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タイムリープも楽じゃない!  作者: らつもふ
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タイムリープも楽じゃない!?

 この町に来るのは2回目だけど、相変わらず坂が多く、入り組んでいてすぐに迷子になる。

 高低差があるせいなのか、単に田舎だからなのかは知らないが、スマホの地図アプリで、自分の位置情報が正確にMAP上に表示されないのだ。

 その後もぶつぶつ言いながらもかなり迷いはしたが、何とか例の竹林まで辿り着いた。

 辺りは暗くなっており、かなり不気味だ。

 どうしてこういう場所って、今まで聞いたことが無いような異音が聞こえてくるんだろう?

 などと考えながら、細い坂道を進んで行く。

 すると、遂に現れました。雰囲気満点の洋館が。

 そこは俺の目的地ではあるのだが、どうしても気が引けてしまう。

 そういえば『金曜日は用事があるから二度と家に来るな』と、牡丹に強く言われていたんだっけ。

 それなのに、舌の根も乾かない内に、また金曜日に来ることになってしまった。

 こんな事だったら、牡丹の携帯番号を聞いておけば良かったな。

 

 俺はゆっくりと玄関に回ると、呼び鈴を押す。

 ピンポーン、ピンポーン──。

 「……」

 やはり誰も出ない。

 もう一度押す。

 ピンポーン、ピンポーン──。

 ピンポーン、ピンポーン──。

 「……」

 試しにドアノブに手を掛けると、ギギギ……と小さい音を鳴らしながらドアが開いた。

 正直、俺は困惑している。

 鍵がかかっていれば俺だってすぐに諦めもつく。なのにどうしてこの家はいつも鍵を掛けていないのだろう?これじゃあ、入って下さいと言わんばかりじゃないか。

 だとしても、前回のように勝手に玄関に入ると、また怒られるだろう……。

 とりあえず玄関を覗いてみる………が、やはり誰もいない。

 また上の階にいるのだろうか?などと考えながら左にある階段の先を見つめてみる。

 考えてみれば、呼び鈴って上の階に居たら聞こえない事があっても不思議じゃないよな……だったら、とりあえず玄関までお邪魔して、そこから大きな声で呼んでみれば気付いてくれるんじゃないか?

 俺は都合がいいように現状を解釈すると「すみませーん」と言いながら玄関に入った。

 玄関ホールは白熱電球の淡い明かりに照らされていたが、階段から上の階は真っ暗でほとんど何も見えなかった。

 俺は人を呼ぼうと、息を大きく吸ったその時──。

 「きゃぁああああ!」

 突然、この洋館内に女性の悲鳴が響き渡った。

 この声は………間違いない!牡丹だ!

 こんな悲鳴を上げるなんて、ただ事じゃないはずだ!

 俺は靴を脱ぐと、反射的に階段を駆け上がり、悲鳴の発信元と思われる2階に向う。

 2階ホールは薄暗く、微かにドアがどこにあるのかわかる程度の明るさだった。

 「うううぅ……」

 牡丹の呻き声が断続的に聞こえてくる。

 俺は声のする方向を探りながら暗い廊下を歩く。その都度、ミシミシと床が軋む音が鳴る。

 すると、ドアと床の隙間から僅かに明かりが漏れている部屋があった。

 間違いない。この部屋だ。

 俺はドアノブを掴み、一拍おいて覚悟を決めると、ゆっくりとドアを開けた。

 

 「!!!!!」


 なんだ!?ここは……!?

 一瞬、俺は自分がどこに迷い込んだのか理解できなかった。

 部屋は薄暗く全体像はよくわからなかったが、それほど広い部屋では無い。たぶん、10畳ほどの洋間だろう。

 照明は点いていなかったが、部屋には天蓋付のパイプベッドが置いてあり、その両脇にあるサイドボードの上には燭台があり、ロウソクの灯りがぼんやりと周囲の様子を浮かび上がらせていた。

 そのベッドの上には裸の少女が仰向けの状態で寝かされており、ロウソクのオレンジ色の炎は美しい肢体を淡く照らし出していた。

 だが、少女の両手には重厚な手錠がそれぞれに嵌められ、不気味にロウソクの光を反射しており、そのもう一方をベッドの支柱に固定され、少女は身動きが出来ない状態となっていた。

 その手錠をされた両手首からは、手錠を嵌められてからも抵抗を続けたからだろうか───手錠が肌に喰い込み血が流れていた。

 更に視線を移していくと、大きくはないが形が整った胸、さらに腰から足にかけてしなやかに曲線を描くその姿は、ロウソクの灯りによる陰影が妖艶さを醸し出し、まるで絵画を見ているような感覚であった。

 だが、良く見ると手首以外にも、その体にはアザやうっ血している箇所があり、少女にただならぬ事が行われていた事が伺えた。

 その少女の足元には、痩せた男がパンツ一枚の姿で、今にも少女に覆い被さろうとする体制で座っていた。

 あの男は!───牡丹の父親!

 だとすると……ベッドで手錠に繋がれた少女は……もしや……!

