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トリスとセーラ その三

 「トリス、くれぐれも気をつけてね。ボロを出さないで」

 「大丈夫よ、セーラ。編纂室だって私一人で片づけてるんだから、掃除なんてちょちょいのちょい、よ」

 私がさわやかな笑顔で親指をつきだしても、セーラの顔は晴れない。

 非常に心配そうな顔で私を見るばかりだ。


 まぁ、その気持ちも分かる。

 ここは王太子棟。

 私はメイドのお仕着せを着て、ここに潜入している編纂室長(部外者)。

 双子王子と編纂室の間柄は、普通に考えてよいもののはずがない。

 何故って、三代前の編纂室長こそ、双子王子のどちらかを殺すべき、と主張した存在だからだ。その強硬派の目から隠すように、双子王子は母である側妃からも離されて、離宮に閉じこめられた。

 それが十六年前の話。

 王子達の物心つく前のこととはいえ、側近の誰かには聞いているだろうし、やはりいい感情を持っているとは思えない。

 だからこそ、正面から役職を名乗って訪れることを諦めて、こうして潜入しているわけだ。


 「私は、まだ整っていない王太子棟に手伝いにきたメイド。

 あなたには迷惑をかけないから、大丈夫よ」

 ここでセーラとは分かれる予定だ。

 何かの予感があったわけではない。ただ、皆が忙しく働いている中、片方が助っ人とは言え、メイドが二人そろって同じ場所を掃除しているのは返って怪しまれると思ったのだ。

 「本当に、本当に、大丈夫ね? いざとなったら、私の名前を出していいからね?」

 心配性のセーラに言い含められても、私の中にはわくわくとした期待感しかなく、深く考えずにうんうん、と頷く。

 「執事長のリヒトさんには気をつけて。すごく気のつく人だから」

 「わかってるって」

 「ルシオ殿下にも気をつけて。すごい人だから」

 「だいじょーぶ、大丈夫」

 私が手をひらひらと振って見送ると、セーラはそれでもまだ後ろ髪引かれる感じで振り返りつつ、遠ざかっていった。

 彼女の姿が視界から消えると、私は腕まくりをし、水の入ったバケツとモップを手にした。

 私の担当は廊下だ。当然、王子達への遭遇率が高いところを選んだ。


 廊下をモップで水拭きし、水をきれいに拭き取った後、今度はミルクを垂らして雑巾掛け。

 ピカピカの艶に、専門のメイドでもないのににんまりしてしまう。何にでも没頭してしまうと周りが見えなくなるのは、私の悪い癖だ。

 いつの間にか鏡のように磨き込まれた廊下に、私以外の影が写っている。

 私が驚いて顔を上げると、そこに立っていたのは長身の老紳士だった。

 「も、申し訳ございません!」

 何を謝っているのかも意味不明だが、とりあえず謝罪して頭を下げる。

 廊下の鏡像ごしに老人と目があった。

 「見慣れない方ですね、応援の方ですか?」

 老紳士の円やかな声が降り注ぐ。その間、私と彼の目はあったままだ。強い意志を感じ、そらすこともできない。

 「は、はい。トリスと申します」

 「普段はどちらに?」

 「内政府の方に……」

 嘘ではない。王室史編纂室は、内政府の所属だ。

 冷や汗が背筋に流れる。

 老紳士はにっこりと笑った。

 「さようでございましたか。大変見事な仕上がりです。いつもこちらに来ていただきたいほどですね」

 徐々に、この老紳士が誰であるか、想像がついてきた。

 これはあれだ。よく気のつく執事長リヒト様。

 老紳士がさらに何か言おうと口を開いたそのとき、廊下の向こうがにわかに騒がしくなった。


 「この後は内政官の授業だって言っただろう?

 君の頭には、食事の時間以外に時刻の概念が無いようだな!」

 「ちょっと待てよ! 聞き捨てならないな!」

 「反論できる証拠でもあるのか?」

 「そうさ! 食事だけじゃない、お茶の時間だってわかってる!」

 似たような声なのに、片方はつんつんと、片方は明るくハキハキと、聞こえてくる。

 そして、その声と同時に、廊下の曲がり角から双子の少年が姿を現した。


 その姿を目にした瞬間、私は何よりもセーラに感謝した。

 お揃いの黒髪を肩で切りそろえ、サラサラとなびかせている二人の少年は、つんつんしている方がやや線が太く感じる。こちらがルシオ王子だろう。

 そして、小突くように挙げられたルシオ王子の腕を、身を屈めて避けているのがレスリー王子に違いない。

 まだ細い首、シミひとつない白い肌、バラ色の頬。

 鼻梁はすうっと通っていて、薄く紅を落としたような唇は、片方は不満そうに結ばれ、片方は愉快そうに笑っている。


 私は魂を抜かれたように、呆然とその光降り注ぐ光景に見入った。

 なんて幸せな絵なのだろうと、うっとりする。

 やり取りだけを見ると、どこにでもある子犬のじゃれあいみたいなものなのに、二人の距離が、眼差しが、言葉の端々が、全て私の妄想力を刺激する。

 愛し合っている。これは確実に、愛がある。

 どちらが右か左かなんて関係ない!

 王子たちは確かに、お互いを愛しく思っていらっしゃるのだ!

 尊い。

 教会の宗教画なんて比べ物にならないくらい尊い。

 司祭なんぞ関係なく、このお二人こそが、愛の尊さを伝導していらっしゃる!

 私は我知らずと手を合わせ頭を垂れていた。

 神様、セーラ様、私は今日この時に見た光景を決して忘れません。

 本当に感謝いたします。


 「リヒト! お腹空いた……あれ、その人、どうしたの?」

 「病人か? 動かないぞ?」

 「……気絶なさっているようです。根を詰め過ぎたのかもしれませんね」


 遠くに切れ切れと声が聞こえた。


 「起きた?」

 呆れたようなセーラの声が聞こえる。

 私は薄っすらと目を開けた。

 「何だ、夢か……」

 「夢?」

 「うん。双子王子が廊下の向こうに現れて、じゃれあってた。

 素晴らしい絵だった」

 セーラは馬鹿にするように鼻を鳴らした。

 「夢じゃないわよ。

 あなたは王子たちを見た瞬間に気を失ったのよ。

 私が駆けつけるのが遅かったら、あなたの身元、全部割れてたわよ」

 「あれが、あの多幸感が、夢じゃない、と?」

 脳裏に再度、絵を蘇らせる。

 なんて……。

 「尊い」

 「わかる、わかるけどね。

 のぼせ上がって鼻血を吹いたアラサー女なんて、王子たちだって見たくなかったでしょうよ」


 セーラがなにか言っていたけど、私の耳には届かない。


 「あぁ、尊い。素敵。無理」


 「いいけどね、別に」


 何事もない、編纂室の一日であった。

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