第九十五話『王女の決意』
この三ヶ月間、幾度となく繰り返された戦闘。訓練場の床が擦れる音、耳の横を通り抜ける風切り音。それらは最早、聞き慣れた日常の音達。しかし、いつもと違うのは、私が手にしている武器だ。確かな重量を腕に伝えてくるこれは、命を奪う為に作られた細身の剣。その刀身の光が尾を引き煌めく。
ーー手に伝わる肉を貫く感触。
私が持つレイピアが、深々とゲヴァルト族長の肩に突き刺さった。
「よし、アンス、合格だ」
右肩から血を垂らしながらも、痛みなどないかのように、豪快な笑顔を見せるゲヴァルト族長。自分の痛みよりも、私の成長を喜んでくれるのは嬉しいけれど、はやく治療しなくては。
「は、はやく、傷を」
最後は真剣を握れ、その言葉に従い、私は全力で戦った。そして、今の現状に至る。
「今のは良い一撃だったぞ」
そう言いながら、肩に刺さったレイピアを引き抜くゲヴァルト族長。同時に大量の血液が流れ出るが、その血液の放出も、角の発光とともにおさまった。
「流石の回復力だな!」
リザがゲヴァルト族長にも引けを取らない豪快な笑顔で言った。
「回復にだけ力を回せばな。アンスも相当強くなったが、それにしても、お前さんは、とんでもねーやつだな。この短期間でオレ様のとっておきを習得するとは思わなかったぜ。普通の人間でこれだけ強い奴を見たのは、二人目だ」
ゲヴァルト族長がリザを見つめてそう言った。
「へぇ、その俺以外のもう一人ってのは?」
リザが興味津々の様子で問いかける。
「たしか、エオンとか言った女だったな。あいつは強かった。それに驚く程綺麗な奴だった」
ゲヴァルト族長が記憶を辿りながら言う。
しかし、その記憶には一つ、誤りがある。
「あぁ、エオンか! 俺、あいつに一回負けてんだよな〜。あっ、それと、エオンは男だぜ?」
「ほぅ、戦ったことがあるのか。だが、今のお前ならわからないぞ? ……、え? 男?」
ゲヴァルト族長がこの三ヶ月間で見せた、どの表情よりも驚いた顔をしている。あれ、なんだったかしら? フィロスがよくこう言う時に、鳩が豆鉄砲をどうのこうのと言っていた気がする。鬼に豆だったかしら? まぁ、どちらでもいいのだけれど。
「その人がオラ達の里に来た時、族長、求婚して……」
ゲヴァルト族長の隣に控えていたマハトがボソッと呟く。
「マハト! 余計なことは口にするな!」
族長の鋭くも威厳の削がれた怒声が響き渡る。
「エオンは男好きだから大丈夫よ」
私は素早く、フォローを入れる。
「いや、族長は普通にフラれてしまったんだべ、ゴツい男は嫌だって言われて」
「マハト!」
ゲヴァルト族長のするどい拳骨がマハトを襲う。
「お前達は本当によくやった。それに、そこの銀髪の二人もな」
ゲヴァルト族長は、いち早く話題を変えるべく、部屋の隅に並んで立っている二人に話題を振る。
『ありがとうございます』
その激励に、リーフとフレアが同時に答えた。彼女達も空いた時間に、ゲヴァルト族長の稽古を受けていた。心なしか、三ヶ月前よりもたくましくなった気がする。
その後も談笑を続けていると、リザがおもむろに口を開いた。
「じゃあ、俺らはそろそろ行くな」
「そうか、また来いよ。馬車はいらねーよな?」
ゲヴァルト族長が笑いながら問いかけてくる。
「たりめーだろ? 走った方が速い」
リザが自信満々に言う。
そして、少しの間をとって、全員が口を開く。
『ありがとうございました』
私達四人の声が、訓練場内に響き渡る。
こうして、私達はオグル族の里を旅立つ。
* * *
先頭を走るリザに置いてかれないよう、全力で疾走する私達。
いつの間にか、景色は変わり、周囲は木々が囲む深い森の中。
「おいでなすったぜ?」
先頭のリザが足を止め、進行方向を指差す。その指の先には……。
「ドラグワームね」
しかも四体。ふと、あの時の記憶がよみがえる。リザの姉、ウェスタ王女に助けられたあの日のことを。
あの時の私とは違う。
「私が全員やる。倒した敵の死体は任せていい?」
ドラグワームの血は仲間を呼ぶ。だから、焼き尽くさねばならない。だからといって、この先、リザにばかり戦闘を任せてはいけない。
「あぁ、わかった、俺は処理だけで我慢してやるよ」
そう言って、試すように笑ってみせるリザ。
その笑顔に応える為にも、私は力を示さなければ。
一瞬の内に覚悟を決め、この三ヶ月で数段上がった膂力を用いて、力強く地面を蹴り出す。
まずは左端のやつだ。
敵との間を一瞬で詰めた私は、敵の複眼を狙い、最速の突きで連撃を見舞う。
複数ある全ての目を潰し、素早く羽根を削ぎ落とす。
「よし、次」
私が次の相手に狙いを定めると、後ろでリザが死体を燃やし尽くす。
二体目も同様の手順で倒すと、三体目と四体目のドラグワームが同時に襲いかかってきた。
巨大な顎門を開き、凶悪な牙が迫ってくる。
それをギリギリまで引きつけ、私は最低限の動きのみで避ける。
腰のあたりにレイピアを引き、力をためる。
そして次の瞬間、一気に力を解放する。閉められた蛇口が開放され、力が溢れ出す。
私の渾身の突きは、二体のドラグワームの胴をまとめて貫いた。
「お見事!」
リザはそう言いながら、一瞬で死体を灰に変えた。
「うん、ありがとう。先を急ぎましょう」
勝利の余韻に浸るのは今ではない。
私とリザには、護るべき国があるのだから。




