第九十六話『不穏な香り』
ゴブリンデーモンとの戦闘も終わり、それ以降は魔物と遭遇することもなく、馬車は順調に進んでいる。
そうして、一定の揺れを感じながらも、のんびりと過ごしていると、馬車の窓から磯の香りが入ってきた。
「マスター、海が近いですね」
アイが馬車から身を乗り出して外を眺めていると、ソラがアイを席へと引き戻す。
「あまり、身を乗り出すのは危険かと」
淡々とした声音でソラがアイへと忠告する。その言葉に、渋々ながら席へと戻るアイ。
何故だか、その一連のやりとりが、僕の心を密かに温める。その間、イーリスはずっとラルムを見つめていた。なんだか少し不思議な子だ。
ゆっくりと減速をはじめた馬車が目的地へと辿り着いたことを知らせる。
「アンス王女達はもう着いているのかな?」
「まだ、こちらに向かって走っている最中です」
ソラが、アンス王女達とともにいるはずの、リーフとフレアに意識を同調させたようだ。
「走ってる?」
まさか……。
「はい、そのまさかです。彼女達は、自らの足で走っています」
僕の思考と同調しているソラがすぐさま答えた。
さ、さすが、武闘派組だ……。
「じゃ、じゃあ先に受付を済ませておこうか」
そう言って僕は馬車から降りる。
あれが、船乗り場だろうか?
僕の視界には、お世辞にも立派とは言えない、木造の建物が見えている。掘っ建て小屋とまでは言わないが、中々に時代の流れを感じさせる建物だ。まぁ、建物は関係ないさ、問題なのは船なのだから。
中に入る為、扉に手をやる僕。立て付けの悪い扉がきしむ。
なるほど、内装もそれなりにボロい。まぁ、内装は関係ないさ、問題なのは船なのだから。
「すみません、ヴェルメリオ行きの船に乗りたいのですが」
僕は受付に立つ、時代の流れを感じさせる女性に問いかける。まぁ、受付の女性は関係ないさ、問題なのは船なのだから。
「マスター、それは流石に失礼です」
僕の心の声に小声でツッコミを入れるアイ。
「何人で乗るんだい?」
受付のご婦人が問い返してくる。
「全員で九人です」
僕達も随分と大所帯になったものだ。
「乗れて八人までだね」
受付のご婦人が少しだけ困った表情で言った。
「え、すでに、そんなに予約があるのですか?」
迂闊だった、事前に予約をするべきだったか。
「いや、あんた達だけよ」
「え?」
「船が九人乗りで、一人はうちの船長が乗るから」
あれ、海を渡るんだよね?
九人乗りって、ボートじゃないんだから。
「えっと、少し小さ過ぎませんか?」
失礼は承知で聞くしかないだろう。
「あぁ、元々使っていた正式な船がこの前、クラーケンに沈められてね」
クラーケンか、確か図鑑で見たことがある。魔大陸近郊の海に出没するタコに似た巨大生物だったはず。
うーんどうするか? そもそも、こんな状況で、王女二人を乗せての航海はあまりにリスクが高い。
そんな事を考えていると、扉が激しく開く音で、僕の思考は霧散する。
「よぉ! 久々だなフィロス」
真紅の長い髪を揺らしながら、勢いよく室内に入ってきたのは、リザだった。
その後ろから、アンス王女、リーフ、フレアが続々と入ってくる。
「フィロス、どうしたの、悩んだ顔をして?」
会ってすぐに、僕の心情を言い当てるアンス王女。まるで、精神魔法師のようだ。
僕はそのまま、船の定員人数とクラーケンの話を説明した。
「なるほどな、まぁ、クラーケンは出ても倒せばいいし、定員人数も大丈夫だろ? 俺とアンスだって小柄な方だし、残りの七人はミニマムサイズじゃねーか」
リザにとっては巨大海洋生物は問題の内に入らないようだ。サイズのことは、まぁ、確かに、言われてみれば、うん。
「あの、見ての通り、僕達は基本小柄な人ばかりなので、なんとかなりませんかね?」
僕は邪魔なプライドを捨てさり、受付のご婦人へと問いかける。
「うーん、まぁ、責任はとれないけど、それでもいいなら」
不穏な発言だが、まぁ、乗っかるしかない。まさに、乗りかかった船だ。
「じゃあ、九人でお願いします」
「わかったよ、ついておいで」
受付のおば、、ご婦人の言葉に従い、後を追う僕達。
「これが、今から乗ってもらう船さ」
そう言って、彼女が指差したのは、お世辞にも綺麗とは言えない、漁船サイズの船だ。まぁ、船の中央には、雨風をしのげる屋根らしきものもあるし、なんとかなるか?
船の先頭にはすでに、船長らしき人がいる。
「やぁ、どうも九十二代目船長のレオナルドです」
船長を名乗るには少し若いイメージの金髪の青年が言った。
「若いのに船長なんて凄いですね」
この見た目の僕が言うのもなんだが。
「えぇ、しょっちゅう入れ代わるので……」
理由は聞かないでおこう……。
こうして、磯の香りと不穏な香りが漂う、僕達の航海がはじまった。




