たった一日のクォンタムな夏休み・L
土星に魅惑された男と女の夏休み 【第八回「夏祭り」小説競作企画・参加作品】L版
【八月三十日・二十一時三十二分】
[千明・自室のコンパートメント]
インスタントの生麺を茹でる。その前に、胡瓜・半本、ハム・二枚、卵・一個を用意する。胡瓜は千切りにして、ハムは細切りにした。卵はフライパンで薄焼きにした後、細く切って錦糸玉子にする。茹でた麺を冷水で絞めて器に盛る。胡瓜とハムと卵を乗せてから、付属していたタレをかける。脇に、紅生姜とマヨネーズと辛子を添える。
「出来た」
ダイニングテーブルに運んで、その前に座ってから手を合わせる。
「いっただきまーす!」
麺を啜る『ちゅるちゅるー』という音が、1Kのコンパートメントに響く。錦糸玉子を口に放り込んでから溜息を付く千明。
「どうしようかなぁ。明日はたった一日だけの夏休みなのだけど」
ちゅるちゅるーと軽快に麺を啜り、胡瓜とハムと錦糸玉子を放り込む。
「シティへショッピングにでも行くかな」
食べ終わった冷やし中華の器を眺めながら呟く。しばらくの間はボーっとしていたが、急に何かにハッと気付いた感じで言葉を吐き捨てた。
「宛てもなく考えていても仕方が無いわ。サッサとシャワーを浴びて寝ようっと」
スクッと立ち上がってシンクで器を洗った後、シャワールームへと向かった。
【八月三十日・二十二時十五分】
[伊織・自室のコンパートメント]
慌ただしく扉を開けて、ドタバタと部屋の中に入る。
「やっと夕飯に有り付けるぅ」
そう言いながら、コンビニのビニール袋からチルド商品の冷凍食品の餃子五個パックと冷やし中華を取り出した。餃子はレンちんで三分、冷やし中華は玉子と胡瓜とハムのトッピング付で、蓋を開けてタレをかけるだけ。もどかしく冷やし中華の封を開けてタレをかける。マイ箸をキッチンに取りに行った時、「チン!」とレンジが餃子の温め終わりを告げた。熱々の餃子パックをレンジから取り出し、冷やし中華の横に並べた。
「いただき!」
手を合わせるのも早々に『ずるずるずるー』という音と『ハフ、ハフ、ハフ』という声がコンパートメントに響いた。あっという間に冷やし中華と餃子を平らげてベッドに横たわった。そして、溜息をついた。
「明日はたった一日だけの夏休みだけど、どうするかなぁ」
腕を組んでムッとした表情で考え込む。じーっとシーリングパネルライトの淡い光を見つめる。
「うーむ、うーむ」
唸り声がコンパートメントに反響する。しかし、目を閉じた瞬間に現れた暗闇が意識を雲散霧消させてしまったようだ。
「ぐー、ぐー、ぐー」
今度はいびきがコンパートメントに響き始めた。
【八月三十一日・八時二分】
[伊織・自室のコンパートメント]
カッ!と目を開く。ガバッ!と上半身を起こす。辺りをキョロキョロする。そして、時計を見やる。示している時刻は八時。
「やべぇ! 遅刻だ!」
そう言って慌ててベッドから飛び起きる。だが、何か雰囲気が違うことに気付く。そこで初めて気が付いた。
「あ、そうだった。今日は休みだった」
食べ散らかしたダイニングの跡を見て、昨夜は夕食を食べたままで寝てしまったことにも気付く。冷やし中華と餃子の入れ物を片付けながら呟く。
「寝ちまったよ、何も考えずに。爆睡だったよぉ」
夕食の残骸を片付けた後、シャワーを浴びた。熱いシャワーでようやく身体も頭も目覚めた。
「ふう」
バスタオルで身体を拭きながら、ぼんやりと今日の予定を考える。
「今日はシティに出るか」
ラフなスタイルの洋服をチョイスする。と言っても、自分のクローゼットには白いTシャツとブルージーンズしかないのだが。
