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タイムリープも楽じゃない!  作者: らつもふ
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俺の人生、フラグ回収!

■俺の人生、フラグ回収

 

 突然だが、俺はタイムリープが出来る。

 『こいつ、何を訳の分からない事を言ってるんだ?』と思うかもしれないが、出来るんだからしょうがない。

 タイムリープ──直訳すると時間跳躍──は、過去の時間軸に遡ることが出来る能力ってやつで、ラノベやアニメではよくある題材だ。

 『何度も人生をやり直せていいなぁ……』なんて考えている人もいると思うけど、実際はそんなに都合よくタイムリープできるもんじゃない。

 ラノベやアニメで良くある「死んだらやり直し」っていうアレ。

 ……ここで、はっきり言っておこう。

 死んだら終りだ。

 そう。当たり前である。死んだら終りだ。

 死んだのだからタイムリープする能力だって発動できないのだ。

 では少し『死』について考えてみよう。

 誰でも基本的には毎晩、死ぬ体験をしている。

 例えば、熟睡して気が付いたら朝だった、なんてことは誰でも一度は体験していることだろう。

 厳密には違うのだが『死の疑似体験』という意味では、それこそが『死』と考えてほぼ間違いないだろう。

 真っ暗な世界とか時間の経過とか、そんな事は全く認識できないものが死なのだ。

 気付いたら朝だった──つまり、夢を見ずに熟睡している間は『無』なのだ。

 この『無』こそが『死』であるのなら、その状態からタイムリープするなんて無理なのだ。

 そもそも『無』には時間という概念も存在しないだろう。

 時間が存在しないのなら、時間跳躍なんてどう考えても無理ということだ。

 どんなに量子力学を使って、多世界解釈をしようがダメなものはダメなのだ。

 まぁ、そもそもタイムリープそのものが無理だろ!?

 と言われれば、返す言葉も無いのだが、じゃあ俺は何きっかけでタイムリープするのかお教えしよう。

 「心の中で意識したら」である。

 もう少し具体的に言えば「こんな人生もう嫌だ!」と、強く心の中で念じたら、と言えばわかり易いだろうか。

 なんとその時点でそれまでの記憶を持ちながら、時間を遡ることが可能となる。

 しかし、これがまた融通が利かなくて、必ず『6歳の誕生日の朝』に戻るのだ。

 みんな、ここで少し考えてみてくれ。

 俺が50歳の時に会社で嫌なことがあって、うっかり「こんな人生はもう嫌だ!」と強く思ってしまったとする。

 すると、気が付けば6歳からやり直しとなるのだ。

 それまでどんなに順風満帆な人生だったとしても、容赦なく6歳の朝に強制移動させられ、そして、また一からわかりきっている日々を延々と過ごさなくてはならないのだ。

 ある時なんて、タイムリープしたことに気が付いた瞬間に、もうこんな人生は嫌だ!と思ってしまい、ほんの1分でやり直しって事もあったほどだ。

 俺は人生を何回やり直したかわからないほどやり直している。

 70歳くらいまでなら、どんな人生になるのかもわかっている。

 おかげで学生の頃は常に校内トップの成績だ。そりゃあ当然だ───どんな問題が出るのかもわかっているんだから。

 世間では時間が経過していなくても、俺はすでに何百年も延々と同じ時間を生きているのだ。

 全くつまらない。

 すでに知っている人生。約束された人生なんて、面白くもなんともない。

 今では早く時間が経過してくれることを祈りながら生活をしている。

 そして、まだ見ぬ70歳以降の自分の人生を早く見てみたいという、ささやかな目標を持って生きているのだ。

 それまではもう絶対に「こんな人生は嫌だ」何て思わないぞ!

 ………って、危ない危ない。またうっかり事故るところだった。

 こんなわかりきっている人生を送っていると、つい無意識に「こんな人生は嫌だ」と考え込んでしまう。

 はっとした時には6歳だった、ってことが本当によくあったのだ。

 ちなみに「もう死にたい!」は「こんな人生は嫌だ!」とほぼ同じ解釈のようで、タイムリープのトリガーとなるみたいだ。

 例えば、人前で何かとても恥ずかしい事をしてしまった時に、恥ずかしさのあまり「もう死にたい!」と考えてしまうと、6歳の誕生日の朝に直行となるのだ。

 ここまでくると、夢にも注意を払うようになってくる。

 もしも、夢の中の自分が「こんな人生は嫌だ!」と考えてしまったら、その時点でタイムリープする可能性だってある。

 実際、今までもどうしてタイムリープしたのかわからない事が何度もあったのだ。

 この世を生きるためには『うっかり事故』を起きないように予防するのは必須だ。

 

 このように、完全に自分の心に左右されるという、内的要因がタイムリープのトリガーとなるため、普段の生活から本当に気を付けなくてなならないのがわかってもらえたと思う。

 タイムリープをする者としては、本当に生きにくい世の中である。


 そんな俺もやっと高校1年生となった。

 俺の名前は桜田宏太<さくらだこうた>。

 タイムリープを繰り返したおかげで、天才の名を欲しいままに生きてきた。

 ここまでの道のりはホント長かった……って、あぶない。またネガティブモードに入るところだった。

 えーと、ここは新1年生の教室だ。

 クラス中がどこかよそよそしいのは新1年生の特徴だ。本当に初々しい。

 個人的にはもう何百年も生きているので、高校生と言っても精神年齢はおっさんと変わらない。

 ぶちゃけ、おっさんがコスプレして高校に通っているような感覚だ。

 従って、独り言のようなこの文章が、おっさんぽいのは仕方ないというものだ。

 

