第百二話『傷痕の街ネルベ』
現在僕は、ヴェルメリオの西に位置する『ネルベ』と言う街を訪れている。ルサリィ王女の話によれば、この街は戦争によって傷を受けた人々が保護されている、特殊な事情を抱えた街らしい。
僕とルサリィ王女はどちらも精神魔法師なので、護衛はルサリィ王女の専属メイドが務めてくれている。ヴェルメリオ家に仕えるメイドさん達は皆、戦闘メイドと呼ばれ、その全員がヴェルメリオ軍人に引けを取らない戦闘力を誇るという。
「なぜ、最初の調査がこの街なのでしょうか?」
この街の目抜き通りを歩きながら、僕は隣りに立つルサリィ王女へと問いかける。
「そうね、ここはわかりやすく火種が燻っている場所だから……」
少し先の地面を見つめながら、ルサリィ王女が答える。
「戦争が残した傷痕が、次の戦争を呼び込む火種になると?」
「少なくとも、いや、少なくない火種が、この土地には残っているのよ……」
声のボリュームを落としたルサリィ王女が呟く。
争いの根源とは、不安と不満だ。
「御二方、準備はよろしいですか? これから、この土地の領主、フール・グラオに会って貰います」
ルサリィ王女の専属メイドである、ロシュさんが、僕達の会話が終わったタイミングを見計らって、そう言った。
彼女の背に続く形で、僕らはこの土地の領主の屋敷へと足を踏み入れる。
* * *
通された部屋には、シンプルな壁掛け時計と、大きな茶色の長テーブルが一つ。そして同じく、茶色の椅子が三つ置かれていた。全体的にシンプルで清潔感のある部屋だ。僕とルサリィ王女が並んで座り、メイドのロシュさんは、部屋の隅でじっと立っている。
「まさか、ルサリィ王女自らが私めの屋敷にいらっしゃるとは」
僕達の正面に座っている、灰色の髪をした、この痩せ気味の男がここら一帯の土地を束ねる、フール・グラオと言う人物らしい。
「そうね、偶には、私、自らが民の声に耳を貸すことも重要だと思いましてね?」
笑顔を浮かべながらも、探るような目つきでフール領主を見つめるルサリィ王女。
「単刀直入に聞くけれど、最近、何か不信な出来事はなかったかしら?」
開始早々に直球勝負に出る王女。
「不信と言いますか、まぁ、その、ほんの少しではありますが、不満の声が聞こえてきますね」
「不満?」
「えぇ、その、一部の退役軍人達からの声が……」
バツが悪そうな顔で、領主の男が言う。
「どんな声ですの?」
そう問いかける、ルサリィ王女の笑顔には、威圧感が含まれている。
「その、退役後の補償についてなのですが……」
「えぇ」
短い相づちのみで、会話の続きを促す王女。
「戦闘によって、肉体に傷を負った身体魔法師には充分な補償金と地位が与えられるのに対して、戦場に渦巻く様々な感情を感知し、心に傷を負った精神魔法師への補償は、充分とは言えないとのことで……」
困り顔で言葉尻を濁すフール領主。
「なるほどね。確かに、我がヴェルメリオ王国は身体魔法師の割合が多く、軍の上層部も、屈強な身体魔法師で固められているわ。それ故に、心の傷を弱さとして捉えてしまっている節があるわね」
自らも、優秀な精神魔法師であるルサリィ王女が、複雑な表情を浮かべながら語る。
その後も、領主と王女の会話を聞いていると、この話の問題点がわかってきた。
戦場における精神魔法師の主な役割は、索敵や敵の誘導だ。そして、そのどれを行うにしても、敵との精神同調が必要なのだ。つまりそれは、剥き出しの敵意との対峙に他ならない。戦場に溢れる夥しいほどの敵意に触れ続けるのだ。結果、戦争が終わりを告げた後も、心に傷を負った精神魔法師が後を絶たないと言う。
そして、ここからが問題なのだ。精神魔法師が受ける、心へのストレスは、銃弾や斬撃のように、負傷させたり殺したりすることを意図した敵の戦術ではない。そんな理由から、精神魔法師には、補償金は出ても、勲章は貰えず、退役後の生活に差が出るのだと言う。