「まずは朝飯だな。腹が減っているし」
髪を乾かした後、いつものTシャツを着て、いつものジーンズを穿いた。
「代わり映えがしないなぁ、俺」
そう苦笑いしながら、コンパートメントの扉を開けて自室から出掛けた。
【八月三十一日・七時二十四分】
[千明・自室のコンパートメント]
可愛いチャイムの目覚まし音でゆっくりと起床した。三十分ほどをベッドの中で過ごした。ベッドの中からPTでCAで連絡を取っていた。
「えー! 何なのよ、みんな!?」
あたしの『お休みだから一緒に遊ぼうよ』という投げ掛けに返信は冷たかった。『ごめん、仕事なの』という返信は仕方がないにしても、殆どの返信を要約すると『ごめーん、デートなの。うふふ』というモノばかりだったのだ。
「なんて冷たいのかしら」
怒りでテンションが上がると思いきや、逆にモチベーションさえも消え入りそうになっていた。
「朝御飯を作るのが面倒になってきたわ」
不貞寝しようと思って布団を被ってみたけれど、それも何だか納得がいかなかった。
「そうよ、あたしの休日はあたしのモノよ!」
思い返してベッドから起きて、クローゼットを物色する。
「可愛いワンピースを着ようっと」
薄手のクリーム色のサテン地に淡い花柄がプリントされたワンピースを取り出した。それをハンガーのまま身体に当てて、姿見を見る。
「うん、これを着て出掛けるわ。一人でも平気よ!」
さっと着替えをして、少しだけ化粧をして、部屋を後にした。
【八月三十一日・八時五十四分】
[千明・ダイニングルーム]
朝御飯はいつも自室のキッチンで料理するのだけれど、今日は面倒だからダイニングルームの朝食メニューで済ませることにした。
パンケーキとスクランブルエッグ、フルーツヨーグルトとミルク。
いつもは日本食なので、普段は食べないメニューをチョイスしてトレイに載せる。レジにIDカードを提示してペイしてから、展望窓の席に座る。窓にカウンターが設えられた席で、その展望窓からは土星とその環が目の前に広がっていた。
「今日は土星がキレイだわ」
サターン・ISCは、土星を十五日ほどで公転しているので、太陽光を浴びて白く輝く土星と環が見える時もあれば、土星しか見えない時や、土星も環も影になって観えない時もあるのだが。
「やっぱり、土星はキレイよね」
そう呟きながら、メープルシロップが滴るパンケーキを口に運んだ。その時、男性の声がした。
「すみません。隣の席は空いています? 座ってもいいですかね?」
ビックリしながら、横を向いて男性を見る。真っ白なTシャツがやけに眩しかった。
「え、えぇ、どうぞ」
座った途端にムシャムシャと食べ始めた男性を横目で見ながら、あたしはさっと食べ終えて先に席を立った。
【八月三十一日・九時七分】
[伊織・ダイニングルーム]
「まずは朝飯だな」
そう呟いたと同時に腹の虫が鳴って、ダイニングルームへ向かった。十時前のダイニングルームは「朝食メニュー」しかない。出来るだけ安くてボリュームのあるメニューをチョイスする。
ソーセージとスクランブルエッグとレタスのサンドにビーフパテと目玉焼きのバーガー、大根とツナのサラダにオレンジジュースとコーヒー。
溢れてこぼれそうになるトレイを抱えて、土星がクッキリと見える窓際の席に座ろうと見回すが、女性が座っている隣の席しか空いていない。仕方なく、声を掛ける。
「すみません。隣の席は空いています? 座ってもいいですかね?」
「え、えぇ、どうぞ」