 さて、そろそろ重大なイベントが発生するはずだ。

 案の定、近くでふざけていた奴らが投げた缶コーヒーが俺に向って飛んでくる。

 もう何回も体験したイベントだ。

 ここでもしも俺が缶コーヒーを避けると、俺の隣りの女子に直撃して大騒ぎとなり、入学式が始まるのが遅れるという事態となるが、俺にとってはそれほど未来に影響を与えるほどでは無い。

 そこで、避けずに缶コーヒーをキャッチすると、これも特に何も変わらず、単に缶コーヒーを返して終わりだ。多分、これが一番ノーマルな選択だろう。

 だが、ここで取るべき行動は──。

 ガスッ!

 鈍い音と共に俺の額から血が流れ落ちる。

 「痛てぇ」

 こればかりは何度やっても痛い。

 「ヤバ!大丈夫か!?」

 缶コーヒーを投げた張本人が焦って駆け寄ってくる。

 黒髪でくせ毛のショートカットで、目は大きいけど一重のスレンダーボディの女子だ。

 両手には白いリストバンドをしており、入学式が終ったらすぐにテニス部に入るはずだ。はっきり言って可愛い。

 「げーっ!血が出てるじゃんか!?」

 くせ毛の女子はおろおろする。

 すると、もう一人女子が近寄ってきて俺に声をかける。

 「大丈夫?これを使って」

 見ると、セミロングのストレートの黒髪で、目は大きくスタイル抜群の女子だ。はっきり言って超可愛いし、超優しい。

 白いウサギ柄のハンカチを俺に差し出してくる。

 「汚しちゃうけど本当にいいの?」

 「うん。それよりもこれで傷口を押さながら保健室に行きましょう?」

 「あ、ありがとう!」

 俺は席を立ちハンカチを貸してくれた女の子と一緒に保健室に向う。

 「あー!あたしも行く!一応、あたしのせいだからね!」

 くせ毛の女の子も俺たちの後にくっついてくる。

 実はこのイベントを発生させないと、今後この二人と仲良くなるきっかけが無いので、俺にとってこれは重要なフラグ回収イベントなのだ。

 3人で保健室へ行くと、保健の先生が驚いた様子で話しかける。

 「入学式の前に流血騒ぎなんてどういう事!?」

 「「申し訳ありません」」

 しょんぼりしながら、俺とくせ毛の女子が同時に謝る。

 「ぷっ。うふふ。面白い」

 ハンカチを貸してくれた女の子が吹き出して笑う。

 それにつられて俺とくせ毛の女の子も笑い出す。

 「じっとしなさい。包帯が巻けないでしょう」

 「す、すみません」

 保健の先生に怒られて、また謝る俺。

 「はい。じゃあここにクラスと名前を書いて」

 「あ、はい」

 処置が終り、名簿に自分のクラスと名前を書く俺。

 「あれ?桜田って言ったら……もしかして、入学式で新入生を代表して挨拶する桜田?」

 ハンカチを貸してくれた女子が、名簿に書いた俺の名前をを見て驚いた表情で聞いてきた。

 「そうだけど?」

 「えー!?じゃあ、そんな包帯ぐるぐる状態で壇上に上がるの!?」

 くせ毛の女子が大声を出す。

 「いや、だって仕方ないじゃないか」

 「桜田!本当にゴメンね!?」

 くせ毛の女子が両手を合わせて謝ってくる。

 「いいよ……えーと………」

 「牡丹。あたしの名前は扇谷牡丹<おおぎやぼたん>。これからは牡丹って呼んでくれていいよ!」

 「そうか。牡丹、もう気にしなくてもいいよ」

 そして俺は視線をハンカチを貸してくれた女子に移す。

 「ハンカチどうもありがとう。これだけ血が付いちゃったら洗ってもダメだから、新しいものを買って返すよ」

 「いえ……そこまでしなくても……」

 「そうもいかないよ……えーと……なにさんだっけ?」

 「あ!私の名前は大西由香里<おおにしゆかり>」

 「大西さん、どうもありがとう」

 「あたしからも、ありがとね!大西ちゃん!」

 牡丹と二人で軽く頭を下げる。

 「はいはい。もういい?そろそろ式が始まるから、早く教室に戻りなさい」

 「あ、有難うございました」

 そう言うと、三人揃って急いで教室に向った。

 

 こうして高校生活を送る上で、重要なイベントを無事消化することに成功した俺は、この後、何の問題も無く何度目かの入学式を乗り切った。

 これ以降は『大西さんにいかにして好かれる行動を取るか』を優先した高校生活を送る事になる。

 そうすると、高校卒業後は離れ離れになるが、俺は有名な大企業に就職後、取引先で偶然にも再会し、そこから結婚にまで発展するのだ。

 完全に予定調和の世界だが、校内一のマドンナである大西さんを射止めるのだから、こっちも必死なのだ。

 そこで、先ずは汚してしまったハンカチを買って返そうと思い駅前に出かけた。

 大西さんにはカワイイ柄のハンカチが良いのだが、それでいてシンプルなものが好みのようだった。

 脇目も振らずに目的のハンカチを購入すると、すぐに帰宅する俺。

 もう数えきれないほど、このイベントを経験した俺にとっては、単なる『作業』とも言えるイベントだ。

 そもそも、全て事前にわかっている人生を送っている俺にとっては、普段の生活は全て効率的に行動するようになってしまい、フラグ回収を目的とした完全に機械的な生活を送っていた。

