EX1-1
生徒会長に就任して一ヶ月。
副会長の二人、大西さんと福島先輩の支えもあって、最初に思っていたよりも、ずっと自由な時間を持つことが出来ている。ホント、二人には感謝してもし足りないくらいだ。
勿論、俺自身の能力の高さがあってこそ、個性的な生徒が集うこの生徒会を、しっかり束ねる事が出来ているのだがな………伊達に何百年もタイムリープを繰り返していないのだよ。他の生徒とは人生経験が圧倒的に違うのだからな。
まぁ、これで牡丹と会う時間も増えてくれれば、個人的には最高なのだが、生憎、牡丹は部活に忙しくて、なかなか二人の時間を過ごすことができなかった。
両手を合わせて謝る牡丹に、俺も生徒会長の仕事が忙しくてさ───などと、つかなくてもいい嘘をついたりもしていた。
そこで、放課後になると無意味に生徒会室に行って、お茶をすすりながら窓からグラウンドで練習している野球部をぼーっと眺めている時間が増えていた。
そもそも、牡丹と親密になるルートなんて、今まで一度も経験した事が無いので、この先、どのような展開が待っているのか全くわからないのだ。
こんなにスリリングで、ある意味、不安な人生は何十年振りだろう?
常にフラグ回収だけを意識して生きていたこれまでの俺は、一体何だったのだろうか!?
ただし、これからの事も考えて、分岐と思われる日常のイベントはしっかりノートに記しておく必要がある。
当然、こんなことをノートに残したとしても、タイムリープをした時にこのノートを持って行けるわけでは無い。しかし、ノートにまとめるという行為が、俺の潜在意識にイベント内容を記憶させることができるみたいで、所謂『デジャヴ』を感じる事ができるのだ。俺のようにプロのタイムリーパーとなると、デジャヴと同時にこれが何のイベントだったのかがわかるようになり、更にはイベントを予知できるようにまでなるのだ。そのための第一歩が『ノートに記す』という行為って訳だ。
現在でも、どうやってこの『牡丹ルート』へ迷い込んでしまったのかはわかっていない。
今まで通り大西さんの攻略に主眼を置いて行動していたはずなのだが、どこをどう間違えたのか牡丹を攻略していたのだ。
今後またタイムリープで6歳の頃に戻ってしまったことを考えると、どうしてもこのルートへのトリガーを知っておきたいのだが………。
「桜田、元気無いね?」
突然俺の思考を遮る声がしてハッと我に返ると、目の前には大西さんがこちらを見ながら微笑んでいた。
夕日を浴びて黄金色に輝くストレートの黒髪を左手で軽く耳に掛けながら、俺の対面の机に右手をついて上目使いでこちらを見ている。
── 天 ・ 使 ・ 降 ・ 臨 !
いや、マジ天使でしょう!マイエンジェル!!………などと心の中で叫んだ俺だったが、表面上は平静を装って聞き返した。
「そう見える?」
俺の逆質問に対して、大西さんは「うーん……」と言いながら対面の椅子に座る。
「最近、何か悩んでるように見えるけど?」
なるほど。牡丹と二人きりで会えないという悩み………またの名を『下心』が顔にまで現れていたか。全く、俺ってやつは………この正直者め。だが、何百年もの人生経験を積んだ俺にとっては、マイエンジェルに下心を見透かされたとしても動揺など微塵も見せることなくこの場を乗り切れるのだ。聞くがいい!俺の熱い答弁をっ!
「……お、おれおれ……こっ、この俺がっ!………べ、べべ別に、何でも………いいいいつもと、おんなじ……」
「………」
俺の謎の呪文を聞いて、大西さんは完全にきょとんとした表情だった。
うーむ………どんなに人生経験を積んだところで、他の女に対する下心を言い訳する機会など、あまり訪れることは無いからな。我ながらかなりの動揺が見えるが、まぁ、それも仕方ないだろう。
「大丈夫?」
大西さんが心配そうに俺の顔を覗き込む。
「何が?俺は全然大丈夫だけど?」
そう言って俺は慌てて大西さんから視線を外して窓の外を見る。
「ふーん……」
大西さんはそう言ってから数秒間ほど俺の顔を見続けると、徐に立ち上がってその桜色の唇を開いた。
「私でよかったら相談に乗るから何でも言ってね?……じゃあね!」
大西さんは軽く手を振ると、受付カウンターの方へ消えて行った。
ええ娘や!ホンマにええ娘や!
