第七話
「若葉先生とはもう話をしたのかね?」
「…いいえ、まだ。ですが、姿は確認しました」
帰国し、生徒たちと空港で解散した後、その足で真っ直ぐ白羊高校へ向かった。もちろん、若葉に会うためである。残りの研修期間は若葉の心配ばかりしていた。
卒業式の日と同じように校内を探し回り、やっと見つけたのは、最後に若葉を見た場所──裏門の前だった。
若葉の姿を見つけた中河は自身の目を疑った。若葉は頬がこけ、白衣から覗く手もやせ細り、骨と皮にしか見えず、実年齢より10も20も老け込んで見えた。若葉は気だるげに校舎にもたれかかり、胸ポケットから煙草を取り出し、マッチで火をつける。しかし、煙草の煙を吸うわけでもなくただ咥え、もたれかかったままずるずると座り込み、ボーッと空を眺めていた。
「久…?」
恐る恐る声をかけると、若葉は視線だけ中河に寄越した。しかし、ちらりと確認した後はまた視線を空に戻し、ただただ空を眺めていた。
「彼はまるで廃人のようだっただろう?あれでは担任どころか副担任すら務まらない。辛うじて授業はできるようだったため、非常勤講師にしたのだ」
「……」
中河が変わり果てた若葉の姿を思い出し、俯いていると、校長はにべもない言葉をぶつけた。
「我々も奇跡の子が若葉先生ではなく同級生の生徒を選ぶとは予想できなかった。…尤も、どちらに転んでも同じ道だが」
「は?」
中河の喉からひどく低く冷たい音が絞り出された。
理事長は柔和な微笑みを崩さないまま校長の言葉を補足した。
「『奇跡に魅了されし旅人は、土地離れるまで奇跡を追い続ける。奇跡に魅了されし村人は、命果てるまで奇跡を追い続ける』
……百年以上前から伝わるこの土地の言い伝えじゃ。どういう意味なのかは、なんとなくわかるじゃろ………っぐぇ」
「中河先生!」
言い伝えの内容を理解した中河は、テーブルに飛び乗り、理事長の衿をつかみ上げていた。
「くそじじい!!久がそうなると知っていながら、あいつを奇跡の子などというふざけたやつに近づけさせたのか!なぜあいつを担任にさせた!なぜ最初から言わなかった!」
ギリギリと締め上げながら怒鳴る。
「その手を離しなさい!中河!」
校長によって中河は理事長から引きはがされ、ソファに尻もちをつく。理事長は咳き込み、校長が背中をさすっている。
深呼吸をして息を整えた理事長は、柔和な表情を取り下げ、無表情で告げる。
「奇跡の子が選んだことに我々が干渉することはできない。白羊高校が創立する前から決められた理じゃ」
中河は理事長を鋭くにらみつける。
「悔しいかね、憎いかね……しかし、君にはどうしようもあるまい」
「……」
「一介の教員には荷が重たすぎる。彼のことは早めに諦めたほうが君の心のためじゃろうて」
バンッとテーブルを大きく叩き、立ち上がった中河は、そのまま校長室を出ていった。
「…ッチ」
外はすでに日が暮れていたが、土砂降りの大雨であった。荒んだ心のまま生徒たちに会いたくないと考えた中河は、帰宅を選ぶことにした。鞄に入れていた折り畳み傘を差す。
最後に若葉の姿だけでも確認するために裏門の前に足を運んだ。
「久…?」
雨で視界は最悪だが、遠目でも白衣姿の若葉が傘も差さずに裏門の前に立っているのが見えた。先ほどまで力なく空を眺めていた若葉だったが、嬉しそうに誰かと喋っている。大雨で若葉が何をしゃべっているかは分からない。
「久!」
若葉の正面には誰もいない。横にも後ろにも誰もいない。しかし、若葉は楽しげに喋っている。
「おい!久!聞こえないのか!」
中河の声も届かない。
若葉は何もない空間に両手を伸ばし、やさしく包み込んだ。
「っ!」
中河は駆け寄ろうとするが、突然の強風に煽られて、とっさに折りたたみ傘を支える。傘が若葉の姿を遮る。
「ひさ、し…?」
若葉は忽然と姿を消した。若葉が立っていたであろう場所に着くと、中河のつま先にカツンと何かが当たり、滑っていく。
「これは…」
拾い上げたそれは、金魚が彫られたオイルライターだった。




