EX1-2
かなり視界がボヤけていて焦点が合わなかったが、それでも一つだけはっきりしているのは、この場所は初めて見る光景であることだ。
あの不思議な感覚………。そう、間違いなくタイムリープをしたはずだ。
しかし、いつもの丸い蛍光灯が見えず、それに代わって会社とかで見かける長細い蛍光灯が並んでいた。
もう少し視線を動かしてみると、部屋の天井や壁は白で統一されているようだ。こうなってくると、完全にうちのボロアパートでは無いのは疑いようも無い。
ちょっと首を周囲に巡らして───!?う、動かない!首が全く動かないぞ!?それどころか、眼球以外に体を動かせる部位が全くない!!!
───金縛り!?
咄嗟にそう感じたのだが、そういえば何となく息苦しい。
マスク……!?
うーむ。どうやら俺はマスクで鼻と口を覆われているみたいだ。
ここまでの情報を整理すると、俺はほぼ、間違いなく病院のベッドの上にいるのだろう。
俺の視界の左端に点滴が吊るされているのが見えるので、これは確定と言って良いはずだ。
すると、突如として不安な気持ちが俺の心臓を締め付けてきた。
あの時──。俺と牡丹は、駅前の横断歩道の手前で並んで信号待ちをしていた。
すると、突然俺は気を失った───。
目が覚めると全く体は動かず、点滴を打たれ、マスクをした状態で病院のベッドに寝かされていた。
………ここから導かれる答えは───事故!?
そうか!俺は何らかの事故に巻き込まれたのか!?これは………タイムリープではなかった………!?
じゃあ、牡丹はどうなった!?
俺はすぐにでもベッドから飛び出し、牡丹の安否を確認したかったが、手足がピクリとも動かないし、声も出すことが出来なかった。
俺自身、これほどの重傷を負っているなら、俺に寄り添っていた牡丹はどうなっているんだ!?あいつは、やっと普通の女子高生としてスタートを切った矢先なんだ!もしも、あいつの身に何かあったら、神であっても只では済まさんぞ!!!
俺は心の中で毒を吐くと、目尻から一筋の涙が流れ落ちた。
すると、突然おれの右隣から老人の声が聞こえてきた。
「おじいさん?………あたしの声が聞こえますか?」
そう言いながら俺の顔を覗き込む老婆。
だが、声の割には若々しく見える老婆で、白髪交じりのショートカットはくせ毛のようで、毛先がくるくると丸まっている。
老婆はとても優しい目で俺を見つめると、両手で俺の右手を握る。
「おじいさん、曾孫たちまでみんな来てくれましたよ?………わかりますか?」
「おじいちゃん!」
「元気出して!」
小さな子供たちの声が俺の左側からやかましく聞こえてくる。
すると、一人の子供が俺の点滴を吊り下げたの鉄柱にぶつかったようで、すぐに父親に叱られたが、これを見て別の子供がはやし立て、病室が一気に賑やかになった。
そんな孫たちを、俺を見るのと同じように優しく見守る老婆。
「あ……う………」
俺は必死にしゃべろうとするが、全く言葉が出て来ない。
「………ああ、おじいさん。わかりますよ?家族が勢揃いしてくれたことが嬉しいんですね?」
そう言いながら老婆は俺の右手をポンポンと軽く叩く。
「あたしもおじいさんと同じ気持ちですよ………いざとなったらすぐに駆けつけてくれる。本当に……本当にいい子たちですね………おじいさん………」
老婆ばそう言って嬉しそうに笑う。
俺はその顔を見て涙が止まらなかった。ただただ泣いた。
すると老婆は顔を近づけて言った。
「本当に……。本当にあたしは幸せな人生を送る事ができましたよ………。これも全部おじいさん………あなたのおかげです………今まで本当にありがとう………」
そう言いながら大粒の涙をポロポロと流す老婆。
「もう、最後は笑顔で見送るって言ったのに………おばあちゃんたら………」
「ゴメンね………やっぱり寂しくてね………」
そう言いながら、手渡されたハンカチで涙を拭う老婆。
そうか………俺は牡丹を幸せにすることができたんだな……。
───全てを悟った。
ここは数十年後の未来。
おそらく牡丹と結ばれて幸せな家庭を作った未来。
そして、俺はまさに天に召されるその直前にタイムリープして来たんだ。
病院の一室を埋めるほど沢山の家族に囲まれて、俺は幸せを噛みしめながらその目をゆっくり閉じた。
牡丹を幸せにすることが出来た。
これほどの幸せがあるだろうか?