 くせ毛でショートカットの少女は無表情で涙を流しながら、ふとこちらに顔を向けた。

 俺は動けなかった。

 ただただ茫然と少女をみつめていた。

 牡丹の父親は俺の姿に気づくと、大声で怒鳴った。

 「おい!どうしてお前がここにいる!?」

 だが、俺は少女から視線を外すことができなかった。

 「牡丹………」

 俺は小さくつぶやくと、自然と涙が溢れてきた。

 ガチャリと手錠がパイプベッドと擦れる鈍い音が部屋に響く。

 手首の傷………リストバンドで隠されたその傷の本当の原因はこれだったのか……。

 牡丹は俺と視線を合わせたまま何も言わず、ただただ涙を流していた。

 よく見ると、牡丹の体は小刻みに震え、噛みしめた唇には血が滲んでいた。

 「聞いているのか!?ここから出ていけ!」

 パンツ姿で白髪交じりのオールバックの男が、怒鳴りながら俺に近づいて来る。

 ──毎週金曜日、牡丹が早く帰宅していたのは、このためだったというのか!?

 ──自分の父親にその身を捧げるために……!自分の父親の欲望のままに……!

 ──……どうして……どうして、父親が自分の娘にこんなひどい事が出来るんだ!?

 ──それなのに牡丹は、学校ではそんな素振りは見せず、気丈に明るく振る舞っていた!

 俺は怒鳴りながら近づいてきた父親を、思いっきり殴り飛ばした。

 これまでの長い人生で、他人に対してこれほどの怒りを感じたことは無かった。まして、人を本気で殴ったのも初めてだった。

 「それでも……それでもあんたは父親かっ!?」

 俺は泣きながら叫ぶと、更に父親に馬乗りになり殴りつけた。

 「やめて!」

 部屋に響く牡丹の声。

 俺はその声に手を止めた。だが、父親から目を離さずに言った。

 「でも、こいつが……!こいつだけは……絶対に許せない!」

 そう言うと、俺は渾身の一撃を食らわそうと、大きく腕を振り上げた。

 俺には父親はいない。だから父親は強くて優しいものだと、そう、俺は思っていた。

 そんな父親が……実の娘にこんな事をするなんて!それが父親なのか!?

 「もう止めてっ!!」

 先ほどよりも大きな声で叫ぶ牡丹。

 その声にビクッと反応して俺は動きを止める。

 そして、振り上げた腕をゆっくり降ろすと、床に落ちていたシーツを拾い上げ、裸の牡丹にそっと被せた。

 「牡丹……本当にいいのか?」

 俺はベッドの横で跪くと牡丹の唇に滲んだ血を拭ってやる。

 牡丹は軽く頷きながら口を開いた。

 「……こんな人でも、あたしの父親よ……」

 その言葉に俺はショックを受けた。

 こんなひどい事をする親を親と呼べるのか?───否!断じて否だ!

 だが、牡丹は穏やかな表情で俺を見つめると、揺れるロウソクの灯りの中、つぶやくように言った。

 「ありがとう」

 俺はこの一言で悟った。

 ここで俺が暴れても、何一つ問題は解決しないし、牡丹を救う事も出来ないのだと。

 「ごめん……」

 俺はそれだけしか言えずに立ち上がると、よろよろとドアに向かう。

 「いてて……勝手に人の家に上り込んで暴力を振るう……お前は何様だ!?訴えてやるぞ!」

 牡丹の父親が、俺に殴られた顔を押さえながら怒鳴る。

 俺はそれには反応せずに、そのままドアを閉めると、家を飛び出した。

 

 暗い竹林の道を走りながら、俺は牡丹のことを考えていた。

 牡丹が俺に言いたかったことって、この事だったんじゃないか!?

 あの時、校門のそばであいつが転んだ時───手首の傷をわざと俺に見せたんじゃないか?俺に異変を気付いて欲しくて……。

 そして、何度も俺に相談しようとしていた。

 「それなのに!!俺は……!」

 俺はその時、大西さんの事しか考えていなかった。自分のことしか考えていなかった。

 もっと………もっと早くに気付いてあげる事ができたら……そうすれば何か事態は好転していたのだろうか?

 少なくとも、牡丹の期待には応えることは出来たのかもしれない。

 俺は自分の行動を悔いた。

 自分の考えに悔いた。

 自分の人生に悔いた。

 俺は電車に揺られながら、牡丹の事で頭が一杯だった。

 もう生徒会長なんて、どうでもよかった。

 牡丹がこれから幸せになるには、どうすればいいのかだけを考えた。

 俺は初めて自分のためではなく、他人のために幸せを祈った。

 

 

