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第一話 

 三年前、中河武は国語教師、若葉久は理科教師として私立白羊高校に赴任した。

 私立白羊高校は、創立六十年を超え、毎年数人は難関大学に進学する進学校としてもそれなりに名を上げる共学高校である。進学校でありながら、運動部は地方大会の常連で文武両道な学校ともいえる。

 中河は赴任当初から生徒を厳しく指導しており、鬼教師などというあだ名もつけられていた。一方、若葉はユーモアにあふれた授業で生徒からの人気を集めていた。そんな対照的な二人であったが、互いに無二の友人と呼べるほどに親交を深めていた。


 二月中旬、築十数年の木造アパートに一人暮らしをしている若葉は、中河を招いて鍋料理を振舞っていた。男二人で鍋をつつきあう寂しい図に中河は内心苦笑いを浮かべつつ、出汁がよく染み込んだ野菜に舌鼓を打つ。若葉はお椀に肉ばかり取りながら中河に訊ねた。

「中ちゃん、来年度はどこに配属?」

 二人が白羊高校に赴任してから来年度で四年目になる。白羊高校では、赴任三年目までは担任としてクラスを受け持つことがなく、各学年で副担任を務める習慣となっている。

「俺は二年の副担だ。あと、生徒指導もやることになった」

「生徒指導?アハハ、鬼教師の中ちゃんにぴったりだねぇ」

 眉を吊り上げて生徒を指導する中河を想像し、笑う若葉。その様子に中河はやや眉をひそめる。

「…そういう久はどうなんだ?」

「実は新一年生の担任になるんだ!どんなクラスになるのか楽しみで仕方ないよ!」

 クラスを受け持つことへの喜びと期待に胸をふくらます若葉。

「すごいじゃないか!初担任おめでとう!ほら、飲め飲め」

 若葉が初めて担任を務めることになったことに中河も喜ぶ。空になっていたグラスにビールをなみなみと注いだ。若葉も中河のグラスにビールを注ぐ。

「久の初担任を祝って」

「中ちゃんが鬼教師らしく厳しい生徒指導ぶりを期待して、乾杯!」

「鬼教師は余計だ!乾杯!!」

 二人だけの飲み会は朝まで続いた。



 年度が替わり、若葉と中河はそれぞれ職務に励んでいた。若葉は初めての担任業務に、中河は修学旅行の準備や生徒指導に忙しく、中々言葉を交わす機会がなかった。

 あれよあれよと言う間に季節が変わり、文化祭、二年生の修学旅行が無事に終了し、中河はようやく一息をつくことができた。

 ほとんどの生徒が下校した土曜日の放課後、中河は修学旅行で購入した土産を片手に理科準備室を訪れた。

「若葉先生、いるか?」

「あ、中ちゃ…中河先生。どうしたよ」

 中河は、学校内では久ではなく若葉先生と呼んでいる。若葉はうっかりいつもの通りあだ名だで呼ぼうとして言い直した。

 若葉は化学の小テストの採点をしていたらしく、机に生徒の答案が拡げられていた。隅には採点しながら吸ったであろう吸い殻がこんもりと灰皿に置かれていた。

「修学旅行の土産だ。やっと一息ついたから近況でも聞こうと思っていたんだが……忙しそうだな」

 そう言って中河は若葉に土産が入った大きな紙袋を渡す。

「ちょうど採点が終わったところ。せっかくだからお茶飲んでいって……饅頭だ!ありがとう!」

 甘味に目がない若葉は、中河の土産にご機嫌である。採点済みの答案と吸い殻を手早く片付け、茶を用意する。

 湯呑代わりのマグカップに茶をいれ、一つは中河に渡した。

「あぁ、そうだ。土産がまだあったのを忘れていた」

 受け取ったマグカップを机に置き、中河はスーツのポケットから小さな紙袋を取り出して若葉に渡す。若葉は、受け取った紙袋を開けて中身を確認すると、喜色満面で中から銀色の物を取り出した。

「オイルライターじゃないか!しかも金魚柄!」

 中河のもう一つの土産は側面から蓋にかけて金魚の彫刻が装飾されているオイルライターであった。あれこれと色々な角度でオイルライターを見ている若葉は、饅頭の時よりも喜んでいる様子だ。

