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世界で唯一のフィロソファー  作者: 新月 望


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第四十八話『正しさの根拠』

 小さな部屋の小さなテレビが決して小さくはない事件を報道している。


『交際相手の女性をホテルで殺害したとして、千葉県警は20日、飲食店勤務の男性、田中義久容疑者(31)を逮捕した』


 ローカルのニュース番組なのだから、県内の事件が多く流れるのは当たり前だが、それにしても最近は物騒なニュースが多い気がする。


 なんだか、目覚めの悪い朝だ。

 冷蔵庫からペットボトルのお茶を取りだし、コップへと注ぐ。お茶がガラスのコップへと流れる、トクトクトクという音が少し心地いい。


 注がれたお茶を一気に飲み干すと少しばかり落ち着いてきた。


 昨夜はヴォルフさんの家にお世話になり、根菜類を中心とした素朴ながらも優しく美味しい料理をご馳走になった。その後は、一つの部屋に寄り集まって眠りについたのだ。


 ゆっくりと自身の記憶を辿っていると、机の上のスマートフォンが揺れた。

 スマホの液晶には倉橋理沙という四文字が並んでいる。メールの内容はこうだ。


『図書館でレポートやらない?』


 理沙らしい簡潔なメールだ。彼女が絵文字を使う確率など天文学的な数字になるだろう。

 そんなことを考えながら、OKという返事を返し、身支度を整え、僕は家を出た。


 外に出ると秋の終わりを感じさせるひんやりとした風が僕の首筋めがけて通り過ぎる。


 単純に考えれば、イデアと地球を行き来している僕は他の人の倍近くの体感時間を過ごしているはずなのだが、それを踏まえた上でも、時間が過ぎ去るのが、とてもはやく感じる。

 時間というのは主観的に変化をするものだからな。


 アインシュタインがこんな言葉を残している。


『熱いストーブの上に手を置くと、一分が一時間に感じられる。でも、きれいな女の子と座っていると、一時間が一分に感じられる』


 つまり、周囲に美人がいる状況で過ごす時間はとても早くなるわけだ。

 今、アイが隣にいれば、僕の思考を読み取ってこう言うだろうな。通りで時間が過ぎ去るのがはやいわけですねと。


 そんな取り留めのない思考に頭を費やしていると、いつの間にか目的地まで辿り着いていた。


「お待たせ、理沙」


 僕は図書館の少し奥まった場所のいつもの席に座る彼女へと話しかけた。


「急だったのに、はやかったわね。ありがとう」


 ノートパソコンからゆっくりと目線を上げ、僕に返事をする理沙。


「急なのはいつもだろ?」


「確かにそうね、でも思い立った時に行動を起こせば全てのことは急にならない?」


 首を傾げながら、こちらを見つめる理沙。


「思い立ったが吉日ってこと?」


「うーん、私のイメージでは先手必勝の方が近いかもね」


 相変わらず、不思議な言語感覚を持っているな。まぁ、なんとなくわかってしまうのだけれど。


「後手にまわる僕は常に不利だね」


「よく言うわよ、今日のレポートだって、半分は出来ているのでしょ?」


 訝しげな瞳で僕を見つめる理沙。


「いや、あとは手直しだけかな」


 残りは数分あれば完成する。


「どこが、後手なのよ。用意周到じゃない」


 悔しそうな表情を浮かべながらも、どこか楽しそうな声音の理沙。


「レポートなんだから、論文とは違って論証する必要がないし、今回のテーマは曖昧なものだからね。考え過ぎても、確かな答えは出ないから、スパッと書いただけだよ」


 僕の言葉に渋々頷く理沙。


「まぁ確かに、『正しさの根拠』なんてテーマじゃ、答えは出ないのかもね」


 理沙は図書館の天井を見上げながら、そう言った。


「それでも、課題である以上はある程度の納得を得られるものを書かなきゃいけないんだけどね」


「それは、そうね。じゃあ、そろそろ本題に移らない?」


 パソコンを閉じ、鞄に仕舞う理沙。レポートを進めるために来たのに、パソコンを仕舞うのは、人と対話する時の彼女なりの礼儀なのかも知れない。


「僕の考える正しさの根拠は、単刀直入に言えば数や割合かな」


 まずは結果だけを提示して理沙の反応を待つ。


「世の中において多数派であるかどうかが正しさの根拠になるってこと?」


 少しの間を空けて、理沙が問い返してくる。


「この手の議論に明確な正解なんて存在しないってことを前提に、僕はそう思っているよ」


 慎重に言葉を選ぶ僕。


「まぁ、確かに何事も多数派の生きやすい世の中ではあるわね」


 次の言葉を視線で促してくる理沙。


「例えば、ナチスドイツ軍が戦争で負けた理由は別に倫理的に正しくなかったから負けたわけではないよね。まぁ、複雑な時代背景は抜きとして、彼らが世界からみて少数派の考えだったからさ」


 僕の考えは別としてだが。


「多数派の考えであれば人種差別も正しいと?」


 理沙の声がほんの少し低くなった。


「仮に人種差別を良しとする考えが多数派を占める世界があったとすると、その世界では彼らの方が正しくて、僕らの方が間違っていることにされるよね」


 僕はゆっくりと理沙に問いかける。


「そうね、その世界では人類皆平等と考える人達は危険思想ってことになるわね」


 淡々と語る理沙。


「民主主義社会が実現したのも、結局は多数者が強いからで、結局は強い者が残るからね。そして僕らは残ったものに正しさを感じる」


「勝てば官軍ってこと?」


 僕の目をじっと見つめながら真剣に話す理沙。


「勝利のすえに生まれた価値観が自然に定着することに意味があり、それこそが勝利とも言えるかな」


「つまり、勝ったという事実自体が忘れ去られた上でその考えが定着した時に正しさが決まっていくと?」


 興味が出てきたのか、少し前のめりになる理沙。


「そうだね、それが僕達の持つ常識を形作っている」


 そうやって戦いの末に残っていった瓦礫の集まりが僕達の歪で強靭な常識という概念を生み出している。


「まぁ、確かにダーウィンの進化論だって、本人が主張した時代には、反対派の多数の意見に潰されたけれど、今では肯定する人が多数派で、皆、当たり前のように受け入れているものね」


 理沙が自分なりの解釈をはじめていた。


「そうだね、数の前ではみんな手のひらを返すみたいだ」


「友人がほとんどいない私みたいな少数派はどうすればいいのかしらね?」


 わざとらしい困り顔を浮かべながら僕を困らせようとする理沙。


「いやいや、今のご時世、ボッチは少なくないから、多数派とも言えるよ」


「ひどい言い分ね。何一つ慰めになっていないわ。でも、とても私好みの考え方」


 そう言ってクスリと笑ってみせる理沙。


 理沙のような考え方をする人は少数派に感じるが、その少数派に属する彼女の笑顔に魅力を感じるのは多数派なのだろうか?


 今この瞬間は、そんな考えが僕の頭の中の多数を占めていた。


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