第百三十一話『太陽の涙』
月明かりが照らす草原の上で、二人の少女が踊っている。その言葉だけを聞くと、まるで妖精達が舞い踊っているかのようだが、僕の目の前に広がる光景は、そんな生易しいものではない。それは、どんな武闘よりも苛烈で、どんな舞踏よりも鮮烈だ。
剣と剣とがぶつかり合う金属音が響く。僕の目から見れば、手数の多さはアンスに分があるように見えるが、リザ王女の表情には余裕がある。その姿は素直に戦いを楽しんでいるようにすら見える。それに対し、額に汗をかきながら、焦りを感じさせる顔で、息つく暇もない程の高速の突きを放つアンス。攻勢に出ているはずのアンスの顔には一切の余裕がない。
「相手に隙を与えない連撃、いい判断だな。でもよ、いつまで、もつかな?」
涼しい顔で、アンスの攻撃をさらりと躱すリザ王女。その動きに無駄はなく、アンスのスタミナだけがイタズラに消費されているようだ。
目に見えてわかる優劣。相手の優位性を崩すには何が必要か。
慎重にタイミングを見極める。相手がまだ、戦いを楽しんでいる今がチャンスだ。リザ王女の動きには無駄がない。アンスの動きに合わせて最適の動きを選択している。それ故に、今がチャンスなのだ。
僕にはアンスの次の動きがわかる。一度たりとも彼女に勝利していない僕だからこそ、わかるのだ。いつも、アンスを見ていた。彼女の軌跡を追うようにして、その剣筋を注視してきたのだから。
アンスとの差を埋める為、常に彼女の動きをイメージしていた。それでもなお、僕が彼女に勝てなかったのは、単純な力の差だった。身体がイメージに追いつかなかったのだ。
自分よりも速い相手と走るとして、その相手よりも先に目的地にたどり着くにはどうすれば良いのか? 答えは一つだ。相手よりも先に、スタートするしかない。
まずは、僕よりも速いアンスの動きをイメージする。そして次は、そのアンスよりも更に速いリザ王女の動きを予測するのだ。リザ王女は強い。だからこそ彼女は、アンスの攻撃に対して、最適解をとるはずだ。無駄のない、理想通りの動き。それは、僕が常にイメージしていながら、一度も出来なかった動き。
何故か僕には確信があった。初めて顔を合わせたはずの、目の前のリザ王女が、僕の中の理想の動きをやってのけると。最早それは信頼と呼べる程の強さのものだ。僕はその、不確かで確かな思いに賭ける。
未来をイメージしろ。
先回りして、後は置くだけだ。
足に力を込め、自らの最大出力で地を蹴り出す。そのまま何もない虚空へと僕は短刀を振りおろす。
リザ王女の顔から、初めて余裕が消え去った。
アンスの攻撃を避けたリザ王女が吸い寄せられるようにして短刀の元へと向かってくる。
僕が未来へと配置した短刀に向かって、リザ王女が近づく。あと、数センチの距離、しかし、すんでの所で王女は驚異的な反射神経で身を仰け反らせた。短刀は直撃コースから外れて、僅かに彼女の頬を掠めただけだ。
彼女の頬から、短刀の切っ先へと、真っ赤な血が伝う。すると次の瞬間、僕の意識の中に大量の情報が流れ込んできた。
視界が歪み、暗転する。
目の前には、一人の少女がいる。長く伸びた真紅の髪に、勝ち気そうな雰囲気の瞳。先程まで目の前にいた王女を少し幼くすれば、こんな姿になるのだろう。
『俺の名前は、リザ・ヴェルメリオ、リザって呼んでくれ!』
これは、以前の僕と、彼女の記憶なのか……。
再び視界が暗転する。
次いで現れたのは、白黒の盤の世界。そこには巨大な石像が規則正しく並んでいる。