 月曜日早朝。

 俺は重い足取りで学校に向う。

 土日はほとんど自分の部屋から出ず、ベッドの上で一日を過ごしていた。

 夜も眠いのに寝れない状態が続き、体が鉛のように重い。

 人の気持ちは脳で考えるものだが、何故か心臓が締め付けられて息苦しくなる。

 大西さんのこと、会長選挙のこと、そして、なにより牡丹のこと───俺は、その全てを失いかけていた。

 だが、逃げる訳にはいかなかった。

 だって、その全てが俺自身に問題があり、責任があるのだから。

 それはわかっている。わかってはいるが、そう簡単に前向きな気持ちに切り替えられたら人間苦労はしない。

 俺は遅刻ギリギリで教室に入ると、牡丹の席に視線を移す。

 ──いた。

 あいつはいつも通り、明るい表情でクラスメイトと談笑していた。そしていつもの白いリストバンドが目に飛び込む………。

 その瞬間、心臓がズキンとする。

 俺は無意識に右手で左胸を押さえながら、うつむき加減で牡丹の席の横を通り過ぎようとすると、一瞬、牡丹と目が合う。

 すると、あの時の涙を流した牡丹の顔がフラッシュバックし、俺は咄嗟に目をつぶった。

 その時「桜田!」と俺を呼ぶ声がした。

 「!!!」

 俺はビクンと体を震わせて我に返ると、目を開けてゆっくり声の方向を見る。そこには、大西さんが心配そうに立ち上がってこちらを見ている姿が飛び込んできた。

 そりゃあそうだろう。あれだけ大見栄を切っておいて、結局、俺は生徒会長に立候補しなかったんだから。

 大西さんの悲しむ目、不安な目、哀れむ目、落胆する目、そんな何とも形容しがたい眼差しが俺を射抜き、俺はそれから逃げるように視線を背けると自分の席へ早足で向かおうとする。

 すると、牡丹が急にガタンと立ち上がって俺の腕を掴むと、そのまま強く俺を引き寄せて耳元でささやいた。

 「今日のお昼休み、時間ある?」

 いつもとほとんど変わらない声。

 牡丹……お前は強いな、と俺は素直に思う。

 あんな事があったのに………あんな現場を見られたのに………俺と真正面から向き合おうとするなんて、ほんとすごいよ。それなのに俺ときたら、うじうじ考えてばかりだ………。

 「ああ、いいよ。また後でな」

 俺も男だ。ここで逃げる訳にはいかない。俺と牡丹の時間はあの時のまま止まっているんだ。

 お互いの時間の針を動かすには、ちゃんと向き合って話さなければいけないんだ。

 俺は自分の席に座ると、まだ俺の方を見ている大西さんに気付く。

 だが、俺はそれには反応せず窓の外を眺めた。

 今の俺は、大西さんとか生徒会とか、そんな事を考える余裕はなかったのだ。

 

 そして昼休み。

 俺と牡丹は校舎の屋上にいた。

 普段は一般生徒の屋上への出入りは禁止されているので、二人きりで話をするには都合が良い場所だった。

 転落防止の鉄柵から校門の方向を眺める。

 しばらくどちらも黙ったままだったが、俺が先に口を開いた。

 「牡丹……大丈夫なのか?」

 この『大丈夫』にはいろいろな意味合いを込めたつもりだ。

 牡丹は屋上で秋晴れのさわやかな風を受けながら軽く頷く。

 「あたしの両親ね、あたしが小さい時に離婚してさ、あたしは父に引き取られることになったんだ。でも、父はまだ母のことが忘れられなかったみたい。ある時、父が一人で涙してるのを見てさー、あたし、どうしてあげればいいのかわからなくて、そっと抱きしめてあげたんだ」

 「うん……」

 「そしたら父もあたしを抱きしめてきて泣いてた。あの厳格で口うるさい父が、その時はすごく小さく見えてさー、何だかあたしまで悲しくなって二人して泣いたの」

 「うん……」

 「その時から父との関係が急接近して、中学3年生の頃からだんだん父のあたしに対する行動が過激になってきてさー」

 「うん……」

 「でも、あたしは父に養われている訳だし、父の寂しさはあたしも理解できる……というよりも共有できたって感じかな。父とのあんな関係は本当に嫌だったけど、これで父の寂しさが紛らわせるのなら……今の生活が保たれるのならって、自分を偽って今まで耐えてきた。でも……」

 そういうと、牡丹は俺を正面から見て言葉を続けた。

 「高校入学初日に桜田……キミと出会った」

 「え!?俺と?」

 「そ。キミと。………あたし、キミに怪我をさせちゃったじゃない?これから新入生代表の挨拶があるって大事な時に」

 「ああ、でも俺は全然平気だったぞ?」

 「そう、キミは平気だった……」

 牡丹は笑みを浮かべ、自分のくせ毛を指でくるくるしながら続けた。

 「包帯で頭をぐるぐる巻きにされた直後に、檀上に上がったにもかかわらず、堂々と淀みなく挨拶をしたキミの姿は輝いていた。周囲の人達はキミの頭の包帯を見てざわついていたけど、あたしにはそれがカッコ良く見えた」

 「それって……」

 「そ。あたしね………キミに恋しちゃったの」

 頬を少し赤らめて俺を見る牡丹。

 俺はドギマギし、自分の心臓の音で鼓膜が破れるんじゃないかと思うくらいだった。

 「でも……」

 と言いながらうつむく牡丹。

 「キミを好きになればなるほど、父との関係で悩み、胸が苦しくなった。あたしは父のことを話したかった。全部ぶちまけたかった。そうしたらどんなに楽になるだろうと………でも、怖かった。話すと嫌われるかもしれない………こんなに汚れてしまったあたしなんて、一体……一体誰が───!!」

