プロローグ4
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「はあ……」
アグリスの街から離れた荒野に張られた天幕。アルスナット王国騎士団の本隊が駐留する野営地の一角。
積み上げられた木箱に背を預け座り込んだライディールは大きく溜め息をついた。
「いきなり溜め息で歓迎とかやめろ。幸せ逃げるぞ」
「…………? ニコラ……」
その時横から掛けられた声にライディールが振り向く。
「せっかくボコボコにされた親友を慰めに来てやったのになんだ、その態度は?」
そこにはライディールがもたれ掛かる木箱に肘を突きながら彼を見下ろす青年――――針鼠のようにところどころ跳ねる赤い髪と対象的な水色の瞳。程好く焼けた肌を鎖帷子を仕込んだ衣服と動き易さを重視した軽装の甲冑で包んだ騎士――――に対し――――。
「普通、親友はそんな風に人のプライドを刔るようなこと言ってこないと思うけどね、ニコラ・ティーグレ殿?」
ジト目で見上げ返した。
「やめろ!? 今更殿付けとか!? 背筋に怖気がぁ!?」
「あぁ、はいはい。僕が悪かったです。
で? どうしたの?」
「……アグリスを落としたらしいな」
ライディールに名前を呼ばれたニコラが笑いながら痒そうに背中に手を伸ばそうとしていたが、彼からの問いに途端に笑みを引っ込めた。
「まだ先生が報告してる最中なのによく知ってるね?」
「その“先生“が精霊魔法まで使って馬走らせたのがなによりの証拠だろ。
天下の聖騎士……その上に立ってる四大騎士の一角が大急ぎで帝国の護りの一つであるアグリスに走っていったんだ……なにかあったことぐらい想像はつく」
「負けて帰ってきたとかは?」
「思わねぇよ。四大騎士が戦線に入るのは確実に勝てる時か、なんとしてでも勝たなきゃならない時だ。
大方、アグリスを落としたのはいいが、援軍に追っ払われた……ってところか?」
「違う……あれは落としたんじゃない……壊したんだ……」
「…………」
その言葉の険呑さと、篭められた感情に気付いたニコラが押し黙る。
彼はライディールの親友たらんとしているが、彼が知る限りにおいてその感情を表に出す姿を見たことが殆ど無かった。
言葉と共に溢れてくる感情の名は――――。
「間違いなく、あそこで戦略魔法を使用した者達がいる……!」
――――怒りだった。
・――・――・――・――
広い緑の草原に作られた街道。そこを巨大なコンテナを牽引した、やはり巨大な一台の黒い車両が轟音を発てて走る。
「それで? アグリスで戦略魔法が使用された、っていうのは?」
「私も現場に居合わせたわけではないので推測になりますが――――」
流れていく窓の外の景色を眺めながら、レオーネが運転席の男からの質問に答える。
「火、水、土、風……四大精霊を複数の術者が束ね、集束して打ち出す最悪の破壊魔法……あまりにも準備に時間と手間が掛かるために“戦争“ではまず使用できない欠陥だらけの術だ。普通に考えれば使われるとは思わないけど?」
こざっぱりと整えた黒い髪と深く蒼い瞳の上に黒縁の眼鏡を掛けた優男のような風貌。中肉中背・細い手足と相まって一見すれば荒事は苦手なように見えて、しかしレオーネと同じ黒いアーミーコートと黒いズボンに、頑丈な黒い革靴を履くこの男――――オーガスト・クリムリーパーは帝国の特務部隊に属する武闘派の軍人であることを彼女はよく知っていた。
「さっきも言った通り推測です、副長。ただ……遠目から見えた“光の柱“……街とはいえ仮にもアルスナットの騎士隊の侵攻を防いできた城塞都市が“根元から吹き飛んでいた“こと……民間人が“誰も避難してない“ことからして――――」
「つまり……アルスナットは警告も無く、民間人が居る街のど真ん中に戦略魔法を撃ち込んだと……」
レオーネの推測に一瞬だけ彼女を見遣ってからオーガストも思案顔で話を進める。
「しかし……戦略魔法はなにより大掛かりな照準……誘導が必要になる。街中でそんな事を出来る筈もない。かといって城壁の外から攻撃範囲に巻き込むように撃ち込んでも効果が上がるか解らない……それでも使うというなら――――」
「街の中の人間……それも部外者ではなく、街中で術式の用意をしていても怪しまれないような特殊な立場の……」
「……本国も荒れるだろうね」
「“あの“皇帝陛下なら嬉々としてそうですけどね……!」
先までの無表情から一転、嫌そうな顔をするレオーネに苦笑いを浮かべる。
「そんな嫌味ったらしく言わなくても……」
