第百三十三話『復元』
白い部屋を支配している、重苦しい沈黙を破ったのは、シェイネさんの言葉だった。
「ごめんね、坊や達。私はここまでみたい。ちょっと急用が出来てね。それにここから先に、私の存在は不要よ。じゃあね」
有無を言わせぬ早さで語り、一方的に別れを告げるシェイネさん。きっと、先程の最後の約束を守りに行くのだろう。
彼女の背が半透明な扉を出るまで、僕達は呆然とその姿を見送る他になかった。
僕達の進むべき道はその逆だ。
振り返った先には、次のフロアへと通じる扉が一つ。
僕らは無言で、その扉の前へと立つ。するとその扉は入り口同様に自動で開き、僕達を中へと向かい入れる。
扉の中はとても狭い空間になっており、僕達が入ると再び扉は閉まった。そしてわずかな揺れとともに、一定の重力を感じさせながら、上昇を始めた。
「アンス、大丈夫?」
この問いかけが正しいかどうかなど分からないが、今の僕には、この程度の言葉しか言えない。
「えぇ、大丈夫、大丈夫よ」
僅かに残る動揺を、頬に伝っている涙とともに、自らの手で強く拭い去るアンス。
狭い空間に伝わる揺れが徐々に弱まり、身体に伝わる負荷がなくなった。
完全に部屋が停止したのと同時に、再び扉が開く。
目の前に広がるのは、先程のフロアとは対照的な暗闇に包まれた、真っ黒な部屋だ。
闇の中へと一歩踏み込んだ瞬間、部屋の中央に僅かな光が灯る。
その小さな光が照らす先には一人の少女がいる。部屋の暗がりとは対照的な、色彩豊かな瞳を持つ少女。その姿は、あまりに幻想的で、近寄りがたい雰囲気さえ醸し出している。
「ラルム!!」
僕の隣に並ぶアンスが目の前の少女に向かって叫ぶ。
「フィロス君の隣には、やっぱり、アンスちゃんなんだね……」
ラルムと呼ばれた少女が静かな口調で反応を示す。
「ごめんね、フィロス君、今の貴方には死んでもらわないといけないの……」
幻想的な瞳をした少女がそう言うと、部屋の暗がり全体に灯りが灯る。
部屋の全貌が露わになった瞬間、僕らは自分達が置かれていた現状を把握する。
部屋の四方にはそれぞれ一人ずつ、銀色の髪をした少女が立っている。
同じ顔をした少女達四人に、僕らはすでに囲まれていた。僕はこの顔を知っている。まさにこの顔は、ノイラート宮殿で見た、あの首の少女のものと、同一のモノだった。
「アリスの名において命じる、ソラ、リーフ、イーリス、フレア、目の前の彼を殺して……」
ラルムと呼ばれた少女の言葉に突き動かされ、四人の少女がこちらに向かって襲いかかる。
僕とアンスは、すぐさま迎撃態勢を組む。
アンスはその驚くべき速度で、三人を一度に相手どっている。
そのおかげで、僕は目の前の少女に集中出来る。足技を中心とした敵の攻撃を、アンスに習ったステップでなんとか躱す。
そうして、幾度かの攻防を繰り返す内に、ある異変に気づく。それは、この少女だけがなぜか、青い髪飾りで前髪を留めているということだ。この戦闘の最中に気にするべき点ではないのだが、どうしても、そのことが、僕の意識に触れる。
敵が再び踏み込んでくる、僕は牽制の意味を込め、短刀を前にかざす。すると、目の前の少女は信じられないことに、その短刀に自らの身体を差し出すようにして、銀色の刃に胸元を貫かせたのだ。
「くっ、意識が……」
まただ、リザ王女との戦闘の際に起きたことが、再び始まろうとしている。しかも、今度は、より頭への痛みが強い。
だめだ、意識が飛ぶ……。
* * *
これは一体、誰の記憶だろうか……。
床一面には赤い絨毯が敷かれ、広過ぎる部屋の中央には、巨大な階段がある。
この場所には、見覚えがある、確かこれは、ノイラート宮殿の謁見の間だ……。
『よし、何でもやると言ったわね、ならば、私の従者になりなさい!』
目の前には今よりも幼い、アンスらしき少女が立っている。
おかしい、僕が短刀で刺したのは、銀色の髪の少女の筈だ……。それなのに何故、アンスが目の前にいる?
『なるほど、いいわね! 気に入った! 今日からあなたは、私に、てつがく、というものを教えなさい。かわりに私は、あなたにここでの生活を与えてあげるわ』
あぁ、何故だろう、見知らぬ少女を刺した筈なのに、この記憶は鮮明に、僕に色を与えてくる。
再び意識は暗転する。
次に現れたのは、色鮮やかな瞳をもつ少女だ。
フードを目深に被っていた彼女が、その殻をやぶり、少しずつ、前へと歩みだし、強くなっていく姿が見える。
その少女の名前はラルム、僕は彼女を知っている。
誰よりも恥ずかしがり屋で、誰よりも物静かで、誰よりも芯を持った、とても強い女の子、それがラルムだ。
そこまでの記憶が蘇った所で、三度目の暗転が僕を襲う。
それは真っ赤な鮮烈な記憶。
直接対峙した際に流れてきた彼女自身の記憶では、僕自身は実感を得ることが出来なかったのだが、何故だろう、今ならそれが、はっきりと自分の事として理解出来る。
リザ・ヴェルメリオ。ヴェルメリオの第三王女にして、僕達の頼れる最高の仲間。
三人の少女達との記憶が脳内のメモリへと、一気に復元されていく。
『マスター!!』
そして四人目の懐かしい声が僕の心を揺らす。
なるほど、そういうことか……。
僕の中に君はいて、君の中に僕はいたのか。
理解が情報の濁流に追いつき、意識は現実へと戻る。
* * *
意識が回帰したその場にはすでに、戦闘の様子はない。そこには、動きを止めた、ソラ、リーフ、イーリス、フレアの四人の姿と、僕に視線を向ける、アンス王女とラルムの姿があった。
第一声に相応しい言葉を考えてみたが、そんなものはどこにもない。だから、僕は自然と頭に浮かんだ言葉を口にする。
「ただいま戻りました、アンス王女。久しぶりだね、ラルム」
僕の言葉に、一人の少女は、歓喜の表情を浮かべ、もう一人の少女は、少しだけ複雑な表情を浮かべた。
「なるほど、僕の意識を常に共有していた彼女達と、僕は再び繋がったんだ。この短刀をきっかけに」
僕は、自身に言い聞かせるように呟く。言わば、彼女達が僕のバックアップの役割を果たしてくれたのだろう。
だが、どうしてだ、まだ思い出せていない何かがある気がするのは……。もう一人の知らない自分がいるかのような、何かを覆い隠す、深く濃い靄が晴れないのだ。
「フィロス君、あなたはまだ、完全じゃない。アリスの一部を共有した私にはそれが分かってしまうの。だから、ごめんね、トレース……」
ラルムがその瞳を僕に向ける。
すると僕の身体は意思を失い、右手に持つ短刀を自らの腹部目がけて、思い切り突き刺す。
不思議と痛みはない。
またしても、頭に莫大な情報が流れ込んでくる、それは、ここではない、もう一つの世界の記憶。