 牡丹の瞳から大粒の涙がこぼれると、嗚咽で言葉が続かなかった。

 俺は無言のまま牡丹の両肩に手を置いた。

 この細い体で、今までどれほど辛い経験をし、どれほど自分の心を偽って元気に振る舞ってきたのかは、俺にもわからない。

 だが、たった一つ言える事は、今、牡丹を救えるのはこの俺だけだ。

 牡丹の全てを理解した上でそれを受入れ、彼女を守ることが出来るのは俺だけなのだ、と本気で考えていた。

 俺は肩に置いた手を引き寄せると、そっと牡丹を抱きしめた。

 「牡丹。お前は俺が守る。そして、今度お前と一緒に父親と話がしたい」

 「桜田……!」

 牡丹は俺の背中に手を回すと、きつく抱きついてきた。

 そうだ。

 もう彼女が抱きしめるのも、抱きしめられるのも父親ではない。俺が───。

 二人はしばらくの間、屋上で抱きしめ合っていた。

 

 

 放課後。桜田宏太は生徒会室へ向かっていた。

 だが、その足取りは重く、表情は暗かった。

 それもそのはず、『生徒会長に俺はなる!』と宣言したのに、立候補の手続きすらしていないという、最悪な結末を迎えてしまった会長選挙。生徒会のメンバーには全く会わせる顔が無いのだった。

 そうこうしている内に、生徒会室の前まで来てしまう宏太。

 実は、ここに来る前に、宏太は牡丹に全てを話した上で相談に乗ってもらっていた。

 生徒会で会長になると宣言したこと、推薦責任者を牡丹に書いてもらったのに提出できなかったこと、あの時牡丹の家に行った理由、絶対戻るといいながら生徒会に何の連絡もしなかったこと………全てを正直に話した。

 すると牡丹はため息交じりに言った。

 「あんた、馬鹿?しっかり皆に謝ってきなさいよ。てゆーか、あたしにも謝って!」

 牡丹に相談に乗ってもらうはずだったのだが、怒らせた挙げ句、謝り倒す羽目になったのだった。

 宏太は決心したように顔を上げると、勢いよくドアを開けた。

 するとカウンターには大西さんがいた。

 すぐさまカウンターに駆け寄ると、小声で話しかける宏太。

 「大西さん……みんなは?」

 「会長も含めて、全員揃って後ろで会議中」

 背後にあるホワイトボードの方を親指で指して答える大西。

 「……だよね」

 宏太は力なく返答すると、恐る恐る会議スペースへ足を運ぶ。

 その後ろから大西が宏太の背中を押すようにせかす。

 「お、おつかれさまでーす」

 宏太はか細い声で姿を現すと、福島が勢いよく椅子の上に立ち上がって息巻いた。

 「桜田ぁ!よくぞ私の前にのこのこと姿を現すことができましたね!?」

 両手をポキポキ鳴らしながら「フヘヘヘ」と不気味な笑い声を上げる福島。

 「本っっ当に申し訳ありませんでしたっ!どうしても外せない用事がありまして!」

 宏太は深々と頭を下げる。

 それを見て、秋田副会長が声をかける。

 「もうわかったよ。桜田。大事な用事があったんならしょーがないよ。でも、連絡くらいはすべきだったね」

 「はいっ。重ねて申し訳ありませんでしたっ」

 宏太は更に深く頭を下げた。

 「どお?次期会長もこんなに反省してるんだから、許してあげたら?福島ちゃん?」

 秋田に言われたら、福島も引くしかない。

 福島は「わかりました」と言いながら椅子に座り直すと、宏太に着席するように促す。

 宏太は恐縮したまま椅子に腰かけると、その隣に大西も座った。

 それを見て山口は話を始めた。

 「では、以上をもって次期会長の話しは終わりとする。書記はこの内容をまとめた上で先生に伝えてくれ」

 「はぁい。わかりましたぁ」

 山形が答える。

 そこで宏太が戸惑いながら手を上げる。

 「すみません。次期会長の件はどのようになったのでしょうか?」

 すると秋田が笑いながら答えた。

 「えー!?さっき言ったじゃない?聞いてなかったの?」

 「そ、そうですか?……すみません。聞き逃しました」

 宏太は肩を落とす。

 それを見かねて、隣の大西が宏太の袖をつんつん引っ張りながら言った。

 「桜田。あなたが次期会長として、山口さんの推薦で選ばれたのよ。それをさっき、ここで生徒会全員に確認して全員一致で承認されたの」

 「ええ~!?本当!?」

 宏太は驚いて大西の手を両手で掴みながら大西に迫った。

 「ち、近い……」

 大西は顔を赤らめながら宏太を押し戻す。

 宏太は我に返って大西の手を離すと「ご、ごめん」と謝る。

 「うん……大丈夫」と大西もそれに答える。

 山口はそれをみて微笑みながら口を開く。

 「実は、生徒会長の候補者申込みが一人もいなかったんだ。これを受けて、生徒会の中から会長の推薦枠ってことで一名選んだのが桜田って訳さ」

 「そ、そうだったんですか……」

 宏太は全身の力が抜けて、椅子の背もたれに寄りかかる。

 「桜田……」

 福島が畏まって口を開いた。

 「本来であれば、年長で生徒会の経験も長い私が会長をすべきなのに、入学してまだ半年の桜田に押し付けるような形になり、本当に申し訳ないと思っています」

 「福島先輩……俺は別に……」

 「いいから言わせて下さい。じゃないと、私が先に進めないから……」

 福島はそう言うと、胸の前で手を組みながら話を続けた。

 「私は何度も桜田に『あたしが会長をやる』って言おうとした。でも言えなかった。自信が無かった。でも、それは桜田だって同じはずなのに、それをわかっていたのに、先輩と呼ばれているのに……言えなかった」