可愛い声が返ってきて、ちょっとドキッとする。多過ぎて今にもこぼれそうなトレイを慌てて置いた時に、女性の肩と肩が当たったけれども、女性は気が付いていない様子だった。怒っていないかどうか、横目でチラッチラッと女性の様子を伺おうとするのだが、食欲が邪魔をして観察できない。もどかしく思っていると、女性は間もなく食べ終えて静かに立ち去った。寂しい想いが心を素早く駆け抜けていった。
【八月三十一日・九時五十八分】
[伊織・スポーツジムのマシンルーム]
久しぶりに本格的な筋力マシンでトレーニングをする。
「ちゃんとしたマシンは違うなぁ」
いつもは職場のチンケなベンチプレスしかなくて物足りなかった。サターン・ISCでは、一日二時間程度の運動を義務付けられている。ISCでは弱いながらも人工重力装置によって荷重されているのだが、筋力や運動能力の劣化だけでなく、身心への効用も兼ねて行われている。
「うぅ、ちょっときつくなってきたぞぉ」
上半身を鍛えるマシンは問題ないが、ハムストリングスなどの下半身のマシンは、珠の様な汗が出るもののウエイトが思うように動かなくなってきた。それも三セットずつっていうのがつらいところでもある。何とかメニューをこなして、汗をシャワーで浴びてから受付に来ると、どこかで見た女性が、受付のお姉さんと喋っていた。その女性とは朝食の時に座った隣の女性だった。
「さっきはどうもありがとう」
そう声を掛けると、女性はニッコリと笑って会釈をしてくれた。こちらを向いた彼女の、その濡れた髪にちょっとドキッとした。
【八月三十一日・十時九分】
[千明・スポーツジムのプール]
水の中はとっても気持ちが良い。
「水を得た魚って気分ね」
フェイスボンベを装着して流水プール施設にダイブする。その中で、最初はウォーキングで身体を慣らす。適度な抵抗感が足と腕に心地良い。次に平泳ぎでゆったりと泳ぎ、次第に流速が早くなり最後はクロールで泳ぐ。そして、今度はだんだんと流れが遅くなり、最後はゆったりとただ浮いているだけの状態となる。特にその浮遊感が宇宙空間の無重量状態とはまた一味違って心地いい。
千人規模での居住が可能なサターン・ISCでは、惑星本体や衛星の資源を利用して、このような施設の運用も可能なのだ。もちろん、可能な限り快適にISCで過ごせるように配慮されたものであることは言うまでもない。
適度な休憩を挟んで二回ほど、このインターバル・スイミングトレーニングを繰り返してからタンクから上がった。その後に受付の友人とお喋りしていたら、見覚えのある男性が受付を通り過ぎた。
「さっきはどうもありがとう」
照れ臭そうにそう声を掛けてくれた男性は、朝食の時の男性だった。軽く会釈をすると、彼はニッコリと笑ってくれた。
【八月三十一日・十二時五分】
[千明・ダイニングルーム]
もう一度、親しい友達に連絡したけれど、結局は一人で昼食になった。
「ちょっと寂しいけど、これも仕方がないわね」
ダイニングルームの昼食メニューは種類が多い。ISCの食事を一手に引き受けている『社員食堂』みたいなものだから。あたしは飲茶のプラスアルファセットを注文。午前中に運動をしたからお腹が減って、たくさん食べたいなって思ったから。通常だと蒸籠が三つだけど、プラスアルファだと五つまで注文できるのよね。
「わーっ、カワイイ!」
金魚や貝の形をした餃子、花の形やまん丸の焼売、スープがあふれる可愛い小籠包を愛でながら舌鼓を打つ。ちょっと食べ過ぎたかな……あ、違うわ。デザートにクルミの月餅と胡麻団子と杏仁豆腐とエッグタルトを頼んだせいかも。お腹パンパンでレジに行くと、またあの男性とかち合った。
「あ、ども」
彼もまた、照れ臭そうにあいさつをする。
「どーもですぅ」
あたしもまた、同じように照れ臭そうにあいさつをした。
【八月三十一日・十二時三分】
[伊織・ダイニングルーム]
