3-(3) 対話
矢影と共に"夕焼ノ間"を出ると、天光は深呼吸を してから進行方向に身体を向けた。何も言わずに歩き出した天光に、矢影は「ちょっと待てよ」と声を掛ける。
「一緒に部屋を出たということは、個人的に俺と話をしたかったんだろう?」
「……よくお分かりですね」
「舐めるなよ。俺は一応"影ノ使者"だから、頭の良さには自信があるんだ」
矢影の軽い声色から彼の顔が自慢げな笑みに満ちているのが想像できた天光は小さく溜息をついた。矢影の言動に対して特に反応しないで黙々と歩いていると、再び背後から声がかかる。
「……おいおい。黙っていないで何か言ったらどうだ?」
「ちょうど今、何を言おうか考えているところです。急かさないでください」
「あぁ、それは悪かったな」
明月姫を保護した時や"夕焼ノ間"にいる時よりも真剣な声色の矢影だったが、天光は動じず冷静に聞き返す。
「あなたこそ、僕に何か聞きたいことでもあるんじゃないですか?」
「どうしてそう思う?」
「顔で分かります。あなたの今の顔は、好奇心に満ちています」
「……まいったな。これじゃぁ、天光の前では隠し事なんざ出来ないじゃないか」
矢影は大袈裟に溜息をつきながら歩を速め、今度は天光の先に立って歩き始めた。自分よりも少し背が高い矢影を、天光は眉間にしわを寄せながら見上げた。
「それで……僕に何を聞きたいんですか?」
「色々あるよ。お前の故郷はどんな所かとか、お前の"魔槍"の技術はどうやって磨いたのかとか――」
一旦言葉を切ると、矢影は意味深な笑みを浮かべながら天光の方に振り向く。
「――青川平野にいる時のお前の父親はどんなだったか、とかね」
「!」
天光は思わず右手に力を込めた。しかし、わずかにこぶしを震わせるだけで振り上げることはしない。それを意外であると思ったのか、矢影は「驚いた」と言いながら天光のほうへ振り向いた。
「十六歳の割には冷静だね。殴りかかるかと思ったよ」
「からかわないでください。公衆の面前で暴力を振るうほど、僕は馬鹿ではありません」
相手の顔を睨んだままこぶしを解き、天光は大きな溜息をつく。
「僕がその質問に答えることで、あなたに何が分かるというのですか? 僕という人間の全てが分かるとでも?」
「やだなぁ、そんなこと言ってないだろ。俺はただ、お前の人間性を試したかっただけだよ。今の質問そのものに深い意味があるわけじゃない」
矢影は両手の平を天光に向けてなだめるような手振りを見せ、不意に真顔になった。
「噂通り、お前は本当に"光ノ使者"に見合う男なのか。それを確かめたかっただけだよ」
「それはつまり、僕を試したと……?」
「ま、そういうことだ。悪く思うなよ」
そう言うと、彼は再び天光に背を向けて歩き出した。
(どうしてだろう。彼の言動も心理も全く読めない。これは元々持っている性格? それとも、計算され作られたもの?)
背筋の伸びた矢影の背中を眺めながら思考を巡らせていると、後方で時告係の「巳三つ時|(午前十時頃)~」という声がした。出勤時間ということもあって廊下がかなり混んでいる。
「まだ巳四つ時|(午前十時半)前か。天光、ちょっと場所を変えて話でもしないか」
「はぁ、矢影さんがよろしければ」
唐突な誘いに困惑している天光には気付かない様子で、矢影は"朝焼ノ間"を通り過ぎて"華天宮"の出口へ向かった。
* * *
天光が連れてこられたのは、"役人ノ館"のとある一室だった。天光が使っている部屋の造りとほとんど変わらない。
「ここは俺の部屋だ。特に何も無いけど……はい、座布団。汚いけど無いよりは良いだろ」
「あ、ありがとうございます」
受け取った座布団に視線を落とし、天光は首を傾げる。
(自室という個人的な空間に、初対面に等しい僕を自ら招き入れるなんて。歓迎されるのは嬉しいけど、全く警戒されないっていうのも少し不気味だな……。これは完全に心を許しているということなのかな?)
