第九十話『二人の少女の朝稽古』
フィロス達と別れてから数日が過ぎた。現在、私とリザはオグル族の里にある、身体魔法師の訓練場にて、朝の稽古に励んでいる。
一緒にこの里まで来た、リーフとフレアとは現在、別行動をとっている。
朝一番ということもあり、広い訓練場の中には、私とリザの二人きりだ。
静謐な朝の空気を切り裂く、鋭い風切り音が私の鼓膜を揺らす。
数度の打ち合いを経て、私の体力は、随分と消耗していた。しかし、対照的にリザの動きのキレは増す一方だ。
「隙あり!」
リザの気合のこもった一撃が、頭に被っている訓練用の防具ごしに、私の脳を揺らす。
「うぅ、またやられた……」
訓練用の模造刀とはいえ、リザの一撃は重く、軽い目眩を感じる。
やはり、リザは私よりも強い。同年代の人間に負けた事のなかった私にとっては、この数日間の連敗は、中々に衝撃的な出来事だった。
「アンスの太刀筋は素直過ぎるんだよ」
私の頭に鮮やかな一撃を加えたリザが笑いながら言った。
普段は私よりも、よほど素直なはずのリザにそう言われると、なんだか余計に悔しいのだけれど、確かに私の太刀筋が読まれていることは、紛れも無い事実だった。
「リザにはどうしてそこまで、私の動きが読めるの?」
私の攻撃をいとも容易く避けているように見えるのだ。
「先読みだな」
「動きの先を予測しているの?」
「あぁ、身体の動き出しを見ていれば、大体はわかる。残りは勘だな!」
私も動きの予測はある程度行っているが、リザのそれは、あまりにも精度が高い。経験則がもたらす戦いの勘が、彼女のセンスと相まって、常に相手の先を突くイメージだ。
「リザはどうやって、ここまで強くなったの?」
今思えば、私はあまり、リザのことを知らない。ぜひとも、彼女の強さの秘密が知りたい。
「一番上の姉貴とよく一緒に稽古してたからかな? まぁ、あいつと比べれば俺なんて、まだまださ」
心なしか、誇らしげな表情でリザが言った。ウェスタ王女をとても尊敬しているのだろう。
確かに、ウェスタ・ヴェルメリオ王女の戦いは、鮮烈だった。
私達が複数のドラグワームに追い込まれていた危機を一瞬にして救ってくれたのだ。苛烈な立ち振る舞いの中にも、優美さを感じさせる人だった。
その後も、女二人で会話に花を咲かせていると、話題の流れがフィロスの事について逸れ始めた。
「そういや、ノイラートの内乱の時は、フィロスのやつ、アンスのことばかり心配してたぜ?」
リザが、少しからかう調子で話をふってくる。
「え、えっと、その、フィロスは私の従者だから、そ、そりゃ心配位するわよ」
思わぬ所からの急な話題に、私は酷く動揺した。顔が赤くなるのを感じる。
「おいおい、ヴェルメリオ家も真っ青な真っ赤具合だな」
リザが真っ赤な髪を気まぐれに揺らしながら、更に私をからかう。
「リ、リザは、フィロスの事、どう思っているの?」
以前から気にはなっていたのだけれど、リザと二人で話す機会など、今まで、あまり無かったから、ここぞとばかりに、勢いだけで問いかけてみる。
「うーん、お前らみたいな、好きとは違うけど、俺は俺で、フィロスの事は好きだぜ? 信頼してる!」
良い笑顔できっぱりと言い切るリザ。
お前ら、という言葉が、誰のことを指しているのかは明白だった。
「えっと、それは友人としての好きってこと?」
「多分、そうなんだろうな。俺にはまだ、そういうのは、よくわかんねー」
訓練場の天井を見上げながら、私達の中では最年長のリザが呟くようにそう言った。
「そ、そっか」
正直な所、なんだか、安心している自分がいる。フィロスのリザへの信頼度は、とても大きく、二人が話していると、なんだか、胸の奥がもやっとしてしまう事があるのだ。
