トリスとセーラ その二
勢い。すべては勢いです。
何の意味もありません。
「大変よ! トリス!」
二回目ともなると、私も学習する。
セーラの声が聞こえたと同時に、両足を肩幅に開いて、踏ん張った。
ドン! という音とともに、セーラが背中からつっこんでくる。
私は体勢を崩すことなく、崩すことなく……。
「バカセーラ! どうしてくれるのよ! 紙が汚れちゃったじゃない!」
新刊用に物色していた真新しい紙が、地面の落ちて汚れてしまっている。
昨日、セーラに聞いた新情報を元に、私は早速想像の世界を羽ばたいていた。徹夜した、とも言う。
ちかちかとオレンジ色に瞬く太陽も、たまに歪む景色も、無問題だ。
午後からは、昨日お二人が入ったばかりの王太子棟に潜入予定だ。
にまにましながら紙を拾っていると、セーラも一緒に屈んで拾ってくれる。
つきあいのいい奴だ、と思ったが、そうではなかった。
セーラは一刻も早く、私に伝えたいことがあったのだ。
「ビッグニュースよ、ベアトリクス!」
「今度は何? 双子王子以上のニュースなんて、なかなか……」
「その双子王子についてよ」
「聞かせてください、セーラ様」
私は拾っていたはずの紙を盛大にまき散らし、それにも関わらず、セーラの両手をしっかりと握りしめた。
「銀光の騎士が、レスリー殿下の側近として配置されたわ」
「まじか!?」
私はくわっと目を見開いた。
銀光の騎士といえば、サウロ・オーウェル様。
ウィンベリー公に次ぐ発言力を持つといわれる辺境伯の三男。
御前試合を十代で三連覇し、「おまえが出るとおもしろくない」との陛下からのお言葉を賜って、試合出場権を失ったという猛者だ。
そしてそれ以上に、逞しい体、精悍ながらも甘いマスク、田舎育ちを気にしてか必要以上に紳士たらんとするその姿勢に、老いも若きも女性ならめろめろにならざるを得ない、という逸材。
とある高位の未亡人からハンカチを送られた際に、「私のような無骨ものには過ぎたる品でございます。どうか、大事になされますよう」と返品した、とも聞く。
身辺清く、これまで女の影はいっさいなかった。
おかげさまで、騎士団長×銀光という薄い本は飛ぶように売れた。
「よもやの大物の登場ね。
宰相閣下は、殿下に辺境伯の後援をつけたいとお考えなのかしら」
誰もいない編纂室の中庭。
メイドさえもいないから、お茶は自分で用意する。
近くに物陰はない。
だから、言いたい放題である。
不敬罪、何、それ、だ。
セーラも自分で持って来たお茶請けのクッキーを平皿に広げ、バリバリ食べながらお茶で流し込む、という、男が見たら百年の恋も冷める態度で、うんうん、と頷いている。
「もともと、宰相閣下はプルデンシオ殿下をお考えだったでしょう?」
第一王子の名前を挙げると、セーラはせせら笑った。
「あそこはダメよ。宰相閣下と、側妃様の相性が悪すぎるわ。
どっちも強気で強欲!
それでも、レスリー殿下という存在がなければ、宰相閣下も我慢したでしょうけど。
手駒にプルデンシオ殿下より魔力があって、プルデンシオ殿下より周囲がうるさくない、レスリー殿下が転がり込んできたのですもの。
ぽいっよ」
食べかけのクッキーを、これ見よがしに草ぼうぼうの庭に放る。
もったいないな、おまえ。
「それがね。銀光は昨日、王太子殿下に合流なさったんだけど。
夕方にね、一悶着あったらしいのよ……」
夕方、黄昏時。何とも不穏当な意味合いの時間帯に、ただならぬイベント、とな?
かぶりつきで先を促すと、セーラはにんまりと笑った。
「殿下のお隣の部屋を、誰がとるか、でもめたのよ」
「?? 通常そこは近衛の銀光でしょう?」
王族には、たまに専属の近衛がつけられる。
通常の交代式の近衛隊とは異なり、まさに四六時中そばに付き従う専属ボディーガードだ。
「そう思うでしょう? ところがね、ルシオ殿下が隣室を主張なさったのよ!」
「は? だって、殿下は侍従扱いでしょ?」
前例のない申し出に、私はぽかんと口を開けた。
仲の良い双子とは聞いていたけど、だからといって、兄弟で四六時中一緒に居たがるものだろうか?
私には年子の姉が居るけど、寧ろ、うざったくて早く離れたくて、仕方なかった。
その時培った性格が、女の身で弱小部署とはいえ、一室の長を勝ち取るにいたったのだから、少しは尊敬している。少しだけ。
男の子の兄弟は違うのだろうか? それとも、双子だから?
私とは違って、弟をべったりと甘やかしてきたセーラは、それでも、おかしいよね、と言い放った。
「でね、銀光と従者殿下が真っ向からぶつかったらしくって。
その采配は結局、レスリー殿下がおとりになったのよ。
どうなったと思う?」
「え? 銀光が隣室でしょう?」
それ以外に取り得る道がない。慣例ということもあるし、それ以上に、殿下の身の安全を考えるのであれば、銀光ほどに頼もしい存在はないのだ。
「そう、銀光が隣室よ。
でね………………」
思い出し笑いを始めるセーラ。
三十路を前にして、思い出し笑いする独女というのは、何とも気持ち悪い存在である。
「さっさといいなさいよ。順当でしょ?」
これ以上、何があるというのか。
全く想像がつかないので、何となくいらいらする。
セーラは私の感情の機微を読みとり、焦らすのを思いとどまってくれたらしかった。
「聞いて驚け~!
なんと!
レスリー殿下とルシオ殿下は同室となったのです!」
「はぁ?!」
訳が分からない。
同室って。
ある一定以上の部屋数がある裕福な家なら、赤ん坊の頃から個室をあてがわれる。
兄弟が同じ部屋に入れられるといっても、十才頃までには、個別の部屋がもらえるのが当たり前だ。
それが、同室? 一緒の部屋? 待って、一緒に寝るの?
愕然としている私に、セーラはうんうん、と頷いてお茶をすする。
「まぁ、別にベッドを持ち込まれたので、同衾ってことはないと思うんだけどね。
それだって、フェイクの可能性あるし……」
「まさか……そんな、公式が同人を超えるネタ振ってきて、どうするのよ! 何それ、誰得? 私得?
ごちそうさまです?
誰に感謝すればいいの? ってか、私、それを超える話を作れるの?
ヤバい、ヤバいよ、セーラ。
今日、王子ズにあったら、私、どんな顔をすればいいのかしら?」
「笑えば……いいと思うよ」
セーラは泣きそうな笑みで、私の肩を力強くつかんだ。
今日も、王室史編纂室は平和そのものである。