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第四章 9

「あたしは……自分のことばかり考えてた……だから、お前のことを軽視しすぎてたんだ……あたしはお前がいなきゃダメだったってのにな……」

 その台詞を聞いて、ノインは拳を止める。

「ゼクス、治ったの? 元に戻ったのね?」

 お前がいなきゃダメだった。その通りだ。それがゼクスの本来の思考だ。

 彼女は自分の手によって再生された。

 ノインは花が咲いたように笑って、最愛の少女に抱きつこうとする。

 が、それをゼクスは言葉で制した。

「確かに! あたしは後悔してる。自分の選択肢に後悔してるよ。でもな、あたしは人間になったことを悔いたことは一度もないし、これからもない。外の世界は辛いこともあるけど、楽しいこともたくさんある。お前にそれを見せてやりたいんだ。だから、あたしはお前のところには“絶対に戻らない”戻ったなら、また道具に逆戻りだ。そうなるぐらいなら“死んだほうがマシだ”ノイン、あたしは――」

「何を言ってるの?」

 もう聞きたくないとばかりに、彼女の言葉を打ち消す。

 ゼクスはなんと言った?

 絶対に戻らない?

 死んだほうがマシ?

 なぜ、そのようなことを言う。戻るぐらいなら死を選ぶなどと、何故言うのか。

 ノインの胸中で怒りが膨れ上がり――大噴火が起こった。

「何を言ってるのよ、貴女はぁッ!」

 全力で殴りつける。

 これは不意打ちだったらしく、拳はゼクスの顔面を直撃。彼女の肉体が大きく吹っ飛び、数十メートル先にあった建造物の壁に激突した。

 距離が離れる。されど、大きく間合いも、ノインには関係がない。

 おおよそ三〇メートルを、彼女は一秒とかからず走破し、ゼクスのもとへ。それからすぐに追撃の右拳を放った。

 それはすんでのところで躱される。目標を見失った拳は壁面に衝突し、広範囲を破壊。

 ノインは手を休めなかった。

「なんで、なんでそんなこと言うのよ! わたしはこんなにも思ってるのに! こんなにも好きなのに! こんなにも愛してるのに! なんでそれを受け入れてくれないの!?」

「くっ……や、やめろ、ノイン……」

 苦悶の顔となりながら、攻撃を防御し続けるゼクス。受ける腕が赤く腫れ上がり始めた。

 そんなことお構いなしに、ノインは彼女を殴り続けた。

 その様は、癇癪を起こした子供である。

 いや、実態はそのような生優しいものではない。

 狂った情念が、偽りの歪んだ愛情が、ノインの思考をおかしくさせる。

 言う事を聞かない子供に手を上げる親の如く、どれだけ手を尽くしても期待通りにならない我が子を打つかの如く、少女は最愛の存在を攻撃し続ける。

 その心中を支配するのは、ドス黒い狂気。

 ゼクスは自分を拒絶した。自分の思いを踏みにじった。自分の思い通りになることを拒んだ。

 許せない。許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない、

 こんなにも愛情を注いであげているのに、なんわかってくれないのか。なんで受け入れてくれないのか。

 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。

「うっ……くっ……」

 気づけば、涙が流れ落ちていた。

 悲しくて、悔しくて……否、それだけではない。

 ニトロが切れたのだ。さっきから全力の一撃を連打している。それが原因で、摂取してから一時間と経たぬうちに体内の薬品成分が尽きようとしているのだろう。

 このままでは、死んでしまう。

 だが、それがどうした。

 今はゼクスのことが先決だ。ニトロの摂取などどうでもいい。聞き分けの悪い彼女に、自分の存在の大きさをわからせなければならない。

「ゼェェェェクゥゥゥスゥゥゥゥゥゥゥゥ――――――ッ!」

 絶叫が轟く。

 ノインは打撃を放ち続けた。ゼクスの両腕は内出血で真っ黒になっている。もう少し打ち続ければ、骨が粉々に粉砕されるだろう。

 こちらも痛い。ニトロが体を蝕む。薬品成分が、内側から少女を殺そうとしている。

 しかし、そんなことはどうでもいい、

 もはや彼女は、ゼクスのこと以外何も考えられなくなっていた。

 心の中で、様々な情念が巡り、溶け合い、ぐちゃぐちゃになっていく。

 愛情と憎悪と狂気と激痛と――本心が、混ざりに混ざっておぞましい色を生み出した。

 ゼクスが愛しい、ゼクスが憎い、ゼクスを壊したい、ゼクスと一緒に『なんでわたしはこんなことをしているの?』ゼクスが好『辛い、痛い、苦しい』ゼクスのために『痛い! 痛い! 痛い! 痛いよ!』ゼクスが『なんでわたしがこんな思いをしなきゃいけないの! 誰か――』ゼクス『わたしを助けてよ!』

