その6
ずっと、籐也君は黙っている。それに、前を向いている。
このままだと、ど、どうなっちゃうの?私…。
車は、そのまま夜の街を走っている。対向車線の車のヘッドライトが、時々眩しい。
「あ、あの」
なぜか、口から言葉が出てきた。
「と、籐也君、私…」
「花、帰るって言っても、俺、帰さないから」
「え?!」
なななな、なんで?
「朝まで、一緒にいたいんだ」
うわ~~~~~~~~~~~~~~~~。
バクバクバク。すごいことを言われた。言われてしまった。私の人生でこんなことが、実際に起きちゃうだなんて思わなかった。
こんなの、漫画か、映画だけの世界だって思ってた。あ、朝まで、一緒にいたい?か、か、帰さないから~~~???!!!
ううん。籐也君と付き合っていたら、いつかそんな日は来るって思っていたけど。でもでもでも…。
心の準備もできていない。あ、いろんなムダ毛の処理とか、あ、下着も可愛くない。それに、親になんて言ったらいいのか。
お、親。そうだよ。なんて言ったらいいの?やっと、思考が回りだしたよ。
「と、籐也君。う、うちの親になんて言ったら?」
「…友達の家に泊まる…とか?」
ひょえ~~。それって、嘘をつくんだよね?そそそ、そんなことが私の人生で起きるなんて!
こんなの漫画か、映画でしか…って、フリーズしている場合じゃない。
「い、家に、で、電話しないと…ダメだよね?」
「うん」
「お、親に…、嘘つかないとダメだよね?」
「うん…」
ああ、籐也君、やっぱり、今日は送っていくよ、とか言ってくれないんだ。親に嘘はいけないよね?今日は諦めるよ…なんて言ってくれないかって、ちょっとだけ期待した。
私は携帯を取り出して、家に電話した。
「もしもし、あ、お姉ちゃん?」
良かった。母より話しやすい。姉から伝えてもらおう。
「あのね、きょ、今日、2次会で久しぶりに、と、友達に会って、その子の家に泊まることになって」
「誰のところ?」
「え?えっと、蘭ちゃん」
ああ、とっさに蘭ちゃんの顔が浮かんだから言っちゃった。
「蘭ちゃん?お母さんの知ってる子?」
「うん。一回うちに遊びに来たことあった」
「苗字は?」
お姉ちゃん、細かい。まさか、お姉ちゃんが、こんなに細かく聞いてくるなんて。
「橘川蘭ちゃん」
「お母さん、電話番号知ってるの?」
「え?そこまでは知らないと思う」
「そうか~~。ま、なんかあったら私からまた、花に電話するようにするけど、一応その蘭ちゃんにも、今日泊まるって言っておいたほうがいいよ。お母さん、どっかから電話番号調べて電話したら大変だから」
「え?」
「私が泊まったとき、あ、これは本当に女友達なんだけど、その友達の家まで電話してきたことあったもん。うまく言っておいてあげるけど、ちゃんと花も根回ししておきなね」
「……え?」
「じゃあね。朝は車で送ってもらうなら、家から離れたところでおろしてもらいなね?お母さんかお父さんに見られたらやばいでしょ?」
「え?え?」
姉は最後に声を潜め、
「籐也君によろしく」
とそう言った。
うわ~~~。すっかり姉にはばれていたか!
電話を切った。
「どうだった?」
籐也君が心配そうに聞いてきた。
「お姉ちゃんが、お母さんにうまく言っておくって。でも、蘭ちゃんにも泊まるっていうこと、言っておいたほうがいいって」
「…そっか」
「蘭ちゃんに電話、したほうがいいよね?」
「うん」
やっぱり。籐也君、「今日は送るよ」とは、言ってくれないのね…。さっきから、こっちもあまり見てくれないし。
私はドキドキしながら、蘭ちゃんの家に電話した。
「あ、蘭ちゃん?」
「花~~?どうした?家に着いた?」
「まだ、車…の中」
「そう。どうしたの?」
「あのね、蘭ちゃんに、その、た、頼みたいことが」
「え?なあに?もしかして、私の家に泊まるってことにして~~とか?」
するどい!
「じ、実は…、そうなの」
「きゃ~~~~!!!!花、おめでとう!」
「え?」
「あ、うちは大丈夫。本当に菜摘が泊まりに来ちゃうし、花も泊まっていることにしちゃうから。なんの心配もいらないから、思う存分、籐也君といちゃついてね!」
「う、うん。ありがと」
私は電話を切った。ああ、なんか、すべてがそういう方へと流れている。家に電話して母が帰ってこいって言ったら、そう籐也君に言えたし、蘭ちゃんが、嘘はつけないって言ってくれたら、家に帰れたのに。
「蘭ちゃんの声、でかいから聞こえた」
籐也君が隣で、耳を赤くしながらそう言った。
「ほ、ほんと?聞こえてた?」
「うん…」
「………」
もう観念しろっていうこと?でもまだ、問題が。いろいろと問題が。
でも、一番重要なのは、私の心がまだ、まだ、まだ、まだ!