『騎士は王を守る為にいる。ヴェルメリオでは常識だぜ?』
一瞬、一瞬の内に、高速で場面が切り替わっていく。
おそらくこれは、彼女と僕にまつわる記憶の旅。
そしてまた、場面が切り替わる。
目の前には、真っ赤な髪を綺麗に編んだ、美しい女性が一人。顔のつくりはリザ王女に似ているが、より、洗練された雰囲気で気品を感じさせる人だ。
その女性が唐突に目の前で倒れた。
倒れた女性の隣では、リザ王女が涙を流している。
僕の胸にも痛みが走る。
これは彼女の抱える痛みなのか、それとも僕自身が感じていた記憶なのか……。
数秒の意識の混濁から解放され、僕の意識は現在へと回帰する。
「くそ、頭が痛い、なんだ、フィロスはもう、精神魔法は使えねーんじゃねーのか? まぁ、いい、これでわかっただろ? 俺はもう、大事なもんは失いたくねーんだよ!!」
頭を抑えながらも、辛うじてアンスの連撃を捌き続けているリザ王女が叫んだ。
リザ王女の言う通りだ。今の僕には精神魔法が使えない。先程の現象はおそらく、アンスが言っていた、短刀に秘められた力なのかも知れない。それに、力の在り処など、今はどうでもよい。リザ王女は今、確実に動揺している。
あと一押しだ。何か一つで状況は変わる。
その願いが月に届いたのか、不意に状況は一変する。
空気は震え、月は闇へと呑まれた。月光を遮るのは、巨大な両翼。夜空に浮かぶは、真紅に輝く凶々しい顎門。
「待たせたね、坊や達、全力でさがりな!!」
突如として現れた、龍の背に乗る使者が上空から声を張り上げた。
何が何やら分からないが、今はその声に従い、全力で後ろへと跳躍する。
次の瞬間、視界は赤一色へと染まる。先程まで僕達がいた空間は丸ごと焼き尽くされていた。
龍が吐きだす炎を避ける為、リザ王女も後方へと跳ぶ。
僕達と王女の間には、一足では詰められない距離が生まれる。
「飛び乗りな!!」
こちらへと龍の背が近づいたタイミングで、僕らは上空へと跳ぶ。
両足が、龍の硬質な背に着地したのを感じる。
「オマケもついてきたようだけれど、まぁ、いいわ」
アンスの方に視線を向けた使者が言う。
「やっぱり迎えは貴女だったのね、シェイネ」
謎の美女に対して、アンスがすぐさま反応した。どうやら、アンスは、この女性のことを知っているようだ。その女性は終始、妖艶な笑みを浮かべている。彼女の周りには嗅いだことのない不思議な香りが漂っている。ずっと嗅いでいたくなるような、迷いの道へと引きずりこみ、人を狂わせる類のものだ。
「まずは、地上の邪魔者には退場して貰おうかしら、貴方の仇でもあるしね?」
龍を操る女性の使者は、その龍の頭を優しく撫でてそう言った。
その言葉に呼応するかのように、激しい咆哮が辺り一帯を震わす。
再び、龍の顎門が開かれる。
口内に溜まる熱の本流が、荒々しく漏れる息と共に、外へと流れ出す。
その熱が向かう先には、王女が一人。
「ちっ、この火力、この大剣の番いの龍か!!」
叫びながらも、銀の鞘から大剣を抜き放つリザ王女。彼女の手には燃え盛る大剣が握られている。それを恐るべき膂力でこちらへと振り抜く。
龍の真紅と王女の深紅が空中にてぶつかり合う。
その爆発は、地上に太陽を生んだ。
衝撃が空間を揺らし、莫大な熱量が草原を焼け野原へと変える。
「行くな、フィロス、お前まで行くな!!」
全てを飲み込む爆発音の中で唯一、リザ王女の言葉だけが、意味を持った音として響く。
しかし、その慟哭すらも次第に、太陽が燃やし尽くして消える。
太陽は涙一つで消せるものではないのだ。