 暗転。

 痛みが消えた。もう何も感じない。何も感じられない。きっと、彼女は何も感じないということすら感じていない。

 苦しみも狂気も愛も、何もかも、終わりを迎えたのだ。

 

 

 拳が止まる。

 雅は、目を瞑っていた。打撃を受け続ける内に、ノインへの恐怖が生まれたからだ。

 こんなにも一方的に攻撃されたのは初めてだ。こんなにも心が痛い攻撃は初めてだ。

 親から折檻を受ける子供の気持ちがよくわかった。言葉も出ず、ただ怯えて丸まっていることしかできなくなる。

 さっきまでの自分がそうだった。

 しかし、痛みはもう来ない。どうなっているのだろうか。

 ノインが攻撃をやめたことはわかる。彼女の叫び声が止まっていることからして、それは明らか。

 では、なぜ拳を止めたのだろう。

 疑問を抱きながら、雅は目を開ける。

 深緑の瞳が、拳を繰り出そうとした状態で静止するノインを捉えた。

 一瞬驚いて、再び目を瞑りそうになったが、なんとか堪えた。

 何かが、おかしい。

「ノ、イン……?」

 声をかける。彼女は応答しない。

「ノイン?」

 再度呼びかけるが、さっきと同じく返答はなし。

 疑念が不安に変わる。この反応、この雰囲気、この感覚。これはまるで――

「ノイン! お前……ッ!?」

 内出血で真っ黒になった腕を下ろし、ノインを注視する。

 それで、ようやくわかった。わかってしまった。

 彼女は、死んでいた。立ったまま、絶命していたのだ。

 その顔を鬼相としたまま、こちらを睨み、憎悪の念を宿し――彼女は死んでいった。

 ノインの両目の下には、涙の痕が残っている。それが何を意味しているのかは、もう一生わからない。

 彼女はこの世からいなくなってしまったのだから。

「ノイン……ノイン……!」

 自然と、涙が流れ落ちていた。

 次から次へと雫が溢れ、頬を伝い、地面に落ちる。

 救えなかった。唯一無二の友を救うことができなかった。

 なぜこんなことになったのだろう。

 もしも、あの時の言葉を最後まで言えていれば。

 ノインが激昂する直前、雅はこう言おうとしていた。

“ノイン、あたしはお前に人間として一緒にいてもらいたいんだ。一緒に色んなところへ遊びに出かけたり、美味いものを食ったりしたい。映画を見て、テレビを見て、漫画を見て、世界中の色んな景色を見て、笑い合っていたい。今まで一緒にいられなかったぶん、これからはずっと一緒にいたいんだ。だから、お前にも人間になって欲しい”

 この言葉が言えたとして、彼女の心に届いたかはわからない。

 もしかしたら、結末は変えられなかったかもしれない。

 だが、可能性はあったはずだ。ノインが自分と一緒に来てくれる。そんなハッピーエンドが訪れる可能性が、確かにあった。

 なのに、自分は言えなかった。言うことができなかった。

 言おうとはしたのだ。けれど、ノインの猛攻を防ぐことに手一杯で、口を開けなかった。

 その結果がこれだ。

 ノインは死に、雅は生き残った。

 少女は友に憎まれ、恨まれ、誤解を抱かれたまま死に別れてしまった。

 最悪の結末に、とうとう雅は地面に崩れ落ちてしまう。

「ごめん……ごめんなノイン……ごめん……」

 顔を悲しみでクシャクシャにしながら、雅は延々と謝り続ける。

 ノインは何も答えてくれなかった。一点を睨むだけで、ピクリとも動かない。

 

 少女達の末路に、悪魔は悦楽に満ちた笑いを漏らす。

 

   ◆◇◆

 

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