2-(11) 思わぬ歓迎
話の区切りの関係で、今回は少し短めになっています。
ルピナリーン国特有の粗末な割に高値な昼食を摂り終えると、景月と天光はセリオ山に足を踏み入れた。
「俺の"幻花"の匂いが強くなってきた。気のせいか?」
「いいえ、気のせいではありませんよ。セリオ山は"魔ノ世"との交わりが濃いと言われていますから、きっと、"魔ノ世"の気配に反応しているのでしょう」
淡々と説明する天光だったが、少し声色を低くして言った。
「"魔ノ世"と交わりが濃いということは、魔物や妖魔が"幻花"を狙って来る可能性が飛躍的に上がるということです。僕もしっかり皇子をお守りしますが、皇子も用心して下さい」
「分かった。気を付けよう」
景月は頷くと、"幻花"の健在を確かめるように鳩尾の辺りに右手を置いた。
二人はセリオ山を越えた後、フォーヤン帝国東端に位置する霊山に住むチェン・イェンを訪ねる予定でいた。しかし、フォーヤン帝国の傭兵から華蘭皇国の密偵であると疑われたこともあり、セリオ山を越えてすぐにフォーヤン帝国に足を踏み入れることには抵抗があった。
山道を進みながら二人で意見を交わしていると、突然、華蘭皇国では見慣れない衣装を着た男が前方に姿を現した。乾いた落ち葉を踏む音すらさせずに現れたため、景月は反射的に体を強張らせた。
「足音もたてずに山道を歩いてくるとは、大したものですね。申し訳ありませんが、差し上げる財産も命もここにはありませんよ」
フォーヤン語で話し掛けると、天光は"魔槍"を握る手に力を込めた。
「そう早まるな。私は怪しい者ではない」
"魔槍"を構えようとする天光を片手で制しながら、男はフォーヤン語で言った。
「チェン・イェンに会いに来た華蘭人というのは、あなた方のことか?」
「……唐突ですね。何故、そのようなことが言えるのですか」
「チェン・イェンの占に出たのだ。二人組の華蘭の若者が、"幻花"の問題を解決してもらうためにチェン・イェンの元を訪れる――とな」
「チェン・イェン、本人の占に出たと言うのですか?」
天光が警戒の姿勢を崩さずに聞き返すと、男は「その通りだ」と頷いた。
「本来、チェン・イェン師匠はリューオン山で修行や弟子の指導をしているのだが、あなた方の来訪が占に出たということで、急遽セリオ山に修行場を建てたのだ」
「何とも都合の良すぎる話ですね。我々は、あなたの言うことを信用しても良いのですか?」
「そう言われるだろうと思い、師匠直筆の手紙を預かってきた。――これだ」
男が懐から出したのは、四つに折りたたまれた薄汚れた紙切れだった。天光が慎重に手紙を広げると、景月は天光の背中に寄り掛かるようにして覗き込んだ。文面は走り書きのフォーヤン語で、文章の最後にはチェン・イェンの印が押されていた。
「間違いない。チェン・イェンの印だ」
「何故、分かるのですか?」
「出発前、砂影殿に印を見せてもらったんだ。一度だけ、砂影殿も彼に会ったことがあるのだそうだよ」
景月は天光の前に進み出た。
「貴殿の言うことを信じましょう。我々をチェン・イェンのもとへ案内してください」
「ありがたい。では、早速案内しよう」
男は安堵の表情を見せると、二人に背を向けて来た道を戻り始めた。
「良いのですか、皇子。彼の言葉に乗じても」
疑いを拭いきれない天光が、景月にそっと耳打ちした。景月は苦笑しながら「大丈夫だよ」と言った。
「チェン・イェンの印は特徴的だから間違いはないよ。それに、万が一これが罠だったとしても、天光が何とかしてくれると分かっているから安心だろう?」
「…………」
少し不満げに皇子を見つめる天光だったが、景月はあえて気付かない振りをした。
(別に、彼を脅しているわけではない。本当のことを言っただけだ。天光にはそれだけの力があると、この旅を通して実感したんだ)
景月を追い越して数歩先を歩く護衛の背中を眺めながら、景月は一人で頷いた。
男の後に続いて歩くこと約十分。うっそうと生い茂る広葉樹が一気に開け、大きな原っぱのような場所に出た。その中央には真新しい丸太小屋が建っていた。その隣にはもう一つ粗末な小屋があり、呪術師らしき者達が黙々と修行をしていた。
男は真っ直ぐ丸太小屋へ向かうと、かなり強く扉を叩いた。
「師匠。華蘭人の若者二人を連れてきました」
「その声はロウか。入れ」
失礼します、と言いながら、男は景月達を中へ入るよう促した。
高々と積み上げられた蔵書や器具のせいで、丸太小屋の中は外観よりも遙かに狭く見えた。線香のような香りが充満する部屋の奥に、よれた裾の長い服をまといながら机に向かう老人の姿があった。
「ご苦労だったな、ロウ。やはり、お前に任せておいて良かった」
「ありがとうございます」
「術の行使で疲れているだろう。もう退出して良い」
「はい」
老人に向かって深く頭を下げると、ロウは景月達にも会釈をして小屋を出た。
扉の閉まる音がすると、老人は手に持っていた筆を丁寧に置き、椅子から立ち上がって景月達の方に振り返った。腰は曲がっていたが、その細い目には強い光が宿っている。
「お前達が、わしの占に出た若者か」
「は、はい。私は華院宮景月と申します。私の中にある"幻花"に術を掛けていただきたく、華蘭皇国から来ました」
景月は出来るだけはっきりと言うと、隣にいるのは護衛であることを伝えた。
「ほう、華院宮とは驚いた。お前は皇族の者なのか」
「は、はい」
「となると、その護衛は"光ノ使者"か」
「はい。その通りです」
天光も少し緊張気味に頷いた。
「はるばるここまで、よく来たな」
老人は目一杯腰を伸ばしながら、景月と天光の顔を交互に見た。
「改めて自己紹介をしておこう。わしはチェン・イェン。妖魔術と結界術が専門の魔術師だ」