俺は心の中で何度も呟くと、心がほっこりした感覚になっていた。
だけど、さすがに「牡丹と二人きりで会えないのだが、どうやってアプローチしたらいいだろうか?」などと言う相談をマイエンジェルにできる訳が無いのだ。
そのまましばらくの間、野球部の練習を生暖かく見守っていたのだが、そろそろ辺りは暗くなってきたので、野球部も後片付けを行っていた。
そろそろか………。
俺は立ち上がるとカウンターに行って大西さんに声をかける。
「大西さん、お先に失礼します。後はお願いします」
「はーい。私ももう少ししたら帰りますね。お疲れ様です」
大西さんはそう言って軽く手を振ってくる。
もちろん、俺は腕が千切れんばかりに全力で手を振ってこれに応える。
廊下に出てドアを閉めると、俺はすぐに正面玄関に向かう。
外に出ると、そのまま校舎横のテニスコートに行ってみる。
今日は金曜日だが、牡丹は普通に部活に出ている。やっと普通の生活を送れるようになって、牡丹は毎日が充実しているようだ。
その反面、俺はどうしても寂しさを感じずにはいられない。
今もこうしてテニス部の練習終りを見越して牡丹の様子を見に来ている。嗚呼、俺って健気………。
そんな事を考えながらテニスコートに行ってみると、ちょうど1年生たちがボールやネットを片付けていた。その中で、他の部員を助けてテキパキと動く、ひと際目立つ美少女こそ牡丹なのだ。
牡丹は俺の姿に気付くと、手を振りながら駆け寄ってきた。
ちっくしょー!やっぱり牡丹もかわいいぜ!
「よ、牡丹」
俺はそういいながら右手を上げた。
すると牡丹は軽くジャンプをしてハイタッチする。
「ヤッホー!今日はどうしたの?生徒会?」
「まあ、そんなとこ………今日はこれから用事ある?」
俺の問いに申し訳なさそうな表情になる牡丹。
「……実はこれから、テニス部の子たちとお好み焼きを食べに行くの」
「そっか」
「ごめんね!」
牡丹はそう言いながら両手を合わせて俺の顔を見上げる。
「いや、しょうがないよ。部活の人たちと楽しんでおいで」
俺は牡丹の頭を軽くポンポンと叩く。
すると牡丹はにこっと笑ってペロっと舌を出す。
「この埋め合わせは必ずするから!じゃあね!」
牡丹はそう言うと、走って戻って行った。
俺はそのままテニスコートを後にすると、校門を出て駅に向かった。
学校の敷地ってほんと広いな………一人で歩くと、このコンクリート塀が永遠と続くような錯覚に陥るよ。
そんなどうでもいいことを考えながら10分ほど歩いて駅前までやって来ると、俺のスマホに牡丹からメッセージが来る。
何気なく見ると、
『明日11時に駅前で待ってる!必ず来てね!ハート』
こ、これは!?俗にいうデートの誘いなのではないか!?
そうだ、そうに違いない!やっと牡丹と二人きりでデートできるんだ!!
俺はだらしない表情で『わかった!何があっても絶対行く!!』と返信すると、あまりの嬉しさに思わず駅前であることも忘れてスキップをしていた。
いかん、いかん!何百年も人生経験を積んだ俺としたことが、これくらいの事でつい舞い上がってしまった。
俺は立ち止まると、一つ咳払いをして普段の表情を意識する。
ちょうど雑貨店があったので、窓に映った自分の表情をチェックしてみると………全然普段の顔じゃない!
