように、と。

 いくら年上好きとはいえ、あれではあなたが……」

 「年上好き? 誰が?」

 思いもよらない単語に、首を傾げる。

 テッドは、メガネの向こうで目を瞬かせた。

 「あなたですよ、自分よりも年上が良い、と言っていたでしょう?」

 純粋に驚いた、という顔をしているが、ちょっと待て、それはどこ情報だ?

 「三十路を前にしてるにも関わらず、やたら年上ばかり勧められると思ったら、誤情報の源は貴様か!」

 私は思わずテッドを押し倒し、馬乗りになった。

 騎士のはずのテッドは、驚きのあまりか、抵抗もできず、受け身を取るのが精一杯のようだ。


 私よりも年上といえば後妻や妾、もしくは著しい問題があって結婚できなかった奴らばかりだ。

 私は親の見る目のなさと自分の運のなさをずっと呪っていたが、なんのことはない、元凶は目の前で驚きに固まっている従弟だったというわけだ。

 「一発殴らせて。その後、言い訳を聞いてあげるから」

 両手をグーパーしながら、テッドを見下ろす。手は大事な商売道具だが、怒りに任せて指が一、二本折れても仕方なし、と覚悟するくらいは腹に据えかねていた。

 テッドは、さっきまでのすました顔が嘘のように、眉尻を下げて青ざめていた。

 「しかし、私は確かに聞きました。

 十年前です。

 あなたはいつもの仲のよいご友人とお茶を飲んでいた」

 十年前の記憶なんざないが、お茶を飲む仲のいい友人といえば一人だけ、セーラだろう。

 そして、セーラが一緒にいたということは、話題は限定されている。

 「十年前ねぇ」

 私が、過去の流行を走馬灯のように脳裏に描いている間、テッドも自分の手札を見せる気になったようだ。

 「そうです、確かに十年前です。私が騎士隊に入隊した年ですから。

 私はそれをあなたに伝えようとこっそり訪問し、あなたの部屋の前で確かに聞いたのです」

 テッドは少し困惑した顔で、私を見上げている。

 あの頃、私は官僚になったばかりの別部署、セーラは私より三年くらい前から城に上がっていた。

 そうだ。私は外交部にいて、慣れない異国の言葉に泣きそうになっていた。

 思い出してきたぞ。


 「あなたは確かに、ご友人に言っていました。

 やっぱり、力のある年上が一番だ、と。

 離れているほど、素敵だ、と」


 あの頃は成人を迎えたばかりのウィンベリー公が、成人と同時に公爵位を継いで話題になっていた。

 奇しくも、プルデンシオ殿下も同年。

 セーラは当然、お二人を掛けあわせた。ライバルなのに惹かれ合う二人、というシチュは確かに素敵だった。でも、インパクトが足りないと感じて。

 そして、私は?


 「特に、当時、我が国を訪問していた世界的な音楽家であるマツァーリ氏が、誰よりもいい、と」


 そうそう。あの白髪のエロジジィ!

 女好きで、セクハラしないのは女性への侮辱だ、と信じていた死に損ない!

 忘れもしない、私の胸をもんだあの男だ!

 私はあの時、確かに書いた!

 ジジィ☓公! からの、第一王子☓公!

 横恋慕したジジィが悪役になって公を囲い込もうとし、第一王子に復讐されるやつ!

 私の胸を許可無くもんだあのジジィが許せなくて、作中でケチョンケチョンにした!