 これが将来的には自分の幸せに繋がると信じて──。

 

 さて、普通の人であれば、ここからが一番の問題となるはずだ。

 そう。買ったものを実際に手渡すタイミングだ。

 だけど、これも何度となく経験してきた俺にとっては簡単な問題だ。

 大西さんは人よりも朝早くに登校している。

 よって、教室にもまだそれほど人がいない朝イチで手渡すのが良いのだ。

 「この前は本当にありがとう。おかけで傷もほとんど治ったよ。コレ、汚してしまった代わりのハンカチ。良かったら使って」

 などと言って手渡すと、すぐに席を離れる。

 彼女とは『距離感』が非常に大事なのだ。

 背中越しに彼女からの「ありがとう」の声が聞こえる。

 よし。これでイベントコンプリートだ。

 

 こうして2ヶ月が過ぎたある日の放課後。

 俺は一人、考え事をしながら廊下を歩いていた。

 考えている内容はもちろん、次に発生するイベントの整理だ。

 何回も経験しているとはいえ、日々の時間単位の細かい所まで記憶している訳では無い。

 特に大西さんに関しては、あまり近づくと嫌がられ、離れると気にも留められなくなるので、距離感が非常に難しい。

 故に、過去の失敗を思い出しながら日々生活しているって訳だ。

 俺は考え事をしながら、玄関を出て校門に差し掛かろうとした時、前方から女子テニス部の1年生が、校外ランニングを終えて校門から続々と戻って来るところだった。

 下級生のランニング。どの部活でもよくある風景だ。

 ふと顔を上げると、真っ赤な夕日がとても綺麗で、部員達がとても眩しく見える。

 逆光になっていて、誰がだれなのかわからないが、汗を流して一つの事に打ち込む………これこそが多分、青春というやつなんだろうと素直に思った。

 青春───。実年齢は何百歳にもなる俺としては、ちょっと気恥ずかしい言葉だが、やはりこの時間は何度体験してもいいもんだ。

 そんな事を考えていると、一人の女子がこちらに向って走ってくる。

 眩しくて顔はよくわからなかったけど、とりあえず当たり障りなく進行方向の道を空けてやる。

 しかし、その女子は俺の前で立ち止まると声をかけてきた。

 「よ!桜田!」

 「はい!?」

 俺は突然声を掛けられて少しびっくりする。

 「あ・た・し! ぼたんちゃんだよ!」

 「あ……ああ、な、何だよ?どうした?」

 予期せぬ出来事に戸惑う俺。基本的に同じレールの上を生きてきたので、突発イベントにはめっぽう弱いのだ。

 そんな俺を少し首を傾げながら話しかけてくる牡丹。

 「あたしをずっと見つめていたから何かなーっと思ってさ!………まぁ見られなくても声をかけたんだけどね……」

 後半は独り言のように、ごにょごにょ話す牡丹。

 「べべべ別に、みみ見つめていたわけじゃないよ。ただ、夕日が綺麗だなぁー、と思って見てただけ!」

 あれ?なんか言い訳みたいな感じになってしまったぞ!?

 しかし牡丹は気にも留めずに話を続ける。

 「あそ!それよりも、ちょっと桜田に話があるんだけど……」

 そう言いながら牡丹が更に俺に近寄ろうとした時、何もない所で突然躓く牡丹。

 「あれーっ」

 妙な声を上げながら倒れる牡丹。

 「おいおい。大丈夫か?」

 俺は半ば呆れながら声をかける。

 こんなドジっ娘がテニス部でちゃんとやって行けてるのだろうか?──などと思いながらカバンを持った逆の手である左手を差しだす。

 「ああ、すまん。桜田」

 と言いながら俺の手首を掴む牡丹。

 俺も牡丹の手首を掴んで引っ張り上げようとすると、左手のリストバンドがすぽんと抜けて手が外れてしまい、尻餅をつく牡丹。

 「ちょっと!ちゃんと掴んでてよ!」

 「すまない!リストバンドが抜けちゃって……」

 そう言いながら、もう一度牡丹の手を掴もうと差し出された左手を見ると、その手首には無数の傷跡があるのを見つけてしまった。

 しかも、まだ新しい傷跡でかさぶたの状態のものまであった。

 これは、まさか───リストカット!?

 俺はかなり動揺した。見てはいけない牡丹の秘密を見てしまった!

 平静を装って手首を掴んで牡丹を引き起こすと、リストバンドを返しながら「ほんとドジだなー。気をつけろよ」などと声をかけると、すぐにこの場を立ち去ろうとする俺。

 「サンキューって、ちょっと!どこ行くの!?こっちは話があるんですけどぉー!?」

 「え!?……ああ!そうだった。で、な、何だ?」

 俺は動揺を押さえながら返事をする。まぁ、実際には押さえられていないのだが。

 牡丹は俺の顔色をうかがうと、ため息をつく。

 「……今はなんだかそれどころじゃないみたいね?話はまた今度の機会にしてあげる。じゃあ部活に戻るわ!」

 そういうと、牡丹は走り去ってしまった。

 残された俺は不安な気持ちで一杯だった。

 過去にこんな経験をしたことはなかった。明らかに新ルートだろう……どうしてこんな他愛も無い日常の場面で、新ルートが出現したのだろう?