あまりにもデレた顔だったので、窓に向かって普段の表情を作ってみる。
うーむ……。普段の顔を意識して作るのって、意外にムズいかもしれんぞ。
───ん!?
窓の向こう側、雑貨店の中からこっちを見ている人に気付く。
おかっぱ頭に赤色のメガネ………!こ、これは……!?
俺が驚いていると、その人物は店の中から外にさっと出てきて俺の隣までやって来た。
「でた!妖怪座敷童!」
俺はつい口から出てしまった。
「だっ、誰が座敷童ですか!?誰がっ!!」
その人物はノートを胸の前で両手で抱えながら必死に異議を訴えた。
「ああ、誰かと思ったら、何だ宮崎か……」
俺はそう言うと、駅に向かって歩き出そうとする。
すると、宮崎は俺の腕を捕まえて抗議を続ける。
「ちょ!ちょっと待ちなさい!突然人を妖怪扱いして、何も言わずに立ち去ろうというのですか!?」
よりによってまた超面倒な女に会ってしまった。
「そうだな、まぁ、すまなかった。うっかり妖怪と間違えてしまった」
俺は遠い目をしながら棒読みで謝罪した。
すると、宮崎はフフンと鼻で笑いながら言った。
「私にそんな口のきき方をしていいのですか?」
「なんだ?」
俺は途端に嫌な予感を察知した。
「……私は学年トップになるために、常に桜田を監視してその秘訣を探っているのですよ?」
はい出ました、ストーキング発言。大体、テストでトップを取りたかったら俺の周りをうろついていないで、大人しく家で勉強していればいいと思うんだが!?
「そのだらしない顔………その理由だって、私は知っているのですよ?」
「!!!!」
ちっ………この座敷童、何が目的だ!?
俺は宮崎の手を軽く振りほどくと、改めて宮崎と正対する。
「で?背後霊のように付きまとう宮崎が俺に何か用か?」
「本当に口が減らないわね?………まぁ、いいわ。チョコレートパフェで手を打ちましょう」
「は?チョコレートパフェで手を殴られたいのか!?」
「私の発言のどこをどう取ればそんな意味になるのですか?馬鹿ですか?」
いや、単にボケただけだったんだが………こんなガリ勉女に俺のユーモアが通じる訳もないか。こりゃ失礼。
「………まぁいい。そこの喫茶店にするか」
俺は先ほどの雑貨屋の隣に入口がある喫茶店を指した。
「アンタ。私の扱いは本当に適当よね?」
座敷童はそう言いながらも俺の後についてくる。
確かにここから一番近くの喫茶店だから選んだのだが、実はここのコーヒーはかなりうまい。店舗は雑貨屋の地下にあって、コンクリート打ちっぱなしの壁に、いろいろなパイプ類がむき出しになっていて、昔ながらの白熱灯が実にいい雰囲気を醸し出しているのだ。俺は社会人になってからこの喫茶店に入り浸るようになるのだが、さすがに高校生にはこのアダルティーな雰囲気はまだ早かったか。
俺は店の一番奥にある4人掛けのテーブルに座ると、宮崎はおどおどしながら俺の対面に腰掛けた。
すると、店のマスターがグラスに水を入れてこちらにやってきた。
「いらっしゃいませ。ご注文が決まりましたらお呼び下さい」
いわゆるロマンスグレーのマスターは同じ色の髭を蓄え、蝶ネクタイに黒のベスト、腰で縛るタイプのエプロンに革靴という姿が、本当に様になっていて、俺も歳を取ったらこんな中年になりたいと思えるほどかっこよく見える。
案の定、宮崎もマスターの立ち振る舞いにぽーっとした表情で見惚れていた。
「実はこの店にはパフェは置いていないんだけど、コーヒーフロートで良ければそれがお勧めだよ?北海道産のミルクから作ってるバニラアイスが、ここのコーヒーとベストマッチなんだ」
「へ、へぇ~………じゃあ、私はそれでいいわよ……」
何だその驚きの表情は!?俺がこの店の事を知っているのがそんなに意外なのか?
