第七十一話『ピース』
会議室全体に広がっていた緊張感と沈黙を破るべく、ソピアさんが再び話し始める。
「魔大陸には多くの迷宮区が存在します。そしてその迷宮区には膨大な宝が眠っています。一口に宝と言っても、その種類は様々です。財宝の類や魔道具、それに未知の情報などもあります」
「そうじゃな、そして、それらの魔道具や情報を巡って、水面下では愉快な腹の探り合いが起きてるのも皆、承知じゃろう?」
カルブ族長が円卓に腰かける他の族長達に投げかける。
「まぁ、お前が言うなって感じだけど、爺さんの言う通りだね。みーんな、警戒しあって、牽制しあってさ〜、確かにこれじゃあ、攻略出来るものも出来ないよね〜」
毒を吐きながらも、ゆるいトーンで話すカプリス族長。
「力技で攻略出来る迷宮区と違って、アリス・ステラの情報が眠る迷宮区は必ずと言っていい程、厄介な罠が待ち受けているからな」
ゲヴァルト族長が忌々しげに言った。
「その通りです。我々四種族が別々に攻略に乗り出した所で、いたずらに時間を消費するだけです」
ソピアさんが含みのある発言をする。
「だからと言って、仲良しこよしで乗り込んだ所でどうにかなるとは思えねーがな」
苛立ちを隠そうともしないゲヴァルト族長。
「アリスの魔法について、取っ掛かりがあったとしても?」
試すように全員に語りかけるソピアさん。
なんだか、嫌な予感がする……。
「何か秘策があるの〜?」
猫耳をピョコピョコ動かしながら、カプリス族長が言った。
「フィロス君、こちらに来て貰えるかな」
ソピアさんが笑顔を浮かべて手招きしている。
大人しくその言葉に従い、ソピアさんの隣まで移動する僕。
「私の手を握ってくれないか?」
「え?」
急な要求に動揺を隠せない。
「難しいことではないだろう? ほら?」
そう言って白く細長いしなやかな手をこちらへと差し出してくるソピアさん。
「で、では失礼します」
心なしか、アイとアンス王女の視線が冷たい気がする。ラルムの方は、なんとなくだが、怖くて見れないでいた……。
「うん、優しい手をしているね。ではこのまま、昨日の宴で君が見せた精神魔法を私にかけてはくれないか?」
僕の手をそっと握り返してきたソピアさんがゆっくりと言った。
「えっと、昨日のですよね。わかりました」
昨日と言っても、僕の中では哲也としての一日を挟んでいるわけで、完全な精度で思い出せるかは自信がないが、今はやるしかない。
僕は記憶をなぞるようにして、アリストテレスが定義した十のカテゴリーの中から、受動についての定義を選び出し、僕なりの解釈をソピアさんの精神に流し込む。
ん? なんだ、いつもとは明らかに異質な感覚だ……。ソピアさんに哲学魔法を行使したはずが、精神魔法の行き先がばらけていった感覚がある。
「驚いているようだね? だけれどフィロス君、周りは君以上に驚いているよ?」
楽しそうに、意味深な発言をするソピアさん。
「い、いま、何をしたのですか?」
僕は動揺しながらも、ソピアさんに問いかける。
「私達ヘクセレイ族に伝わる精神魔法だよ。自身が受けた精神魔法を他者へと伝える力さ。君の精神魔法を円卓に座る族長達全員に伝えたのさ。流石に事の重要性から、伝えるのは族長達にだけだけれど」
ソピアさんが滑らかに説明をする。
この現象は確か、シフォンに手を握られた時にも起きたな。なるほど、シフォンはククル族とヘクセレイ族のハーフだったから、あの様な現象が起きたのか。
「おい、お前、アリス・ステラの言葉が理解出来るのか?」
ゲヴァルト族長が円卓に身を乗り出し、こちらを詰問する。
「ちょっと待って下さい。僕にもまだ、状況が飲み込めていないのですが」
「しらばっくれるな! 貴様は今、アリス・ステラの魔法を使ったではないか!!」
「声がでかいぞ、ゲヴァルトよ。神に関する情報は機密性が高い。まずは人払いが先じゃろ?」
カルブ族長が髭をさすりながら、ゲヴァルト族長をなだめる。
「確かにな……。よし、我々族長とこのガキ以外は一度部屋を出ろ!」
ゲヴァルト族長が傲慢な態度でそう言った。
「断るわ! フィロスの安全が保証されるまでは、ここを動かない!」
今まで、沈黙を守り、会議の行く末を見守っていたアンス王女が口を開いた。
「ほぅ、生きのいいのがいるじゃないか。だが、お前一人が残った所で何が出来る?」
興が乗ったのか、心なしか楽しそうにアンス王女を挑発するゲヴァルト族長。
「落ち着いて、この人達に敵意の色はない……」
アンス王女の隣に立つラルムが静かになだめる。
「で、でも」
アンス王女が珍しく言いよどむ。
「私を信じて」
琥珀色のラルムの瞳が、アンス王女の翡翠のような瞳を真っ直ぐに見つめた。
「わかった」
アンス王女は短い返事だけを残し、静かに出口へと向かう。それをきっかけに他の種族の護衛達も会議室を後にした。
「さて、では、ここからが本題です」
ソピアさんが会議を再開する。
「ちょっと待って下さい。何が何やら」
困惑しつつも、口を開く僕。
「単純明快な話だ。おめーはアリス・ステラと同じ魔法が使える。だから、アリス・ステラが残した迷宮区の攻略の鍵となる」
ゲヴァルト族長が強引に話を進める。
「いや、そのアリス・ステラの魔法とやらが僕にはわからないのですが」
「さっき、お前が使った、わけのわからない思考を流し込んでくるあれだ。なぜ使用者のお前がわからねーんだ?」
訝しげな表情で問いかけてくるゲヴァルト族長。
「私が補足しよう。アリスの魔法、それは先程フィロス君が行使したような、複雑怪奇な思考を他者へと流し込み、感覚や思考を鈍らせるような魔法を指す。そして問題なのは、なぜか君は、先程の魔法をアリスの魔法として認識せずに使っていることだ」
ソピアさんがゆっくりと説明する。
つまり、哲学的な思考を精神魔法で他者へと流し込む、僕が哲学魔法と呼んでいるこの魔法がアリス・ステラの使用する魔法と同じと言うことなのだろうか?
