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世界で唯一のフィロソファー  作者: 新月 望


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第百三十二話『親愛』

 龍の翼が羽ばたく度に、燃え盛る大地は遠のいていく。今や僕達の視界からでは、消えかかった蝋燭のように小さな灯りに見える。


 龍の背に乗り、夜空を自由に横断する僕ら。冷たい風が頬を打つ。


「久しぶりね、坊や」


 龍を操る妖艶な女性が僕に話しかける。


「すみません、僕は記憶を……」


「知っているわ、でも、私にとって久しぶりなことには変わりないもの。だからただ、私が言っておきたかっただけよ?」


 僕の瞳を覗き込みながら、艶やかな彼女は試すように言った。


「えっとその……」


 掴み所のない発言に惑わされる僕。


「私のことはシェイネと呼びなさい。二度と忘れられないよう、その身体に教えてあげようかしら。どう?」


 しなを作りながら、吐息まじりに語るその声は僕の理性を緩めていく。正直な気持ちとしては、教えて貰うのもやぶさかではない。いや、むしろ、前のめりにご教授願いたい。


「な、何言ってるのよ! 普通に自己紹介出来ないわけ!?」


 月すら近くに感じる夜空の上で、アンスの声が大きく響く。


「あら、普通にやっても面白くないじゃない?」


 からかう調子でアンスを挑発するシェイネさん。


「ここでふざけて何の意味があるのよ?」


「意味なんてないの。私はただ、私のしたいようにするだけよ。いつだってね」


「自己中心的な考え方ね」


 呆れた様子のアンスがため息まじりに言った。


「そうかしら? 世界は私を中心に回っていないのだから、私は私の好きなように振る舞うの」


 意味がありそうで、無いのかも知れない、煙りのような意見を述べるシェイネさん。


 なんにせよ、この人とアンスの相性は悪そうだ。煙に巻くようなスタンスで相手を翻弄するシェイネさんと真っ直ぐに相手と向き合うアンス。水と油のような関係だろう。


「そんなのただの言葉遊びじゃない!」


 少しの間を空けて、アンスが再び噛み付く。


「いいじゃない、楽しいんだから、ねぇ、坊やも好きでしょ? あ・そ・び」


 甘い香りとともに、蠱惑的な囁きが僕を誘う。


「す、好きです」


 あれ? いつのまにか口が動いていた。


「フィロス!?」


「ち、違うんだ、口が勝手に!」


「あんた、フィロスに精神魔法を使ったわね?」


「使ってないわよ、強いて言うなら、自前の色香(フェロモン)かしらね?」


 あごに手をやり上目づかいでシェイネさんが言った。


 そんな緊張感のないやりとりとは対照的に、龍の身体は順調に空路を進む。


 視界の先には、巨大な建造物が見えてきた。


「あれは一体……」


 縦長に伸びた、異様に長い建物のようだが。その塔は、僕達のいる空よりも更に高い所まで、伸びている。


「あれが、知恵の塔よ、私達は今からあの場所へと向かうの」


 進行方向を見つめながら、シェイネさんが答える。


 龍の羽ばたきが、より一層勢いを増して加速する。


 何故だろう、僕にはわかる。あそこに行けば、何かが終わる。


 感傷に浸る時間すら与えないと、龍はより強く、夜空を進む。空気の膜を破りながら、真っ直ぐに。


 塔との距離が目前に迫った所で、龍の速度が緩やかに落ち始めた。


 着陸の衝撃は意外にも少ない。僕達はゆっくりと龍の背から降りる。


「ありがとう、お疲れ様」


 龍の頭を優しく撫でながら、シェイネさんが言った。


 そのまま彼女が口笛を吹くと、龍は静かに翼を広げ、月が照らす夜空へと羽ばたく。


 僕達はその巨大な背が小さくなるまで、地上から見送った。

 

「さて、じゃあ、中に入ろうかしら」


 気軽な調子で、自然に歩を進めるシェイネさん。


「ちょっと、待って下さい、心の準備が」


 今にも塔の中へと入ろうとするシェイネさんを慌てて制止させる僕。


「大丈夫よ、ここは私が育った家のようなものだから」


 天高く伸びる塔を指差して、気軽な調子でシェイネさんが言う。


「じゃあ、なおさら警戒が必要のようね」


 訝しげな顔でアンスが反応した。


「何よ、私に恨みでもあるのかしら?」


 首を傾げて、わざとらしい声音で挑発するシェイネさん。


「あるに決まってるでしょ、忘れたの? 私は一度、あなたに人質にされてるのよ?」


「そんなことあったかしら?」


「あんた、本当に忘れているの!?」


「冗談よ、内乱の時の話よね、いつまで根に持ってるのよ。あの時は大賢者の横槍で私達が負けたのだから、いいじゃない。今じゃ、その大賢者も、エオンの奴もいないけれど……」


