第四十話『違和感』
「マスター? お目覚めですか? お荷物が届いております」
アイが僕の肩に優しく手を添えながら、届いたばかりの荷物を指差す。
僕はゆっくりとベッドから身体を起こし、扉付近に置かれている届け物の所まで移動した。
「おっ! 執筆した本が届いたみたいだ」
僕は慎重に茶色の梱包用紙を剥がしながら言った。
深緑の表紙が本に重厚感を与えており、新品の本の独特の香りが僕の鼻腔をくすぐる。
「マスターの感情の昂りがものすごい勢いで伝わってきます」
そう言って、柔らかな笑みを浮かべるアイ。
五十冊程届いているようなので、二十冊は手元に残して、残りはエルヴィラさんのお店に置いて貰おう。そんなことを考えていたら、僕の思考は扉をノックする音で引き戻された。
「はい」
ノックの主に返事をする。
「フィロス、私よ。 本が届いたみたいね! はやくみせて頂戴!」
扉ごしでも隠せない程のワクワク感を醸し出すアンス王女。どんな表情を浮かべているのか気になった僕は、素早く扉を開ける。
廊下の窓から差し込む日差しを黄金の髪が美しく反射している。大きく整った翡翠色の瞳はこれでもかと言わんばかりに好奇心に満ち溢れていた。
「おはようございます。アンス王女」
僕が一礼すると、アンス王女は早口でこう言った。
「おはようフィロス、その緑の本がそうなのね!」
僕の手元を指差しながら、期待に満ちた表情をグイッと近づけてくるアンス王女。
「はい、これが完成品です」
「今日はその本を使って授業をするのよね?」
小さく首を傾げながら僕に問いかける王女。
「そのつもりです」
「じゃあ、仕方がないから、フィロスの同期も呼んであげようかしら? まぁ、哲学を広める意味でね?」
なんだかんだと言いながら、前回の授業をきっかけに、僕の同期とアンス王女は割と話すようになったのだ。同世代の友人が少ないアンス王女にとって、彼らは貴重な存在なのかも知れない。
「では、ラルムはバールさんに頼むとして、ニックとサミュエルさんはどうしますか?」
流石にヴェルメリオにいるリザを呼ぶわけにはいかない。
「大丈夫よ、もう使いの者を走らせてるわ」
最初から呼ぶ気満々のアンス王女であった。
「わかりました。では一旦、僕は朝食を済ませるので、お昼頃にお部屋に伺いますね」
僕がゆっくりと返事をすると、すぐさまアンス王女がこう答えた。
「今日は私もまだ食べていないのよ。たまには一緒にどう? それに、ヴェルメリオでの思い出話も聞きたいもの」
「わかりました、御一緒させていただきます」
アンス王女は僕の返事に満足気に頷くと、ゆっくりと扉を開け、廊下へと歩きだした。
僕とアイもその背中に続き、宮殿内の食事処を目指す。
僕らが部屋にたどり着き、長テーブルの椅子に座ると、セットされていたグラスに、従者の男性が優雅な手つきで水を注ぐ。
この用意周到さからみて、王女の中では、朝食も最初から一緒に食べる段取りだったのだろう。
すぐさま、前菜のサラダが運ばれ、カップの中にスープが注がれる。立ち上る湯気が食欲を刺激する。
今日のメインは硬めに焼かれたパンにハムに似たお肉と様々な緑の野菜が挟まれたサンドイッチのようだ。お肉の種類を聞くのはあえてやめた。それが美味しくこの世界の料理を楽しむコツだ!
食事を楽しみつつも僕は、シュタイン博士の元でアイに出会った時の話やワイバーン討伐に出かけた話などをした。
僕の話に真剣な表情で耳を傾けるアンス王女。小刻みにうつ、相づちがなんだかとても可愛らしい。
「なるほど、色んなことがあったのね。話に聞く限りでは、フィロスの精神魔法もだいぶ上達したみたいね」
自分のことのように、喜ぶ顔をみせるアンス王女。
「そうですね、応用の幅が広がってきた気がします。それに、哲学をもとに新たな精神魔法の研究も少しずつ始めています」
ヴェルメリオから帰国し、最近では、バールさんに付き合ってもらいながら、新たな精神魔法の練習に取り組んでいたのだ。
「それは凄いわね、今度見学に行くわね」
驚いた様子でこちらを見るアンス王女。
「まぁ、まだまだですけどね」
僕がそうこぼすと、アイが口を開いた。
「いえ、マスターの成長ぶりには目を見張るものがあります」
淡々とそう口にするアイ。マスターへの評価基準が甘口のようだ。
「それは楽しみね。では、そろそろ私の部屋でみんなを待ちましょう」
アンス王女との会話が楽しく、ついつい話し過ぎてしまったようだ、そろそろ切り上げねば。
最後にグラスの水を飲み干し、僕達は食事部屋を後にした。
久しぶりに訪れたアンス王女の部屋には、少しだけ変化がみられた。
「そのオブジェのような物はなんですか?」
部屋の隅には、正方形に近い謎のオブジェが置かれていた。それぞれの面には、ステンドグラスのようなカラフルなガラスが取り付けられている。