 福島の気持ちは、その場にいる全員が痛いほどわかっていた。

 「私は人の上に立って皆を引っ張って行けるような人間じゃない───それを理由に自分から逃げていたのかもしれない。自分自身に勝手に限界を決めていたんだと思う。でも、これからは、山口さんや秋田さんが守ってきたこの生徒会を、微力ながら自分なりに全力で支えていきたいと思います。だから、桜田。後ろは私たちが守るから、あなたは前だけを見てこの生徒会を……いえ、この学校をより良いものにするために頑張って欲しいです」

 福島の心の訴えに強く頷くと、宏太は立ち上がって大きな声で言った。

 「俺………私、桜田宏太は、生徒会長として全身全霊を持って、その任を果たすことをここに誓います!」

 この宣言に対して、全員が割れんばかりの拍手を持って応えた。

 宏太は福島の隣りまで歩いて行くと、右手を差し出した。

 「……だから、これからもよろしくお願いします。福島先輩!」

 福島はその言葉に瞳を潤ませながら立ち上がると、力強く宏太の手を握り返す。

 それを見て、大西もその場に歩いていくと、笑顔で二人の手の上に自分の手を置いた。

 「私も副会長として全力でサポートします!一緒に頑張りましょう!桜田会長!福島先輩!」

 この大西の行動に、全員がその場に集まると、次々に自分の手を重ねていく。

 そして、全員何かを期待した笑顔で、一斉に宏太へ視線を向ける。

 宏太は照れた表情で少しはにかんだが、すぐにキリっとした表情に切り替えると、大きな声で叫んだ。

 「よっしゃー!新生生徒会!これからみんなで頑張って行くぞー!」

 「「おおーっ!!」」

 全員で重ねた手を天に向かって挙げながら声を上げて応えた。

 その誰もが笑顔が輝いていた。

 今、生徒会は一つになった。

 

 

 宏太が正式に生徒会長として任命されるには、更に一週間の時間が必要であった。

 と言うのも、教職員とPTAの一部が、まだ入学して半年しか経っていない1年生に、生徒会長が本当に務まるのか?という点が問題視されたのだ。

 その間、生徒会室はピリピリした空気が流れ、山口会長や秋田副会長も毎日、顔を出して結果を待っていたのだが、正式に承認されたとの報告があった時は全員でバンザイをしたのだった。

 承認されたポイントとしては3つあり、一つ目は現生徒会長からの推薦であること、二つ目は生徒会全員で会長をサポートすると誓ったこと、三つ目は宏太自身が新入生の中では一番成績が優秀であったことがあげられた。

 宏太はこれを機に、生徒会にある程度の自治権を学校側へ認めさせるべく、全校生徒に呼びかけると共に、教職員とPTAに対してどんどん要望をあげていこうと考えていた。

 その手始めに、まずは部費の管理を生徒会で行うべく活動しようとしていた。

 現状では、部費に関する情報がほとんど開示されていない事から、部費がスポーツ系のある部活に偏って配分されていても、全貌が全く把握できないのであった。

 新生生徒会はこのブラックボックスにメスを入れるために、アピールを続けようと考えていた。

 「それにしても、やる気満々ですね。新しい会長さんは」

 福島副会長がコーヒーを淹れながら、ここにはいない宏太の事を言う。

 「ですね。おかげで私たちも毎日忙しいことになってますよね」

 大西副会長もプリントアウトされた資料を見ながら同意する。

 福島は頷くと、更に口を開いた。

 「私はあと一年、桜田を一人前にするために全力でサポートします。それが生徒会のためにもなるだろうし、何よりも私自身がそうしたいのです」

 福島は体は小さいながらも、ハートは熱い人物のようだった。

 「私も先輩には負けませんよ。だって、桜田が会長になると思ったから私は副会長になったんですから」

 「へー。やっぱりそうだったんだ」

 福島はコーヒーを大西に手渡しながらその顔を覗きこむ。

 「……バレてましたか?」

 コーヒーを受け取ると、頬を赤らめる大西。

 「そりゃわかりますよ。あの時の──生徒会役員を決めた時の大西ちゃんは、桜田を助けたいという気持ちが全身から滲み出ていましたから」

 「恥ずかしいです……」

 そう言うと、大西はうつむき加減にコーヒーを啜った。

 そこへ、話を聞いていた宮崎が割って入ってくる。

 「私は桜田を打ち負かすために生徒会に入りましたけどね!」

 宮崎はポキポキと指を鳴らしながら続けた。

 「今度の中間テストでは、私が必ず学年1位になります!そのためには、どんな手段を使ってでも……」

 「宮崎、怖すぎ!」

 三人の女子はお互いを見て笑いあった。

 何にせよ───福島は窓の外に視線を移して思った。

 打ち込むことがあるっていうのはいいことだ。だって、今私たちが打ち込んでいる事は、まさに今しかできないことなんだから。

 生徒会も、そして……恋も。

 

 

 宏太は職員室の一画で山形とノートPCに向っていた。

 「山形さん、すみません。つき合わせてしまって……」

 宏太が両手を合わせて山形に謝る。

 「大丈夫ですよぉ。わたしぃ、一応書記ですからぁ」

 「そう言ってもらえると助かります」

 二人はPTAに提出する書類を教師に添削してもらっていたのだが、少し内容を修正することになり、ノートPCを職員室に持ち込んで書記の山形と二人で修正作業を行っていた。