「すみません、マスター。コーヒーフロート1つと、ブレンド1つお願いします」
「畏まりました」
さくっと注文を済ませて正面に視線を移すと、宮崎は相変わらずぼーっと俺を見ていた。こいついつまで妄想の旅に出かけてやがる。
「で!?要件はなんだ!?」
俺の声にハッと我に返る宮崎。
「え?」
「………いや、だから、要件は何だと聞いてるんだが!?」
「あんた、こんな大人っぽいお店にはよく来るの?」
はぁ!?この座敷童、一体、何の話を始める気だ!?特に用が無いならもう帰りたいんだが?
「まあな。こう見えて俺はコーヒーにはうるさいんだ」
大人になったらな………。
「へぇ~、意外……」
宮崎はそう言って俺の顔をまじまじと見る。
「私も試験の追い込みとかで自宅でコーヒーを良く飲むけど、喫茶店に来てまでコーヒーを飲んだことは無いわね」
「………そうなんだ?でも、やっぱりこういう店で飲むコーヒーは全然違うね。炒り方、挽き方、淹れ方でこれほど店によって個性が出るなんて、本当に奥が深い飲み物だと思うよ。コーヒーって」
などと、つい、通ぶった発言をしてしまった。ちょっと一般的な高校生が言うセリフじゃなかったな。
「桜田………」
少し頬を赤らめながら俺を見つめる宮崎こと座敷童。
ヤバイな。いつもとは違う俺の一面を見て惚れちまったか?と思ったのだが、ちょっとでも期待した俺が馬鹿だった。
「あんた、こんな所に通い詰めていて、一体、いつ勉強してんのよ!?」
「………」
所詮、妖怪にはこの店の良さ何てわからんか。
とにかく俺はこんな所にいる場合ではない………と言っても、明日の11時までは特に用事はないのだが……。
「で!?本当にお前が聞きたい事って何なんだ!?」
「そんな事決まってるじゃない………」
宮崎はバカバカしいと言わんばかりの表情をしてから更に続けた。
「私の興味はテストで学年トップを取ることだけ。でも、どんなにあんたを付け回しても全く勉強をする素振りもない………いいえ、それだけじゃない。学校でも全然授業を聞いていないし、ノートも取っていないじゃない。それなのにどうしていつもテストでは満点を取れるの?」
同じクラスでもないのに、どうしてそんな事がわかるのか甚だ疑問ではあるが、あながち間違ってはいないので返す言葉も無い。
返答せずに苦笑するだけの俺を見て、宮崎はさらに続けた。
「そこで私はある仮説を立ててみたの。実はあんた………未来人じゃないの!?」
「!!!」
宮崎の言葉に、今度はこちらが驚く番だった。この座敷童が……まさか、そこまで考えを飛躍させることが出来るとは……!
普通のガリ勉であれば、そんな非現実的なSFっぽい考察なんてするわけがない。だが、このおかっぱ女は、簡単に常識という殻を自ら破って考えを飛躍させた………。
この数百年、他人にタイムリープの事を相談しようと思ったことは一度も無かった。
当たり前だ。そんな相談を他人にした所で、まともに取り合ってくれる者などいないだろう。
でも、この宮崎であれば、相談することも可能なのかもしれない……。
「未来人であれば、テストの出題内容も知っているはずだし、それ以外のこれから起こる事象だって把握していてもおかしくはない……あんたが勉強もせずに遊んでいてもテスト結果が良くて、生徒会だって、何の経験が無くても順調に運営しているのも頷ける……」
こんな非現実的な事を、真面目な顔で話す宮崎に完全に飲まれる俺。そして、これまで宮崎には感じた事が無い感情が芽生えつつあるのを感じはじめる………。
───ん!?ちょっと待て。
俺はここでハッとして正気に戻る。
これは、ひょっとして………もしかすると………宮崎攻略ルートに突入した……のか……!?
