1-7 港湾に来た奴隷船
レクルシラツ商会大ニゴラス支店において、支店長を任されているトラビス=セインツは、月末も近くなったその日、奴隷を主たる商品とする卸売業者の船が、大ニゴラスに到着した、という報せを受けて、馬車で、港湾地区へと急行した。
卸売業者の船が急行したと聞けば、常に、急行しているトラビス=セインツであったが、今回に関しては、急行というよりも、寧ろ、特急という様相を呈していた。
通常、卸売業者の船は、港に到着した後、その街の主要な奴隷商会に、競りを行う旨を宣伝して回る。当然、大ニゴラス最大の奴隷商会の支店長であるトラビス=セインツのもとにも、卸売業者から連絡が来ていた。
「しかし、あの触れ込みは本当でしょうか」
トラビス=セインツは馬車の中で一人呟く。卸売業者からの使者が告げた言葉が彼の心に留まっている。
「当船は、途中、エルグラツ島を経由して参りました」
今朝方、卸売業者から派遣された男が言った言葉である。その言葉は、おそらく、エルグラツ島で奴隷の売買、特に、奴隷の仕入れが行われた可能性を示唆している。エルグラツ島は、エルフ族が統治する島だ。無論、その言葉は、エルフ族の領土に不法侵入しようとした他種族がエルフ族によって売却された可能性を否定しない。しかし、一方で、その言葉は、エルフ族自身が奴隷として、売却された可能性も示唆している。
「止まれ! 止まれ!」
港に向かう途中、ニゴラス川に沿った大通りで馬を走らせていると、顔見知りの男が手を挙げていた。大ニゴラスの対岸の街、小ニゴラスで、トラビス=セインツと同じくレクルシラツ商会の支店長を務めている ドゥドゥ=ンジャメ=ハルグラ である。その男は、布製の帽子を頭に巻き、褐色の肌は海沿いの町並みの中で、エスニックの香りを醸し出していた。
馬車を止める暇も惜しいトラビス=セインツは叫んだ。
「飛び乗れ!」
その言葉を聞いたドゥドゥは、馬車とすれ違った瞬間、器用に、馬車の固定された部分を掴んで、飛び乗った。
「『飛び乗れ!』って、トラさん、酷いぜぃ。俺っちじゃなければ、走行中の馬車に飛び乗る、なんていう芸当はできないぜぃ」
ドゥドゥは、トラビス=セインツの非道に抗議する。それに対して、トラビス=セインツは、一言、異を唱えた。
「あなたなら問題なく対処できるでしょう」
ドゥドゥは、その昔、ある国で、軍人をしていた男であり、その任務は、大規模戦闘よりも、警護を中心にしていた。その経歴から、暗殺者に対応する訓練などを積んでおり、軽業師としても食べていくことができそうな高い身体能力を持っていた。
「この男、悪魔やわぁ」
ドゥドゥは軽口を叩く。
「なに、あなたほどではないですよ」
トラビス=セインツは軽口に、軽口を返した。
「ところで、トラさん」
ドゥドゥが極めて真面目な顔をした。それまでの友人同士の会話を一旦中止し、仕事の話に戻る。
「トラさんのところにも来た?」
ドゥドゥが前提を尋ねた。トラビス=セインツは同僚に答える。
「ああ、来た。本当に、エルフだと思うか?」
トラビス=セインツがドゥドゥの見解を尋ねる。
「どうだろな。エルフの奴隷なんて、そう簡単に現れんからなぁ。奴ら、寿命が長過ぎて、短命の普通人間種なんかと違って、苦行が続く期間が長すぎるからな。女だったら最低だぜぃ。エルフ奴隷なんて、おとぎ話級のレアもん買うのは変態であることが多いからな。人間だったら、美貌が保つのは、長くて十数年だから、どんな変態プレイも、その期間、耐えればいいだけだが、エルフだと百年以上も耐えなければならん。これは意外とバカにならん違いだ。」
ドゥドゥが答えた。トラビス=セインツも全く同感だと頷いている。
「では、やはり、エルフ族の島から、他の種族の奴隷が売り払われたのでしょうか」
トラビス=セインツが極めて一般的な可能性を議論する。
