第百十八話『華』
復讐は何も生み出さない。そんなことは、俺だってわかっている。ヴェルメリオの王女として生まれ育った俺は、いくつもの戦場を乗り越えてきた。
復讐に取り憑かれた者の末路など、嫌と言うほど目にしてきた。だが、俺は、本当の意味で、理解していなかった。復讐と言う二文字が生み出す、抗い難い衝動の強さを。
目の前の人間をいくら斬ろうとも、この気持ちが晴れることはない。
俺の髪が赤いのは、返り血を浴びても、目立たないようにする為なのだろう。
赤い、赤い、赤い。
「リザ様、動きが少し、鈍り始めています!」
俺の親衛隊であることを示す、朱色の甲冑に身を包んだ、フレアが短く叫んだ。なぜか、コイツは、主人であるフィロスのもとを離れて、俺に仕えているのだ。
思考を放棄して、一直線に戦場を駆け抜けている俺が生きているのも、ある意味では、フレアのおかげだろう。
「こんな雑魚共相手に疲れなんざ関係ねぇ」
立ちふさがるノイラート兵や、魔物の類を斬り伏せながら、俺は一直線に進む。
フレアの話では、どうやらフィロス達も戦場に出てきたようだ。
俺の目的はただ一つ、誰よりも先に、ルサリィの仇を討つことだ。ヴェルメリオの防衛には魔大陸から帰還した、一番上の姉貴がついているはずだ。つまり護りは盤石。
俺の読みでは、奴は王都の宮殿にいるはず。監獄で捕まっているアンスの救出はフィロス達に任せて、俺はバールを殺しにいく。
「ちっ、時間が惜しい、一気にやるか」
背の大剣に手を伸ばし、確かな重量を誇るそいつを勢いよく引き抜く。
灼熱の炎が刀身を包む。纏った熱を進行方向へと振り払う。炎の波が前方の敵を一緒くたにのみ込む。そこには、悲鳴すらなく、風に乗った灰が、もとの姿など関係なしに、ただ散っていくだけだ。
一人の命を奪われた俺が、より多くの命を奪っている。戦いである以上、命のやりとりは当たり前だ。しかし、納得いかねーことがある。
それは、敵の兵士も、敵の魔物も、全員が等しく、自分の意志とは別に戦わされていることだ。
意志無き者を斬る行為は、想像以上に精神を蝕む。
だから、俺は、斬ることを辞めて、燃やし尽くすことを選んだのだろう。死体を直視することを辞め、全てを灰に変えた。命の価値から目を背けたのだ。
あぁ、昔はこんなこと、考えもしなかった。迷いは剣を鈍らせるからだ。
「フィロスの考え方が、移っちまったな……」
誰に言うでもなく、その空虚な呟きは、更地になった戦場の中で灰と共に消え去っていく。
「リザ様、新たな敵が現れる前に、一気に駆け抜けましょう」
俺の心の陰りに気づいたのかは分からないが、その小さな身体を前に向けて、はっきりと意志を示すフレア。
「あぁ、付いてこれなきゃ、置いてくぜ?」
「はい!!」
フレアの返事と共に、俺達は更に加速する。
* * *
何やら様子がおかしい、王都の門をくぐり抜け、すでに宮殿が見える所まで来たと言うのに、何故か敵兵からの攻撃が無い。そもそも兵士の数が圧倒的に少ないのだが、その少ない兵士達ですら、仕掛けてくるつもりが無いらしい。王都に入ってからは、一切の戦闘がなく、不気味な程に静かな通りを抜け、拍子抜けするほどあっさりと、目的の場所へと辿り着いてしまった。
白を基調とした豪奢な扉は、まさにここが宮殿であることを印象強く伝えてくる。扉を開け、中に入ると、広大なエントランスが来訪者を出迎える。ヴェルメリオで育った俺としては、装飾過多にも感じてしまう。
そうした数々の装飾品の中にあっても、一際美しさを放つ存在が、この空間の中央に立っている。