いやいや、冗談じゃない!俺にはそんな気はさらさら無い!………はずだが、牡丹ルートも俺の意思に関係なく発生した。もしかすると、このイベントは俺の将来に関係する、めちゃくちゃ重要なイベントになるかもしれないぞ!?
俺の人生をこんな妖怪が握っているのかと思ったら腹立たしい気分になるが、ここはぐっと押さえてこれからの受け答えは慎重に行うべきだろう。
「宮崎、お前、本気で俺を未来人だと思っているのか?」
「コーヒーフロートとブレンドコーヒーをお持ちしました」
え!?このタイミングで?
ふと横を見ると、マスターがコーヒーフロートとコーヒーが乗った銀色の盆を持って佇んでいた。
「コーヒーフロートのお客様……」
「はい、私です!」
マスターの言葉に食い気味で返事をする宮崎。そんなに焦らなくても誰もお前のコーヒーフロートを取らねーよ。
宮崎の前にコーヒーフロートと、紙ナプキンの上に長いスプーンとストローが置かれ、自動的に俺の前にはブレンドコーヒーが置かれた。
マスターに『俺を未来人だと思っているのか』というセリフを聞かれたかな?ここだけを聞かれると、俺が物凄く痛い少年だと思われる危険があるんだが………。
宮崎はそんな俺の心配をよそに、コーヒーフロートに舌鼓をうっていた。
「わあ、これ、本当においしい!」
大喜びで夢中になる宮崎。
あそ。本当によかった(遠い目)。
俺は取っ手が付いたステンレス製のミルク入れを手に取ると、コーヒーに適量を流し込んだ。
余談だが、ミルクはコーヒーに甘味を与えるものでは無い。コーヒー特有の酸味や苦味を和らげ、コクを与えるためにあるのだ。店によってコーヒーもミルクも異なるため、必然と店ごとに自分にとってベストのミルクの量も違ってくる。このように、自分好みの味を探求してみるのも喫茶店の醍醐味なのであるが、市販のミルクポーションをポンと出す喫茶店に当たった時の切なさたるや、理解してくれる人が何人いるだろうかっ!?俺はコーヒーを売りにする店は、ミルクにもこだわりを見せて欲しいと切に願わずにはいられないのだ!!
「どうしたの?怖い顔して……?」
宮崎が不思議な顔で聞いてきた。
ああ、つい一人で熱くなっていたようだ。
俺はコーヒーを一口啜る。うん、うまい!
これでかなり落ち着くことが出来たので早速本題に入った。
「………さて、宮崎。俺の未来人の話だが……」
すると俺の言葉を遮るように宮崎が口を開いた。
「そんな訳のわからない話よりもさぁ……」
はあ!?元はと言えば、オメーが始めた話じゃねーかよ!!
俺は心の中で叫び、妄想の中で目の前のおかっぱ頭をバリカンで丸坊主にしてやると、息を整えるため再びコーヒーカップに口をつける。
「………ぶっちゃけ、あんた、扇谷と付き合ってんの?」
「ぶほぉ!ゲホゲホ!」
俺はコーヒーを吹き出しそうになるのを必死に止めたが、咽るのは抑える事が出来なかった。
ゲホゲホと咳をする俺に、呆れ顔で紙ナプキンを差し出す宮崎。
「どうやら図星のようね?」
宮崎のメガネがキランと光った気がした。
俺は無言で紙ナプキンを受け取ると、すぐに口に当てうずくまって咳が止まるのを待った。
宮崎はそんな俺を上から見下すように両腕を組み話を続けた。
「私はいつも、必死に学年トップを目指して努力しているというのに、あんたは、ちゃらちゃら遊んで、随分余裕があるのね?」
怒りを抑えているような話し方に聞こえたので、恐る恐る横目で宮崎を見ると、業火に包まれた悪魔が今にも暴れ出そうとしているように見えた。
ひぃ!完全に怒っている!怒りだすポイントはさっぱりわからんが、少なくとも今は間違いなく怒っている!
