1-6 筋肉と魔術師の休日
「商業許可証の点検巡回です。許可証の提示をお願いします」
マジャール神領最大の都市、ニゴール川沿岸下流域にあり、北大海にも接している第一級港湾都市の 大ニゴラス では、毎月第三日曜日に、蚤の市が行われる。ニゴール川に沿った通りで行われているこの露天市では、古着や古道具の売買が主として行われていた。白い壁に囲まれた狭い路地が支配する街の最も外周にあり開放的な海、川沿いの道がその会場となっていた。そこに見慣れない黒光りする衣服を纏った男が、懐から紙を取り出して手渡した。
「はい、こちらが、商業組合発行の商業許可証でございます」
雑貨や生活必需品、更には、家具などが安価で手に入る、とあって、朝から大変賑わっていた。中古雑貨などを販売する人々が多いために、新品のそれらを並べる者はいない。しかし、その人の多さに眼をつけて、食品を売る人は多くいた。また、蚤の市に集まってくる人々の中には、それらの食品屋台を目当てにしている者も多くいた。
対面で許可証の提示を求めた男が更に要求する。
「はい、たしかに、確認いたしました。申し訳ありませんが、取り扱い品が、食品でございますので、食品衛生許可証の提示もお願いいたします」
黒衣の男が出している商品は ホットドッグ である。
「こちらでございます。使用品目は、チーズ、ウィンナー、ほうれん草、パンでございます。勿論、ウィンナーを含めてパン以外の食品は、その場で焼いたものを使用してございます」
タカオは、食品衛生許可証を提示しながら、警備の治安兵に説明した。この屋台を出店してからというもの、それらを焼く良い匂いが辺りに立ちこめている。
「うむ、焼いてあるならば、ほぼ問題ないな。あとは、実際に、食品がきちんと保存されていたか、であるが……その点も問題ないだろう」
治安兵は、屋台内部の様子を見ながら言った。
「ああ、では、お一ついかがでしょうか? 無論、衛生検査の一環でございますので、お代はいただきません」
そう言って、タカオは、ホットドッグを、手早く作って、治安兵に手渡した。治安兵は、それを口に入れて食べた。
「うむ、味にも不審な点はなかった。では、これで失礼する」
治安兵は、ゆっくりと歩いていった。タカオは、新しいホットドッグセットを焼き始める。直後、タカオの眼前に巨大な陰が差した。見上げると、毛髪の無い、丸々とした頭が太陽に反射して、とても眩しかった。
「おお、来てやったぜ!」
「田臥さん、お越しいただきましてありがとうございます」
「ホットドッグか。うまそうだな。一つ貰おう!」
田臥は、タカオが焼いているホットドッグの具材を見ながら言った。タカオは、出店の裏から、筒状のやや短いパンを取り出し、かなり細身のナイフで半分に切った後、起用に白い部分の中央に穴を開けた。
「フランス式か! バタールを使ったホットドッグかぁ。フランスパンの中でも短い方に当たるバタールがホットドッグには、最もちょうど良いんだよな! 転生前を思い出すぜ。こっちに来てから、ホットドッグ自体は結構見たんだが、どれもロールパンでな。この方式には、ついぞお目にかからなかったな!」
田臥が少し大げさに腕を広げながら叫んだ。タカオは、具材を、バケットに開けた穴の中に入れながら言った。
「こちらの方が、持ち歩く時に便利でございましょう。一般的なホットドッグとは異なりまして、具材が溢れる心配がございません」
「ガッハッハ、俺もそう思うぜ! こいつは、自衛隊に入る前、フランスに留学してた時に、スタジアムで、よく食べたんだ!」
田臥は、上機嫌に笑っている。タカオには、よくわからない言葉が混ざっていたが、転生前の世界のことだろう、と勝手に理解した。
「ところで、話は変わるが……治安兵に売り物を渡さない方がいいぜ」
田臥がタカオに忠告する。タカオは、少し驚いたような顔をして言った。
「どういうことでございますか? あのような時には、売り物を渡して、ご機嫌をとるのが一般的だ、と考えたのでございますが」