「先日、魔大陸の調査隊が発見してきた物みたい。とても綺麗だったから買い取ったの」
その後も話を聞くと、用途はまだわかっていないらしい。
「もしかして、その腰に下げている新しい剣も魔大陸の?」
アンス王女は護身の為に、普段から剣をぶら下げているのだが、その剣が見慣れないレイピアへと変わっていた。
「えぇ、よく気がついたわね。このレイピアは特殊な加工がされているみたいで、強度はもちろんのこと、斬れ味が落ちないらしいのよ。どれだけ敵を突こうが、刀身には血が付かないらしいの」
そう言って、嬉しそうに細剣を見つめるアンス王女。刀身に血がつくことを前提として考えられた会話だった。相変わらず、この世界の王女は皆たくましい。
それから数分が経つと、規則正しいノックの音がアンス王女の私室に響いた。
「失礼します!」
そう言って、部屋に入ってきたのは、サミュエルさんだ。今日も七三分けが決まっている。
その後にはニックが続き、最後にラルムがそーっと入ってきた。久々に見たラルムの表情は明るく、フードも被っていない。
みんなが席に座ったのを見計らい、アイに自己紹介をさせる。
「アイです。よろしくお願いします」
アイが淡々と自己紹介を済ませ、ペコリと頭を下げる。
その後、僕が簡単な補足を行い、みんなも気軽にアイと接している。
「みんな、久しぶりだね。今日は僕が書いた本が完成したから、それをもとに授業を進めたいと思う」
僕はそう口にして、みんなに哲学書を配りはじめる。
サミュエルさんは感動した様子で受け取り、ニックは、すげーと言うシンプルな感想を口にした。ラルムは瞳の色を複雑に変化させながら、最後には桃色の瞳で本を眺めながら、そっと背表紙を指でなぞった。
「じゃあ、ニック、八ページ目の最初の行から口にだして読んでみて」
僕がそう問いかけるとニックがたどたどしく本を開き、大きな声で読みはじめた。
その後もサミュエルさん、アンス王女、ラルム、アイの順に音読してもらい、授業を進めていく。
教科書の存在は非常に大きく、授業のイメージをみんなで共有しやすいものにしていた。
授業をはじめて一時間が経過したあたりで、サミュエルさんがおもむろに手を挙げた。
「哲学と言うものは学べば学ぶ程、面白くなるのだね。特にこの神様の存在証明の所なんて、とても引き込まれたよ」
サミュエルさんが活き活きとした表情でそう言った。そこは、アンス王女のお気に入りの部分でもある。
「そう言ってもらえると、授業している甲斐があるよ」
僕がそう口にすると、ニックがこう言った。
「でもよー、なんでこんな大事な考え方を今まで誰もしてこなかったんだろうな?」
「確かにそれは、ニックの言う通りね。人知を超えるほど、精巧に作られた世界そのものが、人知を超越した神や女神の存在を自明的に証明しているわけだけれど、だとすれば、哲学と言うこの世界の核心にも触れ得る学問がこの世界に浸透していないのは不自然よね?」
アンス王女が慎重に考えながら自論を述べる。
「それは、魔法学の発展があったからでは?」
僕はあまり考えずに口にしてしまった。
「これほど完璧な調和の上に成り立っている世界に、これだけの厚みを持った考え方が生まれなかったのは、あまりにも不自然じゃない? まるでそれ自体を人知を超えた存在が、ひた隠しにしていたかのように感じるわ」
アンス王女が思考を前へと進ませる。
確かに、言われてみればそうだ。僕はなぜ、この世界に来てから、そのことについて、一度も疑わなかったのだろう。もはや、疑わなかったと言う事実そのものに疑わしさが滲み出ている。
事実を隠蔽する時とはどう言う時だろうか?
それは、その考えが自分にとって都合の悪い時だ。
つまり、この世界の神にとって哲学とは都合の悪いものなのか? 底が見えない深淵がすぐ背後に迫ってきているような感覚がある……。
「この件に関しては、僕も少し考えてみるよ。とりあえず、みんなは今日やったページを家でも少し読み返してくれるかな? じゃあ今日はここまで」
僕はそう言って、今日の授業を締め括った。
「フィロス君、大丈夫? わかりにくいけど、周りの色が乱れてる……」
授業が終わり、皆が部屋を出ていく中、ラルムがこちらに近づき、瞳を淡いブルーに変えながら心配そうに覗きこむ。
「あぁ、大丈夫だよ」
僕はなんとか平静を装い、そう答えた。
いや、この程度の装いでは、ラルムにはお見通しだろうが……。
その後、部屋の外で待っていたアイを連れて、僕は自室へと戻った。
不自然なまでに、このイデアと言う世界の成り立ちを受け入れていた自分に驚きが隠せないでいた。アンス王女の指摘がなければ、今もまだ、不自然を自然に許容していただろう。
この漠然とした不安の正体はなんなのだろう。それはまるで、悪い夢でもみているかのようだった。




