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世界で唯一のフィロソファー  作者: 新月 望


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第八十三話『盤上心理と盤上真理』

 信じられない光景が広がっている。


 僕の視界は現在、盤上の中にあった。


 こうして、駒達の視点に立って盤上を見渡すと、チェスが戦争を模して作られたゲームだと言うことが、否応無しに伝わってくる。


 僕の周りには人間サイズの白の駒達が王を護るようにして取り囲んでいる。そうして、しばらくすると、左隣にいるクイーンが僕に話しかけてきた。


「信じられないわね……」


 クイーンの駒に意識を宿しているアンス王女が驚きながら呟く。どうやら、駒と意識を同調していても、発声することは可能なようだ。この駒自体に特殊な仕掛けがあるのだろうか。


「夢の中みてーな状況だな!」


 実にリザらしい言葉が盤上の左端から聞こえてくる。


 落ち着け。相手はクイーン落ちだ。安定した定跡通りに始めれば勝てるはず。


「ポーンをeの4へ」


 まず僕はキングの前にあるポーンを動かす。


 僕の駒に合わせて、敵もキングの前の黒のポーンを動かす。


「ナイトをfの3へ」


 続いて僕は、リザの精神が同調していない方の右側のナイトを動かす。


「随分と優しい王様だね? 戦争に負ければ元も子もないよ」


 僕が意図的に右側の駒を軸に戦況を進めようとするのを見抜き、それを涼しい顔で指摘するアリス・ステラ。


「そういう戦法なだけです。貴方なら分かっているでしょう」


「あぁ、知り尽くしているとも」


 そう言って彼女も、対角のナイトを進める。


 そこからは、互いに定跡になぞらえた展開でテンポ良く駒が進んでいく。


 しかし、ある一手で僕の指し手が止まる。


「……」


 この局面、ナイトを動かせば、一気にこちらが有利になるのだが……。

 しかし、そのナイトはリザと意識を同調している方のナイトなのだ。この手を指せば、数手先にリザが取られる。万が一僕が負ければ、リザはもう……。


 少し前の姉との会話が脳裏をよぎる。


(哲也はもし、さっきまでやっていたチェスが、本当の戦争だとしたらどうする?)


(例えば、そのナイトが私の大切に思う騎士だったとすれば、私はあの位置にナイトを動かせたかしら?)


 どうすればいい。もしもの話が現実に起こっている。


 合理的に考えるのならば、ここは、リザのナイトを動かし、勝ち筋を掴むべきだ。しかし、もし仮に、僕が見逃している負け筋があったらと考えると、恐怖でその手が指せない……。


「なぁ、フィロス、俺はこのゲームのルールなんてよく分かってねー。それでも、場を観察してなんとなくだが、駒の動きは理解した。そんなド素人の俺でも分かる。今は俺を使う時だ」


 盤上の左側から、リザの声が響く。


「で、でも、それじゃあ、リザが……」


騎士(ナイト)(キング)を守る為にいる。ヴェルメリオでは常識だぜ?」


 この特殊な状況では、リザの表情を確認する(すべ)はないが、見なくともわかる。こう言う時のリザはきっと、誰よりも強く笑っている。


 しかし、それでも、僕は次の手を悩んでいた。


「まったく、仕方ねーな。まぁ、フィロスのそう言うとこも嫌いじゃねーけどな。行くぜ、ナイトをdの5へ!!」


 リザの意識を乗せたナイトが、轟音と共に勢いよく前進する。


「リザ!!」


 くそ、しまった。確かにルール上は、意識の同調がなされている駒は自分の意思で動くことが可能だった……。


 その数手後、敵のビショップがリザへと迫る。


「勝てよ、フィロ……」


 最後まで、力強い声音で僕を鼓舞したリザの言葉は、黒色のビショップによって掻き消された。


 落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け。


 戦況は有利な筈だ。勝てる筈。負けない筈。


 筈? 筈ってなんだ! もう絶対に負けられないんだぞ!!


 長考しながら、遅々たる歩みで駒を進めていく僕に対し、まるで未来が見えているかのように、ノータイムで駒を進めてくるアリス・ステラ。


 なんだ? 僕は何かを見逃しているのか? 本当にこれが最善なのか?


 わからない、わからない、わからない、わからない。わからない。わからない。わからない。


 思考が徐々に減速していくような感覚がある。

 意味のない問答を繰り返す脳が、僕に焦りと不安をもたらす。


「マスター、落ち着いて下さい」


 そんな思考の檻に、一本の糸が。


「わからないんだ」


 幼子が駄々をこねるように、意味を持たない思考をアイに押し付ける僕。


「それは嘘です。マスターには、最善手が見えています。それを無意識に隠しているだけです。アイにはそれが、はっきりとわかります」


 僕と精神を共有しているアイには、僕が最初に思いつき、否定した手が分かるのだ。しかしその手を使えば、アイまでも失う危険がある……。


「マスター、アイはリザさん程、甘くはないですよ」


 その言葉が指し示すのは()()。アイは、僕自身に決断をさせようとしている。先程、リザに甘えてしまった、弱いマスターを糾弾するかのように。


 まったく、その通りだ。僕は本当に大馬鹿野郎だ。命の責任から目を背ける暇があるなら、直視し、生かすことを考えろ!


「ルークをcの7へ」


 僕は自らの決断で、アイを最前線へと向かわせる。しかしそれは、死地などではない、勝利への道を切り開く一手だ。


 次の一手で、アイが取られた。

 作戦通りとはいえ、僕の心には動揺が走る。


(フィロス君、もう少しだよ。後は私を使って道を開いて)


 動揺する僕に、精神魔法によって優しく語りかけてくれるラルム。その穏やかな声音が、強張っている僕の心を解く。


 ラルムのヴィショップを動かし、敵のキングを寄せにかかる。


 後半に行くにつれ、凄まじい緊張感で今にも投げ出したくなる場面が続く。


 一手進めるごとに、心が磨り減るのを感じる。


「大丈夫よ、フィロス。貴方を信じた、みんなを信じなさい」


 アンス王女のどこまでも真っ直ぐな声が、僕の背中を押してくれる。


 勝利への光明が見えてきた。


 あと三手だ。


 無限にも感じる時が流れる。


 あと二手……。


 その時が近づいてくるのを感じる。


 一手……。


 震える声で僕は、この勝負に終止符を打つ。


「チェックメイト」


 高速で回転していた僕の思考が、ようやく緊張から解放された。


 勝敗を分けたのは、やはり、敵には不在だったクイーンの存在だ。アンス王女が黒のキングを詰ませたのだ。

 対等な条件ならば、百パーセント負けていた。


 王女(プリンセス)女王(クイーン)の女神が僕に微笑みかけたのだろう。


「私の負けだね、君には選択出来ない筈の手を選んだつもりなんだけれどね。いやいや、喜ばしい。君達は無事に選ばれたわけだ」


 ホログラムの彼女が最後にそう言うと、僕達の視界は再び、光に包まれた。


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