田臥は、説明を続ける。
「ああ、多分、そうだと思った。いや、実はな、お前さんと同じことを、ほとんど全ての食品系露天商が考えるんだ。で、だ、治安兵が露天商からのその申し出を断ると、大半の露天商が不安に思うんだ。だから、治安兵は、仕方なく笑顔で受け取るんだが……。全部の食品系露天商で、これが続く、と考えてみろ。どれだけ食べないといけないと思う?」
タカオは、納得した。
「なるほどでございますね」
「だから、ベテランの露天商は、絶対に渡さない」
田臥は薄く笑いながら、少し昔語りをした。
「転生直後、一時期、治安兵の真似事をしていたことがあってな、そのときに、苦労した」
タカオは、完成したホットドックを渡しながら、その親切な助言に応えた。
「ご忠告ありがとうございます」
田臥が筒型のホットドッグを受け取り、食べると
「いや、いいってことよ! それよりも、このホットドッグうまいな! 熱を加えながら溶けかけたチーズとウィンナーの相性が最高に良い! ほうれん草が入っているから、栄養バランスも完璧だ!」
と絶賛した。筋肉の豊富な声量に、周囲の人々が、タカオの屋台を見る。
「ところで、これだけ豊富にチーズが使われていて、こんなに安いのはなぜだ? 倍はとれるだろう? 原価割れしていないか?」
と田臥は、更に大声で続けた。タカオは、その心配を安心させる。
「いえいえ、このチーズは自家製でございます。専門店で買った物は、熟成の際に人件費や管理費が上積みされるので、値段も高くなるのでございます」
タカオが、この街に来てから、まだ一ヶ月程度しか過ぎていない。いつから熟成させたチーズなのだろうか、と田臥は疑問を持った。
「シャムセンから持ってきたのか?」
黒衣の魔術師は苦笑いをしながら答える。
「チーズ1個は、かなり大きいのでございます。ですから、シャムセン寺院から持ってくるには、道中、大変に邪魔なのでございます。これは、こちらの街に着いてから、作ったものでございます」
と、タカオは、チーズを示した。
「そうだよな。にしても、熟成期間が短くないか?」
と田臥は、極めて常識的な疑問を抱く。
「チーズの種類にもよりますが、私独自の方法があるのでございます」
タカオが曖昧に答えると、田臥が間髪入れずに尋ねた。
「それは、どんな方法だ?」
「企業秘密でございます」
タカオは、唇に人差し指を当てながら、誤魔化した。田臥がその様子を見ながら、爽快に笑った。
「ハッハッハ、そりゃそうだ! まあ、うまければ何でもいいな! じゃあな! ホットドッグうまかったぜ!」
そう叫ぶように、タカオに伝えながら、出店の前を去っていった。
「すいません、一つください」
田臥が去っていくと、すぐに、十歳くらいの女の子が、タカオに注文した。
「あ、すいません、俺も一つ!」
今度は、髪の長い、音楽家風の青年。
田臥の鍛え上げられた声帯を使った賞賛によって、タカオのホットドッグのおいしさは、かなり広範囲の領域に伝わっていた。
それが呼び水となって、タカオは、なんとか準備した分を完売し、それなりの利益を出すことができた。
※ ※ ※ ※ ※
「とてもうまかったです!」
田臥は、蚤の市で、タカオの作ったホットドッグを食べた直後に王城へにある王専用の執務室に来ていた。筋肉が目の前にいるイケメンに報告している。ここは、以前、『黒衣の魔術師』が王に呼び出された王専用の執務室である。であるから、当然、報告している相手は、王であった。美丈夫は笑みを浮かべながら言った。
「そうか。では、特に、ここ一ヶ月の『黒衣の魔術師』に不審な点は、見当たらなかったのだな?」
田臥が行った報告に対し、王は、今一度、念を押した。
「その通りです。」
田臥はそれに対して、肯首した。
「エインツ祭への参加要請に不参加、ということだが、この件については、どう考える?」
イケメンがマッチョに問いかけた。
