3-(6) 定例会議
景月は柏羅を従え、帝の半歩後ろについて"華天宮"の薄暗い廊下を歩いていた。
「天光殿に新しい任務が与えられ、お前の護衛役から外れたそうだな」
茂光か砂影から話を聞いたのだろう。帝はそのことについて何の感情も示さずに淡々と話を切り出した。
「はい。先程、茂光殿から話を聞きました」
帝の声の調子に合わせ、淡々と答える景月。この件については、天光の退室後、茂光が正式に通達しに来ていた。
「反対はしなかったのか。お前は、皇太子であるだけではなく"幻花"をその身に抱えている。それゆえに、あらゆる敵から、あらゆる手で自分の身を守らねばならないのだぞ」
「――もちろん、そのことについては理解しているつもりです」
しかし、と景月は声を強くした。
「私は、ただ守られているだけの皇太子ではいたくありません。守り守られ、支え支えられる。この国を作っていく者とは、そういう関係を築きたいのです」
「そうか」
その一言からは、帝の感情を読み解くことができなかった。景月は一瞬だけ首を傾げると、きゅっと口を引き締めた。
昼食時後のまどろみがちな時間帯。帝や皇太子も出席する、有力貴族による大会議が始まろうとしていた。
政の中心である皇居"華天宮"には、使者たちが使う部屋とは別に、大小様々な会議室が九つ用意されている。
その中でも最も大きな会議室"虹彩ノ間"――通称「大会議室」は、帝が座るための玉座が備え付けられている唯一の会議室である。天井からは、隣国のムーランティア王国から贈られた照明道具が垂れ下がっていて、あらかじめ設置した十本の蝋燭に火を点けると細かな硝子の細工に反射し、明るくも柔らかな光で室内の装飾を浮かび上がらせる。中央に据えられた大きな卓は、質のよい木を丁寧に磨きあげているために黒光りしている。
そこを会場にして、週に一度の頻度で行われる定例会議。帝と皇太子、左大臣と右大臣、各省を束ねる大臣を中心に組織され、この一週間の様子を報告したり、検討事項の審議を行ったりする。
今日の大会議も帝の一声により始まり、財政担当や裁判担当からの報告、それに対する質問といった風に、何事もなく順序よく進行した。
帝の玉座の一段下に設けられた皇太子用の玉座。そこで、いつもと変わらない内容に欠伸を噛み殺していた景月は、農林水産担当からの報告が終わったところで静かに腕組みをしなおした。
「では続いて、防衛担当、篠寺殿」
司会担当に呼ばれ、返事をしながら男が一人立ち上がる。防衛省は、国内外の治安をまとめて担っている部署だ。
「恐れながら私から、まずは、近頃の国内治安担当の兵から上がってきた事をご報告いたします」
「……俺が知っている以上の情報が挙がればいいが」
誰にも聞こえない――側にいる帝にすら聞こえないような声でつぶやくと、景月は背に力を込め、前のめりになった。
篠寺は書類を持ち上げ、一呼吸おいて口を開いた。
「ここ一週間、天弓京の商店街において連続窃盗事件が起きています。人の目が一時的になくなった隙を狙う手口で、犯人の顔を目撃したという情報は入っておりません。これらについては、皆様もすでにご存じかと思います」
言葉を切り、大臣たちの顔を一瞥する。貴族たちは小さく頷いたり瞬きをしたりした。
「しかし最近になり、顔とまではいきませんが、風貌についての情報が入ってきました。盗みを働いた犯人は、フォーヤン帝国風の旅装で――」
「二人組で頭巾を被っているのだろう? それについても、ここにいる者は把握しているはずだが」
口を挟んできたのは、左大臣として臨席する松条清之。真新しい話がなく、堪えきれなかった様子である。
「そうです。二日前であれば、それが最新の情報でした」
「二日前?」
「昨日、国内治安担当の兵から、新たな風貌の情報として頭巾の色が挙がってきたのです。その頭巾の色が……」
篠寺は、一瞬書類に目を落とした。
「赤葡萄色、藍色、群青色、鳶色の四種類です」
「四種類? ということは……」
大臣たちは互いに顔を見合わせ、篠寺のほうを見た。
「盗人は四人いる可能性が高い、ということです」
「その目撃情報は確かなのか? どの色も見間違えやすい色であるが……」
「間違いありません。群青色だったり深緑だったりという違いはありますが、どの色の頭巾についても、複数の情報が挙がってきています。四人とも、フォーヤン帝国の衣服だったのですから、確実です」
場内にざわめきが拡がる。
(窃盗犯は二人ではなく、四人……?)
