2-(9) 密偵の容疑
今回は少し短めです。
密偵の容疑を掛けられた景月と天光は、唐突過ぎる展開に驚くばかりだった。
そんな二人には目もくれず、口髭の男の合図で、傍らに立っていた小太りの男と短髪の男が天光の荷物を漁りはじめた。天光の荷物から出て来るのは木製の食器、"魔槍"の手入れ道具、資金や非常食ばかりで、ごく一般的な旅人の持ち物に過ぎない。
天光の荷物に見切りを付けた二人が景月の荷物に目を移すと、彼らの行動を黙って見ていた天光は冷たく言い放った。
「それは彼女の荷物です。触れないで下さい」
「…………」
小太りの男は小さく舌打ちすると立ち上がり、天光の"魔槍"を指差した。
「それは何だ」
「見ての通り、護衛用の槍です。お堂巡りの道中、女性を危険な目に遭わせる訳にはいきませんから」
「ふむ……」
男は膨らんだ腹をさすりながら天光の目をのぞき込み、景月の白い顔を一瞥した。
「この男の言葉に嘘は無さそうだが、どうだろう」
「…………」
立派な口髭をさすりながら、男は考える素振りを見せる。天光の所持品を元に戻しながら、短髪の男が重ねる。
「全く無関係の一般人を連れ帰っても、我々の取り締まりの甘さをさらけ出すだけだ。ひとまず引き上げたらどうだろうか。例え、この地で捕らえ損なっても、帝国に入った時点で確実に密偵は捕らえられるだろう」
「……そうだな」
口髭の男は頷くと、小太りの男と短髪の男に退散の指示を出した。
「睡眠を妨げてすまなかったな。我々はこれで失礼する」
三人は扉を閉める前に、景月を見ながら口を揃えて言った。
「貴女に"大火神"の恩寵があらんことを――」
* * *
「危ないところでしたね。あまり頭の良くない、普通の傭兵で助かりました。少しでも魔力を感じることが出来たら、彼ら、"幻花"の匂いに気付いていたかもしれませんし」
三人の傭兵の背中を見送ると、天光は窓掛けをぴったりと閉めた。肩を撫で下ろしながら、景月は己の頬に手を当てる。そこで初めて、自分の顔がひどく強張っていたことに気が付いた。
「天光。さっきは何故、俺のことを女性扱いしたんだ?」
手元に手繰り寄せていた短刀をしまうと、景月は窓際に立っている天光を見上げた。
天光は"魔槍"に革袋を被せながら説明する。
「――フォーヤン帝国は火を神として崇める国家です。全ての火の神を取りまとめる"大火神"は女神であるということから、フォーヤン帝国では女性を大切にする習慣があります。ですから、本人の許可が無い限り、あのような場面でも女性を問い詰めたり荷物を漁ったりすることは出来ないのです」
「それくらいは知っているよ。だからフォーヤン帝国の女性は、大切にしてもらう代わりに男性に忠義を尽くすんだろう? 俺が知りたいのは、何故俺が女性扱いされたのか、ということだよ」
「……皇子、気付きませんでしたか? 彼ら、この部屋に入って来た時から出る時まで、皇子を女性だと思い込んでいましたよ」
「えっ」
「先程の騒ぎの間、皇子は一言も発言しませんでしたが、彼らはそれについて何も言及しませんでした。そして、皇子と僕をまとめて『お前達』と呼べるところを、あえて『貴女』『お前』と分けて使っていました」
「……そうだったのか」
突然のことで緊張していた景月は、そのような細かいことまで全く覚えていなかった。
「フォーヤン帝国において、肌が白い男性や髪を伸ばしている男性はほとんどいませんからね。華蘭の風俗を知らない者が勘違いするのも当然です」
"魔槍"を壁に立て掛けると、天光は景月の前でひざまずく。
「皇太子をあのような扱いをしたことについては、深くお詫び申し上げます。しかし、傭兵達から逃れるためにはそれを利用するしかありませんでした。お許し下さい」
「あぁ、もちろん許すよ。こちらこそ、あのような場で機転を利かせてくれた天光に感謝するよ。ありがとう」
顔を上げてくれ、と景月は言葉を掛ける。
「俺の荷物の中には、華蘭皇国皇太子の証――"紅ノ勾玉"が入っていたから、彼らに見つからなくて本当に良かったよ」
そう言いながら、景月は紫色の絹布で厳重に包まれている包みを取り出した。丁寧に紐を解くと、紅玉が埋め込まれた小さな勾玉が姿を現した。
「これが"紅ノ勾玉"ですか。初めて見ました」
「俺も、これを父上以外の者に見せるのは初めてだよ」
景月は"紅ノ勾玉"を再び絹布で包んだ。
「この"紅ノ勾玉"にも、魔力が封じ込められているんですね」
「あぁ、父上と砂影殿がそう言っていたな。俺みたいな一般人でも持てるくらいだから、大した量は入っていないみたいだ」
そんなことより、と景月は布団の上に座り直した。
「先程、傭兵の様子を見ていて気になることがあった」
「気になることですか?」
「あぁ。華蘭から来た俺達を強引に『密偵』と決めつけたことが引っ掛かるんだ。もし、俺達よりも前にフォーヤン帝国へ行った者が同じ目に遭っていたとしたら、出発時、父上や茂光殿が忠告してくれたはずだ」
「それは、僕も感じました」
天光が頷くと、景月は続けた。
「俺はどうしても、フォーヤン帝国が近隣国に悟られたくないようなことを企んでいるとしか思えないんだ。その企みが華蘭皇国に危害を及ぼすというのなら、皇太子という立場上、俺も何か考えなければならない。今すぐにでも」
「……いずれは手を打たなければならないでしょう。しかし、今はイェン・チェンに会うことが先決です。あの傭兵は『この地で捕らえ損なっても、帝国に入った時点で確実に密偵は捕らえられるだろう』と言っていましたから、危機はそこまで迫ってきてはいないと考えられます」
天光は真っ直ぐな目で景月を見た。
「今は、皇子ご自身の心配をなさって下さい」
「……そうだな」
景月は自分の胸に手を置いた。今は目をつむらなくても"幻花"の可憐な姿が確認できる。
「出来るだけ早く、イェン・チェンに会いに行こう。俺のためにも、皇国のためにも」
「御意」