矢影が別の座布団を引っ張り出して座るのを見届けてから、天光も座布団の上に正座した。
「正座なんて、かしこまらなくて良いんだぞ。あぐらの方が楽だろ?」
「え、はい、まぁ……」
「……何だよ、今さら緊張してるのか?」
「そりゃぁ、先輩の部屋にお邪魔するとなれば少しは緊張します」
「あぁ、それもそうか。でも俺、堅っ苦しいのは少々苦手なんだ。遠慮しないで足を崩してくれ」
「……では、遠慮なく」
天光がゆっくりとあぐらをかき直すのを見て、矢影は「面白い奴だな」と微笑する。
「その様子からすると、俺のことをまだ警戒しているみたいだね」
「当たり前です。まだ、出会って五時間も経っていないんですから」
「それもそうだね。でも、あまり警戒し過ぎると信頼できる人間がいなくなるぞ。ちなみに、早朝からさっきまでの言動を見て、俺はお前を信頼することに決めてるからな」
矢影は束ねた長い髪を後ろに払って笑みを見せた。
つい先程まで歩いていた華天宮の廊下は大分騒々しかったが、"役人ノ館"でも華天宮から離れたところにあるこの部屋にはその賑わいは届いてこない。その代りに、窓のすぐ近くに生えている梅の木がさわさわと枝を擦る音が聞こえる。冷たい風に凍えているようだ。
さて、と矢影は天光の方に身を乗り出した。
「天光は、俺に聞きたいことはまとまったか?」
「そうですね……とりあえず、何故あなたは"影ノ使者"になったのかを聞きたいです」
矢影は「いきなり突っ込んでくるねぇ」と苦笑した。
「失礼でしたか?」
「いや、そういうわけじゃないよ。お前は頭が良さそうだから、もっと遠回しに質問してくるんじゃないかと思っていただけさ」
彼は口の端を上げたまま右手の平をひらひらさせる。
「まぁ、大した理由は無いよ。ただ『親父みたいな妖魔術師になりたい』という気持ちがあっただけさ」
「父親のように……?」
矢影の言葉に、天光は思わず目を見開いた。
「僕も、力のある"魔槍"使いで優秀な"光ノ使者"だった父に憧れて……」
「へぇ。父親に憧れていたってのは同じなんだな」
ただ、と矢影はぽつりとつぶやくように言った。
「俺の親父は今も健在だが、お前の父――空光は亡くなっている……という点が違うな」
『父』という言葉を聞いて、天光は反射的に肩を強張らせた。それと同時に表情も堅くなっていたのだろう、矢影は「すまない、」と謝ってきた。
「死んだ父親のことなんて、出来れば話したくないよな」
「いいえ、大丈夫です。もう慣れました。――父が暗殺されたという事実は、目を背けずに向き合わなければいけないことですから」
天光は唇を噛みしめる代わりに傍らの"魔槍"を強く握り締めた。
「天光。まさかとは思うが、父親の復讐を考えてはいないだろうな?」
「えぇ、全く。殺人犯を殺したところで、父は生き返りませんから」
「この先も、その考えを貫き通せよ。間違っても、父親の仇を討とうだなんて考えちゃ駄目だからな」
「分かっていますよ。景月皇子にも全く同じことを忠告されました」
灯夜山の小屋の中、瞳と日に焼けることを知らない肌が月光の中に浮かび上がっていたことをはっきりと思いだした天光はくすっと笑った。
「おっ、やっと年相応の顔が見れた」
「え?」
「いや、お前って十六の割に大人びているように見えるからさ」
「それも、景月皇子に言われました」
「あはは、そうか」
矢影は膝の上で頬杖を突く。
「正直、使者になったからと言って無理をしているんじゃないかと思ったんだよ。皇居の敷地内で姿を見かけた時とか、今朝初めて顔を合わせた時とか、いつ見ても堅い顔をしているからさ。四六時中、そういう張り詰めた姿を保っているのかと思ってしまうよ」
「は、はぁ」
「今の表情を見て、少し安心した。無意識に表情を崩せるなら大丈夫だ。でも、無理して常に緊張を保っていると、本来の自分を見失いかねないからね。気を付けた方が良いよ」
天光は先輩の言葉に「はい」と頷きながら、矢影と景月はどこか似ていると思った。しかし、天光を見る時の目は少し違う。景月は天光にどこか頼るような雰囲気を漂わせているが、矢影は自身の弟を見守るような眼差しだ。
「そういえば、矢影さんは景月皇子と何度か会われているのではないですか? 皇子と同い年ということですし……」
「うーん、俺はまだ駆け出しの"影ノ使者"だから、任務で皇子と一緒になることはほとんど無かったんだよな。でも、時々、個人的に呼び出されて雑談をすることはあったかな。将来、景月皇子が帝の地位に就いたら、俺とお前は今の砂影さんや茂光さんと同じ立場になる可能性があるからね」
「それは、補佐的な役割を持つ……ということですか?」
「そういうこと。あくまでも可能性だから、必ずしもそうであるとは限らないんだけどね」
自慢げに、ということもなく淡々と語る矢影。天光は黙って彼の笑みを見つめる。
(将来、帝となった景月皇子を彼と一緒に支えるということか。今の帝はそこまで若くないから、皇子が帝になるのはそう遠いことでもない気がするな)
――天光。これからも、俺の仲間であってはくれないか?
旅から帰ってきてから初めて景月に呼び出された時、囲碁の相手をしながら言われた台詞を思い出す。
「……仲間、ですよね」
「ん?」
「仲間なんです。景月皇子の護衛ではなく、仲間なんです。皇子が帝になった時も、彼のことを『補佐』ではなく『仲間』として支えなくてはいけない……いえ、支えたいです」
「そうだな」
良いこと言うじゃないか、と矢影は笑う。
「つまり、皇太子殿と天光、そして俺の三人は仲間である、というわけだ」
「そうです。だから……今後もよろしくお願いします」
天光は真っ直ぐな視線を矢影に注ぎながらあぐらを解き、作法にならって頭を下げた。
「そんな改まるなって」。俺からもよろしく頼むよ、天光」
矢影も"影ノ使者"の作法にならって軽く頭を下げた。