「いや、それもどうか。エルグラツ島を経由してきた、と言っている以上、どの奴隷商も、エルフ族の奴隷が仕入れられる可能性を考えたはずだ。わざわざ客寄せの為に、そんな危険なことを言うとは思えん。もし、何のサプライズも提供できなければ、取引停止の措置をとる商会が出てもおかしくない。確かに、商人の集まりが良くなる分だけ、全体の売値の底上げができるかもしれんが……信用第一のこの商売だ。取引に関する信用を落とすようなことは普通せん。エルグラツ島経由なんて突飛すぎる」
と、ドゥドゥもトラビス=セインツと同じ見解を口にした。
「まあ、見ればわかるんだから、見るまで考えるのはよす」
そう言って、ドゥドゥは、椅子に座り直した。
「ところで、話しは変わるが、『この間の棚卸しに伴う商品管理保存状況報告書』読んだぜぃ」
ドゥドゥは、真面目な顔をしたまま、トラビス=セインツに言った。
「ああ」
トラビス=セインツは、相槌を打った。それに対応して、ドゥドゥは尋ねる。
「死亡の可能性がある重篤な症状の商品数0ってどういうことだ? 商品のロス数は少ない方がいいに決まっている。本店の評価も高くなるからな。多少、報告に虚偽をあげるのは、とやかく言わない。でも、0はあり得ないだろ。ましてや、貿易の中心地大ニゴラスの支店だ。管理する商品の数も多いわけだぜ。嘘がばれた時の本店からの雷は、怖いぜ?」
ドゥドゥは、真実、トラビス=セインツに忠告した。しかし、トラビス=セインツが首を振る。
「いや、そういうことじゃないんですよ。あれは嘘じゃないです」
トラビス=セインツは苦笑しながら言った。 ドゥドゥも苦笑しながら言う。
「どういうことだ? 俺に嘘を吐いても無駄だぜぃ」
「いや、あれは、本当のことなんです」
トラビス=セインツがドゥドゥの懸念を否定した。ドゥドゥは、トラビス=セインツの瞳を真剣に見ながら言った。
「今の言葉は本当か?」
トラビス=セインツも、ドゥドゥの眼を見ながら答えた。
「本当です」
ドゥドゥは、額に手をやって言った。
「あっちゃー、まじか? 一体、どういうことだ?」
まったく不思議そうに、ドゥドゥが問い質す。それに対して、苦笑しながら、トラビス=セインツが答えた。
「『ニゴールの魔術師』です。うちが冒険者ギルドに依頼した棚卸作業を請け負ったのが彼でした。素晴らしい魔法で、重病の奴隷を全て治療していただきました」
「治癒魔法か!」
ドゥドゥが驚愕する。伝説には、幾度となく登場するが、実在しない魔法。それが治癒魔法だ。
「いえ、本人が言うには、治癒魔法ではないようです」
ドゥドゥが訝しむ。
「『ニゴールの魔術師』か。大ニゴラスに現れた、と噂には聞いていたが、まさか、本当だったとは……百年前の人物だろ」
そう言って、ドゥドゥは、天を仰いだ。そこには、馬車の天井しか見えなかった。
※ ※ ※ ※ ※
競りというのは、いわゆるオークションだ。多くの参加者の中から、一番高い金額で、それを買うと宣言したものに、それの購入権が独占される。それが競りだ。
「二十三番、レクザ=マンド=アンニャ、猫人族の獣人女性。十九歳。北マシル共和国。猫人族の地主の家に生まれ、家の没落に伴って、売却されました。ご覧のように、スタイルもよく、品もあります。また、金持ちの家に生まれながら、家事の腕も十二分。奴隷でなく、妻にするにも良い。さあ、入札! 入札!」
壇上には、猫人族の特徴である三角形の耳を持つ妙齢の女性が立っている。基本的に、奴隷の卸売商人というのは、仕入れ値が高価であった商品ほど、着飾らせる傾向がある。アクセサリ類と同じだ。安い露店のものは剥き出しで売られるが、高いものほど、桐の箱に収められている。
しかし、最後から二番目に登場し、十分に着飾られているその女性の売値は、あまり上がらなかった。いまいち、会場が、盛り上がりに欠けている。それは、主に、競りの最後に登場するであろう、エルグラツ島からの奴隷を待っていたからである。
会場の一番前、中央に座る二人の男もそのような商人であった。
「なあ、トラさん」
褐色の男が、隣の男に問いかけた。
「どうしましたか」
トラビス=セインツは、問い返す。
「ああ、もし、次に出てくるのが、真実、エルフだったら、共同購入しないか。正直、今、俺が動かせる予算では落とせる気がしない。それはトラさんも一緒だろう? 」
