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世界で唯一のフィロソファー  作者: 新月 望


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第四十四話『混じり合い』

 不規則な電車の揺れが僕の心情を表しているかのようだ。

 大学の講義が終わり、凛と待ち合わせをしている千葉駅へと向かうため、総武線へと乗り込んだのはいいが、先程から窓の外の通り過ぎる景色ばかりをただひたすらに見つめる理沙の目つきが少しだけ鋭く、謎の緊張感を生み出していた。


「外が気になるの?」


 僕は声のボリュームをしぼり、恐る恐る理沙へと問いかけた。


「いえ、別にそう言うわけではないわ。気になっているのは別のこと」


 僕にとってはその少し強めな口調の方が気になるのだが……。なにかしたかな?


「そ、その大丈夫?」


「何のこと?」


 キョトンっとした様子でこちらに視線を移す理沙。


「いや、理沙がプライベートで僕以外の人と話すの見たことないからさ」


 スピーチもそつなくこなす理沙の事だから、その心配は杞憂な気もするが。


「コミュニケーションをするのではなく、後輩に大学についてプロモーションをするのでしょう? 安心してくれていいわ。一方通行の演説は得意よ」


 不安要素しかない……。


「まぁ、質疑応答は僕が担当すればいいか」


「そうよ。ゼミで半年も一緒にいる人とさえ、会話のパターンが『おはよう』『じゃあ』の二パターンのみなのだから、初対面の人と交わす言葉なんて見つからないもの」


 なんでついてきたの? とは流石に言い出せないな。きつい一言を貰いそうだ。


 待ち合わせの十五分程前に電車は終電の千葉駅へと着いた。


 そう言えば駅のどの辺で会うかを決めていなかったな。そんなことを考えていると、ズボンのポケット内のスマホが振動した。


「はい、もしもし」


 僕は人通りの邪魔にならぬよう、改札付近から距離を取りつつ電話に出た。

 理沙もゆっくりとついてきている。


「先輩! 見つけたので、動かないで下さい」


 あれ、もう見つかったのか。というか、十五分前のはずなのに、もう改札前に来ているとは意外に律儀だな。


 そんなことを考えていると、後ろから左肩をポンポンと叩かれた。それにつられて振り向くと、真っ白く細長い今にも折れてしまいそうな華奢な人差し指が僕の頬に食い込む。


「あっ! 引っかかりましたね?」


 そこには、先日のオープンキャンパスで出会った小さな後輩の姿があった。


「や、やぁ」


 唐突の事態に反応に困る僕。とりあえず、頬に食い込んでいる人差し指から距離を置いた。

 理沙の表情が先程よりも刺々しい。


「先輩! さっそく質問よろしいですか?」


 切り揃えられた前髪を揺らしながら、開幕早々に話しかけてくる凛。


「うん、いいよ」


「誰ですか、そちらの女性は?」


 理沙の方に視線をやり首を傾げる凛。


「あぁ、彼女は倉橋理沙。僕の大学の同期さ」


 僕がそう言うと、ペコリと頭を下げる理沙。

 理沙らしい簡潔な所作だ。


「あ、えっと、私は逢沢凛と言います。哲也先輩のファンです」


 簡潔な理沙に対して、要領を得ない散らかった自己紹介をする凛。


「ファン?」


 訝しげな面差しでこちらを睨みつける理沙。

 僕が睨まれるのは理不尽だと思う……。


「はい! 先輩の論文を読んで、その内容が刺激的で!」


 その言葉を聞いた理沙は少し表情を緩め、感心した様子で口を開く。


「あなたみたいなタイプが哲也の論文に興味を示すとは意外ね」


 ストレート過ぎる……。会って数分で投げる球じゃないな。


「えへへ」


 なぜか頬を染め照れはじめる凛。あれ? このコミュニケーション成立してるの?


「今日は大学のことで質問があるんだよね? だから僕一人だとあれだし、理沙にも来てもらったんだよ」


 僕は理沙も一緒に来た経緯を説明した。


「え? 違いますよ。単純に先輩のことがもっと知りたかっただけです」


 ストレート過ぎる……。同じストレートなのに、理沙とは違った緩急を感じる。


「えっと、その」


 僕が返答を言いあぐねていると、理沙が先に口を開けた。


「それはどう言う意味で?」


 心なしか早口で、凛を真っ直ぐに見つめながら問いかける理沙。


「文字通りの意味ですよ? 気になる論文を書いている人を気になるのは普通ですよね? 好きな本を読んだ時、この作者はどんなことを考えてこの物語を書き記したのかなって思うじゃないですか〜。気になったことは放って置けないタチでして」

 

 声のトーンは飄々としており、軽いノリなのだが、この少女の言葉は時折、その先の奥行きを見せてくるようでなんとも形容し難い気持ちにさせる。

 