 だがそんな事よりも問題なのは牡丹のあの傷だ。

 左手首にある無数の傷跡。

 リストカットをするのであれば利き手である右手で刃物を持って、左手の手首を切るのが普通だろう。

 牡丹は右利きで、俺が見たのは左手首だった。

 そしてそれを隠すように常にリストバンドをしている牡丹……。

 あの元気だけが取り柄の牡丹がリストカット!?──そんな素振りは今まで全くなかったし、過去にもそんな事実は無かった。

 いや、俺はそもそも大西さんだけを追いかけていたから、牡丹の事なんて気にしたことが無かった。

 『ちょっと桜田に話があるんだけど』

 確かに彼女はそう言った。

 この2ヶ月、あまり接点は無かったはずだ。なのにこの俺に話があるだと?

 もしや、あの手首の傷の事を………いや、今は勝手に判断する必要はないだろう。いずれ彼女の方から改めて話があるはずだ。俺は黙って待っていればいいだけだ。

 ──だがそれ以降、あの手首の生々しい傷跡が俺の脳裏に焼き付いて、片時も忘れる事ができなかった。

 

 そして、一週間が経過した。

 牡丹は相変わらず元気そうだった。

 誰にでも気さくに振る舞い、いつも大きな声で笑っている。

 でも逆にそんな彼女の姿を見ると、内心では何を考えているのだろうと、こっちの方が胸を痛めてしまう。

 気が付けば、無意識に牡丹の姿を追っている自分がいた。

 このままでは大西さんの攻略に支障が出てしまう。

 そうなると、また6歳の自分に逆戻りだ。また何十年もかけてイベントを達成していかなければならず、とてもじゃないがもうそんなモチベーションは持ち合わせてはいない。

 とにかく今は、大西さんとの結婚生活のためにも、このモヤモヤした気持ちをクリアしなければならない。

 俺は意を決すると、こちらから牡丹に声をかける事にした。

 しかし、彼女はクラスでも中心的な存在であるため、一人になる事がほとんどない。

 それにこちらから声をかけるにしても、どうやって声をかけるべきか悩ましいところだ。

 これまでの長い人生の中で、初めてのイベントとなるため、今後の未来にどのような影響を与える事になるのか、全く想像できないのだ。

 

 ──で、そうこうしてるうちに、牡丹と話が出来ないまま更に3日が経過してしまった。

 木曜日。

 今日は朝から雨が降っていたが、俺にとっては大事なイベントがある日だ。

 実は、大西さんは学級委員かつ学園祭の実行委員であるため、今日の放課後に学園祭の資料が入った段ボールを生徒会室へ運ぶのだが、両手が塞がっていてドアを開けることが出来ず、若干、ドアの前で戸惑うのだ。

 まぁ、放っておいても、段ボールを床に置いてからドアを開けるのだが、その前に戸惑っている事に気づいて、ドアを開けてあげれば好感度が上がるはずだ。しかも、それ以降、生徒会を手伝うようになり、大西さんとの距離がぐっと近くなるという、かなり重要なイベントだ。

 でも冷静に考えれば、放課後の生徒会室なんて普通の生徒であれば全く用事が無く、教室から離れた場所にあるので『偶然通りかかったらドアの前で困っているようなので助けてあげた』というシチュエーションも微妙なのだが、まぁ、今まで何回やっても特に怪しまれていないのでよしとする。

 本当は牡丹の方も気になるのだが、何事も優先順位は大西さんの方が上なのだ。こればかりは譲れない。

 放課後──。

 掃除も終わり、教室にはほとんど人がいなくなる。

 そろそろ行くか──。

 教室で最後の一人となった俺は自分の席を立つと、教室を出ようとドアを開ける。

 すると、目の前には扇谷牡丹が立っていた。

 「よお、牡丹!部活頑張れよ!?」

 と言いながら、俺は牡丹の脇をすり抜けるように廊下に出ようとすると、すっとその前に立ちふさがる牡丹。

 何だ?と思いながら顔を見ると、いつになく真剣な表情で口を開く牡丹。

 「今日は雨だから部活は休みなんだ」

 「ああ、確かにテニスコートは外にあるもんな」

 それにランニングするにしてもこれだけ雨が降ってたら無理だろう。

 俺は「そんじゃな!」と言いながら立ち去ろうとすると、俺の腕を引っ張って「ちょっと待って」と言う牡丹。

 振り返ると、両手を祈る様に胸の前で組み、少し顔を赤らめ俺の視線を横目で外しながら口を開く牡丹。

 「……前に桜田に話があるって言ってたの覚えてる?」

 ああっ!!マジか!?このタイミングで!?

 これから俺にとって非常に重要なイベントが待っているっていうのに、どうして今なんだ!?

 「あ、ああ、お、覚えてる……」

 ソワソワした感じで答える俺。今の俺の心は完全に生徒会室にある。

 それを敏感に感じ取った牡丹は「ゴメン!何だか忙しそうだから、また今度にする。またね!」と言うと、左手を軽く数回振ると走り去ってしまった。

 「あ!うん。じゃあな」

 俺はそれしか言えず、牡丹の姿が見えなくなるまで廊下に立っていた。

 何だよ……あの女の子のような可愛い仕草は……。普段は元気で男勝りな感じなのに、調子狂うな……。

 しかし、今は大西さんを手助けするために生徒会室に急がねば。牡丹、すまん!

