1-(8) 認証ノ試験
「おはよう、天真君。昨晩はよく眠れたか?」
茂光が天真の元に顔を出してきたのは、朝食を食べ終わり、客間で"魔槍"を磨いている時だった。
「おはようございます。お陰様で、疲れも大分取れました」
「そうか、それは良かった。では、今日の"認証ノ試験"だが、巳三つ時|(午前十時頃)に行うことになった。昨日も言った通り、君は"魔槍"を持って来るだけで良い」
天真は、窓から太陽を見上げ、つい先程、時告係が巳一つ時|(午前九時頃)を知らせていたのを思い出した。
「巳三つ時ですか……もうすぐですね」
「まぁ、今日も色々な行事やら用事やらが重なっているからな。日程が詰まっているんだよ。また後で迎えに来る。それまでに準備を済ませておいてくれ」
「分かりました」
茂光が部屋を出ていくと、天真は再び"魔槍"を磨きはじめた。
(何をするのかよく分からないけど……"魔槍"を使うんだから、出来るだけ綺麗にしておくに超したことはない)
内容も分からない試験を直前に控えていながら、天真はいたって冷静だった。それが、彼の長所の一つだ。
* * *
時告係が巳三つ時を知らせるとほぼ同時に、再び茂光が現れた。
「今から会場に案内する。行く途中で、話は一切出来ない。質問があれば、今、受け付けるが、何か聞きたいことは?」
先程までとは違う形式ばった茂光の口調に内心戸惑いつつ、天真は慎重に口を開く。
「試験ということは、僕は試されるんですよね?」
「その通りだ」
茂光の返事を聞くと、天真はそのまま黙り込んだ。
「聞きたいことはそれだけか?」
「はい」
緊張で心臓が波打っていることを悟られないように、天真は短く答えた。
天真がもっと質問すると思っていたのか、茂光は少し驚いたような表情を見せたが、それもつかの間だった。
「それでは、今から移動する」
天真が部屋を出ると、茂光は扉の鍵を閉めた。
茂光に連れられ、"役人ノ館"を出た天真は、政を司る"華天宮"に入った。
"華天宮"内部は"役人ノ館"よりは綺麗に整備されてはいるが、貴族や皇族が好みそうな派手な装飾は無かった。
廊下では何人かの役人とすれ違い、その中には、秘書を従えた政の要人らしき者もいた。天真とすれ違う者は皆、物珍しそうに彼を見たが、当の本人は全く気にしなかった。
階段をいくつか上って"華天宮"の最上階に着くと、茂光は一際大きな扉の前で立ち止まった。
「私は、"光ノ使者"隊長の茂光である。扉を開けよ」
扉の両端に立つ男達に告げると、男達は静かに頷き、重くて頑丈そうなその扉をゆっくりと開けた。
内部の壁には、華蘭皇国国内各地から集められた宝石類が散りばめられていた。柱には繊細な彫刻がなされ、床には赤紫色の柔らかい絨毯が敷き詰められていた。
扉が閉まったところで、茂光は作法にならって深々と頭を下げる。
「"光ノ使者"隊長、茂光でございます」
「茂光、顔を上げよ」
広い部屋の奥にこしらえられた玉座に、暗い紫色の衣を身にまとった男性がいた。天真にとっては初対面の人だったが、高貴で汚れのない雰囲気に包まれた姿を見れば、玉座に座る彼が帝であることぐらいは分かった。
「茂光、後ろにいる者は?」
「"光ノ使者"候補です」
茂光が、ちらっと天真と目を合わせる。その意を汲み取り、天真は頭を下げた。
「青川平野より参りました、天真と申します」
「天真殿か。遠方から、よくぞここまで参ったな。では早速、"認証ノ試験"を始めよう」
帝は、部屋中に朗々とした声を響かせると、向かって右側の扉に向かって言う。
「景汐、出ておいで」
すると、扉がゆっくりと開き、三、四歳くらいの少年が帝の元へ駆けてきた。
「父上、お呼びですか?」
父親に呼ばれたことが嬉しいのだろう、景汐は楽しそうに、両耳の横で括った髪を揺らす。
