1-5 授業の準備はしっかりと!
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「……というわけで、私が担当する三科目のうち、『魔術師学(神領・近世)』については、何か教科書を用意させたい、と考えているのでございます」
入学式を一週間後に控えたハルバーツ学園の教員室で、二人の奇怪な男達が膝を合わせて相談事をしていた。片方の“筋肉”こと田臥が考える。
「教科書か……一般教養科目だから、『エインツ=ハルバーツ=ユグオンドルド=モレスラ=タカオ=ニゴール=マジック』の大活躍『マシル三国の外憂』を語ってもらうだけでも構わないのだが」
黒衣の魔術師が意見を述べた。
「その『マシル三国の外憂』についても、私が知っているのは、簡単なあらまし、詳しい戦闘内容、私がどのようなことを行ったか、くらいでございます。つまり、その後の歴史的流れ、後世に判明したこと、などは、知らないのでございます。それに、近世において、マジャール神領で活躍した魔術師が私一人とも思えません」
「まあ、お前さんがいいたいこともわかるわなぁ。とりあえず、今、俺の手元にあるのは、これだ」
そう言って、田臥は、自らの机上から、黒い革張りで、持ち運びには不便そうな本を一冊取り出した。『世界魔術師全集』という本を取り出した。
「これは、高級すぎて、あまり教科書には向いていないが……参考にはなるだろう」
タカオはこれを受け取り、その内容を確認する。
「この本の値段はいくらほどございますか?」
パラパラと本をめくりながら、タカオが田臥に尋ねた。
「知らん。自分で買った本じゃないからな。その本に、俺のことを載せたから、と出版元が送ってきた。まあ、この装丁で廉価本っていうことはないだろうから、高いんだろうが……」
タカオは、無作為に本をめくることを止め、目次から田臥の項目を開いた。田臥が恥ずかしそうに言う。
「俺も一応転生者だからな、召喚された当時は、目的があって召喚されたんだ」
「なるほど、『筋肉音楽家』でございますか」
タカオが、田臥のとてもしっくりとくる異名を一つ読み上げた。
「言っておくが、俺は、一度たりとも、そんな呼ばれ方をした覚えはない。編者のでっち上げだ」
筋肉音楽家が顔色を変えずに否定した。
「それにしても、かなり変わった功績でございますね」
通常、魔術師が讃えられる功績とは、国や世界の危機を救う、強大なモンスターを倒す、新しい何らかの魔法を発明をする、などが挙げられる。一方で、田臥の功績は、ひどく変わったものだった。
「異世界より、その大量の楽譜と伴に、召喚され、世界的に、新しい音楽を拡散せしむ」
タカオは、田臥の功績に関わる項目をそのまま読み上げた。
「自衛隊っていう武装した軍隊もどきで、軍楽隊に所属していた。楽譜室の掃除をしている最中に部屋ごと召喚された」
田臥が極めて恥ずかしそうにそう言った。タカオがそれに納得する。
「なるほど、それは、一般的な魔術師でもなければ、一般的な転生者でもございませんね。部屋ごと召喚されるとは。尤も、転生者など過去にそれほど多く確認されているわけではございませんから、何ともいえないのではございますが……得意魔法の有無は、他の転生者と同様に、やはり、固有魔法のようなものがあるのでございますか?」
田臥はその問いに答えた。
「ああ、音楽に関する魔法だ」
「武器の欄も非常に特殊でございますね。指揮棒というのはなんでございましょう? 棍棒や金棒の類でございましょうか? 確かに、田臥殿は、そのような武器を用いるに十分な体格をしております」
タカオが、更に続けて、筋肉音楽家に対して、全集の内容を確認した。それに対して、棍棒や金棒に、転生以前の世界のおとぎ話に登場する鬼のイメージを重ねていた筋肉は答えた。
「いや、指揮棒とは、これだ」
田臥は、細長い筒のような箱から、細く短い棒を取り出した。
