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第十一話『クオリア』

 科学や哲学における、最大の難問の一つとされている、クオリア問題。


 クオリアとは、主観的体験が伴う質感のことだ。よりわかりやすく言えば、『あの感じ』である。『林檎のあの赤い感じ』、『海のあの青い感じ』、『膝を擦りむいた時のズキズキとするあの痛い感じ』といった、僕達一人一人が主観的に感じる、何かしらの質感についてのことだ。



「哲也は今日の講義どう思った?」


 高すぎず、低すぎない、聞き取りやすい声で理沙が問いかけてきた。


「クオリア問題は、科学がどれだけ進歩しても解決には至らないだろうね」


 現在の僕は、大学のラウンジで今日の講義の内容について、理沙と意見を交わしている。


「私には赤く見えて赤って呼ぶ色をさ、例えば林檎でもいいけれど、その林檎が哲也には私にとって青って呼ぶ色に見えていて、でもその色を赤って呼んでいる可能性はあるわよね?」


「うーん、理沙が言う、私にとっては青って呼ぶ色に見えてるって表現は微妙だね」


「何がよ?」


 挑戦的な声音で僕に意見を求める理沙。


「理沙は僕が見ている色を絶対に見ることが出来ないわけだから、もし理沙がそれを見たらって仮定じたいが無意味じゃない?」


「だからと言って、同じ色を見ているって決めつけるのはどうなのかしら?」


 理沙の言い分もわかる。しかし……。


「じゃあ、例えば、今、理沙が転んで、足を擦りむいたとするよ? その時に理沙は痛みを感じるよね。つまり、理沙が足を擦りむいた箇所に感じている感覚を『痛み』と呼ぶわけだ」


「それはそうね」


「だとすれば、理沙がその時に感じている感覚は、かゆみでもなければ、くすぐったいわけでもなく、『痛み』なんだよ。それ以上でもなければ、それ以下でもない。『痛み』そのものだ」


 僕は理沙にゆっくりと語りかける。


「それはさっきの色の問題と例がすり替わっているだけで、私が感じている痛みと他者が感じている痛みが違う可能性を否定する理由にはなってないわ」


 矢継ぎ早に自分の意見を主張する理沙。


「理沙や僕が足を擦りむいた時に感じている感覚そのものが、『痛み』として定義されているわけだし、痛みという言葉自体の発端がそこにあるのだから、疑うための根拠がないんじゃないかな?」


「痛みという感覚は、言葉の上で共有出来ていればいいってこと?」


 理沙が訝しげな表情でクビをかしげている。


「言いたいのは、そう言うことではなく、まぁ、色に話を戻すと、林檎やトマトのような色を赤と呼ぶわけで、そのような色を他の色と区別して、『赤』と呼んでいるよね?」


「うん」


「他の色から区別して、赤と呼ばれている色を、人それぞれからどのように見えているかってことは、はじめから考慮すらされていないわけだ」


「じゃあ、もしも、私が今この瞬間から、林檎の色が青く見える人間になってしまったなら、赤いものを青色として認識している人がいる証明になるのかしら?」


 理沙がこういったパワープレイに出るのは珍しい。


「まぁ、確かに僕らの信頼する科学というのは、そういったどんでん返しが起こらないことを前提に考えられている一面があるからね。でも、理沙がそんなオカルトチックな場面を想定してまで、言い分を通そうとするのは珍しいね?」


「わ、私だって、こんな非現実的なことに頼りたくはなかったけれど、哲也に言われっぱなしなのも、なんだか、悔しかったのよ……」


 前々から負けず嫌いなのは知ってはいたけれど、理沙が自分のポリシーを曲げてまで、言い分を通そうとすることは珍しく、それがなんだか微笑ましくもあり、少し可笑しくも感じた。


「何、笑ってるのよ?」


「あぁ、なんだか理沙の新しい一面が見れた気がしてね」


 ちょっとだけ、得をした気分だ。


「今日はなんだか、私らしくなかったわね、全部忘れてちょうだい」


「記憶力には自信がある方なんだよ」


「いい性格してるわね」


 悔しげな表情を浮かべつつも、微妙に笑顔な所が実に理沙らしい、考え深くも魅力的な表情に見えた。




 クオリア問題については、あれやこれやと様々な科学者や哲学者が議論を交わしてきた。もし、他人の意識を自分の意識として完璧に感じとることが出来る人がいたならば、この問題はあっけなく解き明かされるのだろう。いや、『アリス・ステラ』という精神魔法の極地にたどり着いた人物であれば、すでに、クオリア問題などは、とうに解決した、取るに足らない問題なのかも知れない。


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