 本来であれば宏太が一人でノートPCを使って修正した方が早いのだが、それでは書記としての山形の立場が無いし、早く書記としての仕事にも慣れてもらう必要があったのだ。

 そんな山形は悪戦苦闘しながらも、無事、資料の修正をやり遂げた。

 「山形さん、お疲れ様でした」

 「お疲れ様でしたぁ」

 山形はニコッと笑顔を見せると、椅子の背もたれに体を預けて「うーん」と言いながら、大きく伸びをした。

 すると、ふくよかな胸が強調され、目のやり場に困る宏太。

 「あ、あの……山形さん」

 宏太は一人焦って山形に何か話題を振らなきゃ思って質問した。

 「山形さんって、今更ですけど、どうして生徒会に入ったんですか?」

 すると山形は伸びを止めて「うーん、そうですねぇ……」と言いながら制服を正すと更に続けた。

 「わたしってぇ、運動が苦手じゃないですかぁ?」

 「そ、そうなんですか……」

 自分から話題を振ったものの、この手の喋り方に慣れていない宏太は、若干引き気味で話を聞いていた。

 「でもぉ、こう見えてぇ、書道って8段なんですよぉ」

 「へぇ!すごいですね!」

 運動が苦手という事と、こう見えて書道が8段という事が、どうしても繋がりがあるとは思えなかった宏太であったが、とりあえず『8段』という点に関して驚いてみせた。

 「ありがとうございますぅ」

 微笑みながら素直に礼を言う山形。

 そしてお互い見つめ合う二人。

 「………」

 「………」

 え!?何、この間は!?───まさか、これで話しは終わり!?

 「えーと、山形さん?生徒会に入った理由ですが……?」

 「はぁい? ああー、そう言えばそうでしたねぇ……」

 そう言いながらペロっと舌を出す山形。

 今、山形の頭を殴ったら間違いなく舌を噛むだろうなと思いながら、「ははは」と乾いた笑いをする宏太。

 「実はぁ、わたしはぁ書道が8段なんですよぉ」

 「知ってます」

 真顔で喰い気味に返答する宏太。

 だが、山形はあくまでもマイペースで話を続けた。

 「運動も苦手でぇ、人前で話すのも苦手なわたしがぁ、得意な書道を使ってぇ、何か出来ないかなと自分なりに考えてぇ、辿り着いたのが生徒会の書記だったのですぅ」

 「……あ、はい」

 「でもぉ、実際に入ってみるとぉ、書記ってぇ全然文字を書かないじゃないですかぁ。もっぱらパソコンで文字を入力する仕事ばっかりぃー」

 「ああ、確かにそうですね。書記と言ったら、文字を書く仕事と思われがちかも」

 「そうそう!あたしもぉ、そう思い込んでいたのでぇ、完全にオレオレ詐欺に会ったって感じなのですぅ」

 「は、はぁ……」

 ここでオレオレ詐欺は関係無いし、そもそも『オレオレ詐欺』じゃなくて正式には『振り込め詐欺』じゃん………と宏太は思ったが、面倒なのでこれ以上は突っ込まない事にする。

 「……でもぉ、桜田くぅん……」

 そう言うと、山形は急に真面目な顔つきで、1オクターブほど低く落ち着いた口調で続けた。

 「新しい会長さんをしっかりサポートするために、わたし頑張るから。大船に乗ったつもりでいて頂戴。会・長・さん!」

 「え!?」

 今の発言があまりにも饒舌で色っぽかったので、びっくりして山形の顔を見る宏太。

 すると、山形は悪戯っぽくウインクをする。

 全く、この先輩には敵わないな……。

 宏太は苦笑いをすると、PCをシャットダウンした。

 

 

 金曜日。

 晴れて生徒会長となった宏太は、放課後、牡丹と共に扇谷家に向っていた。

 もちろん、牡丹の父親と話しをつけるためだ。

 坂を上って行くと、例の竹林が見えてきた。いよいよあの先に扇谷家がある。

 緊張の色が見える宏太に牡丹が声をかける。

 「本当に大丈夫?別に無理しなくてもいいんだからね?」

 「は?べべべ別に、無理なんてしてないし!」

 宏太は無理に強がって答えた。

 そんな宏太を見て、牡丹は微笑む。

 「ホントあんたって、優しいね!」

 牡丹はそう言いながら、宏太の腕に自分の腕を絡ませてくる。

 宏太は女性に対する免疫が無いため、驚いて飛び退く。

 「なななななにすんだお!?」

 牡丹は苦笑しながら改めて宏太の腕を掴むと「さ!行くよ!」と言いながら歩き出す。

 宏太も「お、おう!」とそれに答える。

 だが、宏太は考えていた。

 本当に自分が牡丹の父親と話をしてもいいのだろうか?と。

 扇谷家の事情に部外者である自分が首を突っ込むのは、お門違いじゃないだろうか?

 そもそも俺のようなガキが、まともに相手にしてくれるのだろうか?