「ワンドの類でございますか。棒ではなく、杖なのでございますね。それでしたら、魔法使いの武器としては、極めて一般的なのでございます」
タカオはその見慣れない材質でできたものを見て、納得した。しかし、田臥は、それを訂正した。
「いや、こいつは、魔法のステッキとは、大きく異なるものだ」
「ちがうのでございますか?」
「実際に、通常の魔術師が、これを魔法のステッキとして使っても、魔法は作動しない。あくまでも、俺の使う魔法についてのみ使うことができるというだけであって、こいつは、杖ではなく、棒だ」
タカオは首を捻った。数秒してタカオは、転生者の魔術師であれば、特殊なことの一つ、二つ、あるのは当然である、と判断し直した。
「そうでございますか。田臥殿の魔法には、大変興味があります。いつか見られる日が来ることを願っております」
田臥は、そこで、にやりと、笑った。
「来月のエインツ祭で、実演するぞ。大規模な準備が必要な魔法だから、頻繁には使えないんだ。是非、見に来てくれよな!」
タカオは、物凄く嫌そうな顔をした。
「来月……エインツ祭……でございますか?」
田臥は、さらに笑う。
「ああ、救国の英雄『二ゴールの魔術師』こと、エインツ=タカオが、その卓越した魔術を用いて、バンAの襲来から世界を護った日を記念して、毎年、その日を国民の祝日とし、その伝説的勝利を祝う祭りを町中あげて行っている! ガッハッハ!」
『二ゴールの魔術師』の表情が若干凍り付いたように見えた。
「冗談でございますよね?」
タカオが僅かばかりの期待を込めて言った。しかし、筋肉音楽家は、それを許さなかった。
「もちろん、本当だ!」
タカオは、そこで話題を打ち切った。
「さあ、教科書を選ぶ必要がございます。どのような本にいたしましょうか?」
数日して、タカオは、結局、学園に、臨時事務費の供出依頼をした。そして、それは、すぐに受理された。田臥との話し合いで、教科書を導入することは諦めた。タカオにとって、この百年間の歴史は空白である。それを埋めなくては、『魔術師学(神領・近世)』の講義を行うことができない。タカオは、そう判断した。
そう判断したタカオの行動は極めて迅速だった。
書店を回り、学園教師の私書を借り、学園図書館に入り浸り、タカオは、授業の準備をしていた。そして、いよいよ、タカオの教員生活が始まろう、としていた。
※ ※ ※ ※ ※
「はい、皆様、おはようございます。『魔術師学(神領・近世)』を登録していただきまして、ありがとうございます。正直に申し上げまして、私の授業など、精々が、2、3名が受講希望申請をするくらいだと思っていたのでございます。ところが、予想に反して定員に設定されていた百名という人数を超える皆様に受講希望をいただきましたことに感謝する次第でございます」
そこで一端言葉を切る。板を背にして、『黒衣の魔術師』が学生達の方向を向いている。
「共通教育科目ということでございますので、ここには、魔法学、歴史学、文学、自然科学、人文科学、社会科学、その他いろいろな分野を修めようとしている諸君がいると思います。しかし、どの分野に関わらず、世界史上の技術革新、大規模な事件事故には、絶えず、魔術師の陰が見え隠れするものでございます」
生徒の熱狂がタカオを刺激する。さすがは、二ゴール川最高学府のハルバーツ学園。『黒衣の魔術師』に対する期待は大きい。
その期待を受けながら、九十分間の授業を、なんとかタカオは終えた。
「初めての授業はどうだった?」
筋肉で肉体を覆った音楽教師が、新任魔術教師に問いかけた。タカオは、答える。
「疲れたのでございますよ。まあ、とはいえ、これもお金を貯めてかわいい犬耳奴隷を購入するためでございますから」
「まあ、お前さんが夢を叶えるのは、当分先のことになるだろうが、頑張ってくれ。とりあえず、初任給は、今月二十三日だ。あと十日ほどだな。大抵は、それで何かそれなりに大きな買い物をするもんだ。まあ、金額的に、奴隷は無理だがな! ハッハッハ!」