でも、何も言えないうちに、籐也君はどこかの駐車場に車を止めた。
あ、今、ずっと下を向いていて、どこの駐車場に入ったか見ていなかった。地下だよね?ここ。
ど、どこの駐車場?
籐也君は先に車を降りて、助手席のドアを開けた。
「どうぞ」
籐也君はちょっと照れながらそう言った。
「う、うん」
私はシートベルトを外し、カバンを持って車から降りた。
そして、ちょっと先を歩く籐也君のあとを追いかけた。
駐車場を出て、エレベーターに乗った。エレベーターに乗ってわかった。ここ、ホテルだ。
どっかの、シティホテルだ!
うわ~~~~~~~~~~~!私の頭、また真っ白!
籐也君は、2階で降りた。私もあとから、静かに降りた。
「花、ごめん。チェックインしてくるから、あそこの椅子で待ってて」
籐也君はエレベーターホールの奥にある椅子を指差した。その真ん前には、化粧室があった。
「じゃ、じゃあ、化粧室行ってていい?」
「あ、うん」
籐也君はそう言うと、かぶっていた帽子のつばを下げ、顔を隠してからカウンターへと向かっていった。
ドキドキドキドキ。化粧室に入って鏡を見ると、ああ、やっぱり、真っ赤だ。これ、籐也君もわかってたよね?
ああ!桃ちゃん。私、とうとう、とうとう…。
トイレに入って、出てから手を洗って、落ち着かないから、桃ちゃんにメールをした。
>桃ちゃん。今日、籐也君と泊まることになっちゃった!どうしよう!
でも、返信は来なかった。
そうだよね。桃ちゃん、いろいろと忙しいよね。2次会のあと、家に帰ってからも、家族とお祝いしてるかもしれないし。あ、疲れちゃって、すぐに寝ちゃったかもしれないし。
はあ。ため息をついた。でも、胸のドキドキはおさまらない。
覚悟できない。でも、化粧室からはでないと。
私は、そのままこの場所にとどまりたくて、動かなくなっている足をどうにか動かして化粧室から出た。すると、もう籐也君がエレベーターホールに来ていた。
「あ、ご、ごめん。待った?」
「いや…」
籐也君は小声でそう言って、ちょうど来たエレベーターに乗り込んだ。私も、そのエレベーターに乗った。
エレベーターホールには、ほかに誰もいなかった。エレベーターにも誰も乗っていなかった。
籐也君は、黙って5階を押した。5、5階なんだ。
「誰にも会いませんように」
籐也君が、独り言を言った。
そっか。どこかで、籐也君のことばれたら、大変なんだよね。
うわ。別の意味でも、ドキドキしてきちゃったよ~~~!
チン!エレベーターが5階についた。籐也君は先にちょっとだけエレベーターホールに顔を出し、
「誰もいない。花、あとからついて来てね」
と言って、さっさと廊下を歩き出した。
私も後ろからちょこちょことついて行った。
「ここだ」
籐也君がドアにカードキーを差し込んだ。そして開けると、
「入って」
と私に小声で言って、私を先に部屋の中に入れた。
私は慌てて部屋に入った。籐也君も素早く入ってドアをバタンと閉めた。
「は~~~~。どうにか、誰にも会わなかったな」
籐也君はそう言うと、なぜかクスッと笑った。
「?」
「ちょっとさ、ドキドキしちゃって…。今、かなりの脱力感」
籐也君は、帽子をとって、ホッとした顔で部屋に入ると、ベッドにどかっと座った。
籐也君はもう、安心したの?私は、いまだに心臓が壊れそうなのに。
私はベッドに座ることもなく、入口に佇んだまま
「と、籐也君の名前で部屋取ったの?」
と籐也君に聞いた。
「ううん。聖さんが取ってくれた」
「え?」
「聖さんと桃子ちゃんの名前で」
「うそ」
「前から、ここのホテル取ってくれてた。っていうか、俺が頼んだんだけどさ」
うそ~~。そんなの聞いてない。じゃあ、籐也君は前から、今日私と泊まることを考えていたの?
「ごめん。昨日花にも言おうと思ってたんだ。でも、言い出せなくって」
「え?」
「花、絶対に断るだろうなって。で、当日、強行突破しかないかなって」
え~~~~~~!!!強行突破?!
「花、途中で逃げ出すんじゃないかって、ハラハラした」
「え?」
「だから、今、ホッとしてる」
あ、それでホッとしたの?
「……花」
ドキン!
「先に風呂入ってくる?」
「う、う、うん」
私はクルッと後ろを向き、すぐにバスルームに入った。
ああ、どどど、どうしよう。頭はまだ真っ白だ。何も考えられない。ただただ、どうしようってそればっかりだ。
でも、体は勝手に動き出し、服を脱ぎ、バスタブに入った。シャワーを出して、タオルを持つと、体を丁寧に洗っていて、
「うわ。私、なんでこんなに丁寧に洗ってるの?」
と自分の行動にびっくりした。
バスルームから出たあと、私はどうしたらいいんだろう。
あれ?私、服を着て出たほうがいいのかな。
でも、今日の下着は、なんにもそんなこと考えていなかったから、可愛くもなんともないし。
だけど、何もつけず、バスローブだけ着るっていうのも大胆すぎる?待って。それとも、普通はお風呂に入って出たら、こういう時、バスローブだけだったりする?