褐色の商人は、そう提案した。
「どこかの商会が無理して入札してしまう可能性はあります。商品数の充実を図ることを無視すれば、充実を図らなければならないうちよりも高い額を入札できますから。いいですよ、共同購入。利益も、資金も、大ニゴラス支店と小ニゴラス支店で半半でいいですか?」
トラビス=セインツがそう答えた。レクルシラツ商会小ニゴラス支店支店長のドゥドゥが肯首する。
「いいぜぃ。それでいこう」
壇上の猫人族は、トラビス=セインツの見立てよりも一割ほど低い価格で売却された。やはり、どの商人も、最後の目玉のために、資金を温存しているようだ。猫人族の女性が、壇上から引くと、一人の女性が現れた。その女性は、
見た瞬間に、ドゥドゥが呟いた。
「へえ、ハーフエルフか。可能性を考えなかったわけじゃないが……珍しいな」
その見解に、トラビス=セインツも頷く。
「ええ、私もそう思います。寿命の長いエルフと人間では、結婚生活は極めて困難ですから。もちろん、価値観も圧倒的に違いますし」
その女性には、ハーフエルフ特有の中途半端に長い耳があった。エルフであれば、その耳や素肌は完全に白いが、ややもすると、少し、黄色っぽくもある。それが、ハーフエルフ的な特徴といえなくもなかった。しかし、それ以外は、いわゆるエルフ的特徴を兼ね備えていた。すなわち、高い鼻、大きめの乳房、高い身長、などである。
「24番、本日最後の商品となります。メル=トールド=フォンテノ=フォル、人間とエルフのハーフ、つまり、ハーフエルフです。三十三歳。エルグラツ島。エルグラツ島に不法侵入し、事実婚をしていた男とエルフの子供です。不法逗留だったために、外出が難しかった普通人間種の男性が子育てをしていたために、普通人間種の常識も身につけております。魔法は使えませんが、剣の技術は一級品。事実婚がバレたために、エルフ法に反し、その刑罰の一環として、奴隷になりました。さあ、入札、入札!」
エルグラツ島のエルフは非常に排他的であり、彼らにとって、他の種族を島内域に住まわせることは重罪である。それゆえの刑罰としては、妥当だといえた。
トラビス=セインツがドゥドゥに問いかけた。
「ハーフエルフですか……人間の二倍の寿命ですから、人間に換算しますと、現在、十六歳です。どうします? エルフではないですが、共同購入しますか?」
ドゥドゥがそれに頷く。
「当然。通常のエルフよりは、種族的な魅力は劣るかもしれないが、それでも、十分に珍しい。なにより、中々の美人だろ」
大ニゴラスと小ニゴラスを代表する奴隷商会の資金を積み上げて、競りに参加すれば、当然、それにかなう相手は、どこにもなかった。
だから、レクルシラツ商会の二人に、そのハーフエルフの販売権は移った。
その後、そのハーフエルフの維持管理は、全て、大ニゴラス支店が行うことになった。その代わりに、そのハーフエルフを店舗に置いて、客寄せとして使用する権利も大ニゴラス支店が保有することになり、落札から数日は、貴族や神官、大商人などが、レクルシラツ商会大ニゴラス支店を訪れ、その購入を検討していったが、支店長のトラビス=セインツが訪れた客に対して答えた価格は、通常の高級奴隷の相場を大きく超えるものだった。実際、ハーフエルフという希少性を考慮すれば、それは適正なものといえたが、高級奴隷を数名購入できる価格を支払ってまで、購入しようとするものはいなかった。また、トラビス=セインツにも、安売りをするつもりはなかった。ハーフエルフが若さを保つ期間は長い。それを十全に用いて、ハーフエルフを購入することにこだわる顧客が現れるのを待つつもりだ。本店に連絡を入れれば、他支店で、ハーフエルフの注文が入ったときにも、対応してくれる可能性がある。
急いては金を失う。
商業の基本を、トラビス=セインツは、しっかりと抑えていた。
その売却の日が来るまで、ゆっくりと、この若さと美貌に溢れるハーフエルフを躾けていこう。そんなふうに、トラビス=セインツは考えていた。