「あぁー、でも、俺はあいつの子どもを産んでみてーな!」
「え!!!」
あまりの衝撃発言に、頭の中のあらゆる思考が飛んでいってしまった。
「だってよー。ヴェルメリオ家は、基本的に女が戦い、男が政治をする事が多いんだよ。なら、フィロスは最適だと思わねーか?」
軽い調子で、フィロスを婿養子に迎えようとするリザ。
「そ、そんなのだめよ、フィロスは、私の従者なんだから」
「従者の身分から、他国の王子に転職ってのは、前代未聞の大出世だな!」
声をあげて無邪気に笑うリザ。
「べ、別に、王子になるだけなら、わ、わたしとでも、いぃし……」
あぁ、顔が熱い。なんだか、リザに良いようにやられている気がする。
リザがひとしきり笑い終わったタイミングで、訓練場の扉が外から開かれた。
「おめーら、朝飯が出来たぞー」
扉を開けた、その声の主は、ゲヴァルト族の青年、マハトだった。
「おう、飯か! そんじゃ、いこーぜ、アンス」
リザが瞳を輝かせながら言った。
まだ、聞きたい事は山程あるが、朝の訓練によって、お腹の空き具合は完璧だ。それに、ゲヴァルト族の食文化はとても私好みなのだ。ここはひとまず、食欲に従うとしよう。
* * *
目の前には、湯気の立ち上る茶色の液体と、ほっかほかの白い球体が並んでいる。名前は確か、鬼汁と鬼丸と言ったはずだ。名前のイメージとは対照的に、心がほっこりとする香りが漂っている。
木を基調とした明るい室内では、リザと私、マハトとゲヴァルト族長の四人が食卓を囲んでいる。背の低いテーブルに出来立ての料理が並んでおり、床に直接、腰をおろして食事をしている。椅子を使わないこの独特の文化には、数日がたった今でも、少し違和感を感じる。まぁ、これはこれで楽しいのだけれど。
「朝から鍛錬とは、いい心構えだな」
テーブルごしの私の正面に座るゲヴァルト族長が、熱々の鬼丸を頬ばりながら言った。
「あぁ、美味い朝飯にありつくには、適度な運動が一番だからな!」
私の横で胡座を組んでいるリザが勢いよく言った。ちなみに私は、胡座が上手く組めないので正座でいる。慣れない姿勢で、足が少し痺れてきた。
「昼からは、俺様が直々に稽古してやるよ」
ゲヴァルト族長が鋭い瞳をギラつかせながらも、楽しそうに言った。
「族長の稽古が受けられるなんて、ラッキーだべ」
ゲヴァルト族長の横に座っているマハトが、嬉々とした様子で語る。
「ゲヴァルトの旦那と稽古か。そいつは楽しみだ」
首を回しながら、闘志をみなぎらせるリザ。
「オラは、アンスにリベンジしてーからな、昼の稽古が楽しみだべ!」
「リベンジ?」
一体全体、何のことかしら?
「族長会議の時のあれだべ!」
あぁ、あの時のあれか。
「おいおい、しつこい男は嫌われるぜ?」
リザが笑いながら言う。
「やられっぱなしは、オグル族の名折れだべ」
「俺には一度も勝ったことねーじゃねーかよ」
そう言って、リザがマハトをからかう。
側から見ても、そのやりとりが自然に見えるのは、リザが、迷宮区探索以前から、オグル族の里で修行していたからだろうか?
「今日こそは、オラが勝つ!」
「いいや、絶対に俺が勝つ!」
互いに一歩も引かない二人。
「血の気の多い奴ばかりだな、まぁ、そう言う奴がここでは伸びる」
そう言って、豪快に笑いながらも満足気に頷くゲヴァルト族長。
「わ、私も負けないから!!」
二人のやりとりに触発されたのか、気付けば私も、声をあげていた。
きっと、フィロスだって、頑張ってるはず。次に会う時は、もっと強い私を見せるんだ。
もっともっと先へ。