どっち~~~~?!!!!
あ、髪も洗ったほうがいいよね。うん。洗おう。洗面所にドライヤーもついているから乾かせるし。
バクバクバクバク。心臓、壊れそうなほど、早いよ~~~!!
髪を洗い終え、体を拭いてとりあえず、バスローブを着た。それから、ドライヤーで髪を乾かしだした。
一回も、自分の裸を鏡には映して見れなかった。見たら、それだけでも、落ち込みそうだ。
蘭ちゃんみたいに、ナイスバディだったらな。そんな思いがよぎった。
でも、すぐそのあと、足の毛が気になった。脇は今日、ノースリーブのワンピースを着ていたから、ちゃんと綺麗にしてきたけど。
だけど、足はストッキング履いちゃうしいいやって、そのまんま…。私、けっこう毛深いんだよね。
どうしよう。なんか、やっぱり逃げ出したいかも。覚悟、できないよ、籐也君!
そんなこんなで、バスルームから出たくない思いを必死にぬぐい去り、どうにかドアを開けた。
すると、籐也君は、まだベッドに座ったままだった。
「……」
私を見ても、籐也君は黙っている。そしてすぐに視線を外した。
あ。まさか、バスローブで出てきたのは、まずかった?とか?
「俺も、入ってくるけど、花…」
そう言って、籐也君はベッドから立ち上がった。
「え?」
「逃げ出さないでね?」
う!私の心の中、見透かされたかと思った。
籐也君は、私の横を通り、バスルームに入っていった。
バタン。
ドアがしまってから、私は急いで私のカバンから携帯を取り出した。
こんな時、どうしたらいい?誰に聞いたらいい?誰かにすがりたくって、携帯を開いた。すると、桃ちゃんからメールが届いていた。
桃ちゃん!もしかして、なにか助けてくれるようなメール?
>花ちゃん、聖君がホテル予約しておいたんだってね?今さっき、聞いたよ。籐也君は、花ちゃんのこと本当に大事に思っているみたいだし、思い切って胸に飛び込んじゃうのもいいと思うよ。
え~~~~?!そ、そんなアドバイス?
>でも、桃ちゃん。私、心の準備もしていない。あ、お風呂から出たら、バスローブなんか着て出たら変?
そのへんもわかんないよ。
ドキドキ。もう、桃ちゃん寝た?返信来ないかなあ。
ブルル。あ、桃ちゃん?
>変じゃないよ。でももし、本当にダメだって思ったら、正直にそう籐也君に言ってみたら?
ああ、桃ちゃん!良かった。そういうことが私、言ってもらいたかったんだ。
>うん。でも、そんなことして嫌われない?
>花ちゃんのこと、籐也君は大事に思っているから大丈夫だよ。じゃあ、凪も今寝たから、私も寝るね?
>ごめん。疲れていたよね?聖君ももう寝るんだよね?
>あの、寝るって言うより、聖君がメール終わらせて、こっちに来てって言ってるから、ごめんね(>_<)
あ、もしかして、もしかすると…。桃ちゃんも聖君と…。
>ごめん。気がつかなくって。じゃあね。メールありがとう。
>きっと、籐也君も優しいよ。聖君も優しかったよ。
桃ちゃんがそう、最後にメールをくれた。
うっわ~~~~!なんか、そういうのも、リアルっていうか、そんな文章を読んだだけでも、顔から火が出そうだ。
ガチャ…。
ドッキ~~~~~~~~ン!!!
バスルームのドアが開いた。籐也君が出てきちゃった。
籐也君も髪、洗ったんだ。バシッと決まった髪じゃなくって、ドライヤーで乾かして、無造作に手でとかした感じになってる。そ、それに、腰にバスタオル巻いただけで出てきちゃったよ?
ダメだ。籐也君を見れない!
私は手にしていた携帯を慌ててテーブルに置き、下を向いた。私はまだ、ベッドにも座らず、部屋の片隅に佇んでいた。
「花…」
うわわ。籐也君が近づいてきた。
「誰かから電話?まさか、お母さんからとか?」
「ううん。も、桃ちゃんにメールしてた」
「……桃子ちゃん?」
うわ。私ったら、正直に言っちゃった。でも、嘘つけない。
「なんで?」
籐也君が、真ん前まで来ちゃった。ああ、顔もあげられない。
「あの…。私、ど、どうしていいかわかんなくって、桃ちゃんにそ、相談のメール」
「え?」
「なんか、どうしていいか、私…」
そう言うと、籐也君はもっと私に近づいてきた。
ひえ~~~。籐也君が、私の髪を撫でてきたよ~~~!
「桃子ちゃん、なんて?」
「あ、あの。えっと…」
ダメだ。頭、また真っ白だ。桃ちゃん、なんてメールくれたっけ?ああ、心臓がバクバクだ。
「あのね?えっと。あ!思い出した。きっと籐也君も優しいよって」
って言ってから、自分でひえ~~~っと汗が出た。
私、なんつうことを言ってしまったんだ!?