その2
「と、籐也君?」
さっきから、籐也君が近い。心臓が、バクバクいってる。
「花…」
籐也君の顔が、真ん前に来た。ど、どうしよう。
私は思わず、顔を伏せた。それに、籐也君から、徐々に徐々に少しずつお尻をずらし、離れようとした。だけど、離れたぶん籐也君が近づいてくる。
ダメだ。もうソファの端まで来てしまった。
「あ、あの?」
なんで、こんなに近寄ってくるの?ソファから、落ちそうだよ。
「花…」
「え?」
「前から気になってた」
「な、何が?」
「こういう時、なんで俺から逃げるの?」
「え?え?」
逃げる?
あ。うそ。腕、掴まれた。ど、どうしよう。
「俺、ずっと花のこと大事にしてきたけど」
「え?」
「あんまり、こうやって抵抗されられると、へこむんだけどな」
へこむ?なんで?!
「俺って、本当に花からちゃんと想われてんの?」
「も、もちろん」
「じゃ、なんでいつまでたっても、逃げるの?」
「逃げるって?」
「今も。なんで俺から逃げようとしてるの?」
なんでって言われても。なんでって言われても。なんでって言われても。
「と、と、籐也君」
「ん?」
「腕、もう離して」
「なんで?」
「か、顔近すぎるよ」
「…そりゃ、キスしようとしてるから。でも、花、顔をいつも伏せちゃうから」
「だって、だって」
うわ。ソファから落ちる!
と思った次の瞬間、籐也君が私の背中を抱き寄せ、思い切り籐也君の方に私の体を引き寄せた。ソファからは落なかったけど、籐也君に思い切り抱きつくみたいになってしまった。
む、胸、籐也君の胸に思い切り、しがみついてる?私…。
「あ、ご、ごめんなさい。私…」
慌てて起き上がろうとした。でも、籐也君が離してくれない。
「いいよ、このままで」
いいよって?
「ちょっと、このままでいて」
よくない。私がよくない。籐也君の胸が目の前だ。私の心臓が脈を打って、きっと籐也君にも伝わってる。
ほら。ドキ、ドキ、ドキって。
「俺の心臓、やばいね」
「え?!」
籐也君の心臓?
「すげ、早く脈打ってる。わかる?」
「これ、籐也君?」
「うん」
うそだ。私のだよ。
「花…」
「え?え?」
ドキン。籐也君が、髪をなでてきた?!
「なんで、俺のこと避けるの?」
「私…」
「怖い?」
「……」
「俺が怖い?」
なんて言ったらいいのかな。わかんないよ。きっと怖いわけじゃない。でも…。
「ごめんね?」
「なんで、ごめんなの?」
「私がきっと、幼稚なの」
「……」
籐也君の私を抱きしめる腕が弱まった。
「じゃあ、本当に、俺が嫌で避けてるわけじゃないの?」
「そ、そんなわけ…」
私は今の籐也君の言葉にびっくりして、顔をあげた。そして、籐也君の顔を見た。
真っ赤だ。それに、今にも泣きそうな目をしている。な、なんで?!
「本当に俺が好きで、付き合ってるの?」
「も、もちろん」
「ほんと?」
なんで?なんで~~?なんで、何回も聞いてくるの~~~?!
「ど、どうして、そんなこと聞くの?」
「俺も、自信ない」
「え?!」
「俺、本当に最低な男だったし、本当は俺みたいな男、花は好きじゃないんじゃないかって、時々思っちゃって」
「そ、そんな…」
「でも、嫌だって言い出しにくくて、こうやって俺に会いに来てるのかなって」
「まさか!」
「いつ、もう別れるって言われるか、俺、ヒヤヒヤしているし」
「え?」
「俺、あんまり会ってあげられないし、寂しい思いもさせてるかもしれないし。そのうち、愛想尽かされるかもなってさ」
え~~~?!!!!!
「私に?」
「うん」
「私が、籐也君を?」
「うん」
「そ、そんなわけ…」
「ない?でも、花、俺じゃない奴に恋もしたんだよね?」
「え?!」
「スイミングスクールのコーチ」
「なななななな、なんで、それっ?!」
「聖さんが言ってたから」
なんで、聖君はなんでもかんでも、話しちゃうのよ~~!!
「それ聞いて、かなりショックで」
「え?と、籐也君が?」
「花…」
うわ。また抱きしめてきた。きゃあ~~。心臓がドキドキドキドキって、早くなる!
「そいつのこと、まだ、思ってたりする?」
「もう忘れた、とっくに!」
「でも、もしまた会ったら?」
「もう、なんとも思ってない」
だから、離して。心臓が持たない。
「俺と、しばらく会わない間に、そいつが会いに来たら?」
「なんとも思わないし、もう会わないし、それに私…」
「……うん」
「籐也君のことだけが好きだから。籐也君のことだけで、いっぱいいっぱいなの。今も、大変なの。だから、離して」
「……大変?」
「そう、大変なの!」
籐也君が、腕の力を抜いた瞬間に、私は起き上がり、ソファからも急いで降りた。
でも、まだ心臓が大変なことになってる。バクバクバクバク、今にも飛び出しそうだ。
それに、胸が痛い。それに、泣きそうだ。どうしよう。これで、泣いちゃったら、ますます籐也君が変に思う。
「花?」
ほら。心配そうな声で聞いてきた。
「ごめん、泣いてるの?」
ダメ。そんなこと言ったら、本当に涙が出てくるから。
「花…」
ダメ、こっちに来ないで。顔、見ないで。泣いてるのがばれる。
「花…」
「私!私…」
ダメ。なんだか、よくわかんないけど、口から変なことを言い出しそうだ。
「花?」
籐也君が、ソファから降りてきて、私のすぐ横に座った。
「私、籐也君が、すっごくすっごく好きで」
わ、私、何を言い出してるの?