景月は指を顎に当てながら考え込む。
(ここまで、窃盗犯は二人だったのに……。なぜ、ここに来て、そんな風に目撃情報か変わるんだ?)
ざわめきが波のように引いていく。司会担当が静粛を促したのだ。
「今の報告に関して、質問はございますか」
「質問ではありませんが、ここにいらっしゃる皆さんにお聞きしたいことが……」
篠寺の後ろに控えていた青年が切り出す。
「華蘭皇国内における隣国の者による犯罪の続発は、ここ十数年で初めてです。これは、隣国で何かが起きている予兆とも考えられます。したがって、隣国絡みで気になることがありましたら教えていただきたい」
大臣たちは、互いに顔を見合わせる。思い当たる節は無いと囁く者もいれば、気だるそうに腕組みをし、椅子に深く沈み込む者もいる。そもそも、この会議は長引き始めている。早く終わらせて邸宅に戻りたい者が多く、問いに対して口火を切るものはいないようだ。
しかし。
「――皇太子殿が、魔術をかけられて戻ってきたから……」
ざわめきに混じって発せられたその言葉は、明らかな悪意を乗せて真っ直ぐ景月に飛んできた。
「魔術によって汚されたから、災いを引き寄せているのだ……フォーヤン帝国で、魔術をかけられたから」
景月は、ちらと声のした方へ目を向けた。そこには、口元を袖で隠しながらこちらを見つめる男がいた。あの、好奇心旺盛な桐谷家の当主――。
景月が思わず唇を噛んだその時だった。
「帝と皇太子の御前でみっともない話をなさるな、桐谷殿」
景月に一番近い席に座る知貴が、大きくはないが通る声で睨み付ける。
「その発言、捉え方によっては、皇太子殿のフォーヤン帝国行きを命じられた帝を否定することになると心得なさい」
知貴に睨まれ、桐谷常頼は頭を下げて謝罪の意を示した。
景月は、すっと伸びる叔父の背中を見た。叔父の右手は堅く握られ、卓の下で小さく震えていた。
* * *
「叔父上」
定例会議が終わり、"虹彩ノ間"から自身の居室に戻ろうとしていた知貴を呼び止めた。
「おや、景月皇子。どうかされましたか?」
「先程は、父上と私を擁護していただき、ありがとうございました」
「擁護? ――あぁ、常頼殿のことですか」
知貴は、深く頭を下げる景月の肩に優しく手を置く。
「顔を上げてください、景月皇子。あの場であのような発言をしたのは、私自身のためでもあったのですよ」
「叔父上のため……?」
弾かれるように顔を上げた景月の顔を見て、知貴は笑みを深くした。
「物腰穏やかな竹藤家当主でお馴染みの私ですが、言うときは言うということを示したかったのです。言われっぱなしは悔しいですから」
それに、と知貴は言葉を続ける。
「私の大切な甥っ子を貶されて、黙っていられるわけがないでしょう。家族として当たり前のことをしたまでですよ」
「叔父上……」
景月は、いつもの頼りなさげな笑みとともに、父親のような強い光が目に浮かんでいるのを不思議な気持ちで見た。
そんなことより、と知貴は首を傾げる。
「本日の会議は、防衛省から様々な報告が出されました。忘れないうちに、天光殿にお伝えくださいね」
軽く頭を下げ、付き添いの貴族とともに歩き出した知貴を、景月はしばらくじっと眺めていた。
柏羅…本小説 二章一話に初登場した新人召使い。景月の世話をすることが多い。