「基本的に、目立つことを嫌がっているようです。ギルドの仕事でも、大きな額の仕事やモンスター討伐系の仕事は一切受けておりません。勿論、これに関しては、教師の仕事に支障が出ないように、と配慮している、という可能性も十分にあります」
田臥が王の問いに答えた。
「何か用事がある、とのことではなかったか?」
王が輝きながら、田臥に、疑念の一つを伝えた。
「どうでしょうね。記念式典への参加を断るための嘘かもしれません。もしくは、当時、死んだ仲間達の追悼を一人で静かに行い、といった理由かもしれません。なんにせよ、それほど、気にする必要もない、と考えています」
田臥が王の不安を抑えるように、回答する。
「ところで、エインツ祭といえば、そなたの演奏の準備は進んでおるか? 朕は、それに」
王は話題を変えた。エインツ祭で、田臥は音楽の演奏とそれによる魔法の発動を行うことになっている。その派手さのある魔法を王は、殊更に、好んでいた。
「勿論、準備は万端でございます。今年は、丁度百周年記念祭でございますので、近年に例のない派手な選曲を考えております。まさに、大ニゴラス全体が震撼するような魔法を行うことを考えております」
田臥は、開式を心待ちにする聴衆にを抑えるように、王に説明した。
「うむ、どのような音楽をするのだ? 去年のそなたの独唱による魔法も迫力があったぞ」
王が興味津々といった態で田臥に尋ねた。
「今年は、去年とは異なりまして、ハルバーツ学園の器楽部による楽器演奏による魔法を皆様にお見せしようと考えております。曲目に関しては、昨年と同様に軍関連の音楽で考えております。ご期待ください」
王が眼を輝かせながら、田臥にその感動を伝える。
「そうか、当日見てのお楽しみ、ということか。その方がワクワクして良い。まったく、そなたの世界の音楽は素晴らしい。そなたが初めて朕のために弾いてくれた時の感動といったら、この世界の音楽全てが色あせた」
田臥は、元いた世界を代表して、謙遜した。
「陛下が、楽譜と大量の楽器を、私と共に召還してくださったからこそ、今、陛下に音楽を提供することができるのでございます。私でも、身一つで、音楽をすることは極めて困難ですから」
「いや、それについては、まことに幸運であった。以前の世界は、そちの音楽のように、世界が広いのか?」
王が田臥に、その過去いた世界について尋ねた。
「いえ、もっと広いです。私の魔法は、いわゆる“クラシック”と呼ばれる分野の音楽にのみ反応いたします。また、私自身、その“クラシック”を専門とする人間ですので、“クラシック”しか演奏いたしません。しかし、“クラシック”以外にも“もっとアップテンポでキラキラしい歌曲”やクラシックと同じような楽器を使いながら、全く異なる考え方で音を繋げる“ジャズ”など、色々なタイプの音楽がありました」
その後、田臥と王は、二人、他愛のない話を続けた。
かつて、田臥を召還したのは、この王であり、王は、その有能さを認め、以来、田臥を重用してきた。当時、転生者だったために、仕事も自宅もない田臥に便宜を図ったのは王である。当然、ハルバーツ学園への就職を斡旋したのも王であり、田臥は王に忠誠を誓い、親愛の情を抱いていた。
ひとしきり話をした後、
「では、今後とも、『黒衣の魔術師』を頼んだぞ。敵味方の判別ができたら必ず報告するように」
そう言って、王は、田臥を部屋から送り出した。部屋から出た途端に、田臥はため息を吐いた。
「王が心配性なのは、仕方がない。しかし、タカオを警戒しすぎではないか」
そう言って、毛の無い頭を振った。
「王は、タカオと話したことは、一度しかないから仕方がないか。一度、学園に来て、タカオの授業に参加していただくのも面白いかもしれないな」
田臥は、王命であるから仕方がない、と思いながらも、タカオを監視する役目に、必要性を感じていなかった。
そんなことを考えながら、田臥は、その住居のある学園寮への帰途についた。
そのころ、もう一人の当事者であるタカオも、その出店を片付けて、学園寮への帰途についていた。