 俺は足早に生徒会室に向うと、ちょうど大西さんが段ボールを持った状態でドアの前に立っていた。

 「大西さん!」

 少し遠くから声をかけながら近づく。何とかギリギリ間に合ったようだ。

 「今ドアを開けるから少し下がって」

 大西さんが一歩後ろに下がるのを確認してからドアを開ける俺。

 「さあ、どうぞ」

 「桜田……ありがとう」

 そう言いながら生徒会室に入る大西さん。

 すると、部屋の中から生徒会長の声がかかる。

 「ああ、両手が塞がっていたのか。すまなかった大西さん。そしてドアを開けてくれた君もありがとう。副会長、段ボールを受け取って下さい」

 「はいよー」

 そう言いながら、副会長がドアの所まで歩いてきた。

 生徒会室を覗いてみると、コの字に会議用の長机が並んでおり、一番奥に生徒会長の3年生山口修<やまぐちおさむ>が座っており、その背後の窓際にはキャスター付のホワイトボードがあり、書記の2年生福島美里<ふくしまみさと>が立っていた。

 更に周囲の長机には各クラスの代表となる学級委員が座っており、コの字の真ん中には段ボールが積まれていた。

 副会長である秋田麻美<あきたまみ>は、大西さんから段ボールを受け取ると、中へ入って着席する様に促す。そして、持っていた段ボールを床に置いて中身を取り出そうとしたその時、ふと俺と目が合うと、何かを思い出したように突然話しかけてくる。

 「あれ?あなたは確か、入学式の時に挨拶をした子じゃない?」

 「ええ、そうですけど」

 副会長はニヤリと笑うと、俺の所に歩いてきて更に続ける。

 「新入生の代表挨拶って、入試の成績が一番良かった人がやるって知ってた?」

 「そうなんですか?」

 知ってるけど、初めて聞いたように振る舞う俺。

 「そうなのよー。そこでどう?あなた生徒会に興味ない?今、学園祭に向けて人手が足りないのよねー」

 「突然言われても……どうしようかな……」

 悩んでいるフリをしていると、それを聞いていた大西さんが話に入ってくる。

 「もしも、桜田が手伝ってくれるならあたしも心強いんだけど……」

 よし。フラグ成立。

 「大西さんがそう言うならやってみようかな」

 「よっしゃー!会長!助っ人ゲットしたよー」

 副会長が右手の親指を立てて大声で会長に報告する。

 すると会長の山口が立ち上がると「生徒会へようこそ!」と言いながら両手を広げる。

 話をよく聞くと、学園祭の実行委員はすでに枠が埋まっているけど、生徒会の組織としての人が不足しているようだった。

 「たしか学園祭に向けて、人手が不足していると聞いたからOKしたんですが、生徒会に入るとなると学園祭以降も手伝う事に……」

 「だあ!男のくせに細かい事を言うな!先ずは学園祭を成功させる事に集中するのだ!」

 秋田副会長が俺の背中を叩きながら勢いのままに言う。

 「というわけで、ちょっとこの紙に署名して。後はこっちで処理しておくから」

 そういいながら、半ば強引にボールペンを握らされて、入会用紙と思われる紙に署名をさせられる。

 すると、ホワイトボードの前に立っていた書記の福島が喜びの声を上げる。

 「これで私も下っ端の地位からはい上がれるわぁああ!」

 涙ながらに喜ぶ福島の姿を見て、この人は一体どんな目に遭っていたのだろう?と考えていたら、山口生徒会長が口を開く。

 「桜田君。明日、昼休みにここに来てくれないか?改めてメンバーの紹介と作業内容を伝えるから」

 「あ、はい。わかりました」

 俺はそう言うと生徒会室のドアを閉めようとする。

 すると「待って!」と言いながら、大西さんが駆け寄ってくる。

 「桜田。さっきはありがとう。……そして、これからもよろしくね!」

 大西さんは照れ臭そうに少し上目づかいで俺を見ながら話す。超~カワイイんですけど!

 「いいよ。気にしないで。じゃあまた明日」

 そう言いながらドアを閉める俺。

 ──ふぅ。

 何とか重大なイベントを無事に乗り切る事が出来た。

 面倒な生徒会の仕事をすることになったけど、ぶっちゃけ、会社員として過ごした時間が長い俺からすると、生徒会なんて楽勝だ。

 むしろ、こんなことをするだけで大西さんと仲良くなれるなら、お安い御用と言えるだろう。


 だが──。


 俺は玄関を出て、傘を差しながら校門に向って歩いていると、ふと牡丹の事を思い出す。

 牡丹が何か言いたそうだったのに、俺は自分のことを優先してイベントをクリアした。

 しかし、この世界は明らかに今までとは違う世界だ。現に、今までに体験したことが無い牡丹のイベントが発生している。

 いつ、どのタイミングで別世界へ移動したのかはわからない。

 これ以降、もしかすると今までの経験は全く無意味となるほどの変化が現れる可能性だってあるのだ。

 「それはそれで楽しみだ」

 俺はひとり呟く。

 だってそうだろ?ここまでは何度も経験した人生を、淡々と同じようにやり直しているだけなのだから。

 それが、全く経験したことが無い人生を体験することが出来る……こんな感覚は本当に久しぶりだ。

 俺の「一番の幸せ」の道はほぼ確定したものだと思っていた。だが、実はまだまだ未来には可能性があるのかもしれない。

 それと同時に不安にもなる。

 知らない未来への不安だ。

 俺は知っている未来をなぞりながら生きてきた。

 未来の事をを知らないなんて、いたって普通のことなのだが、俺からするとそれが異常なのだ。

 だから不安になる。

 未来への期待と不安───そうだ。これが普通の人間の感情なんだ。

 