「そもそも学年トップ、いいえ、校内トップを狙っている私達が、恋がどうとか、喫茶店がどうとか、そんな事を言ってる場合じゃないの!私達は常日頃から勉強のことだけを考えていればいいのよっ!!」
ガタンと音を立てて立ち上がると、ビシッと俺を指さして更に続ける宮崎。
「そうじゃないと、倒し甲斐が無くなるじゃない!常に圧倒的な成績で頂点に君臨するあんただからこそ、私も燃えてくるのよっ!くだらない事に現を抜かしている場合じゃないの!目を覚ましなさい、桜田!」
勝手にライバル視されて説教を受けている訳だが、いやほんと迷惑極まりない。俺は何百年も生きている中で、高校生活の大切さを誰よりも知っている。
従って、この時期にしか体験できないことや、やっておくべきことが多々あることも知っている。これらを積極的にやって行かないと、大人になってから必ず後悔することになるのだ。
青春なんて、長い人生の中ではほんの一瞬でしか無い。後悔を持ち越すなんてまっぴら御免だ。
俺は顔を上げて真面目な表情で正面から宮崎を見る。そして、たった一言だけ言った。
「俺は自分がやりたいようにやる。以上」
俺は伝票を持って席を立った。
「宮崎、お前も後悔しないように自分がやりたい事をやればいい………その第一歩として、先ずは目の前のコーヒーフロートをゆっくり味わえばいい」
俺はそう言うと、二人分の会計を済ませて店を後にした。
勉強なんて、結局は自分を助けてくれることは無い。
ここぞと言うときは、常に『人間力』が必要となるのだ。ちなみに人間力とは、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力のことだ。
人間力を養うには、自分自身が実際にいろいろな体験をして、肌で感じ取るのが一番良いのだ。何百年も生きている俺が言うのだから間違いない。
宮崎もこれをきっかけに、視野を広げてくれればいいのだが………まぁ、無理か。
俺は帰りの電車の中でそんな事を考えていたが、すぐに小難しい思考をシャットダウンすると、明日のデートの事を考え始めるのだった。
俺は駅構内の出入り口付近でボーっと自分のスマホを弄っていた。
もうかれこれ30分ほどそうしている。
そして、おそらく、あと30分ほどこうしているだろう。
そう、俺は10時からここに立っているのだ。
駅の改札を出た先にある丸い柱に寄り掛かりながら、約束の時間を心待ちにしていた。
学生時代にあまり人と待ち合わせをした経験が無く、それが女子ともなれば、約束の時間の何分前に到着するのが正解なのかわからんのだ。
これが社会人であれば3分前くらいがちょうど良い。
よく5分前とか、10分前とか言う人もいるようだが、例えば約束の時間に取引先の会社を訪問する場合、相手は約束の時間に合わせて全ての予定を調整する。
会議室の予約一つとってもそうだ。10時にアポを取ったのなら、会議室は10時から押さえるのが普通なので、あまり早く訪問するとまだ相手は準備が出来ていないので迷惑をかけることになる。
これが3分前であれば、受付で担当者を呼んでもらい、挨拶を交わして会議室へ向かえば丁度約束の時間になるのだ。
しかし、これが初デートの待ち合わせとなると話は別だ。
相手はもしかするとデートを楽しみにしていて、15分前から待っている可能性だってある。男子たる者、女を待たせるなど言語道断だ。それよりも早く待っていた方が良いだろう………しかし、『それ』とは何時に設定すべきか?