 わずかに声のトーンが下がったシェイネさんの言葉に、隣りのアンスも押し黙る。


「ちょっと湿っぽかったわね、今のはナシで。さぁ、行くわよ」


 そう言って、シェイネさんが塔の入り口らしき所に立つと、半透明な扉が自動で開いた。


「魔法なの?」


 アンスが少し驚いた様子で言う。


「いや、ここの主人いわく、かがく? って力らしいわよ」


「かがく……」


 何故だか、聞き覚えのある響きだ。


 そのまま、シェイネさんの背に続き、塔の内部へと入る。


 何もない、真っ白な空間だけが広がっている。


「シェイネ、ここまでの案内ご苦労様」


 その空虚な部屋の中心から、声が聞こえた。


「苦労を労うなら、姿くらい見せたらどう?」


 何もない空間に返事をするシェイネさん。


「それもそうね、久しぶりの娘との再会でもあるしね」


 その声の主は、突如として現れた。何もない空間から不意に。


 黄金に輝く髪は背中まで伸び、翡翠色の瞳が怪しく光っている。まるでその姿は、僕の隣にいる少女の未来の姿そのもののようだ。


「な、なぜお母様がここに!?」


 酷く動揺した様子のアンスが叫ぶ。


「友人の頼みであり、この世界に与えられた目的を果たす為よ」


 話がよくわからない方向へと進む。


「この世界の目的?」


 アンスはことの大きさに戸惑いながら問いかける。


「えぇ、別の世界の、ある男の子を救う為よ」


 とても綺麗な笑顔で、目の前の女性は語る。瞳の奥に潜む感情の色は、全く窺い知れない。


「ちょっと待ってくれるかしら、私にとって、世界の目的なんてどうでもいいの、まずは先に、私との約束を果たしてくれない?」


 話を遮り、自らの意見を述べるシェイネさん。その言葉には確かな熱を感じる。


「そうね、約束通り、あなたの本当の両親の名前を教えてあげるわ。あなたの母親の名前は、エルヴィラ、あなたと同じ、香りの魔法を使う精神魔法師よ」


 アンスの母親らしき女性の言葉だけが、白い室内に響く。


「父は?」


 短い言葉で続きを促すシェイネさん。


「バール・シェム、あなたもよく知る魔法師よ。そして、その命を終わらせたのが、私」


 その声音からは、一切の感情を読み取ることは出来ない。


「バール・シェム、私があの大賢者の娘……」


 平坦な声音でシェイネさんが静かに呟く。


「あら、随分と冷静なのね、怒りはないの? 父の仇が目の前にいるのよ?」


「今更怒るようなことでもないわよ。いきなり父と言われたあの男よりも、貴女との付き合いの方が長いしね。ただ少し、思う所はあるわね」


 何もない天井を見つめ、シェイネさんが答える。


「あなたはこの世界でも有数の精神魔法師二人の血をひいた言わば才能の結晶よ。だからこそ、生まれたばかりのあなたはアリスに目をつけられてしまったわけ。でも、あなたの役目は今日で終わりよ。バールが残した、最後の約束くらいは守らないとね。シェイネ、今日からあなたは自由の身よ」


 翡翠色の瞳が真っ直ぐにシェイネさんの瞳を見つめる。


「笑わせないで、私は最初から自由よ。私がアリス様の言うことを聞いていたのは、私の意思よ、それ以上でも、それ以下でもない」


 その言葉に嘘はないと、真っ直ぐな言葉が白一色の空間に響く。


「そう、それは良かった。あなたはこれからも、好きに生きるのね」


「そうよ、私は誰にも縛られない」


 シェイネさんが誇るでもなく、当たり前の事実確認をするように淡々と言う。


「思えば、初めからそうだったのかも知れないわね。ねぇ、最後に一つだけお願いしてもいいかしら?」


「何を?」


「あなたの母親に会ってあげてくれない?」


 翡翠の瞳が真っ直ぐにシェイネさんを見つめながら言った。


 その言葉に返事はなく、ただ広いだけの白い空間に沈黙が流れる。


 その沈黙から何かを読み取ったのか、目の前の女性は再び口を開く。


「じゃあ、私には最後の役目があるから」


 そう言って、目の前の女性は目を瞑る。


「待って、お母様!!」


 再び消えようとした母親に向かって、アンスが叫ぶ。


「アンス、二年の間に、随分と綺麗になったわね。これだけは、忘れないで。私もお父様も、誰よりもあなたを愛しているわ。先にお父様のもとへと行ってしまう私を許してね。アンス、愛してる」


 これが母親の顔というものなのだろうか。その美しい両目がようやく感情を覗かせた。そしてそのまま、アンスの額へと優しく口づけをする。


 あまりに唐突なことに、アンスは唯々、呆然としている。だが、その両者の翡翠の瞳には等しく涙が溢れている。


 親子の涙が床に触れ、それらが溶け合い一つになった瞬間、目の前にいた女性の姿は、風に吹かれた砂のように、跡形もなく消え去った。


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