 

 金曜日。

 昨日の雨がウソのように雲一つない快晴となった。

 この天気であれば、テニス部は部活があるだろう……などと、俺は教室の一番後ろの窓際にある自分の席から、窓の外の校門を見ながらぼーっとしていた。

 今日の放課後、牡丹から話を聞こう………俺は自分の事を優先して牡丹の話を聞かなかった事が後ろめたかった。

 だが決して後悔はしていない。

 だって、俺自身が幸せになるために選択したことなのだから。

 ──後悔はしていない……が、牡丹に酷いことをした認識はある。だからこそ後ろめたいのだ。

 本当は昼休みにでも話を聞くべきだろうが、あいにく今日の昼休みは生徒会に呼ばれている。

 そこで、部活が始まる前にさくっと話を聞こうと考えているのだ。

 ……桜田……桜田!

 ん?誰だ?俺の思考を邪魔するやつは?

 「……聞いているのか桜田!? 枕草子の他に、日本三大随筆に数えられる残り二つの作品は何だ?」

 ちっ。先生か。

 窓の外を見ながらぼーっとしていたから、俺をちょっと懲らしめようって言うのか?それにしては質問があまりにも簡単だな。

 「方丈記と徒然草です。ちなみに枕草子は批判的な評価も多くありますが、随筆……つまりエッセイとは感想や思想、体験談といったものをまとめた散文と定義するのであれば、それを後世の人がとやかく評価するのはおかしいと思います。枕草子は清少納言の日常を通して、本人が感じたことがありありと書かれてるものであり、それを他人が批判するのはお門違いだと感じます。これについて先生はどのように考えますか?」

 「え?あ……っと……。そうですね……清少納言のライバルである紫式部もかなり批判的でしたからねぇ……」

 先生は逆に質問されるとは思っていなかったようで、しどろもどろとなっていた。

 いつもの俺であれば、ここで反撃は止めるのだが、何だか今日は虫の居所が悪いのか、更に追撃をしてしまった。

 「先生は清少納言と紫式部はライバルだったとお考えですか?だとしたら見当違いですね。清少納言が実際に宮仕えしていた時期と、紫式部が仕えていた時期は重なっていません。よって、二人が直接顔を合わせた事は無いはずです。実際、清少納言からは紫式部のことが書かれた文章は見つかっていません。紫式部が先に活躍していた清少納言を一方的に攻撃しているだけです」

 すると先生は、

 「あー。この話は言い出すときりが無いから、ここで打ち切ろう」

 と言って、授業に戻った。

 まぁ、妥当な判断だろう。

 もしもここで先生が、枕草子で清少納言が書き残した他人に対する数々の嫌味めいた文章を発表したところで、単に自分が感じたことを書き残したものを批判するのはどうなのか?という最初の俺の問いに戻るだけだ。

 

 ちなみに俺はこういった議論<ディベート>が好きだったりする。

 ある時は「随筆を後世の人が評価するのはもっともだ」と、今と全く逆の観点から先生に議論をふっかけた事もあった。

 「絵画の世界では、作者が死んだ後に評価され、作品の価値が上がる事が普通にある。ましてや、日本初の随筆作品と呼ばれる枕草子について、後世の人がいろいろ評価をして何が悪いのか?」

 と言った具合だ。

 こうなってくると『単なる屁理屈』と言った方が正解だろうが、何にしてもディベートをしていると、会社員だった頃を思い出して熱くなる。

 脳をフル回転させて相手を説き伏せる……日本人はこういった能力が少し足りない気がする。米国ではディベートの授業が普通にあるくらいだ。


 キーンコーンカーンコーン……。

 

 そうこう考えているとお昼になってしまった。

 俺は急いで弁当を食べると生徒会室へ足を運ぶ。

 それにしても、どうして生徒会室っていう所は、教室から離れた場所にあるんだろう?何か怪しげな場所っていうイメージが強いのは俺だけだろうか?

 おかげで、生徒会室に行くにはちょっとした勇気が必要なのだ。

 コンコン。

 「すみません。桜田ですけど」

 ドアをノックして名前を告げる。

 「ああ、どうぞ入って下さい」

 と、女性の声がする。たぶん、書記の福島だろう。

 俺は「失礼します」と言いながらドアを開けると、生徒会室にすごすごと入った。

 コの字に並べられた会議卓には、様々な資料が無造作に置かれ、中央には謎の段ボールが積まれており、ホワイトボードには学園祭の予算だろうか?項目ごとに金額が羅列されている。

 ふと反対側の壁際に目を向けると、そこにも長机があり、デスクトップパソコン一式とプリンターが置かれ、その前には書記の福島が座り、カップ麺を啜りながら何かを打ち込んでいた。

