第一章 4
「もう、しょうがないなぁ雅ちゃんは! じゃあヒントをあげるよ。あの紙を見てごらん」
促されて、黒髪の少女は紙を拾い上げる。
「これは……“海上都市水月”?」
彼女の深緑の瞳に映るのは、とある場所についての情報であった。
横からそれを覗き込んだ萌花が、疑問符を口に出す。
「もしかして、ここにターゲットが潜伏してるんですかぁ?」
「せいかーい! ってなわけで皆、準備を始めようか。海上都市へ遊びに行くよ!」
「仕事に行くんだろが……」
雅は嘆息し、紙を放り捨てる。
舞台は整った。あとは役者を揃えるだけ。
最後のキャストも今、行動を始めようとしていた。
◆◇◆
最初の能力者が発生してから、もう二七年。
この期間中、異能の力を持つ者による犯罪は数え切れない。
その原因は、社会システムである。能力者には、未だに人権というものが与えられていない。それは日本という国においてもそうだ。
その理由としては、権力者の都合というものが一番強い。彼等からしてみれば、超常の力を持つ者達は生物兵器である。それに人権を付与した場合、運用が面倒になってしまう。
よって、能力者達は力に目覚めた瞬間、人生を決定づけられてしまうのだ。
裏社会へ堕ちるか、人でなしとしての人生を送るか、二つに一つである。
そんな事情もあって、異能を操る者達による犯罪はあとを絶たない。さりとて、これを傍観しているほど、日本の警察組織は不抜けていなかった。
今から一九年前、時の警視総監の努力によって、一つの組織が誕生した。
その名は、“ネオ・ヒューマンズ”。能力者の犯罪に対処するための、特殊機関である。
組織に所属する者達は、大半が能力者。目には目を、異能には異能を、というわけだ。
この組織が生まれたことにより、能力者の進路に新しい選択肢が出来上がった。今までは裏の人間となるか、犬畜生のような生を送るかの二択であったのが、そこに正義の味方となるか、というものが加わったのだ。
結果として、これが大成功。日本における異能者事件は全盛期の半分以下まで減少し、今やネオ・ヒューマンズは国民の英雄的立場にある。
そんな組織の本部。関東の街中に存在する、小さなビルがそれだ。
その内部、代表室にて。
室内は、非常に事務的な空間であった。スペース内には無駄な物が置かれておらず、徹底的に無駄が排されている。
清々しさすら覚える場所に、一組の男女の姿があった。
一人は執務机の椅子に座り、手を組みながら女を睨み据えている。
御歳五六歳。名は波風平次。ネオ・ヒューマンズの頭目だ。
能力者集団を取り仕切る者としての重圧や苦労が、頭部に現れている。
威厳ある佇まいを崩さぬ彼の対面。組織の長の視線を一身に浴びる女もまた、尋常ならぬ空気を纏っていた。
歳は今年で二五。背丈は一七五センチと、女性にしては長身。肉体は均整が取れており、無駄が一切ない。完璧な体躯に備わった容姿は、ある一点を除けば美貌と言って差し支えない。
腰まで伸びたサラサラな黒髪、細くキリッとした眉、薔薇色の唇、真っ白な肌。
大和撫子を体現したかのような印象である。が、その美点全てが一つのパーツによって台無しにされていた。
それは、目だ。彼女の目は、異常に鋭い。つまり、目つきが悪すぎるのだ。
視線だけでも人を殺せそうなぐらい、彼女の眼光は強烈である。
そのせいで、彼女の印象は“美しい”ではなく、“怖い”というほうが強い。
だが、ある意味ではそれでいい。彼女は美しい華ではなく、戦士なのだから。
黒一色のロングコート、下半身を覆い尽くす真っ黒なズボン。
この服装こそ、戦闘部隊の証である。
黒髪の美女――斬崎刀子は、組織内でも最強クラスの狩人だ。
そして、彼女は沈黙を破る。
「なんの用だハゲ」
麗しい唇から放たれたのは、上司に向けてのものとは思えぬ暴言であった。
それを咎めることなく、平次は問いに応じる。
「貴様を呼んで子守を頼んだことがあったか、狂犬。今回も平常通りだ」
「はん。で、オレは誰をブッ殺しゃいいんだ?」
「……加賀美俊彦。知ってるな?」
「おう、豪華客船に乗ってるいけすかねぇ金持ち共を皆殺しにしたクソ野郎だろ? 今回の獲物はそいつか」
「うむ。奴が水月に潜伏しているという情報があった。至急出向いて始末してこい」
「ハッ。あんたにしちゃあっさりだな。いつもいつも、できるだけ生かして捕まえろとか抜かすのによ」
「今回の標的はあまりにもやりすぎた。人数もそうだが、殺した面子も悪かったな。もはやどう足掻いたところで死刑は免れまいて。それに……奴はフリークスの構成員だ。死なすなと言っても、貴様は聞かんだろう?」
「ひゃははは! そんなの聞くまでもねぇだろ。あのクソッタレな組織とつるんでる奴等は問答無用で皆殺しだ」
ゾッとするような笑みを浮かべる刀子。その顔は、人間特有のものだ。
殺したくて殺したくてたまらない相手を、始末する時の表情。人類という種族の恐ろしさ、醜さを体現した顔。
平次は小さく息を吐くと、彼女に向けて命令を下す。
「今回の任務は、あの水月で行うことになる。完全な治外法権だ。好きに暴れてくれて構わんが、尻は自分で拭え。どんな手を使ってでも獲物の首を取ってこい」
「言われなくてもわかってるさ。ま、せいぜい楽しませてもらうとしよう」
凄絶な笑みをさらに深める刀子。
この時点での彼女には、知る由もない。自分が受けた任務が、どれほど楽しく、どれほど爽快で、そして――どれほど下らないものであったかなど。
これにて、役者は揃った。
舞台の幕が、静かに上がる。