汗を掻いて運動をしたせいか、猛烈に腹が減った。ダイニングルームに駆け込んで、昼飯をテンコ盛りで掻っ込むことにした。そうは云っても、オーダーする時に自動的にカロリー計算をされてしまうので、目茶苦茶な注文は出来ないシステムになっているのだけれども。それを忘れて、大盛りの野菜ラーメンと大盛りの高菜チャーハンを注文。それに加えて餃子も注文しようとしたら、給仕係が頭を下げた。
「申し訳ありません。お客様はこれ以上のご注文は出来ないようです」
「あ、そうなの? じゃあ、それでいいです」
照れを隠しながらそう言って、注文を終わらせた。ラーメンとチャーハンがテーブルに届けられたと同時に、右手に箸を持ってラーメンを口に、左手にれんげを持ってチャーハンを掻っ込んだ。空腹は最高のソースであることをしみじみと実感した。食べ終わってレジでIDカードを出してペイしていると、あの女性もレジにやってきた。目が合ったので照れながらもあいさつをした。
「あ、ども」
「どーもですぅ」
彼女は恥ずかしそうにあいさつした。その彼女の態度にこちらも照れ臭くなって、自分はさっさとダイニングルームを去ったのだった。
【八月三十一日・十三時】
[伊織・洋服屋]
久しぶりに洋服屋に入る。
いつもTシャツとジーンズで済ましている自分。それも、Tシャツは精々胸にワンポイントが入った真っ白なモノだし、ジーンズも何の装飾も施されていない普通のストレートなブルージーンズだ。
だからと云って、店であれこれと悩まない訳ではない。萌えキャラとかドクロとか土星の風景とかがデザインプリントされたブラックやブルー、ピンクのTシャツを物色したり、ボーダーのポロシャツとか、カジュアルなワイシャツとか、ズボンもチェックのスラックスとかチノパンとかを試着したりするのだけど、どうも落ち着かないのだ。だから、なぜだかは知らないが「白いTシャツ」と「ブルージーンズ」という結果に落ち着くのだ。つくづく自分は、お洒落な感覚が無いのだと思うのだった。結局のところ、散々物色しておきながら、何も買わずに店を出た。
店を出た瞬間にふと視線を上げると、向いのブティックからあの女性がちょうど出てきて、またまた目が合ってしまった。自分は驚いた表情でうなずいただけだったが、彼女は意味深な微笑みを投げ掛けて会釈をした。次の瞬間には、自分は左へ、彼女もおそらく左、自分から見ると右になるが、お互いに別々の方向へと歩き出していた。
【八月三十一日・十三時十分】
[千明・ブティック]
ぶらりとブティックへ入る。
「しばらく服なんて買ってないなぁ」
そんな独り言を呟きながら、店内に入ってブラウスやワンピース、スカートやパンツを物色する。
「でもなぁ、着て行くことも無いしなぁ」
ふっと宙に視線を泳がせてから肩を落とす。職場として憧れだった、このサターン・ISCに来て五ヵ月が過ぎようとしていた。確かに仕事は楽しいのだけれども何かが足りない気がする。友達にも恵まれているけど、それだけでは埋まらない何かを感じながら。店内の可愛い服に目移りはするけれども、一向にテンションが上がらず仕舞い。結局、髪飾りやシュシュにも興味が湧かずに手ぶらで店を出る。
店を出たそのタイミングで、目の前のメンズショップからあの男性が出てきた。
(また、目が合っちゃった)
あたしは心の中でそう呟きながらニッコリと微笑んであげた。そしたら、彼はちょっとビックリしてたな。
彼の反応を最後まで見届けずに、あたしは左を向いてその場を立ち去った。
【八月三十一日・十四時四十八分】
[千明・ブックストア]
「仕事の本を買わなきゃ」