「この魔法を使う人は僕以外にもいるのですか?」
「アリス・ステラが迷宮区に施した精神魔法以外では見たことがないのぅ」
カルブ族長がゆっくりと答えた。
つまり、今の所は、アリス・ステラと僕だけか……。
「彼女の残した文献にも似たような文言が散見されているけれど、いずれも私達には馴染みのないものばかりで、理解が追いつかないのが現状……」
ソピアさんがうつむき気味にそう口にした。
「僕の扱う考えと、アリス・ステラのそれが、必ずしも同一のものとは限りませんが、僕はその考え方をこう呼んでいます。『哲学』と」
「てつがく……」
四人の族長達の声が重なる。
「今までに見つかっている、アリス・ステラの残した文献などはありますか?」
この世界の謎について、ようやく尾の一部が見えた気がする。
「あぁ、ヘクセレイ族の里にて、厳重に保管しているよ」
「では、一度、それらの文献を読みに行ってもよろしいでしょうか? 何かわかるかも知れません」
「あぁ、もちろん」
ソピアさんが即答した。
「ちょっと、待て。それでは、ヘクセレイ族が情報を独占する可能性がある」
ゲヴァルト族長が疑いの眼差しをソピアさんに向ける。
「もしその気なら、私がフィロス君の特異性に気づいた時点でそうしています。ことはそう単純ではない。この問題は四種族の協力が必要です。ヘクセレイ族の誇りに誓う。私を信じては貰えないだろうか」
ソピアさんがゆっくりと頭を下げた。
「確かに、そうじゃの。もしその気なら、わざわざ先程のようにワシら全員に精神魔法を見せる必要はなかった」
カルブ族長が神妙に頷く。
「ジジィと同意見なのはしゃくだけど、私もそう思う〜」
余計な一言を添えつつもカプリス族長も同意した。
「ちっ、まぁいい。そのかわり、新たな情報がわかり次第、連絡をよこせ」
ゲヴァルト族長も渋々頷いた。
「こまめに使いを走らせる。約束しよう」
ソピアさんが真摯に言った。
「じゃあ、今回の会議はこれにてだね〜〜」
カプリス族長が呑気な口調で言った。
「では、迷宮区の攻略については、新たな情報がわかり次第、日取りを決め、四種族で臨みましょう」
ソピアさんの言葉を最後に会議は締めくくられた。
* * *
会議が終了してから、数時間後。
「すみません。そんなわけで、明日からヘクセレイ族の里に向かうことになったのですが……」
現在僕達は、会議の行われた施設の宿泊部屋へと戻ってきていた。そして、僕は先程の会議の内容を掻い摘んで、アンス王女達に説明している所だ。
「当然私達もついて行くわ。一々聞かなくとも大丈夫よ。ノイラートを出て魔大陸にまで付いてきているのよ? 今更何処に行くのも変わりないわ」
当たり前のようにそう口にするアンス王女。
「マスターの居る場所がアイの居場所ですから」
なぜか得意げにそう言うアイ。
「わ、わたしも……」
ラルムも静かに同意する。
「そんなことより、フィロス。ソピアとか言う女の手を握っていたわね?」
「そうですマスター。しかも、やけに細かな描写であの人の手を誉めそやしていました」
アイが余計な告げ口をする。
「フィロス君……」
短くそう言って、視線だけで詰問してくるラルム。
「ち、違いますよ、あれは、必要なことだったんですよ。さっき説明したじゃないですか!」
必死に弁明する僕。
ソクラテスもびっくりの弁明ぶりだ。
「じゃ、じゃあ、これで許してあげる」
アンス王女はそう言って、顔を真っ赤に染め、こちらに手を伸ばしてくるが……その瞬間、横から伸びてきたアイの手が僕の手を包み込んだ。
「ちょ、ちょっと、アイ、どきなさい!」
アンス王女はそう言って、アイと取っ組み合いを始める。
はたから見れば、小さな少女達のじゃれ合いに見えなくもないが、何せ、二人ともパワーが並みじゃない……。
とばっちりを受ける前に、部屋の隅へと退避すると、ラルムもゆっくりとこちらに退避してきた。
「今日はお疲れ様……」
ラルムはそう言って、僕のローブの端を小さく摘む。
「ありがとう」
眠気に襲われながらも、僕が短くそう答えると、満足そうに頷くラルム。
ぼやけた意識の中で、彼女の桃色の瞳が揺れて、なんだか幻想的に見える。
そのまま、まどろみに身を任せて、ベッドへと横たわる僕。
「おやすみなさい」
ラルムの小さな声を最後に、僕は眠りについた。