「あの男はこれぐらいが丁度いいんですよ。追従するだけの無能よりも反逆者とかの方が大好きな変態なんですから。
それより気になってることが幾つか……まず、隊長とおっさんは?」
「…………」
容赦の無い言い方にどう反応すればいいか迷い、苦笑いを深くするだろう優男は、しかしその問いに笑みを消した。
「副長……?」
「隊長は後ろの部屋で寝てるよ。ヴァール・ミスエアフォルクは……名誉の戦死だよ」
「そうですか……嫌味ばかり言ってきましたけど、実力だけはあると思ってたんですが……口だけだったのか、敵が優秀だったのか……」
「……交戦した敵に精鋭が居たらしくて……追い詰められて“魔剣を二つ同時“に使ったらしい」
「思わぬ強敵に散々言われていた注意事項も忘れ、魔剣に吸い殺されたと……やっぱり口だけでしたか」
死した者を嘲る様子は無い。しかし悼む様子もまた無い。彼女はただ、同僚が死んだという事実を、“現象“として認識していた。
「それで……気になっていることがもう一つ。
いつの間にかアーリア城塞を通り過ぎたみたいですけど……これ、このまま進むと帝都にまっしぐらじゃないですか?」
問いながらレオーネが窓の外に意識を向ける。
アグリスでの戦闘中から怪しかった曇り空は、今では大量の雨粒を降らしていた。そして天候の変化に伴い周りの景色も開けた草原から、レンガやコンクリート等で建てられた家屋が徐々に増えはじめた。
「あぁ……帝都から連絡があってね。今回の戦闘の報告と、欠員の補充。後、君の魔剣の最終調整が終わったらしいからその受領のための帰国だよ」
「できれば二つ目と三つ目の用事だけで終わってほしいんですが……皇帝直属の特務部隊が報告っていうのはもしかして――――」
「そう、皇帝陛下に直接――――」
「長いような短いような……とにかくお世話になりました。どうかお元気で――――」
「ちょっと待った! 今運転してる最中だから! 君の冗談に付き合ってる場合じゃないんだよ!」
「それこそ冗談じゃないんですよ! 奴の顔を見るために帰るとか真っ平御免なんですよ!」
いきなり助手席から立ち上がろうとするレオーネを、オーガストが運転しながら片腕で抑えつけ、彼女が抑える腕を振りほどこうとする。
「ゼェ……しかし、珍しいね……ハァ……」
「ぇぇ……何がです……フゥ……」
そうして暴れること数分。肉体的にではなく、精神的疲労から荒い息を吐く二人だったが、オーガストの疑問にレオーネが再度彼の顔を見遣る。
「いや……普段の君ならもっと早く帝都に戻っていることに気付くと思うんだけど……アーリア城塞を通り過ぎたのだってかなり前なのに」
言われてレオーネが運転席の時計を見る。
彼女が車に乗り込んでから、気付かぬ間にかなりの時間が経過していた。そもそも帝都防衛の最後の要であるアーリア城塞を通り過ぎた記憶自体無い。疑問を口にしたのも、いつの間にか見慣れた景色が見え始めたからだ。
「何か気になることでもあったかい?」
そう言われて今日の出来事を振り返る。
二人の聖騎士との決着を邪魔され苛立っていたところに後からやって来て、子供が何をしているだの作戦行動の邪魔をするなだの言ってきた阿呆共の隊長を殴り倒し、割って入ってきた他の隊士の奴らも殴り倒し、隊として機能しなくなる寸前まで殴り倒した時、迎えに来た車に乗り込んだ。
そう……苛立っている。誤射されたことよりも、決着を付けられなかったことに何倍もの苛立ちを感じる。
ウラガン・ディープブルーと闘ったのはほんの一瞬。それでもその実力を知るには充分だったし、残念に思う反面、次は本気――――魔剣も使用した全力で打ち倒してやろうと思う。
そしてもう一人――――。
「知りませんよ、あんな奴」
「…………?」
ライディール・アスベルト。実力はあるのだろうが、くだらない理想論でその半分も出し切れなかった愚か者。あんな奴……放っておけばすぐに死ぬ。そう……死ぬ。手を抜いたまま、自分との決着もつけないまま死ぬ。
そんな馬鹿は――――。
「死んで治せばいいんですよ」
怪訝な表情を浮かべるオーガストを無視してレオーネは車が走っていく方向を見る。
高い城壁に囲まれて並び建つビル群と、更にその中央に座す、どの建物よりも高くそびえ立つ宮殿。雨雲に日光を遮られようと明るさを失わない不夜城が徐々に姿を見せはじめた。
シルメリア帝国の首都“ノア“。
その昔小さな漁村であり近くの地下に牢獄代わりの巨大な遺跡が存在している以外には特徴の無い村だったそこは、地下遺跡から得た建造技術により、今では海上戦艦すら収容できる港を有した城塞都市と化していた。