「たまたま入った土産屋に売っていた。お前ン家の金魚に似ていてつい買ってしまった」

「ありがとう!中ちゃん!うちのゴルちゃんにそっくりで可愛いよ!」

 大変気に入ったらしく、若葉はさっそくオイルライターで煙草に火をつけようとした。

「ちなみにガスもオイルも入っていないぞ」

「えぇー!」

 若葉はそっと煙草を戻し、オイルライターも胸ポケットにしまった。


 改めて饅頭をつまみながら雑談に興じる。

「担任はやっぱり大変か?」

 茶をすする中河。猫舌の若葉は、息で冷ましつつ少しずつすする。

「ぼちぼちだね。幸いなことに素行不良の生徒もないし、不仲な生徒たちもいないから指導面では楽かな?これといって問題も起きてないよ。…そっちは?」

「やんちゃばかりだ…。旅行先でも勝手な行動をする生徒たちがいて捕まえるのも一苦労だった。もう修学旅行の引率は嫌だ…」

「旅行ははしゃいじゃうから仕方がないけど、鬼教師もうんざりする程だなんてよっぽどだったんだね」

 へこむ中河を面白がる若葉。

「そういうお前もそのうち修学旅行を引率することになるんだ。覚悟していた方が良い…」

「ハハハ、肝に銘じておくよ」


  そして、ひとしきり話した後、若葉は胸ポケットから煙草を取り出し、引き出しにしまっていたマッチで火をつけた。妙にまじめな顔つきで煙を吐く。

「最近、気になる子がいるんだ」

「気になる子?」

 仄かに顔を赤らめる若葉に、中河は驚く。あの忙しい中でいつの間に出会いがあったのだろうと思いながら中河は若葉の言葉を待った。若葉は何から話すべきか迷いながら、ゆっくりと語り始めた。

「…最初はとても地味であまり印象が残らない子だった。でも、彼女はとても努力家な子でね、その成長ぶりには目を見張るものなんだ。ただひたすらに前向きに進む彼女がとても魅力的に見えて、どんどん惹かれていくんだ」

「ほう、それはよかったな。いつの間にそんな人を見つけたんだ?」

 興味本位で若葉の思い人について訊ねた。普段の彼ならば、気になる女性がいれば中河が質問するまでもなく容姿から名前、会話内容までペラペラと喋る。しかし、今の若葉は中河から視線を外し、言葉に詰まっていた。その様子に中河は嫌な予感を感じた。

「おい…お前の思い人ってまさか…生徒、じゃないよな?」

 中河の問いに若葉は小さく頷いた。

「……」

「……」

 部屋の中は沈黙に包まれた。校庭で部活に励んでいる生徒たちの声がかすかに聞こえる。

 中河は親友が打ち明けた内容を受け入れられずにいた。若葉自身も生徒へ恋情を抱いていることに戸惑いを感じていたらしく、気まずそうな表情を浮かべて煙草を灰皿に押し付けて消した。

「……成人するまで手を出すなよ。少なくとも卒業してからにしろ」

 中河が言えることはこれだけだった。

「当たり前だよ!現役の高校生に手を出すわけないだろ!」

「それならいいんだ。ある日新聞に『白羊高校の変態教師、女子生徒にみだらな行為!』みたいな見出しを書かれたら嫌だからな」

「俺だって嫌だよ!」

 若葉の言葉を信用した中河は、これ以上若葉の片思いに踏み込むようなまねをしなかった。しかし、この時に殴ってでも若葉を止めるべきであったと後悔することになるとは知る由もない。




 数か月後、再び人事異動の季節が訪れた。また若葉は中河を自宅に招き入れ、鍋料理を振舞っていた。今回は魚介類がふんだんに入った鍋である。

「中ちゃん、来年度はどこに配属?」

「去年も同じ話をしていたな…。来年度は、新一年生の担任だよ。さらに料理部の顧問をすることになった…」

「中ちゃんが料理部!?…うーん、似合わない!」

 エプロンをつけた鬼教師が生徒たちと一緒に料理をする図を想像して大笑いする若葉。中河はムッとした表情になる。

「そういう久はどうなんだ?」

「今の学年をそのまま受け持つから、二年生の担任だね」

「また同じ学年を受け持つのか」

「そう。しかも今の一年生を担当する先生たちは全員そのままだってさ」

 若葉は魚のツミレをお椀に取りながら答える。教師陣の変更がないことに疑問を抱く中河。

「おかしいだろ、それ。基本的に継続して受け持つのは学年主任と多くて二人ぐらいだったじゃないか」

「変だよねぇ」

 白羊高校では、年度ごとに教師陣がほぼすべて配置換えをすることになっている。学年主任は継続で三年間同じ学年を受け持つが、担任や副担任は他の学年に移ることが多い。

 中河とは違い、若葉は人事異動にさほど気にしていないようである。

「そんなことより、来年度は修学旅行だよ、修学旅行。お土産楽しみにしてて」

「気が早すぎるだろ!いくらなんでもはしゃぎすぎじゃないか?それに、引率だからな?生徒と違って旅行を楽しむ暇はないぞ」

 秋に行われる修学旅行を心待ちにしている若葉に苦言を呈す中河。若葉はやや拗ねた顔で、はいはいと返事をし、魚のツミレに箸をのばしたのであった。


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