30分?40分?………などと考えていたら、最終的には1時間前であればさすがに大丈夫だろう。という見解に落ち着いたのだ。
そういう訳で、俺はもうかなりの間、この場所で牡丹を待っているのだ。
途中、自販機でジュースを買ったり、トイレに行ったりしている間に牡丹が現れたら、先に到着して待っているという行為が無駄になってしまう。………なので、俺はここから一歩たりとも動くことは出来ないのだ。不撓不屈の精神とはこのことだ。
まぁ、実際はそんなに大袈裟なものでもなく、これからの行動プランとかを考えながらスマホで調べたりしていたので、時間の経過とスマホの電池の消費は思っていたよりも早かった。
ふと気づくと、あと5分で11時だ。
俺はスマホをポケットに入れると、改札を注意深く見る。
ちょうど駅に電車が到着したようで、何人もの客が改札を抜けて来る。
その中で、ひと際目を引く者がいた。
トップスは白地のプリントTシャツに赤のタータンチェック柄のネルシャツを合わせ、ボトムスはインディゴブルーのスキニージーンズに、白のミュールという、変にオシャレをする訳でもない恰好だが、これをさり気なく着こなすのは逆にすごいと思う。
実際、彼女とすれ違う男どもは、例外なく振り返っているのがその証拠だ。
彼女こそ、扇谷牡丹、その人だった。
牡丹はそんな奴らには気にも留めず、白ベースのトートバッグを肩に掛け、俺に気付いたのか、手を振りながらこちらに向かって駆けてくる。
可愛いというよりも、かっこいいと言う方が合っているだろう。マジでその辺のモデルよりも遥かに上を行ってるレベルだ。
俺はいつものように右手を上げると、牡丹は軽くジャンプをしてハイタッチしてくる。
「イェーイ!待った!?」
満面の笑顔で俺を見上げる牡丹。
こんな表情をされたら惚れない男はこの地球上にはいないだろう。………だが、俺以外に牡丹を惚れる奴がいたら、俺がそいつを抹殺する。
「俺もちょうど今来たとこって事にしておこう」
「おっ!?相変わらず優しい男だねぇ!」
牡丹はそう言うと、俺の腕に自分の腕を絡めてくる。
「さあ、記念すべき初デート!張り切って行きましょう!」
片手を元気よく上げ、俺の腕を引っ張って歩きはじめる牡丹。
ちょ!俺の腕に牡丹の張りのある胸がぐいぐいと押し付けられているんだがっ!?何このご褒美タイムはっ!?
……全く、こっちが緊張しているのも知らずに、いつも通りマイペースな奴だな。
俺は苦笑しつつ、二人揃って駅を出てすぐの交差点で信号待ちをする。
おいおい牡丹さん。そんなに密着されると、俺のバクバクの心臓音がそっちに伝わるだろ!………って、あれ?これは?………俺のじゃ………ない!?
ふと横を見ると、頬を赤らめた牡丹が上目づかいで俺を見ていた。
「ねぇ………あたしの鼓動………伝わる?」
ポ──────ッ!!!!
たぶん俺の頭からは大量の蒸気が噴き出した事だろう。これを世間ではSL現象と呼ぶ。え?呼ばない?
まぁ、とにかく、俺は顔を真っ赤にしながら、この数百年の中で、一番の幸せを噛みしめていた。
「だぁあああ!マジで俺の人生最っ高だあっ!!!」
俺は抑えきれない感情を爆発させた。心の底からそう感じたのだ。
次の瞬間、目の前がブラックアウトした。
完全なる闇。
音もなく、色もない世界。
そして、何とも言えない浮遊感が襲ってくる。
ああ、この感覚………久しぶりだ………。
これこそが俺の特殊能力───『タイムリープ』が発動したんだ。
これまで幾度となく体験してきたタイムリープ。その時の感覚と全く同じだ。
つまり俺は、牡丹との初デートを抗う事が出来ない神の力で強制終了された挙句、6歳の誕生日の朝に戻って来たという事なのだ。
恐らく、目を開けると丸い蛍光灯がこの目に飛び込んでくるはずだ。
両親が離婚した次の日の朝。
そして、俺の6歳の誕生日の朝だ。
俺は全てを把握した上で、布団から出ると襖を開けて居間にいる母にしがみ付くのだ。
この時、俺たち親子は決意する。俺たちを捨てた父を見返すために必死に生きる事を!そして、必ず幸せになる事を!
何度だってやり直す!そして、何度だって這い上がる!
俺はそんな決意を胸に秘めて目を開いた。
「………」
周囲を見渡してみる。
『……ここは………どこだ……?』
そこは全く見覚えのない場所だった───。