ブティックを出たあたしはそれを思い出して、そのままブックストアへ直行した。
ブックストアと言っても『紙の本』が置いてある訳ではない。図書館の機能と本屋の機能を併せ持つ感じだ。宇宙施設では紙の重量も馬鹿にならないし、その保管場所も問題であるために、電子書物は当たり前となり、紙は骨董的価値と高価な文化の匂いを留めるのみとなっている。店に入ると紐付きの「TT」と呼ばれる大きい表示装置を備えたPTを貸し出してくれて、それで本を検索して読むのだ。公共指定書籍は無料で読めるし、雑誌や文庫も「立ち読み感覚」で読むことが出来るが、時間制限かページ制限されていて、それ以上を読む場合にはペイしなければいけない。もちろん、ペイした本はPTでもHTでも読めるが、公共指定書籍だけはここか、職場のターミナルでしか読めない仕組みになっている。
一般病棟で働くナースと言えども、最新の医療情報に接していないと、この最新の宇宙施設に居ると言っても医療に関しては辺境と変わらないのだから。パラパラとページをスワイプして、関連事項を読む。ふむふむ、勉強になるわ……あ、そうだ。月刊ナースも買い忘れてた。検索して雑誌を表示してペイボタンをクリックと。
TTを返却するためにカウンターへ。そのカウンターで同時にTTを返却する人が。その手元から視線を辿って顔を見る。
「あら?また貴方なの!」
【八月三十一日・十五時二十分】
[伊織・ブックストア]
「迷っちゃったよ」
あの女性と無意識に反対方向へと歩き出してしまったために、ブックストアから遠ざかってしまった。洋服屋を出る時には(次は本屋へ行くぞ)と思ってただけに。それなのにだ、あの女性の意味深な微笑みで調子が来るってしまったようだ。かなりの遠回りをしてやっとブックストアに辿り着く。
「狭いシティのはずなのに、何で迷うんだ?」
ブツブツと独り言を言いながら、ブックストアのカウンターでTTを受け取る。
「新しい言語のハンドブックが出てたよな。……あ、これこれ」
呟きながら、パラパラとページをフリックする。
「ふむふむ、楽そうだし、楽しそうだし。ペイするか。……あ、そうだ。月刊ソフトウエアを買い忘れてた」
ペイボタンをクリックしてから、『月刊ソフトウエア』を検索してペイをクリック。TTを持ってカウンターへ。そのカウンターで、同時にTTを置いた人が。その手から見たことのあるワンピースの柄を辿って視線を顔に移す。
「あれ?また君か!」
【八月三十一日・十七時五分】
[伊織&千明・展望室]
ブックストアを出た二人は歩きながら話を始めた。
「朝からずっと顔を合わせてますよね」
「そうだね、朝からずっとだ」
「どうしてかしら?」
「さぁ、どうしてなんだろう?」
二人は真横に並んで、でもお互いの顔を見ることもなく歩く。
「今日の行動パターンが全く一緒ってコトよね」
「そーゆーことになるのかな」
「そんなこと、あるのかしら?」
「普通は無いと思うけど」
当てもなく歩いていたつもりだが、二人とも自然に展望室へと足が向かっていた。
「展望室に来ちゃいましたね」
「そうみたいだね」
展望室は文字通りサターン・ISCの展望室で、土星とその環が展望できる場所として設置されている。
もっぱらデートスポットとして紹介されることが多いのだけれども、その機能はあまり有効に活用されていないのが現状だった。しかし、その機能のために数多くのベンチが展望室に設置されていた。
どちらかがアプローチした訳ではないのに、お互いにビューウィンドウに一番近いベンチに近づいて、そこに腰を下ろした。
「ここから見える土星が好きなの」
「僕も同じだ。そしてこのベンチからの眺めが一番キレイだもんな」
