君がそばにいる、僕はここにいる
「おはよう」
耳元で声がした。やたらと甘ったるく、気分が悪くなるような声。その声のせいで、安らかな永い眠りから覚めたようだった。このまま眠り続けて死ねたらよかったのに、と思った。
「よく寝れた?」
少し前まで仰向けで眠っていた僕の耳元で、粘っこい声で囁くこの女は、僕のことを一方的に思っていたクラスメイトである。
僕は顔立ちが整っていたり、特別気立てが良いわけでもなかった。どこにでもいる、普通の男子だった。
高校生になり、一丁前にクラスのテニス部の女子に告白なんてものをして玉砕したりと甘酸っぱい経験を少し積んだある日、話したいことがあると僕を呼び出してきたのがこの女だった。
*
「ごめんね。いきなり呼び出して」
学生が告白する場所の定番といえば放課後の屋上など、学校内なんじゃないかと僕は思っていたのだがあの女が指定してきたのは学校から二駅離れたところにある小さな公園であった。呼び出し方も今時珍しく、靴箱に手紙を入れるという方法であった。
しかし別に、この女とは関わりがあるわけではなかったので、もしかすると告白の類ではないかもしれないな、とも思ったが。
ただこの女、別に美人だというわけでもなければ、クラスでも浮いているイメージしかなく、興味はおろか女子としても見ていなかった。
「どうしても伝えたくって」
あぁ、これ告白かもな、面倒くさいなぁ。これがあのテニス部の娘だったらどれほど良かったことか。
「私……君のこと、好きなんだ」
予感が的中してしまい、少しテンションが下がった。しかしあまり適当にあしらっても失礼だろうなと思った僕は、いかに丁重にお断りしようかと考えていた。
「え……っと、ごめん。他に好きな人がいるんだ」
出てきた台詞は、何とも言えないほどありふれたものだった。一方返事が不服だったのか、女はふくれっ面をしてこう言った。あまり可愛げのある表情ではなく、醜く歪んだ顔だった。
「あのテニス部の女の子でしょう? あの子は同じ部の先輩とっかえひっかえしてるような女よ? 私のほうがいいに決まってるじゃない!」
断っただけでここまでキレるのか、と僕は一歩引いて女を見ていた。そして何より、自分が好いてる女子の事を貶されたことが頭に来てしまった。嫉妬と憎悪に駆られてペラペラと早口で捲し上げる様子に、今までにない程の狂気を覚えさせる。誰に見向きもされなかった女が、パッとしない僕を振り向かせようと醜く喚く姿は、他人から見れば滑稽の極みだろうな。
「そうやって他人貶して悪いように言ってまで、自分の事よく見られて嬉しい?」
女というものは時に醜い。恐らくこの女は、自分を良く見せるために他人を平気で傷付ける。そうして得た愛を、結局つまらない理由で再び無に還し、新たな男を漁る。お前こそとっかえひっかえできるスペックが無いから、あの娘が羨ましいんだろうよ。喉まで出かかった言葉を抑え込んだ。これ以上何か言って面倒になっても困る。
「う、うるさい! 私はあなたが振り向いてくれればそれでいいの!」
心の底から吐き気を覚えた。こいつは本当に女子なのかと思うほど、手入れのなされていない荒れたガサガサの肌が紅潮していた。焼け野原のような頬に、一筋雨が落ちた。刹那、自分の発した言葉を撤回して謝らなければという申し訳なさを覚えた。
「ご、ごめん……言いすぎた……でも、あなたとは付き合えないよ……」
「そう……」
炎上が収まったガサガサの高原は、すっかり乾ききっていた。そして突然吹雪いたかのように、みるみる真っ白く変わる。
「ざんねーん……」
と、突然、見たことのないような笑い方をした。目をひん剥きながら、口角をぐっと上げながら「あっははは〜、でも諦めないから♪」などと言いながら笑う。僕の背筋が、吹雪に吹かれ凍る感覚を覚えた。これはやばいと悟った俺は、とにかくその場から逃げるべく走ろうと足を踏み出した。
「諦めないって言ったでしょ〜?」
聞いたことのないような甘く、粘っこい声がした。何だか少し頭が痛くなった。呼吸は少しずつ上がり、心臓の音が聞こえそうな程に全身の血の巡りが良くなる感覚、不快感、恐怖、冷や汗、緊張感。交感神経がフル稼働しているようだった。
「絶対オトしてみせるからね〜♪」
女がこちらに近づく。まるでニヤニヤとした笑顔を貼り付けた、人形のようにゆっくり。逃げないと、早く走って人通りの多いところまで……! 分かっているのに足が動かない。これが金縛りという奴なのか、はたまた後ろで気味の悪い笑みを浮かべながら笑う女の仕業なのかは分からなかったが、足が地面に固定されてしまったようになり、逃げ出すことができなかった。
そうこうしている間に、女の気配を背後に感じた。僕の全身から血の気が引く。足の違和感は全身に広がる。足から太腿、腰へ、そしてそこから上半身、肩、手の指の先へ、少しずつ感覚がなくなる。
耳元で女が何かを囁く。声にならない悲鳴をあげたが、誰にも聞こえなかった。女が「好き♡」と一言言った。耳から鼓膜を伝って、脳にまで響く。脳内で何度も何度も声が響いて、頭が壊れそうだった。
「ずーっと、一緒」
ジジッという音とともに、得体の知れない痛みと痺れを首の辺りに感じた。その直後に、僕の意識が完全に飛んだ。
倒れる直前に見たのは、凍えた高原だった。
*
美人のヤンデレとか供給過多感すごくないですか。むしろご褒美まであるじゃないですか。
でも芋女子のヤンデレって相当怖くないですか?ってな発想で書きました。