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世界で唯一のフィロソファー  作者: 新月 望


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第百三十九話『私とあなた』

 目の前にはフィロスが立っている。彼の身体は何故だか、全体的に半透明だ。


 あたりを見回すとそこは、様々な色が渦巻く何もない空間だった。そこに床や壁などはなく、自身がどこに立っているのかも分からない。空間そのものに色が付いているかのようだ。


 私達は虹色の海で漂っている。この海に漂流しているのは、私とフィロスの二人きり。


 何故、こんな状況になっているのか?


 私は、えっと、フィロスと知恵の塔に来て、それで……。


 私が記憶を辿っていると、目の前のフィロスが口を開いた。


「アンス王女、大事な話があります」


 いつになく真剣な表情のフィロス。


「な、なに? あらたまって、それに、状況がよく理解出来ないのだけれど」


 この時にはすでに、私の直感が、不穏な空気を感じとっていた。


「実は僕はこの世界の住人であって、この世界の住人ではないんです」


 フィロスが私の理解を完全に超えた話を口にする。


「どうしたの、こんな時に哲学の話?」


 私は声が震えそうになるのを堪えて、フィロスへと問いかける。


「いいえ、これはただの事実です。僕は元々、この世界とは別の世界で暮らしていて、様々な事情から、こちらの世界でも肉体を手に入れ、暮らすことになったのです」


 フィロスの顔は真剣そのものだ。そして何より、彼がこんな嘘をつく人間ではないことを、私は誰よりも理解してしまっている。


「そんなこと急に言われても……」


 私の頭では、すぐにそれらの情報を整理することは難しい。


「僕の存在はもうすぐ、この世界から消えて失くなります。そして、同時に、この世界そのものも消えるでしょう。でも、安心して下さい。必ず僕が、この世界を元通りにしてみせます。だから、少し、眠りにつくようなものです」


 フィロスの言っている事を半分以上も理解出来ていない自分がいたが、彼が大丈夫と言うのならば、それは、きっと、大丈夫なのだろう。けれど、私には一つだけ気になったことがある。


「元に戻ったこの世界に、あなたはいるの?」


 さらに透明化が進んでいるフィロスへと、たった一つの、それでいて、最重要な疑問を投げかける。


「それは……」


 彼の顔が曇る。


「フィロスにもわからないのね……」


「すみません」


 フィロスは真っ直ぐに頭を下げる。銀色の綺麗な髪が揺れた。


「一つ聞いてもいい?」


 それは、別れが近づいていることから目を背ける為の時間だったのかも知れない。人はそれを心の準備と呼ぶのだろう。


 私の言葉にゆっくりと首肯するフィロス。


「その違う世界でのフィロスには、もう一つ、名前があるのかしら?」


 あるのであれば、最後に知っておきたかった。


「はい、もう一つの僕の名前は、シンタニテツヤと言います」


 その響きは、初めて聞いたはずなのに、どこか慣れ親しんだ名前のようで、私は何度も頭の中でその名前を復唱した。すると自然に唇が動き始めていた。


「シンタニ……テツヤ」


 私は一音ずつを噛み締めるようにして、その名前を口にする。


 私がその名を口にする間にも、フィロスの存在は刻一刻と薄れていく。周囲の空間そのものが揺らぎはじめ、ついには、私の手足すら半透明になり始めていた。


「お別れですね……」


 フィロスの言葉に、私は小さく首を振る。そして、そのまま一気に顔を近づける。フィロスの頬に手を添えて、ゆっくりと唇を重ねた。時間をかけて、彼の存在(すべて)を私の魂に刻み込もうとする。


 これが私の最初で最後のキス。


 長い口づけを終え、私はその口で言葉を紡ぐ。


「違うわよ、フィロス、私の中にはもう、あなたが刻み込まれたもの。だから、私達はいつも一緒よ」


 私の急な行動に、フィロスは激しく動揺していた。彼の頬が、まるで私のように、紅潮している。あぁ、そんな顔もするのか。きっと他にも私の知らない、いろんな顔があるのだろうな。そしてそれらはもう……。そう思った瞬間、私の瞳からは、大量の涙が溢れ出していた。


 その様子を見たフィロスがゆっくりと口を開く。


「涙は悲しい時には堪えて、本当に嬉しい時にとっておくもの。そうすれば涙は悲しいものじゃなくなるから。この言葉は、アンス王女が教えてくれたんじゃないですか」


 震える声でそう言った彼の双眸からは、虹色の涙と白黒の涙が溢れている。


「バカね、私にとっては、ファーストキスだったのよ? 嬉しいからに決まっているじゃない」


 私の最後の強がりに、フィロスもつられて笑顔になる。


 涙を浮かべた笑顔が二つ。


 私とフィロスはかたく抱き合い、最期の時を待つ。


 世界が溶け合い、消えていく。私の身体も、フィロスの身体も、黄金の粒子になって、一つになる。世界の終焉とは、ここまで美しいものなのか。私の涙も、彼の涙も、そのどれもが光の粒子となって蒸発していく。


 先程までの色に溢れた空間が今は、その全てが純白のベールに包まれている。


 白熱する光の中で、私達の身体も精神も、それら全てが昇華されていくようだ。


 フィロスを構成していた粒子が私のそれと一つになり、その境界は消滅した。


 私と世界とフィロスの間には、違いはもう、無いのかも知れない。それでも私は……。

 

「あぁ、フィロス、愛しているわ」


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