「あたしもそう思うわ」
今日の土星はクッキリと白く輝き、合わせて三つの環もキレイに見えていた。
「いつもこんなにキレイとは限らないけど」
「暗く沈んだ土星がいいんだよ。輪郭だけがほのかに見える土星とかね」
「あたしもそう思うわ」
「環が見えない時の土星も神秘的だよな」
「その時は木星みたい見えますよね」
土星の話が途切れて、しばらく沈黙が二人の間に流れた。
「ここへはよく来るの?」
「仕事帰りによく来るけど」
「あたしと同じね」
「へぇ、そうなんだ」
「でも、ここで会ったことは無いわね」
「そう言われれば、そうだ」
「今日は朝から顔を合わせてばかりなのに。不思議よね」
「ホントだね、とっても不思議だ」
ふたりは視線を合わせずにズーッと土星とその環を見続けていた。
「ぐぅ」
「ぐぅ」
先に伊織の腹の虫が鳴いて、次に千明のお腹が鳴った。二人はお互いの赤い顔を見合わせた。
「一緒に夕飯を食べますか?」と伊織。
「えぇ、いいわよ」と千明。
二人は同時に立ち上がってダイニングルームに向かって歩き始めた。
【八月三十一日・十八時】
[伊織&千明・ダイニングルーム]
「申し訳ありません。この時間は個室しか空いておりませんが」
イケメン給仕ロボットの言葉に二人は顔を見合す。
「どうします?」と千明に尋ねる伊織。
「あたしはいいけど?」と伊織に返答する千明。
「かしこまりました」と、二人の意見集約の結果を聞く前に給仕ロボットが案内を始めていた。
給仕ロボットが案内してくれたのは、仕切られた二人席だった。天井からのほのかなスポット照明と、赤いテーブルクロスに置かれた、紅く光る有機ELライトがムードを演出していた。
「なんかドキドキしちゃうね」と伊織。
「恋人でもないのに……」と照れる千明。
「このお席でのお料理はコース料理のみとなりますが、よろしいですか?」とムーディに尋ねてきたイケメン給仕ロボット。
「い、一番安いヤツで!」とビビる伊織。
「あたしも!」と慌てて答える千明。
「かしこまりました」と会釈するイケメン給仕ロボットは宇宙遊泳装置を得た宇宙服のようにスムーズな給仕を始めた。
まずは、エッグカップ風のアペリティフグラスで乾杯、キールを飲み干す。キールはWF(無重力農場)で作られた葡萄とクロスグリを醸造した白ワインとカシスリキュールを使い、地球のそれよりも旨いと評判のモノだ。
スープはヴィシソワーズ。非常に滑らかな舌触りだが|SGPF《シンセティック・ジーン・プロダクション・フード》(合成遺伝子生産食品)ではなく、WFで作られたジャガイモとポロネギの風味がRS(牧場衛星)で生産されるバター、生クリーム、牛乳の美味しさに華を添えている。
魚料理はAFM(農業工場施設)で作られた|SGPF《シンセティック・ジーン・プロダクション・フード》(合成遺伝子生産食品)の白身魚のムニエルだけれども、OVG(軌道菜園)で作られるタイムやローズマリーなどの香草の香りが食欲をそそる。
肉料理はRSで肥育されている霜降り牛だ。「第一の火」が使えない宇宙施設だが、ステーキ専用の電磁調理器具の開発によってその美味しさには定評がある一品だ。
最後はショートケーキとエスプレッソ。宇宙でのケーキはデコレーションに高度な技術を必要とするのだが、ここサターン・ISCは大規模な宇宙施設で人工重力装置が備わっているためにデコラティブなケーキが味わえるのだ。エスプレッソは|SGPF《シンセティック・ジーン・プロダクション・フード》であったが。
割り勘でペイしてダイニングルームを出た二人。
「久し振りに美味しい物を喰ったよぉ」と、腹を撫でながら伊織が言う。
