第百九話『幕切れと幕開け』
まるで状況が飲み込めない。
リザの演説による歓声がいまや、混乱による悲鳴へとその姿を変えていた。
倒れ伏したルサリィ王女のもとへと真っ先に駆けつけたのは、後ろで授与式を見守っていたリザだった。リザに続くようにして、僕達も来賓席を飛び出して駆け寄る。
「ラルム、意識の確認を頼む……」
リザが緊張の面持ちで言った。
その言葉に小さく頷いたラルムがルサリィ王女へと意識の同調を試みる。そして、少しの間をあけ、口を開く。
「意識が無理矢理ねじ切られている……」
瞳の色を目まぐるしく変えながら、ラルムが静かに答えた。
「オヤジの精神魔法でなんとかしてくれよ!」
目を瞑り、意識を集中させている国王にリザが懇願する。
「精神魔法による治療にも限界がある。ルサリィはもう……」
混乱に満ちた場に国王の震える声が染み込む。ヴェルメリオ随一の精神魔法師である王の言葉が、この状況が覆らないことを静かに告げた。
死は平等に訪れるが、公平には訪れない。
人は皆、等しく死ぬことに変わりはないが、その死に様は決して公平ではない。家族に囲まれて天寿を全うする者、敵に囲まれて命を散らす者、一人孤独に押し潰される者。結果だけを見れば全員等しく死んだだけだ。しかし、この現象に公平さを感じられる者はいるだろうか。
少なくとも僕は、目の前にある、不当で不幸で不公平な死が、受け入れられないでいる。
彼女がここで死なねばならない理由がわからない。
「なんでだよ、なんで、姉貴が……」
リザの涙が地面を濡らす。
彼女が泣く姿など、僕は初めて見た……。
「ルサリィの死は、精神魔法を感知出来なかった、私の責任だ」
沈痛な面持ちで国王が言った。その瞳には深い悲しみの色が宿っている。
「ヴェルメリオにおいて、最上位の精神魔法師である、国王とルサリィ王女の感知をかいくぐることなど、可能でしょうか……」
それに、この場にはラルムもいるのだ。その三重のセンサーを抜けることなど不可能に思えるが。
「ラルム、魔法の残滓は辿れるか?」
妙に静かな、それでいて明確な怒気を含んだ声がリザの口から漏れ出た。
「う、うん……」
有無を言わせぬリザの剣幕に、ラルムはそのまま従う。
ラルムが意識を集中し始めて数分。彼女は、何度も首を横に振り続け、何度も精神魔法を行使する。額の汗が頬にまで伝っている。
「そんな、あり得ない……」
そう言って苦悶の表情を浮かべるラルム。
「犯人が見えたの?」
動揺するラルムに、僕は静かに問いかける。
「こ、この色は……」
少しの間をあけ、躊躇いながらも再び口を開くラルム。
「師匠の色……」
一瞬僕は、ラルムの言っていることが分からなかった。いや、感情が理解を拒んだのかも知れない。
「バールさんが犯人だって言うのかい? そんな馬鹿な……」
信じられない。信じたくはない。バールさんがそんな……。
感情と理性のせめぎ合い。
その拮抗を崩したのは、冷たくも残酷な鉄の理性だった。
信じたくはない。しかし、それならば、辻褄の合う点が出てくる。僕とアンス王女との連絡内容を共有しているバールさんならば、今日、この日のタイミングでの犯行が可能だ。それに、僕はバールさん以上の精神魔法師を知らない。彼ならば、国王、ルサリィ王女、ラルムという、三重の警戒網を突破出来るかも知れない……。
瞬時に溢れかえった情報量が、僕の頭を困惑させる。
そんな思考に囚われていると、その瞬間は、唐突に訪れた。
「よくぞ見抜いたのぅ、ラルム、流石はワシの自慢の弟子じゃ」
聞き覚えのあり過ぎる穏やかな声。常ならば、人を安心させるその声が、今は僕を絶望の淵へと追いやる。
運命を決定づける瞬間。
この世界の分岐点。
物語の幕開け。
呼び方などに意味はない。それはもう始まってしまったのだ。その言葉を持って、決定付けられた。ユリウス・カエサルならばこう言っただろう、『賽は投げられた』と。




