2-(終) 旅を終えて
「へぇ、あなた、新人ながらすごい体験をしてきちゃったのね」
「えぇ……旅の波乱はある程度予測していましたが、まさか"魔ノ世"を通ることになるとは……」
「よく無事に帰って来れたなぁ。今、"魔ノ世"は混乱状態にあるそうじゃないか」
「あ、それ、僕も砂影さんから聞きましたよ。僕は"魔具"の使い手ではないんですが、『森光さんも気を付けてください』と言われました」
「興奮状態に陥った魔物は無差別に攻撃してくるからな。魔力を持っていない俺達にとっちゃ、ある意味脅威だ――」
"魔ノ世"から奇跡の帰還を果たしてから三日後。天光は"朝焼ノ間"で他の"光ノ使者"達に囲まれていた。天光と景月が"魔ノ世"を通ってきたという話を聞きつけた紅光が、久しぶりに"朝焼ノ間"に姿を現した天光を捕まえたのだ。そこに森光と杉光がやって来て、天光から旅の概要を根掘り葉掘り聞きだしているのだった。
「皇太子をお守りするという圧力も大きかったでしょうに。初めての一大任務が旅の護衛だからもっと消耗しているかと思っていたけど、思っていたよりも復帰が早かったわね」
「消耗ですか?」
「そうだ。皇太子といえば、将来は皇国の頂点に君臨するお方。体力はもちろんだが、気を使うことで精神的にも疲れるだろう」
杉光に真顔で言われ、天光は首を傾げる。
「いえ……。それほど疲れませんでした」
「あはは、ここでは皇太子殿に気を遣わなくても良いんだよ?」
森光に軽く肩を叩かれ、天光はますます首を曲げたくなった。"光ノ使者"としての最低限の礼儀は守ってはいても、それ以上に気を回していただろうか、と。景月と行動を共にすることは苦だったろうか、と。
「……そういえば、茂光さんはいらっしゃらないのですか? そろそろ定例会議の時刻でしょう」
「あぁ、隊長は帝の書斎にいる。皇太子と面会なさっているそうだ」
* * *
「フォーヤン帝国に不穏な動きだと?」
「はい。道中でルピナリーン国に立ち寄った際、密偵の容疑を掛けられて……」
ようやく調子を取り戻した景月は、帝や茂光、砂影と向かい合って座っていた。召使達による厚かましい看病にうっとうしさを覚えながらもルピナリーン国でフォーヤン帝国の傭兵に会ったことが頭から離れず、体調不良からくる目眩や頭痛から解放されるやいなや、真っ先に帝に面会を申し立てたのだった。
「確かにそれは、異常な警戒態勢だな」
景月の話を一通り聞き終え、帝は椅子に深く身体を沈めた。その左隣で、砂影は眉間にしわを寄せる。
「しかも、その警戒態勢は最近敷かれたものでしょうね。ほんの数か月前に帝国へ出かけたことのある"影ノ使者"もいますが、特に異常は見られなかったようです」
「俺の"魔刀"使い仲間も三か月前までセリオ山で修行をしていたらしいが、フォーヤン帝国のことは何も言っていなかったな」
茂光も頷くと、帝のほうへ視線を向けた。
「分かった。フォーヤン帝国のことは私と砂影を中心に対策を練っておこう。最近、皇子の"幻花"の存在に気付き始めた輩もいるようだから、そちらも早急に対応しなければな」
「私の"幻花"に……?」
初めて聞く話に、景月は思わず口をぽかんと開けてしまった。砂影は表情を曇らせながら重々しく口を開く。
「皇子の"幻花"を狙うということは、皇子の命を狙うということとほぼ同じです。先日、その噂を聞き付けた矢影がそれらしき人物と接触することに成功しまして……残念なことに、それが確実な話であることが判明したのです」
「早く分かったのが幸いでした。大きな騒ぎになる前に、こちらから手を打つことが出来ます」
茂光が頷くと、「こういうわけだ」と帝は景月に言った。
「魔物から"幻花"が狙われる可能性はほぼ無くなったが、人間から狙われる可能性は残ってしまった。十分に用心するのだぞ」
「はい」
景月は帝に向かって深く頭を下げた。
「――さて、堅い話はここまでにしよう。景月。今回の旅で何か気付いたことはあるか?」
「気付いたこと……ですか」
「そうだ」
帝は着物の裾を整えながら景月に柔らかい眼差しを向ける。
「お前達が旅に出る前、私は言ったはずだ。一つでも多くの世界を知る必要がある、と」
優しさの中にも鋭さを持った視線を向けられたが、景月は目を逸らすことなく帝を見つめ返す。
「――家庭教師に勉強を教わりながらも、私はあまりにも無知でした。世界の広さを知らず、世界の現状を知りませんでした」
景月の脳裏に、灯夜山で天光に聞いた青川平野の風景、ルピナリーン国の困窮した状況、フォーヤン帝国の傭兵に捕まりそうになったことが次々と浮かぶ。
「しかし、それと同時に、私はかけがえのない護衛を……いえ、友を得ることができました」
灯夜山で赤目の猪に遭遇したこと、道中での細やか且つさりげない気遣い。