田臥は大きく笑った。二人がいる教員室中の空気が震える。大音量で笑う田臥を見ながらタカオは言った。
「あまり大きな使い方は考えておりません。貯蓄でございますね。今現在、貯蓄はほとんど皆無でございますので、奴隷購入に向けて、少しでも急ぎたい、という気持ちはございます」
タカオは顔色を変えずに無表情で言った。
「そうか。まあ、それも良いだろう。ところで、お前さんは、それほどまでに奴隷ハーレムが好きだというなら、娼館には行かないのか? 初任給の使い道の定番なんだがな。行くなら、俺が詳しい奴を紹介してやるぞ」
通常、奴隷を買いたがる男は娼館も好きだ。田臥は、極めて真っ当な問いをタカオにぶつけた。
「娼館でございますか。娼館とは、あれでございますよね? かわいい女の子と一夜限りの楽しみをする……あまり興味はございません」
しかし、タカオの答えは、通常想定される問いとは異なるものだった。田臥は、タカオの答えに興味を持ち、少し深い部分まで入った疑問を口にした。
「ほお、そうなのか? 俺から見ると、似たようなものに見えるのだが、何か違うのか?」
タカオは、表情を変えずに答える。
「色々と理由はございますよ? 娼館でハーレムを作るには、その楽しめる時間に比較して、非常にお金がかかり、効率が悪いことでございます、他にも、そもそも、何といいますか、合体することよりも、普段の生活において、精神的な繋がりを持つことを大切にしたい、ということもございます。最も大きな理由は、娼館では、子供を作ることができない、ということでございます」
田臥は、タカオを見て言った。
「なるほど、お前さんのそれに関する熱い信念は、よくわかった。ところで、来月のエインツ祭だが、王から『黒衣の魔術師』殿にも是非に参加していただきたい、と連絡があった。開式の挨拶なり、なんなりをしてもらえないだろうか?」
田臥は王の要請を伝えた。何しろ、エインツ=タカオの偉業を祝う祭りが行われる土地に、エインツ=タカオ本人がいるのである。参加要請が来るのは当然であろう。『黒衣の魔術師』は、答えを一時保留し、確認をした。
「エインツ祭の日程は、百年前に、私がバンAを倒した、とされている日なのでございますね?」
田臥は、それに正確に答えた。
「ああ、そうだ。今年は、丁度百年だから、閏年やその他の暦法や天文学上の一切のズレを排除できる、真のエインツ祭だ、ということで盛り上がっているぞ。かく言う俺もかなり楽しみだ!」
その確認を終えたタカオは、その参加の正・否を田臥に伝えた。
「その日は、どうしても外せない用事がございますので、参加できないのでございます。大変申し訳ありません」
予想外の回答に、田臥は、僅かに動揺する。何しろ、ほぼ百年間に渡って、隠遁していた人間だ、そのような人間に、どうしても外せない用事など、あるだろうか?
「そうか? 一応、この祭りは、犠牲者の慰霊祭も兼ねているから、そう言った用件で、例えば、昔の仲間の墓参りをする、とかだったら、祭りへの参加も一種の慰霊ということになるぞ?」
田臥は、もう一度、タカオに確認した。
「いえ、そういった慰霊などということではございません。しかし、どうしても外せない用事があるのでございます」
しかし、タカオの意志は揺らがない。
「もしかして、エルフの美人奴隷でも、誰かから譲り受ける約束でもしているのか? なるほどな、それだったら、お前さんが、何よりも優先するのはわかる! ハッハッハ、王の依頼よりも奴隷ハーレム! お前さんの欲望には恐れ入るぜ!」
と言って、田臥は大きく笑った。タカオは、小さく呟く。
「そのような用事でございましたら、大変素晴らしいのでございますが……残念ながら、もっと深刻な用事なのでございます」
タカオは、どこか、悲しそうな顔をしていた。
その夜、田臥とタカオは、タカオの初授業を祝って、二人で、夜の街を飲み歩いた。無論、娼館には行っていない。酒に酔った田臥は、タカオを連れて行きたがったが……