 その隣の空いた空間に生徒会長、副会長2名が並んで昼食を食べながら資料に目を通していた。

 3人とも昼休みだっていうのに、全く休まずに生徒会の仕事をしているようだ。

 本当に人手が不足しているんだなと、改めて実感する。

 会長は急いで玉子サンドを牛乳で胃袋に流し込むと、俺の方に歩きながら口を開いた。

 「よく来てくれた桜田君。もしかすると来ないんじゃないかと内心ヒヤヒヤしてたよ」

 と言いながら右手を差し出して来たので、仕方なく俺も右手を出して握手する。

 「では、改めて自己紹介する。俺は3年生で生徒会長の山口修。よろしく!」

 「1年桜田宏太です。よろしくお願いします」

 そう言うとペコリと頭を下げる俺。

 山口会長は180センチ以上ある長身で、髪を短く刈り上げ、大きく開いたYシャツの胸元からはナイキのTシャツが覗いており、足元を見るとナイキのバッシュを履いていた。

 どう見ても、生徒会長というよりは、バスケットボール部の人にしか見えない。

 そんな俺の考えを汲み取ったのか、会長は勝手に自分の事を話し始めた。

 「やっぱり生徒会長には見えないよな?……そうなんだ。実は、元々俺はバスケットボール部だったんだ。これでも1年生の時からレギュラーに入るほどの実力があったんだぜ?───けど、1年半くらい前に右足の前十字靭帯を損傷してね。長期離脱していたんだけど結局退部したんだ」

 「でも、もう治ったんですよね?だったら……」

 「長期離脱していた者が簡単に試合に出れるほど甘くは無いよ。それに、痛めた膝が気になって、俺自身も思い切ったプレイが出来なくなっていた。そして自暴自棄になりかけていた時に『生徒会に入ってみないか?』と前任者に誘われてね。あまり興味がなかったんだけど、入ってみると全然人手が足りねーの!最初は俺も書記で入ったんだけど、結局エスカレーター式に会長になっていたよ」

 「ひぃいいいい!やっぱりそうなんだ!!」

 突然、奥の方から叫び声が聞こえた。

 びっくりして声の方を見ると、書記の福島がPCの前で両手で頭を抱えながら叫んでいた。

 「やっぱり私も、このまま書記から生徒会長に自動的にシフトする運命にあるんだぁあああ!!」

 「まあまあ。落ち着いて!福島ちゃんなら立派な生徒会長になれるから!」

 「慰めになってないぃぃいいい!!」

 どうやら、今の3年生が引退した後の事を考えて騒いでいるらしい。必死に副会長の秋田がなだめている。

 それを見て、山口会長も「話が脱線したようだな」と言って、自己紹介へ戻る。

 「えーと、今必死に騒いでいる子をなだめているのが副会長の秋田さんだ」

 山口に紹介されると、秋田はスッと席を立ちその場で手を振りながら自己紹介を始めた。

 「副会長の3年秋田麻美でっす!よろー」

 「よ、よろしくです……」

 やたらフレンドリーに接して来る秋田は、ポニーテールに白いレースの大きなしゅしゅがトレードマークで、やはりどちらかというと体育会系のようなサバサバした性格だった。

 山口は頷くと、話を続ける。

 「そして、最後にパソコンの前で騒いでいるのが書記の福島さん」

 自分の名前を呼ばれ我に返った福島は、騒ぐのを止めて立ち上がると、必死の形相で俺の前までダッシュして来る。

 「私は書記の福島美里、2年生です!あなたの先輩です!つまり、あなたは私の後輩です!」

 俺の目の前で腕を組みながら、無い胸を張る福島。

 「あ、はい。よろしくお願いします」

 ……としか言えない俺。

 福島はショートカットで黒縁のメガネをかけた、身長150センチにも満たない小柄な女子で、見た目は中学生にしか見えず、制服を着ていなければ子供料金でバスにも乗れそうだった。

 「これからは私が桜田の教育係として書記のいろはを叩き込みます。つまり、あなたは書記とはどんなものかを私から叩き込まれます!」

 いちいち面倒な言い回しの福島だが、ここはスルーして山口に話しかけよう。

 「会長。自分は書記を担当すると聞きましたが、実際は『何でも屋』と考えた方が良いですか?」

 「ほう。さすがに学年トップの成績だけあって察しがいいね。こちらもどうやって言い出そうかと考えていたんだ」

 そう言いながら山口は、コの字に並べられた会議卓を振り返り話を続けた。

 「生徒会は俺達3人で切り盛りしていたんだが、学園祭が終ると俺達3年生は引退するので、新たな会長を決めなければならない。本来であれば、自薦他薦問わず複数の立候補があれば、校内選挙で選出されるべきなのだが、毎年立候補が無くてね。仕方なく、現役の生徒会から選出しているんだ」

 まぁ、そうだろう。と俺も思う。

 生徒会長なんて、どう考えても損な役回りだ。同じ生徒からも何かあればすぐに「生徒会長」と呼ばれ、まともに名前も呼ばれなくなるのだ。

 「──で、今年も選挙は予定しているのだが、立候補が無ければ福島が会長になるだろう。そうなると、その下には君しかいなくなる……もう書記とか副会長とか、そんな枠に縛られている場合じゃなくなるんだ」

 まぁ、これもそうだろう。

 あんた達3人が生徒会に対して、一般生徒に関心を持たせるような事をしてこなかったから、しわ寄せがこっちに回って来るんだ。

 「……このままでは生徒会が潰れるのも時間の問題ですね」

 俺はうっかり心の声を口に出してしまった。

 「………」

 誰も口を開く者がいなかった。

 うーむ。

 これは俺が何百年も経験してきた体験談だが、体育会系のリーダーは、やるべきことが予め決まっていて、全員が一致団結して前に進もうとする時には、強いリーダーシップを発揮するが、肝心の『やるべき事』を決めるのが苦手な傾向が強い───気がする。