 「はあ……」

 様々な思いが脳裏を巡り、宏太は大きなため息をつかずにはいられなかった。

 牡丹に引っ張られながら歩く宏太の目に、遂に例の洋館が姿を現した。

 相変わらず不気味な佇まいだが、牡丹がいる手前、それを口に出すことはできなかった。

 牡丹はドアの鍵を開けると、ずかずかと玄関に入り「桜田はちょっとそこで待ってて」と言いながら、靴を脱ぐと1階の奥の通路に向った。

 宏太は「あ、はい」と言うと、もう3度目になる玄関に入って牡丹を待つ。

 しばらくすると、牡丹が奥の部屋から姿を現す。

 「父がリビングで待ってるから入って」

 宏太は緊張の面持ちで靴を脱ぐと「お邪魔します」と言いながら、牡丹と共に1階奥の部屋に向う。

 ドアを開けるとそこは吹き抜けとなっており、天井のシーリングファンがくるくる回っていた。

 その下には黒のレザーソファーがL字に置かれ、ガラステーブルを挟んで対面にシングルソファーが2脚置かれていた。

 そのシングルソファーには、一人の痩せた男が白のワイシャツに紺のスラックスという姿で座っていた。

 「桜田も座ってて。今コーヒーでも淹れるから」

 そう言うと、牡丹はキッチンの方に姿を消す。

 宏太は、超気まずい場の雰囲気に押し潰されそうになるのを必死に耐えながらソファーに向うと、すでに座っていた男の前で頭を下げながら口を開いた。

 「こんにちは。桜田宏太です」

 「ほう……君が桜田君か。まさか、この間の子が来るとは思わなかった。まぁ掛けたまえ」

 「は、はい」

 宏太は父親の対面に腰掛ける。

 それを見て牡丹の父は声をかける。

 「牡丹から聞いたが、私に話があるらしいな。一体どんな話なのかな?」

 いきなり核心をついてくる父親。

 宏太としても、余計な気遣いが不要となるため、願ったり叶ったりの展開だ。

 「それでははっきり言わせてもらいます。牡丹さんとのあのような関係はもうやめていただけませんか?」

 「あのような?それは何のことだ?」

 「とぼけないで下さい。あの日、俺がこの家の2階で見た事ですよ」

 「ああ、あの事か………」

 そう言いながら父親は煙草を取り出すと、高そうなオイルライターで火をつけた。

 「……あれは親子のスキンシップのようなものだ」

 「まさか!?あれがですか!?」

 宏太が声を荒げるが、父親は悠然と煙草をくゆらせながら言った。

 「そうだ。我が家のスキンシップだ。これは牡丹が小さい時から行ってきた事だ」

 「だけど、度が過ぎます。牡丹さんも中3くらいからどんどん過激になり、もう辛いと言ってました」

 「牡丹がそう言ったのか?」

 「はい」

 宏太が答えると、しばらく沈黙が続いた。

 そこへ牡丹がコーヒーを持って現れた。

 一通りコーヒーの配膳が終ったのを確認すると、父親は牡丹に言った。

 「牡丹、そこへ座りなさい」

 「はい」

 父親に言われ、L字ソファーの短い方に座る牡丹。

 「牡丹、お前は私との関係を嫌がっていると聞いたが、本当か?」

 牡丹は答える代わりに、うつむきながら小さく頷いた。

 父は煙草を灰皿に押し付ける。

 「好きな男が出来たのか?」

 父の質問に再度頷く牡丹。

 それを見て父親はコーヒーを一口飲むと、更に訊いた。

 「その相手は目の前のやつか?」

 牡丹は父の言葉に答えるのを躊躇した様子だったが、顔を上げると父の目を見ながらはっきり言った。

 「あたしはここにいる桜田君の事が好き。どうしようもないほど好きなの………だから、もうお父さんとの関係は終りにしたい!」

 「なるほど……」

 父は目をつぶり「ふぅ」と息を一つ吐くと、目の前に座る宏太に向って言った。

 「お前が牡丹をそそのかしたのか!?だから牡丹は………!!」

 「そそのかしてません!」

 宏太は大きな声で言うと、更に続けた。

 「娘さん………牡丹はただ恋をしただけです。それは思春期の女の子にとっては普通の事です。そして、俺も牡丹の事が好きです!」

 「なんだと!?」

 「桜田……!?」

 父親は怒りの目を、その娘は恋する視線を宏太に向けた。

 宏太は牡丹の視線に頷いて応えると、父親に向って更に続けた。

 「これからは俺が牡丹を守ります。だからもう牡丹とは……!」

 「うるさい!!」

 父親は立ち上がると、宏太に向って言った。

 「お前のような子供に何が出来る!?牡丹を守るだと!?何の力も金も無い高校生が、牡丹を守るだと!?笑わせるな!」

 父親は更に宏太を指差しながら言った。

 「女を守るとは、その女を生涯守り通せる力がある男だけに使う事が許される言葉だ!お前にその覚悟があるのか!?」

 「あ る ! !」

 宏太は即答すると、続けてゆっくりと、だが力強く語り始めた。

 「……うちの両親も俺が小さい頃に離婚して、母一人に育てられました。俺はほとんど父親の事を覚えていません。だから俺にはわかるんです。牡丹のさみしさが………そして、固く誓います。俺は絶対に自分の嫁や自分の子供に、俺と同じような寂しい思いはさせないと!」