「私は邪魔かしら?」


 これまたド直球をノーモーションで放る理沙。


「とんでもないです。理沙さんは先輩のこと色々知ってそうですから、ぜひ、お話を聞かせて欲しいです」


 理沙の物言いに気圧されないで会話が成立するとは、この子は見た目によらず、打たれ強いのかも知れない。いや、受け流すのが上手いのだろうか。


「……」


 凛の受け応えが意外だったのか、珍しく言葉につまる理沙。


「立ち話もなんですし、お茶でもしましょう!」


 凛が元気よく言い放ち、某有名チェーンの喫茶店に向かって歩き出す。



 理沙はブラックコーヒーを頼み、僕はアイスティーを注文した。凛はと言うと、ミルクレープを美味しそうに食べながらカフェラテを飲んでいる。


「哲也の論文のどこがいいと思った?」


 試すようなニュアンスで凛に問いかける理沙。出来れば本人がいない所で聞いて欲しい類の質問だ。


「そうですね。普通、一部の高偏差値の大学を除けば、学生の書く論文なんて、文字数稼ぎの参考文献の引用と、適当な統計とってノルマ的にこなす感じじゃないですか? でも先輩の論文は違った。一切の無駄を排除した構成に、自分自身が導き出した、借り物じゃない結論がしっかりと述べられているんですよ!」


 目を輝かせながら語る凛。本人としては単純に嬉しい気持ちもあるが、どちらかと言えば疑問が深まるばかりだった。普通の女子高生はそもそも、論文を好んで読みはしないだろう。そんな時間があればティーン誌を読んでいるイメージだ。まぁ、僕の偏見に満ちた、偏り切ったイメージだが。


「ちょっとは話がわかるみたいね。でも残念。哲也の凄いところはそこじゃないわ。哲也はね、自分が納得出来ているかどうかではなく、自身の知り得る範囲の知識の中で、客観的に答えに一番近いと思ったことを自身の感情とは別に語れる所なのよ」


 勝ち誇ったように、語る理沙。

 もう帰っていいかな? とにかく恥ずかしいし、僕はそんなに深いこと考えて書いたつもりはない……。


「ず、ずるいです。それは読み手が得られる情報だけじゃわからないことです!」


 その反応は凛の見た目通り、少し子どもっぽい言い回しだった。なんだか、仕草や表情、口にする言葉の数々の振れ幅が大きく感じる。ちぐはぐなギャップとでも言えば良いのか? 表現に困る人物だ。知識の偏りがあるのだろうか?


 ふと気になったので、今朝の講義で出てきた生命倫理では定番の質問を凛に投げかけた。


「なるほど、どの人に薬を使うべきかを選ぶわけですね」


 少しの間、ふむふむと店内の天井を見つめながら考える凛。

 答えが出たのか、口をゆっくりと開く。


「私なら、四人目の殺人犯に使います」


 淡々と真顔で語る凛。


「え! なんで? どんな理由よ!?」


 動揺しきった理沙が驚きのあまり声のボリュームを上げて、凛へと迫る。


「興味深いね。僕も知りたいな」


「理由は単純です。とんでもないことを口走った際の理沙さんの反応が見たかったのと、先輩に興味を持ってもらいたかったからです!」


 そう言って、ニッコリと笑う凛。今のは彼女が一枚上手だったな。


「じゃあ本当は?」


 僕が真実の答えを聞き出そうとすると、凛は小さく微笑み、悪戯っ子のような無邪気さでこう言った。


「秘密です。その方が先輩の気を引いておけるでしょう?」


 見た目によらず計算高いな。可愛くいえば、あざといのだろう。隙だらけに見えて抜け目がない。


「そんな浅はかな計算で、人の心は揺るがないわよ? ねぇ?」


 理沙の今日一番の鋭い視線が僕を詰問する。いや、尋問に近いな……。


「そ、そりゃあ、その、そう、あれがそれで、そんな感じだ」


 僕の男らしい発言に、呆れ半分、軽蔑半分の顔で睨みつけてくる理沙。

 いやぁ、まぁ、その、ね?


 その後は特にぶつかることもなく、大学の話を交えつつも三人で楽しく時間を過ごせた。はず……。


 駅の改札前で別れ際に近づいてきた凛が耳元でこう囁いた。


「人を殺せる動物はたくさんいますが、人をおとしいれる動物は人だけですからね。そう考えると、本当に他人に優しくしようと思うなら、人という枠組みから抜け出すしかありませんよね」


 生命倫理の話の続きだろうか?

 温度のない笑顔で彼女は微笑み、僕の返事を待つ前に改札を通り抜けてしまった。


「じゃあ、理沙さん、先輩、また今度お会いしましょう!」


 そう言って、先程見せた笑顔とは対照的な温かみのある笑顔でこちらに手を振る凛。


 帰りの電車では、凛が最後に囁いた言葉がなんだったのかを延々と理沙に聞かれていたのだが、内容が内容だけに、話す気にはなれなかった。


 家に着いた僕はシャワーを浴びて、そのまま寝床へと向かった。


 あちらの世界とは違い、何一つ冒険などしていないのに、精神はすっかり疲弊していたようで、目蓋はすぐに重さを感じはじめ、あっと言う間に眠りにつくのであった。


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