「景汐、お前の願いを叶えてくれる人がやって来たんだ。昨晩、話した人だよ」
まだ幼い息子を、帝は優しい笑顔を浮かべながら見つめる。
(――そうか)
高貴な父子で交わされる会話を聞き、天真は心の中で納得した。
(茂光さんの『何をするのか俺にも分からない』っていうのは、"認証ノ試験"は、帝あるいは皇子次第で内容が変わるということだったんだ)
表面には出さないものの、天真の身体が緊張感で満たされていく。
景汐は天真をちらっと見てから、半信半疑といった感じの複雑な表情を帝に向けた。
「ぼくの願い……? 本当に、何でも叶えてくれるの?」
「もちろんだ。さぁ、言ってごらん。お前は、何を願う?」
帝に尋ねられ、うーん、と首を傾げると、皇子は天真の顔を見ながら呟いた。
「お月さまがほしいな」
中庭に向かいながら、天真は景汐の願いについて思案していた。
(一国の皇子の願いが、こんなにかわいらしい物だとは思わなかったな。まぁ、まだ幼いからだろうけど)
長い廊下を進みながら、天真は窓から空を見上げた。
(それにしても……今日が、昼間でも月が見える日だってこと、知っているなんてすごいな。そういう教育を受けているのかな)
天真は、前を歩く景汐の背中を見る。帝に手を引かれるその姿からは、特別な教育を受けていることは想像できない。
(……そんなことは置いといて。何とかして、景汐皇子の願いを叶えないと。本物の月を差し上げることは不可能なんだから)
長い廊下が終わり、一同は"華天宮"内の中庭に降りた。中庭は、少し裕福な庶民の家にもある庭の広さだった。所々に松や桜の木が植えてあり、枝は綺麗に整えられている。中庭に面する"華天宮"の窓には紺色の布が掛けられ、"認証ノ試験"の一部始終が見られないようになっていた。
帝と景汐が中庭の中央で立ち止まると、茂光は天真に目配せした。天真は頷くと、静かに深呼吸した。
これからの行動で"光ノ使者"になれるかどうかが決まるというのにも関わらず、天真は相変わらず落ち着いていた。
「景汐皇子」
帝と一緒に空を見上げていた景汐に、天真は声を掛ける。
「あなたの願いをもう一度うかがってもよろしいですか?」
一瞬、景汐は不思議そうに首を傾げたが、
「お月さまを取ってほしいの」
と答えた。
「お月様というのは……あれですよね?」
天真は景汐の隣にしゃがむと、青空に浮かぶ白い月を指差した。
「そうだよ。本当に、取ってくれるの?」
月が遠い所にあることは知っているのだろう、景汐は再び首を傾げた。
「はい。最大限の努力をしてみせます」
天真は景汐に笑いかけると、月をじっと見つめながら立ち上がった。
「景汐皇子、そのまま月を見ていて下さい」
そう言い残して景汐と帝のもとを離れると、茂光の前を通り過ぎ、中庭の中では最も大きな松の木の傍で立ち止まった。その松は、天真の身長の二倍の高さはある。
「何だ……? まさか、木にでも登る気か?」
思わず茂光は呟く。
「ただ登るだけでは何の意味も無いぞ……」
茂光は、半分直感ではあるが、天真には"光ノ使者"の素質があると感じていた。だから、どうしても、天真を"光ノ使者"にしたくて仕方が無いのだ。
しかし、"認証ノ試験"中は一切口出しできない。茂光は、ただ見守るしか無かった。
「行きます」
天真の凛とした声が響く。景汐は月を凝視し、帝と茂光は天真に視線を向けた。
(――僕は、試されている)
天真は心の中で呟くと、"魔槍"を強く握り締め、月に意識を集中させる。
(ならば、僕の持ち味を出せば良い。実際に、本物の月を景汐皇子に差し出さなくても良いんだ。喜ばせて上がれば良い)
木々を揺らしていた風が止み、中庭内の動きが止まる。
(今だ!)