人類最強の男と名高い剣士、エオン・アルジャン。その男を前にして、すぐに戦闘態勢を整えるフレア。
「お前は手を出すな」
今すぐにでも、前に出かねないフレアを制止する。
「やぁ、待っていたよ、煉獄姫」
対峙する相手に恐怖すら与える美しい笑顔を浮かべ、最強の剣士がゆったりとした口調で、こちらに語りかけてくる。
「奴はどこだ?」
今はこいつに関わっている場合ではない。
「バールさんなら、ノイラート監獄にいるよ。今回の私は、時間稼ぎの役でね、フィロス君を追い込む為にも、君をここに押しとどめておく必要があるのさ」
涼しい顔で問いに答えるエオン。
時間稼ぎ? いや、そもそもなぜ、俺がこの場所に来ることがわかったんだ? そんな疑問が頭をよぎる。
「あっさり居場所を吐くとはな、自分が負けない確信があるってか?」
「今回は本気を出せることを祈るよ」
その笑顔からは、絶対的な自信を感じる。
「そうかい、じゃあ、まずは、その笑顔を剥がす!」
無駄な力を抜き、両足に力を集中させる。集めた力を一気に解放し、俺は一筋の弾丸となる。勢いそのままに、限界まで引き上げた膂力で大剣を引き抜く。
灼熱の刀身がエオンの眼前に迫る。
つばぜり合いに持ち込んで、そのまま燃やし尽くしてやるよ。
そんな俺の思考を嘲笑うかのように、目の前の男は、神速とも呼べる動きで俺の攻撃を躱し、細身の剣を俺の脇腹に突き刺す。
「ぐはっ……」
激しい痛みが身体中を駆け巡る。
だいぶ中身がやられた……。
だが、これで良い。今の俺ではコイツの動きを捉えるのは難しい。どうせ短期決戦だ。傷の深さなど、関係ない!
「痛覚遮断!!」
脇腹に走る痛みが消え、身体全体の安全装置が外れたのを感じる。
肉を切らせて骨を断つ。俺は突き刺さった剣など無視して、そのまま斬撃を見舞う。自身さえも傷つけながら放つ、最大出力を超えた一撃だ。
手応えはあった。しかし……。
「ちっ、浅いか」
咄嗟に剣を離し、バックステップで致命傷をさけたか。
「ふふ、私の右腕を持っていったのに、浅いとは随分な物言いだね」
先程まで、エオンが剣を構えていた右手は落ち、真っ白な床に薔薇の紋様を咲かせている。
「今ので決めるつもりだったんだけどな」
「だろうね、オグル族の秘伝だろう? だがそれは諸刃だ。角の再生力無しでは成り立たない。普通の人間には無意味な力さ」
右肩から大量の血液を流しながらも、微笑を保ったまま、エオンが語る。
「そうでもないさ、一瞬でもお前を超える瞬間があればいいだけだ。それに俺は……」
額の中央に意識を集中させる。
痛みを遮断していても、はっきりとわかる。額から異物が、皮膚を突き破って出てくる感覚が。
借り物の力が俺の身体を満たしていく。凄まじい全能感だ。
力の奔流にのまれそうになりながらも、俺は再び大剣を振るう。必中の速度で振るわれた刀身は、確かな手応えを感じさせた。
白の空間が真紅に染まる。
「はは、参ったよ、煉獄姫なんて呼び名は生温い。これじゃあ、まるで、鬼そのものだ。最強の二文字に執着は無かったけれど、失うとなると、少し惜しい気もするね……」
痛みを堪え、最後の言葉を口にする時でさえ、その美しさが損なわれることはない。
「安心しろよ、お前はまだ、人類最強の男だぜ?」
「あぁ、君が女性で良かったよ……」
その美しい瞳から、徐々に光が失われていく。散り際の華がもたらす美に魅せられて、俺は思わず息を呑む。
「先に逝く不敬をお許しください。貴方の愛が成就することを祈って……」
それが誰に向けられた言葉だったのかは、知る由もないが、その可憐な相貌を彩る美しい笑顔は『愛』という概念そのものに思えた。