 「桜田……」

 宏太の告白に大粒の涙を流す牡丹。

 父親は目を閉じて腕を組んだまま動かなかったが、ゆっくりを目を開け宏太を見ると口を開いた。

 「君の母親はどうなる?」

 「遅かれ早かれ、いずれ子供は巣立ちます」

 宏太は父親を真っ直ぐ見たまま答えた。

 「ふむ……」

 父親は少し考えると「そうだな……」と呟いてから更に続けた。

 「私も子離れしなければならいないという事だな……ああ、わかっていた。これでも私は父親だ。一線を越えちゃいけないことがある事も。だが、今となってはこの弱い自分の心が恥ずかしい………君という男が現れてくれて良かったのかもしれんな」

 「では……!」

 宏太と牡丹が身を乗り出す。

 「ああ。お前たちの交際を認めよう。そして、今後私は、牡丹とは親子以上の関係は持たないと約束する。だが、桜田君。君も約束してくれ」

 「何でしょうか?」

 「君は私から牡丹を奪うのだ。だったら、君が牡丹を幸せにすると約束してくれ」

 そこには涙を浮かべた父親としての姿があった。

 宏太はその場に立ち上がると「約束します」と答えて頭を下げた。

 父親は宏太の隣りまで近づくと、肩をポンと叩き「頼んだぞ」と一言残してドアに向って歩いて行った。

 「お父さん、ありがとう」

 牡丹がその背中に向って声をかける。

 父は無言でそのまま部屋を出て行った。

 牡丹は涙で潤んだ瞳で宏太を見ると、宏太もやさしい目で牡丹を見つめていた。

 「桜田……!」

 牡丹は宏太の胸に飛び込むと、宏太もそれをしっかりと受け止める。

 「本当に……ありがとう。桜田。……あたし、あなたと出会えて本当にによかった……!」

 牡丹は宏太の胸の中で涙を流しながら言った。

 宏太はやさしく牡丹の涙を拭うと、そっと口づけした。

 二人は今、それまでの寂しさから解放され、まだ見ぬ未来への扉を開いたのだ。

 だがこれから先、大人になると辛い事や悲しいことがたくさんあるだろう。それを二人の力で、お互いを信じて乗り越えなければならないのだ。

 ──でも、今は、今だけは、そんな事は考えなくてもいい。

 そう宏太は心の中でつぶやいていた。

 

 

 

 ■エピローグ

 

 「──ちょっと宏太、いつまで寝てるの!?早く起きなさい!」

 「もう起きてるよ………って、あれ?母さん、今日は仕事休み?」

 「今日は午後から出社するの。そんな事より早く食べちゃいなさい。学校遅刻するわよ!?」

 「へーい。朝飯作ってくれるなんてめずらしいな?」

 「それはそうと、宏太。わたしのお気に入りのティーカップだけど、どこにあるか知ってる?探してるんだけど見当たらなくて」

 「ギクッ!」

 「・・・あんた、何か知ってるわね!?」

 「あ、はい。実は、この前、寝ぼけながらコーヒーを飲もうとした時に………」

 「ほほう。うっかり落として割ってしまったと?」

 「……左様でございます」

 「あのカップ高かったんだから!あんたの小遣いからしっかり引いておきますからね!」

 「えー!マジで!?だったら、タイムリープしてもう一度過去に戻ろうかな」

 「あんた、まだそんな中二病みたいなことを言ってるの?」

 「いやいや、本当に出来るんだって!俺はもう何百歳だと思ってるんだよ?」

 「はいはいわかりましたから、早く学校行きなさい」

 「母さん、本当なんだって!」

 「だったらどうして我が家はこんなに貧乏なの?過去の記憶を持ったままタイムリープ出来るんだったら、一攫千金だってできるはずでしょう?それに、何百年も生きているのだったら、高校入試の勉強だってあんなに必死ならなくても良かったはずだし、新入生の挨拶の練習だって、夜通しやる必要も無い筈でしょう?」

 「いや、まあ、それはそうなんだが…………」

 「全くもう。人生は楽なんて出来ないの。やるべき時にやるべき事をしっかりやる者が勝者になれるのよ?」

 「もう、母さんのその話もわかったって!だから俺だって一生懸命勉強してるだろ!?」

 「だったら早く学校に行きなさい」

 「へーい。行ってきまーす」

 

 

 タイムリープも楽じゃない!

 完




最後まで読んでいただき有難うございます。

本作品はそのほとんどを宏太の主観で物語が進みます。従って、宏太の考えや思い込みがそのままストーリーになる訳です。そして終盤は第3者の視点で話を進行し、エピローグはセリフだけで終わらせました。

文章だから出来る表現というものにチャレンジしてみたんですが、どうだったでしょうか?

本当は、もう少しドタバタした学園生活を描こうと思っていましたが、変に話が長くなるよりも、このくらいのボリューム感が一番しっくりくる気がして止めました。

あと、この作品では主人公である宏太の外見に関する記述は一切ありません。

一人称で進むストーリーで、自分の容姿を説明するセリフはどうも蛇足というか、そこだけ浮いた感じがしたのであえて省いたのですが、違和感はありませんでしたか?

宏太の性格や行動から何となく外見を想像するしかないのですが、みなさんはどんな主人公像を思い浮かべながら読み進めたのでしょうか?


さて、次回作はいよいよファンタジーにチャレンジしようかなと考えています。早くも設定で行き詰っているのですが……。

またいつかお会いできれば幸いです。



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