姿勢を低くし、強く地面を蹴ると、中庭の中央に向かって駆け出す。
「……なにっ?」
予想外の行動を取った天真に、茂光は驚きを隠せない。帝も、月を見上げたままの景汐の隣で不思議そうな表情を見せた。
天真は前傾姿勢のまま茂光の前を通り過ぎ、右足を深く踏み込む。そして、月に向かって手を伸ばしながら小鹿のように跳び上がった。
その場にいた者達は皆、目を疑った。
"光ノ使者"候補の少年が、松の二倍以上――自らの身長の約三倍もの高さまで跳び上がったのだ。まるで、小鹿ではなく、大羽を広げた鷹のように。
「何と……」
帝が唖然としている横で、景汐がわぁっと歓声を上げる。
「すごーい! 本当にお月さまをつかんでる!」
手を叩いて大はしゃぎする息子を見て、帝は更に不思議そうな顔をした。
どういうことだろう、と帝が茂光と目を合わせた、ちょうどその時。地面に何かが激しくぶつかる音がした。
音がしたほうに一同が視線を向けると、そこには、うつぶせで倒れる天真がいた。
「だ、大丈夫?」
帝の衣の裾を掴んでいた手を離し、景汐は急いで天真のもとに駆け寄る。
少し大げさに腰をさすりながら上半身を起こし、天真は恥ずかしそうな笑顔を見せた。
「ええ、平気です。心配してくださってありがとうございます。しかし、月は取れませんでした。申し訳ございません……」
肩を落とす天真を見て、景汐は首を横に振りながら、
「お月さまをつかんだの、見てて分かった。すごかったよ」
と楽しそうに言った。
「月を掴んだ? 私には、天真殿が跳び上がっているだけにしか見えなかったが……」
景汐の背後で帝は首を傾げるが、景汐は気にしなかった。
「それよりも、ぼく、こんどはお空をとんでみたいな」
「空を、ですか」
天真はちらっと茂光のほうを見る。
「――気にするな。好きなようにやれば良い」
茂光が頷くと、天真も小さく頷いた。
「では、僕の背に負ぶさっていただいてもよろしいですか?」
「はい!」
天真は"魔槍"を傍らに置き、景汐を背中に負ぶさらせると、先程と同じように助走を付けて跳び上がった。
「それにしても素晴らしい。あの跳躍力、一体どうやって……」
嬉しそうに笑う景汐を背負い、軽々と跳び上がる"光ノ使者"候補を見つめながら、帝は呟いた。
「帝。彼の跳躍力は、"魔槍"によるものでは無いようです」
茂光も天真の姿を眺めながら、帝に歩み寄る。
「そうか……」
そう言われ、帝は考えるように目を細くした。
「いかがですか。彼が"光ノ使者"の素質を兼ね備えているのは見て明らかです」
「その言い方、茂光殿は彼を"光ノ使者"の一員にしたいのか?」
「はい」
「――茂光殿にしては、"光ノ使者"候補を推すとは珍しいな。そんなに、彼が"光ノ使者"に欲しいか?」
「はい。彼は、優れた身体能力を持っているのはもちろん、"魔槍"が扱え、何より機知に富んでいます。この機会を逃しでもしたら、"光ノ使者"は、再び定員不足の問題に悩まされることになるでしょう」
「そうだな……」
中庭に、枯れ葉の匂いが混ざった冷たい風が吹き、二人の髪と衣を揺らしていく。
茂光の真剣な目で見つめられ、帝は少し悩む素振りを見せたが、信頼を寄せる"光ノ使者"の長に朗々たる声で告げた。
「――天真殿を、"光ノ使者"の一員として認めよう。そして、」
一度言葉を切ると、帝は茂光と真っ直ぐ向き合った。
「彼に『天光』の名を授けよう。茂光殿は、今後も天光殿の更なる育成に励めよ」
「御意」
茂光は右手を左胸に当て、帝の前で肩膝を付くと深く頭を下げた。