「私には天光が必要だと分かりました」
しばし広間に訪れた静寂。それを最初に破ったのは茂光だった。
「まさか、そう言われるとは思っていませんでした。やはり、彼はただの"魔槍"使いでは無いのでしょう」
茂光の言葉に、砂影はおかしそうに苦笑した。
「『天光には計り知れない何かがある』と言っていたあなだが、今更何をおっしゃるのです」
「うるさい。彼の力を改めて実感した、ということを言いたかっただけだ」
思わずむっとしながら反論する茂光を軽く制しながら、帝は再び景月に優しい目を向けた。
「その台詞を聞けて私は嬉しいよ。やはり、お前にも心から頼れる部下が必要だ」
深く腰掛けていた椅子から立ち上がり、帝は大きな手で景月の頭をそっと撫でた。
「私の大事な息子よ。更なる成長を期待しているぞ」
「――は、はいっ」
一国の主ではなく父親の温もりを感じながら、景月は精一杯返事をした。
* * *
「お呼びですか、景月皇子」
景月が"風天宮"の自室に戻ると、あらかじめ来るように伝えてあった天光が扉の横に立っていた。
「あぁ。久々に囲碁をやりたいと思ってな」
「そんな、皇子はまだ病み上がりでしょう。無理をなさらないでください」
「俺にとって、布団の中でじっとしていることが一番の無理なんだよ。頭ぐらい動かさなきゃ、逆に具合が悪くなる」
「……それもそうですね」
天光の控え目な笑みを見ながら、景月は自室の扉を開けた。皇太子を待ち構えていた召使達をさっさと廊下へ追い払うと、景月は囲碁の盤を引っ張り出してきた。
「あぁ、あいつら、俺の世話以外には頭が回らないんだな。ほら、盤にこんなに埃が溜まっている。全く、俺を待っている暇があったら部屋の掃除をしろっていうんだ」
人差し指に付いた灰色の粉を吹き飛ばしながら、景月は天光に碁石を差し出した。
「さぁ、今日は天光が先攻だ」
「……何故ですか?」
「何故って、前回の対局で天光に負けた時、俺は先攻だったからだよ」
「なるほど」
天光は真顔で頷き、手に持っていた"魔槍"を置いてから黒の碁石を受け取る。そして、約二週間前のように、ためらうことなく碁石を盤に置いた。
「――大変な旅だったな」
白と黒の石が五個ずつ置かれると、景月は唐突につぶやいた。それに驚くでもなく、天光は彼の言葉に頷く。
「えぇ。でも、良い旅でした」
碁石が盤に当たる堅い音が室内に響く。
「正直、俺が初めて天光を見た時、馬鹿みたいに真面目なつまらない男だと思っていた」
「……自分でも、僕は真面目な人間だと思います」
「でも、それだけじゃなかった。お前は人の気持ちや痛みを理解できるし、思いやることもできる。かと思えば、"魔ノ世"や魔物にも屈しないような強さも持ち合わせている」
碁石を置きながら胸の内を告白する景月を、天光は少し不審そうに見た。
「いきなり何をおっしゃるあと思えば……。一体どうしたのですか」
「どうしたって、俺は思っていることをそのまま言っているだけだ」
盤に張られた白黒の陣を睨みながら、景月は口を尖らせる。
「俺にはお前が必要。今回の旅でそれに気付いたんだ」
「奇遇ですね。僕も皇子の跡に付いていきたいと思っていますよ」
「……本当か?」
「僕が嘘をつくとお思いですか?」
天光は照れながら微笑する。
「景月皇子と共に行動することで、視野と価値観が広がりました。なんせ僕は狭い田舎の生まれで、人付き合いもそれほど多くはありません。"光ノ使者"として、一人の人間として、貴重な体験をさせていただいたと思っています」
「……面と向かって言われるとさすがに照れるな」
頭を掻きながら白の碁石を持った景月は、盤に石を置こうと振りかぶった姿勢で一時停止した。
「対局終了、僕の勝ちです」
天光の誇らしげな笑み。景月は手に持っていた石を思わず床に投げつけた。
「あーっ、また負けた!」
「告白に夢中になっているからですよ」
「くそぉ……」
座布団の上に引っくり返ると、景月は手足を大の字に放り出す。
「やっぱり、天光には敵わないな。頭脳も身体能力も桁違いだ」
「いえいえ、囲碁だけですよ」
「そうだと良いんだけどな」
長く息を吐き出すと、景月はゆっくりと上半身を起こした。
「天光。これからも、俺の護衛……いや、仲間であってはくれないか?」
「……仲間、ですか」
「あぁ、そうだ。仲間だ」
景月が盤に両手を乗せると、天光は小さく声をたてて笑う。
「何を今更。あれだけの旅を共にした時点で、皇子と僕は仲間ですよ」
天光のその笑顔に偽りが無いことを悟った景月は、言葉の通り満面の笑みを見せながら碁石を白と黒に分け始めた。
「それじゃぁ、今から第三戦目といこうじゃないか。今度は、俺の作戦を天光に読み取られないようにしないとね」
[第二章 花抱く皇子 完]