「だから、近くに来るだけで、本当に心臓がドキドキして」
ダメ。なんてことを言い出してるの?
「だって、本当にずうっと好きで」
「花?」
「じ、自分でも、なんでこんなに好きなのかなって思うくらい好きで」
「…」
「きっと、中学の頃から」
「え?」
「私、籐也君が、ひどい男だよって、みんなが言っていた頃から。芹香さんと付き合うようになっても、ずっと想ってた」
「……」
「でも、苦しいから、封印してた。ずっと、籐也君のことは忘れたフリしてた」
「…ずっと?」
「そう、ずっと。だから、会っちゃったら、絶対にまた好きになるってわかっていたし、また苦しい思いをするってわかっていたのに、ライブ行っちゃったの」
「……」
「そ、それで、やっぱり、ずっと好きだったんだって思い知って、また、苦しくなって」
「うん」
「い、今も、すごく好きだから、時々、苦しくなって」
「今も?なんで?」
「わかんないよ。でも、苦しくなるし、切なくなるし、泣きたくなるし、自分でもわかんないよ」
「…花?」
「こんなこと言ったら、きっと、籐也君、呆れるって思った。重たい女だって、思われちゃうだろうなって思ってた」
「俺が?」
「うん」
こくんとうなづいて、私はそのまま下を向いていた。籐也君からの言葉が、怖かった。
「思うわけないじゃん」
「……」
籐也君の顔を、ちらっと見てみた。うわあ。すごく優しい目になってる。
「と、籐也君?」
黙って、私をただ見ている。
「すごく、嬉しいよ」
「え?」
「………。そっか。まいったな」
え?まいったって?やっぱり、困ってるの?
籐也君は頭を下げているから、今の表情が見えない。
「…花」
「え?」
ドキン。
「俺ね、花のこと大事だけど」
ドキン。だけど、何?
「俺も、男だから」
だから、何?まさか、ほかの子のことも、気になるとか。だから、私のことは、もう…。
「だから、キスもしたいし、抱きしめたいって思ってる」
え?!
「いい?」
「よよよよ、よくない」
「……」
籐也君は、慌てふためく私を見て、また顔を下げた。
「はあ」
そしてため息をつくと、
「俺、いつまで待たされるのかなあ」
とつぶやいた。
「ご、ごめんなさい」
「いいけど。俺のことがすごく好きなんだってわかったから」
「…」
かあ~~~。顔が熱い。私、なんだかすごいことを告白しちゃったんだ。
「花」
「え?」
「でも、俺が会わない間に、浮気はしないでね」
「す、するわけないじゃん!」
なんで、そんなこと言うかな~。
「そ、それを言うなら、籐也君も…」
「浮気?」
「う、うん。し、しない…よね?」
「……」
なんで、黙ってるの?
「花が今、キスしてくれたら、しない」
「え?!」
「してくれなかったら、どうかな?」
「ええ?!」
うそ。うそ~~~。
「花?な、泣くなよ。嘘だよ」
遅いよお。もう、涙出ちゃった。
「ごめんって。泣くなよ」
鼻水まで出てきた。ズズ…。
「はい、ティッシュ。今の嘘だから。本気にするなよ」
「だって、籐也君、モテるし。フアンの子、いっぱいいるし」
「フアンになんか、手出さないから」
「じゃ、そうじゃない子なら、手出すの?」
「だ、出すわけないだろっ!花ですら、出せないでいるのに」
「だ、だから、私に出せない代わりに、他の子に…なんて」
「ええ?!そ、そんなこともするわけないだろっ」
「……」
「なんで、疑いの目で見るんだよ」
「だって…。私よりも可愛い子、いっぱいいるし」
「………ああ、ちきしょう」
ちきしょう?なんで、ちきしょう?
籐也君は、しばらくまた、黙り込んで下を向いた。そして、ゆっくりと顔を上げると、
「俺、なんで、今までも花に無理やり手出さなかったと思う?」
とちょっと眉をしかめ、恥ずかしそうに聞いてきた。
「…私が、泣きそうだから?」
「うん。泣かせたくないっていうのもあるけど、それより、花を失いたくないから」
「え?」
「花をもう、失いたくないんだ。俺のそばにずっと、いてほしいから」
「……」
籐也君、それ、ほんと?
「あ~~あ。なんだってこうも、俺、花にまいってるのか、わかんない」
「え?」
「きっと、花が俺が好きなのが、どうしてかわかんないのと一緒かな」
「……ほんと?」
「うん。ほんと。参ってるよ。あ、でも、もうこんな小っ恥ずかしい事は、言わないからな」
そう言って、籐也君はまた、顔を伏せた。それから、手を私の方に伸ばして、私と手をつないだ。
「しょうがない。今日はこれで、勘弁してやる」
と言いながら。
私は、それだけで、心臓がドキドキしてた。でも、籐也君の手があったかくって、安心もした。
ああ、私、本当に本当に本当にね、籐也君が大好きなんだ。
誰かに、あんなひどい男、やめなよって言われたとしても、やっぱり、好きなの。
いつか、私から籐也君の胸に飛び込んで行ける日が来るまで、籐也君は待っていてくれる?
そんな言葉が出てきそうになって、やっぱり、恥ずかしくて飲み込んだ。
そして、この手の暖かさを信じて、ずうっと好きでいよう、隣にいようって、私は心の中で決意していた。