 この場合のやるべき事は複数あり、物事を順序立てて考える必要があるのだが、ここを疎かにするから負の遺産を次世代へ積み立てる事になるのだ。

 「すみません。……とりあえず、福島先輩に仕事を教えてもらいながら生徒会の仕事に慣れていき、徐々に仕事の幅を広げていきたいと思います」

 「そ、そうか。そうしてくれると助かる!よろしく頼むよ!」

 山口が微妙な空気を察して無駄に元気よく答え、俺の背中をバシっと叩く。

 「はい!」

 と、俺も元気に答えると、山口は満足そうな顔をして元の席に戻って行った。

 「───で? 話は終わりましたか?」

 足元から女性の声が聞こえる。

 驚いて下を見ると、福島がしゃがみこんでこちらを見上げていた。

 「何してるんですか?先輩?」

 俺は首を傾げながら福島に問いかけた。

 「あなたが私をシカトして会長と話しをしてたんじゃないですか!」

 勢いよく立ち上がりながら抗議する福島。

 ああ、そうだった。この人、面倒そうだったからシカトしたんだった。

 「桜田には、今から簡単な仕事をやってもらいますので!」

 「あ、はい。早速ですか」

 「そうです。先ずはパソコンの操作に慣れてもらいます。一緒にこっちに来てパソコンの前に座って下さい」

 「はい」

 と言いながらデスクトップPCの前に座る。福島は俺の隣りに立ちながら説明するようだ。

 生徒会で使っているパソコンはかなり古く、ファンの動作音が異常なほどうるさい。

 「私たちは、生徒会で決まったことを先生やPTAに報告する必要があるので、パソコンでその決議内容を打ち込んでプリントアウトして提出しています。そこで手始めに桜田には、ホワイトボードの内容をPCの表計算ソフトに入力して欲しいのです」

 「えーと。この表計算ソフトに項目と金額を入力するだけでいいんですか?本当はそこから報告書を作成すべきだと思うのですが?」

 「最終的には報告書を作成しますが、とりあえずそれは次の段階で教えます」

 「わかりました」

 とりあえず言われた通りにしようと思い、作業内容を承諾する。

 で、いざ作業に入ろうとするが───ホワイトボードの内容を転記するのにはPCの位置があまりにも悪すぎる。

 どうしてホワイトボードが背後の一番奥にあるんだ?

 入力するには、いちいち振り返る必要があり、しかも遠いから見にくくて無駄が多すぎる。

 「ちょっとPCを移動してもいいですか?」

 俺は隣にいる福島に聞くと、驚いた表情で聞き返された。

 「え!?パソコンって移動できるのですか!?」

 「……」

 俺はこの瞬間、どうして生徒会の仕事が捗らないのがわかった気がした。

 

 このあと、俺はPCをホワイトボードの前に移動しようと思ったのだが、電源タップが無いという問題と、移動のために一度PCをシャットダウンすると、古いPCなので立ち上がるまでかなりの時間を要すると思われたので止めることにした。

 そこで、ホワイトボードはキャスター付なのでPCの横まで移動し、モニターとキーボードだけをホワイトボードに正対するように机を配置してから作業に取り掛かった。

 何事も段取りは大事なのだ。

 で、作業開始から3分で入力完了。

 会長、副会長、書記の先輩3人は、あまりの速さに驚きの表情を見せ、次に歓喜に沸くのだった。

 俺はため息をつくと、今度は報告書の雛形を見せてもらった。

 ………よくこんな酷い報告を今までしていたもんだと、正直、呆れかえった。

 今のご時世、『報告書』でネット検索すれば、ちゃんとした一般的なフォーマットの報告書がすぐに見つかるはずだ。

 いくら使っているPCにLANが接続されていないとしても、自宅やスマホで検索する、或いは職員室でPCを借りるくらいはできたはずだ。

 まぁ、俺くらいの人生の経験者ともなれば、そんなフォーマットは不要ではあるのだが。

 ささっと新たな報告書の雛形を作ると、それをデスクトップに保存し、今後の報告書はこれを使うように3人に連絡する。

 その際の必須入力箇所とその他注意事項を実際に操作しながら伝え、報告書が完成したら決められたフォルダへ入れることも徹底する。

 ついでに、ファイル名やフォルダ名のルール化や、不要ファイルの削除など、PCを使用する上での必要最低限のルールをテキストファイルに記しておいた。

 「そろそろお昼休みが終わるので、とりあえずはこれで教室に戻ります」

 と言って立ち上がると、3人の先輩たちが俺を取り囲む。そして、両手を胸の前で組み、目を潤ませながら呟いた。

 「「神・降・臨・!」」

 「………」

 俺は軽く頭を下げると生徒会室を出る。そして教室に戻りながら、ふと記憶を遡ってみる。

 どう考えても、これほど生徒会がポンコツだったことは、過去には無かったはずだ。

 やはり世界の歯車は、俺の知らない方向に回り出していると考えるべきだろう。

 ───だとしても、この高校生活は大西さんの攻略を最優先に行動すべきだ。

 そうすれば色々あるにせよ、70歳までは幸せな生活が約束されるはずだ。

 

 ………うっかり事故らなければだが……。

 

 

 


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