第百十三話『檻』
静寂が支配する狭苦しい空間。手足には重く冷たい枷が嵌められている。
光の届かない薄暗い独房へと繋がれて、三ヶ月近くが経とうとしていた。王女の私が何故、こんな状況に陥っているのか、皆目検討がつかない。
宮殿内の私室で眠りについたはずだが、起きた時にはすでに、この薄暗い牢屋へと入れられていた。一日に二回運ばれてくる冷めたスープと小さなパンだけが私の命を繋いでいた。
身体魔法で鎖を引きちぎろうとすると、手枷に電気が流れ、魔法を行使する為の集中力を削いでくるのだ。
静かな空間を揺らすようにして、ゆっくりと足音が近づいてくる。食事は先程済ませたばかりだが、何のようだろうか。
私を繋ぐ牢屋の前でその足音が止まる。顔を上げるとそこには一人の老人の姿が……。
「バール、これはどう言うことなの、説明しなさい!!」
薄暗い地下に私の怒声が響く。
「流石はアンス王女、これだけの時間、牢獄生活だと言うのに活気に満ちていますのぅ」
鉄格子越しのバールが軽い調子で語る。
「無駄話をしたい気分ではないの、わかるでしょ?」
こっちは一刻も早く、現在の状況を把握したいのだ。
「相変わらずせっかちですのぅ。では、端的に言うとしますか。ノイラートは今、戦争をしています」
場違いなほど穏やかな口調の所為か、バールの言葉が頭に入ってこない。
「ふざけないで、意味がわからないわ。しっかりと説明して!」
言葉とは裏腹にアリス・ステラの予言が頭をよぎる。
「言葉通りですぞ? ノイラートがヴェルメリオに攻撃を仕掛け、戦争が始まっただけのこと」
当たり前の出来事を確認するかのように、事務的に淡々と語るバール。しかし、私にはわかる、その外には出ない動揺が。
「あり得ないわ。お父様が自らそんな選択をするはずがない」
「その通り、自らやることはないでしょうな」
「まさか、バール、嘘よね?」
最悪の可能性が思考の表層に浮かび上がってくる。
「ワシがヴェルメリオのルサリィ王女を殺した。そしてその火種を更に燃やしたのじゃ。国王の意思を操って攻撃をしかけた……」
私に語りかけているはずのその言葉は、どこか独白じみている。消え入りそうな言葉尻からは、許しを乞う咎人の雰囲気さえ感じた。しかし、いかに小さな声音だろうと、その言葉の意味はあまりにも明瞭で、真実であろう情報を明確に伝えてくる。
「どうして、どうしてなのよ。私が生まれた時から貴方は私の側にいた。あの時から、全ての時間が嘘だったの?」
魔法学を語るあの楽しそうな顔も、お母様に振り回される困り顔も、私の恋心を揶揄うあのイタズラっぽい笑みも、全ては布石だったと言うの? 信頼を勝ち取り、国を裏切る為の……。
「ワシは選別した。そしてその結果、あの時間を嘘に塗り替えてしまったようじゃ。しかし、ワシに後悔することは許されぬ。ワシ自らの意志に従った行動じゃ。他の道を選ぶことも可能ではあった。じゃが、その意志をワシ自らの力で引き起こすことが出来たか、なんて問いは、問い自体が間違っている。意志はがんらい、自由か不自由かなんて空間にはないのじゃから。皮肉な事にこれは、フィロス君の受け売りじゃがな。彼の言う通り、ワシには哲学の素養があったのかも知れん」
そう言って、何かを懐かしむように、憧れるように、哀れむように笑うバール。
「そんな自分宛ての言葉では何もわからないわよ。ちゃんと、私に向けて語りなさい!」
独りよがりで抽象的な答えなどいらない。今は、真実が知りたい。
「ワシはちゃんと、アンス王女宛ての言葉で語ったつもりですぞ? 愛を知り始めた王女なら、きっとこの先、分かる時が来ます。これは未来のアンス王女への言葉じゃよ。これ以上は語り得ないし、理解する日が来ても、これはあくまで、ワシ一人の罪であり、愚かな選択じゃ」
分かるようで、分からない言葉。きっとフィロスなら、理解して見せるのだろう。
「今の私にも分かるようには語れないの?」
「今のワシが、今のアンス王女に言うべきことはただ一つ。しばらくの間は、この牢屋に大人しく繋がれていて欲しいと言うことだけじゃ。では、失礼」
そう言ってバールは、牢屋に背を向け歩き出す。その背に向かって私は叫ぶ。
「リーフは無事なの⁉︎」
私のすぐ側に仕えてくれていた彼女の安否がどうしても気になっていた。
「えぇ、上手く逃走したようですぞ。まぁ、それも彼女の予定通りの展開じゃがのぅ……」
地下の冷たい床を見つめながら、バールが静かに言った。
「彼女? シナリオ? 一体何のこと?」
「どうやら語り過ぎるのがワシの悪癖のようじゃ。ではアンス王女、また次があれば」
そう言ってバールは、後ろを向いたまま、背中越しに手を振り、地上へと続く階段を上っていった。
これが何かしらの仕組まれた流れだと言うなら、フィロスがここに来ることは、得策ではない。しかし、私にはそれを伝える術がない。
両腕両足に力を込める。激しい電流が身体の隅々にまで伝わる。
「くっ、あぁー!!」
身体を襲うこんな痛みよりも、この瞬間に何も出来ない自分に腹が立つ。怒りに任せて、ひたすらに身体をよじる。その度に流れる電撃が、私の意識を現実から遠ざける。
薄れゆく意識、痛みでさえもが鈍く感じる。あぁ、私は弱い。この足掻きは最善ではない。意識をどこかへと逃げさせたいのだ。肉体の檻から離し、思考を停止へと追い込んでいるだけだ。
あぁ、私は弱い。だから信じてしまう。
委ねてしまう。その小さな背に。
目蓋が閉じて、黒一色。
来てはダメよ、でも、助けて。
オモチャ箱をひっくり返す子どものように、絡み合う思考も全て投げ出し、私の意識はぷつりと途切れた。




