第百一話『知らぬが仏』
石造りの長い廊下に、カツカツと言う規則正しい足音が響く。熱伝導率の低い壁がもたらす冷たい空気が、僕の頭を冷静にさせる。国王は僕と二人で話をするつもりらしく、ラルムとイーリスには、部屋で待機して貰っている。
長い廊下を抜け、そこに現れたのは白くて大きな両開きの扉である。僕はこの先の光景を知っている。以前にもここで食事をした事がある。
僕が記憶を辿っていると、使用人の女性が扉を開ける。
その先にはやはり、白の大理石を中心に作られた、見覚えのある空間が広がっていた。部屋の中央にある長テーブルにはすでに国王の姿が見える。
「お待たせしました」
僕は一礼してから、その真っ白な部屋へと入る。
「やぁ、久しぶりだね、フィロス君」
柔和な笑顔で語りかけてくる国王。
「はい、お久しぶりですね」
僕はテーブルの前で止まり、背筋を伸ばして言った。
「まぁ、座って、座って」
その言葉に従い、国王の正面へと座る。
「あの、急に押しかけてしまう形になってしまい、申し訳ありません」
僕は深く頭を下げる。
「いやいや、気にしないでいいよ。その思慮深さと腰の低さはヴェルメリオの男になるには相応しい」
そう言って軽く微笑む国王。場を和ませる為の配慮だろう。
「お話と言うのは?」
「あぁ、そうだね。リザから話は聞いたよ。ヴェルメリオとノイラートが戦争を起こすかも知れないんだって? 少なくとも、ヴェルメリオ側には戦争をする理由が見当たらない。そこで、フィロス君に頼みたいことがあるんだ」
あくまでも、穏やかな口調で話を進める国王。
「戦争の話、信じてくれるのですか?」
聞かされる側としては、突飛な話のはずだが。
「あぁ、かの有名な魔女の予言と聞いては、見過ごせないからね……」
リザはそこまで話をしたのか。なるほど、それならば、国王のこの対応にも納得がいく。
「それで、頼みとは、どのような?」
僕は止まった流れを戻す為、問いかける。
「君がそれとなく、国内を調査してみてはくれないか? 自国の者では見落としてしまう何かがあるかも知れない。もちろん、私達の方でも力を尽くすが」
「は、はい、でも宜しいのですか? 僕はこれでも、ノイラートの国家魔法師ですよ、今はお尋ね者ですが……」
自由に調査が出来るのであれば、こちらとしては、願ったり叶ったりだが、最強の軍事国家であるヴェルメリオの国王が、こんなにもあっさりと、他国の人間を信用していいのだろうか。
「私には自慢出来ることが二つだけある。それは、人を見る目と、愛する娘達だ。そして、そのどちらの審査も通っている君ならば信用に足る」
「えっと、それは、有り難い限りなのですが」
急な展開に動揺を隠せないでいた。
「まぁ、私としては、リザが君を信じているだけで、他に理由はいらないからね」
そう言って笑顔を浮かべる国王の目が、この国の強さを担っているのだと感じさせる。
「調査は僕一人で行なった方が良いですか?」
ことがことだけに、機密性の問題が生じるかも知れない。
「君の旅仲間であれば協力して貰っても構わないよ、実際にもう、リザの補佐として、フレアちゃんは働いているわけだし」
「はい、ありがとうございます」
何だか、事がスムーズに運び過ぎていて怖いくらいだ。
「そういえば、リザ王女はどちらへ向かわれたのですか?」
イーリスの言葉によれば、王族の公務だとか言っていたが。
「あぁ、内乱の鎮圧だよ」
娘に近所のお使いを頼むような軽い調子で淡々と国王が言った。
「え? 内乱⁉︎」
「小規模なものだけれどね。終わり次第、君達と合流してもらうよ。それまでは、ルサリィと一緒に調査を進めてくれるかな?」
国王のその言葉が終わるタイミングで、この部屋に一人の女性が入ってきた。
「なんですか、お父様、まるで私がリザの代わりのような物言いですね?」
長く伸びた赤い髪が、華奢な肩の上で緩やかに巻かれており、彼女の優雅な足取りとともに、気まぐれに揺れている。確かこの人は、第二王女のルサリィ・ヴェルメリオ王女だ。
「ち、違うさ、そういう意味で言ったのではないよ、ねぇ、フィロス君?」
娘に詰問された父親が、SOS信号を飛ばしてきた。
「え、そ、そうですね、リザ王女はあまり、情報戦には向いていなさそうですし、その点を考えるとルサリィ王女は凄腕の精神魔法師だと聞きますし、そう言った意味での人選かと」
動揺しつつも、適当なことを言って、お茶を濁す僕。
「まぁ、即席のお世辞にしては、よく出来ていますわね。成り行きではあるけれど、宜しくと言っておきますわ」
優雅で可憐な笑顔と、多量の毒を込めた辛辣な言葉がチグハグで、なんとも言い難い人だ……。
「よ、よろしく、お願いします」
ルサリィ王女の言葉に僕が返事をすると、そのやりとりを見ていた国王が満足気に頷きながらも口を開く。
「じゃあ、まず二人には『ネルベ』に向かって貰おうかな?」
探るような声音で問いかけてくる国王。
「なるほど、あの、傷痕の街ね……」
先程までの軽口が嘘かのように、真剣な声音で呟くルサリィ王女。
「あの、このまま、どこかに行くのなら、仲間にも伝えてきて良いでしょうか?」
「アリスカラーのあの子は連れて行かない方が良いわよ。あの子の目には毒だもの。あの街の景色はね……」
目の毒とは、言葉通りの意味なのか。
聞けば気の毒、見れば目の毒。まぁ、ラルムの場合は、自らの欲望との対峙ではなく、他者の欲望にあてられるのだが……。
彼女の瞳は見え過ぎる。心の色を見て、聞いて、触る。そして、障る。
優しい彼女を傷つけることは避けるべきだ。
知らぬが仏。知り過ぎる彼女には、必要な配慮なのだろう。