「フィロス、貴方はこの件について、どのように思ったかしら?」
ここに来てはじめて、ルサリィ王女が僕に問いかける。
「おそらくこの国は徳性よりも武勇を優先する傾向にありますね。目に見える武勲は身体魔法師が手にする。しかし、傷は平等に分配する。だから不満が溢れる」
僕のこの意見に対して、眉をひそめたフール領主がすぐさま口を開く。
「傷が平等? 片腕をなくした兵士と心に傷を受けた兵士が同じだと?」
中身のない袖口をもう一方の手で抑えながら、フール領主が言った。
「少なくとも人を衰弱させるという点では、心の傷も体の傷も同じです」
「しかし、体に受ける傷は激しい痛みを伴う」
フール領主が少し距離を詰めながら言った。
「それは、心の傷も同じです」
「知ったような口を聞くな!」
僕の発言が彼の導火線に火をつけたのか、先ほどまでの、弱々しい笑顔は消えていた。
「少し黙りなさい。私は今、フィロスに問いかけているのです」
彼の怒号を、王女の静かで冷たい声音がかき消した。
はっとした表情で口をつぐむ領主。
そうして生まれた沈黙を破るようにして、再び口を開く僕。
「この問題は、この国の軍隊文化による、心の傷への暗黙の軽蔑が原因です」
「なら貴方は、ヴェルメリオの文化ごと変えると言うの?」
「いいえ、この国の文化の中で解決しましょう」
国に根付いた文化など、そう簡単には変わらないのだから。
「ふーん、言ってみなさい?」
試すような口調のルサリィ王女。
「簡単なことです、戦争により心に傷を負った精神魔法師にも勲章を与えればいいのです」
心の傷は客観的判断が難しいが、この世界には、精神魔法がある。勲章の基準を作る事は可能だろう。
「その事に反対する文化があるから出来ないと、さっき、貴方が言ったばかりよね?」
訝しげな表情でこちらに視線を向けるルサリィ王女。
「はい。だからこそ、認識を操るのです。心に受けた傷は、国を護る為の尊い犠牲の一つだと、それも一つの武勲の形だと」
「それが出来ていれば、苦労はしないわ」
呆れ顔の王女が言った。
「確かに、国王やルサリィ王女のような、精神魔法師側の人間が擁護しても反感を買うだけでしょう。でもそれが、国中の民から支持を受ける、武勲豊かな英雄であれば?」
この国の価値基準によって認められている力ある者の言葉ならば、きっとそれは届くはずだ。
「なるほど、試す価値はありそうね。リザが内乱を鎮圧した直後が狙い目かしら?」
僕の考えを察した王女が言う。
「えぇ、その通りです」
その返事を満足げに聞いたルサリィ王女は、そのまま、足早に屋敷を後にした。僕もその背に続こうとした所で、フール領主に呼び止められた。
「先ほどは、お見苦しい姿を見せてしまった。申し訳ない」
そう言って、深く頭を下げるフール領主。
「いえ、そちらの事情や心情を考えもせず、こちらこそ、すみませんでした」
そう言って僕も頭を下げる。
「最後に一つだけ宜しいですか?」
フール領主がゆっくりと問いかけてくる。
「はい」
「ヴェルメリオは確かに、何よりも武勇を褒め称える国です。しかし、だからと言って、美徳のない国家ではない。我々には、我々の美徳がある。その点に関してだけは、訂正して貰いたい」
灰色の瞳が真っ直ぐに僕を捉える。
「はい、そのようですね」
僕があっさりと意見を変えたのが意外だったのか、フール領主が驚きの表情を浮かべている。
こんなにも国を愛する人がいるのだから、この国の土壌はしっかりとしているのだろう。調査の一環とは言え、僕もこの国の土壌をほんの少しだけでも、耕せたのなら幸いだ。
僕はもう一度、深く頭を下げ、この屋敷を後にする。
そのお辞儀は、国を思う一人の男と、そんな人物を育てたこの国そのものに対しての敬意の表れだった。