 ザマァ見ろ! あれは我ながら傑作で、各方面からお褒めの言葉を賜った。特に、悪役に無慈悲にくだされる罰にリアリティ溢れている、と。

 その小説を書く前に、私は悪役の重要性をセーラに力説したことが確かにある。


 「あれか!」

 「それです!」

 私の脳内を見たわけでもなかろうに、テッドは私の下に寝転がりながら肯定した。

 「違う!」

 「何が!?」

 即座に否定すると、テッドが何故か泣きそうになっている。

 私は、いつの間にか厚くなった胸板に両手を置いて、情けない顔をしている従弟に言った。

 「あれは小説のことよ。私の男の好みの話じゃない」

 「何て紛らわしい!」

 テッドはもう本当に目尻に涙をためて、私を見上げている。

 何て言うか……ゾクッとする。


 テッドは普段はすましていて、なんだかとても「すかした奴」だ。ご婦人方にも「氷の貴公子」なんてあだ名されてチヤホヤされている。

 でも一皮むけば、泣き虫の甘ったれ。

 私の尻の下で、涙目で見上げてくる様は、Sっ気がなくてもそそられてしまいそうだ。

 いや、セーラに言わせると、私は十分Sっぽいのだそうだが。


 「第一、何で私の男の好みをあんたが盗み聞きして、母様にご注進することになってるのよ。そんなことするから、私がこんなに苦労するんじゃない」

 真っ昼間から成人した従弟を泣かせている背徳感と戦いながら、私は何とか話の軌道修正を試みる。

 上に乗っかる私を避けようともせず、テッドはポケットから取り出したハンカチで、乙女のように目元の涙を拭った。

 「あ、あの時私は、すごくショックを受けたんです。騎士見習いになったことを喜んでもらおうと思ったのに……その……あなたが年上好きだと……。

 呆然と歩いていると、伯母上に事情を聞かれまして」

 「素直に話したのね」

 「包み隠さず」

 そして誤情報を垂れ流したわけだ、感じたとおりに。

 もう、どこから突っ込んでいいかわからず、私は脱力した。

 いい加減結婚しなさい、という割には、冗談はやめろと言いたくなる相手ばかり見合い相手にされ、私はすっかり家を敬遠するようになっていた。母に愛されているかすら疑っていたくらいだ。