俺はそれを実現するためにあの日、学校の屋上で牡丹を抱きしめたのだから………。
もう牡丹の声や曾孫たちの声も聞こえない。
静寂が俺を包む。
こうして目を閉じると、走馬灯のようにこれまでの出来事が思い出される。
高校生活の初日に、牡丹に缶コーヒーをぶつけられて流血したり、生徒会長に立候補したり、そして牡丹との初デート………。
…………。
……おい。
ちょっと待て。
フラッシュバックするネタがあまりにも少なすぎて、あっという間に終わってしまったんだが!?別の意味で、めちゃくちゃ悲しいのだが!!!
たぶん、牡丹を幸せにしたのは間違いないのかもしれんが、俺自身、その記憶がスッポリと抜け落ちている………って、そりゃそうだ。突然訳も分からぬままこんな何十年も後の死の直前にタイムリープしてきたんだからな。
事象に対して俺の記憶が全く伴っていない!!!
そんな俺の気持ちに反して、なんだか意識が徐々に遠退いてくる感覚がしてくる………。
おい!!!ちょっと待て!!!俺は全然幸せを実感できんぞ!?
「こんな人生、絶対おかしいだろ!!!!」
俺は心の中で叫ぶと浮遊感と共に意識を失った。
◆
目を開けると、見慣れた丸い形をした蛍光灯が見えた。
反射的に飛び起きる。
普通に体が動いたので一先ずホッとする。
改めて自分の両手を見ると小さな子供の手だった。
そうか───。
俺は完全に事態を飲み込んだ。
あの瞬間、俺は自分の人生に対して、強くネガティブな感情を抱いてしまったため、6歳の誕生日の朝へタイムリープしてしまったんだ。
俺は視線を襖へ移す。
あの襖を開けると、何度も体験した地獄が待っている。
貧乏でやりたい事もできず、食べたいものも食べれない生活。そして、常にフラグを回収することだけを意識した生活。
だが───。
俺はパンと膝を叩いて勢いよく立ち上がると、ドカドカと歩いて行って襖に手を掛ける。
───未来は何も決まっていない。
そうだ。牡丹ルートが示してくれたように、まだまだ俺の未来には可能性が残されている。
これからの人生、何が起こるのか誰にもわからないのだ。
俺はキッと前を睨むと、勢いよく襖を開けた。
居間には例によって母と父がおり、二人とも俺に優しい視線を送ってくる。
「………」
え!?……父……だと!?
「どうした?宏太?ハトが豆鉄砲を撃ったような顔をして?」
ハトが撃つんじゃねぇよ、などというツッコミをしている場合ではない。
どうして父がここにいるんだ!?
「二人は………離婚したんじゃ……?」
そんな俺の呟きが母にまで聞こえたようで、苦笑いしながら父と顔を見合わせながら口を開いた。
「実は昨晩遅くまで話し合って、よりを戻すことにしたのよ」
なんだと!?
「まあ、お前のことを考えるとそれが一番ベストだと思ったんだ。俺も心を入れ替えて頑張って働くからよ!」
そう言ってガッツポーズをする父。
至極当たり前の事を言ってるだけなんだが、まさか、タイムリープの起点となる朝も改変される事があるとは驚きだ。
この数百年で、両親が揃った状態でリスタートを切るのは初めてのことだった。
俺はニヤリと笑うと呟いた。
「誰にも未来はわからない………か………」
よーし!やってやんよ!!
初っ端から筋書きのないこのルートを、見事に完全攻略してやる!やってやる!!!
「えい、えい、おーっ!!」
俺は幼い手を力一杯握ると、叫びながら勢いよく突き上げた。
--END--