「ちょっと高くついたわね」と、PTで支払い明細を見ながら千明が言う。
「ごめんな、付き合せてしまって」と伊織。
「ううん、こちらこそごめんね」と千明。
顔を見合わせて、ニッコリと微笑む二人。
「それじゃ」と手を振る伊織。
「バイバイ」と手を振る千明。
二人はダイニングルームの出口で左右に分かれた。
【八月三十一日・二十時】
[千明・自室のコンパートメント]
部屋に入って、ダイニングのチェアに腰掛ける千明。
「ディナーをあの男性と。ちょっと高くついたかな。でも、カッコ良かったな、あの男性。ちょっとだけ、だけどね。ほんのちょっとだけよ。ちょっとだけそう思っただけなんだからね!」
一人で照れる千明。
「あ。彼、誰なんだろ? そういえば、名前も聞いてなかったわ。全然、そんな気なんてなかったから。プログラムがどうって言ってたからそんな仕事なのかな? ま、いっか。楽しかったから」
ふぅと溜息をつく千明。
「久し振りだったわ、男の人と二人っきりの食事なんて。照れている雰囲気でもなかったしね。恋じゃないけど、でも恋のようで。その、どちらでもない感じが良かったのかな。ちょっとだけドキドキしたのは確か。それがちょっぴり嬉しかったな。さてと、シャワーでも浴びようかな。うふふ……」
思い出しては微笑む千明だった。
【八月三十一日・二十時十分】
[伊織・自室のコンパートメント]
自室に戻って、ベッドにドカッと座り込む伊織。
「ちょっとしたデート気分だったな。夕飯を女性と食べたのはホントに久し振りだった。妙に緊張したけど、楽しかったな。彼女も楽しかったかな?」
思い出しては、ニヤニヤする伊織。
「彼女、なかなか可愛かったし。名前は……。あ! 名前を聞いてなかったよ。話はいろいろとしたけど、プライベートなことは話さなかったなぁ。精々仕事の話をするくらいだったし。憶えてるのは、彼女がナースだってコトくらいか。まぁ、いいや」
はぁと溜息をつく伊織。
「あはは。なんでかな、ニヤけちゃうよ。楽しかったなぁ。もう一回、出逢わないかな。彼女とさ。そしたら、今度はちゃんと名前を尋ねようっと。でも、また逢えるかなぁ。狭いと言えどもたくさんの人が居るからな、このサターン・ISCには」
ベッドから腰を上げる伊織。
「さぁてと。風呂に入ってサッサと寝るかな」
サッパリとした顔でバスルームに消えた伊織だった。
【九月一日・七時一分】
[伊織・自室のコンパートメント]
目覚ましのアラームが鳴り響く、伊織のコンパートメント。伊織は、目覚ましの停止ボタンを荒々しく押してアラームを止め、ムッとしながら起きた。
「昨日の彼女といいムードの夢だったのに!」
そのくせ、すっきりとした顔をしていた。
「シャッキリとさせて仕事に行くか」
ベッドから飛び起きて洗面所へと向かった。
【九月一日・六時四十五分】
[千明・自室のコンパートメント]
ダイニングテーブルに並んだ朝食。玉子焼きと大根おろしに海苔、ご飯にお味噌汁。千明は、その前に座って手を合わせる。
「いただきます」
そう言って食べ始める。昨日のことなどは、スッカリ忘れたような雰囲気で朝食を食べる千明。
「忘れた訳じゃないわよ。全然、憶えてるわ」
千明は微笑む。
「うふふ、そうね」
箸を口に当てて呟く。
「もう一度逢えたなら。あの男性に逢えたのなら。あたし、考えてもいいわ」
そう呟いて。ニコッと笑って。少し頬を染めながら。千明は静かに御飯を口に運んだ。
最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。
企画サイトにはもっと素敵な作品が目白押しですので、そちらもお読みいただけたらと思います。