 母からすれば、むしろ娘好みの相手を見繕うのに苦労しているのにすっぽかされるなんて、理不尽極まりないと感じていただろう。

 なんのことはない、お互いの間に大きな誤解が横たわっていたわけだ。

 この無邪気な坊っちゃんの仕業で。

 「あの、ほんとに申し訳なく思っています」

 テッドはゆっくりと起き上がると、私を労るように、頬を撫でてくる。

 剣だこでカサカサの指ざわりが地味に痛い。

 「泣かないでください」

 「はっ? 泣いてないわよ! ホッとしてるのよ!」

 父も祖父も嫌いだったけど、母のことは昔から大好きだ。なのに嫌われているのか、もしくは全く無関心なのか、と思い、ずっと悩んできたのだ。

 喧嘩するのも嫌で、家には帰らないようにしていた。

 全部、誤解だった……こいつが原因で。

 「よくわかったわ、テッド。

 あんた、殴られてちょうだい」

 面前のテッドから、優しくメガネを外してやる。高価なメガネに傷でもつければ、私の給料が飛ぶ。

 「あの、本当に心から謝罪します。

 殴られるのも、我慢します」

 殊勝にも、テッドは目を閉じ、両手を胸の前で祈るように組んだ。

 本当に、一々の仕草が乙女っぽい従弟だ。

 しかも、怜悧な印象を添えるメガネを外すと、子供の頃の面影が残る綺麗なお顔が残った。

 小さい頃はあまりにも可愛かったから、私の古いドレスで着飾らせて遊び倒したものだ。真っ赤になって、やっぱり目に涙をためて我慢している様が愛らしくて仕方なかった。

 今考えると、男性同士の恋愛を夢想するようになったのは、この綺麗すぎる従弟がそばにいたからかもしれない。

 女装よし、騎士服も似合う、外面は貴公子なのに内面乙女。

 受け君としては完璧な存在。


 私は深く深くため息をついて、拳を下ろした。

 体中から力が抜けて、テッドの胸に額をつける。

 「殴らないのですか?」

 私の雰囲気の変化に気づいただろうテッドが問いかけてくる。

 私は苛立ちと恥ずかしさをごまかすために、テッドの胸に頭をグリグリと押し付けた。

 「いろいろね、昔のことを思い出したから、相殺」

 私の脳裏には女装したテッド。

 テッドが何を思い出したのかはわからないが、どこか慌てたように、「ありがとうございます」と謝意を伝えてきた。


 「昼間っから風紀が乱れていると、宰相府に投書すべき?」

 「セーラ。来ていたなら、声をかけてよ」

 「ベ、ベアトリクス! 降りてください!」

 降ってわいた声に振り返ると、何故かますます泣きそうな従弟の声が背後から。

 セーラが肩をすくめるものだから、またテッドを振り返る。

 正面にいる青年は、体中の血を一箇所に集めたかのように真っ赤になっていた。

 よくよく考えると、私が馬乗りになっていたところからテッドが体を起こして、今私の尻はテッドの腰にすっかりと落ち着き、恋人同士でも人前ではやらないような際どい格好だ。

 「あら。失礼」

 「ベアトリクス!」

 テッドは悲鳴と言ってもいいような声を出す。

 「随分と初な反応ね。もしかして未経験なのかしら?」

 「破廉恥な!」

 その反応だけで回答が知れるというものだ。

 いや、待てよ。

 「男相手なら?」

 そこまで問うつもりは毛頭なかったのだが、スルッと口からこぼれ落ちていた。

 テッドはきれいな碧眼にいっぱいの涙をため、私を睨みつけた。

 「ベアトリクスなんて、トリスなんて……もう知りません! バカ!」

 私の脇に手を差し込み、丁寧に私を体の上から降ろすと、またハンカチで涙を拭い、もう一度「バカ!」と叫んで駆け去っていく。


 しんと静まった中庭に、クスクスとセーラの忍び笑いが聞こえる。

 私は肩をすくめてみせた。

 「どちらも未経験みたいね」

 「当たり前じゃない。あの子、昔っからあなた一筋ですもの。

 ところで、マントは返さなくてよかったのかしら?」

 「マントって、誰の?」

 話が見えなくて首を傾げると、セーラは顎をぐいっとしゃくって仮眠室を示した。

 「だってあれ、役付のマントじゃない」

 平のテッドにはまだ早いだろう。

 そう言うと、セーラは苦笑した。

 「新設された四番隊の副隊長に就任したのよ、彼。

 もっとも、授かったマントを授かった日に汚したとかで、隊長にこっぴどく叱られたらしいけどね」

 「は?」

 「今、クリーニングに出しているそうよ、あなた、クリーニング店副業でやってたりする?」

 クスクスを超えて、ニヤニヤ人の悪い笑みを浮かべているセーラの脇腹を強く小突いておく。


 昔っから、テッドは何か嬉しいことがあると、一番最初に私に自慢に来る癖があった。


 「自慢に来てるんじゃなくて、褒めて欲しくてきてるのよ? ……聞いてないわね」


 脳裏に、涙しながら駆け去ったテッドの美しい横顔が蘇る。


 「よし! 久々にテッドで一本書くわ」

 近衛隊四番隊の副隊長就任祝いは、さっきまで枯れ果てているんじゃないか疑惑に揺れていた頭の中をネタでいっぱいにした。

 テッドが完璧な受け君なら、攻め君は誰だろう?

 どういうシチュだと、テッドの可愛らしさが引き立つかしら?


 「どSな年上文官攻めでお願い」

 セーラから注文が入る。

 なるほど、文官というのは正反対でいいかもしれない。

 「ありがと、セーラ! 傑作が書けそう!」

 「どういたしまして」

 セーラが何か可哀想なものを見る目で見ていたけど、それはいつものことなので気にしない。


 母との蟠りも溶けそうだし、謎のマントが誰のものかもわかったし、私のスランプも解消したし。

 何だか良いことづくめな気がして、私はとても幸せなのだった。

 世はなべてこともなし。

 平和って素晴らしい。

 そんな編纂室の午後。

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