2−(5) 皇居を発つ
帝、茂光、砂影の対談が行われた、その三日後。景月は生まれて初めて旅装に身を包み、天光を従えて帝の書斎にいた。玉座に座る帝の両脇には、茂光と砂影が立っている。
「昨晩、マヨノカミと接触したのですが、また"魔ノ世"が乱れつつあるようです」
砂影は心配そうに、景月と天光の顔を交互に見る。
「この乱れが悪化しなければ良いのですが、これからの旅で何が起きても不思議ではありません。大丈夫だとは思いますが、くれぐれもお気をつけて」
「何だ、まだ不安なのか」
茂光が大袈裟に肩を竦める。
「天光なら大丈夫だ。この俺が保証する」
「――必ず、景月皇子をお守りします」
天光は何の迷いも無く強く言い切った。
「当たり前だ。急がなくて良いから、とにかく無事に帰って来い。景月皇子に傷一つでも付けたら、お前は"光ノ使者"でいられなくなるからな」
「はいっ」
茂光の厳しい言葉にも怯まず、天光は素早く敬礼した。
「――景月」
神妙な面持ちで、帝が景月を呼ぶ。
「はい」
普段とは違う雰囲気の父親に、景月は緊張を感じながら顔を上げた。
「好奇心旺盛なお前のことだから、こんなことは言うまでもないかもしれないが――」
帝は一呼吸置いた。
「――見知らぬ土地で、色々なものを見てきなさい。目的はチェン・イェンに会うことだが、お前は将来、私の地位を引き継ぐ者だ。一つでも多くの世界を知る必要がある。分かるか?」
「――はい」
帝の言葉を噛み締めながら、景月は深く頷いた。
「それでは、行ってきなさい」
朗々とした帝の声に促され、景月と天光は立ち上がる。
「行ってまいります」
景月が帝と同じくらいはっきりとした声で言うと、二人は一礼して、帝の書斎を出た。
* * *
皇居の裏門前に、景月の見送りをするために、召使達が整然と並んでいた。その中には、入ったばかりの柏羅の姿も見える。
「景月皇子様」
最も年輩の少年が呼び掛ける。
「私達は景月皇子様のお供はできませんが、旅が無事に終えられることを常時祈っております。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃいませ」
召使達が一斉に頭を下げる。
「ありがとう」
景月は、凜とした笑顔を浮かべる。
「お前達も、私が不在の間、怠けることが無いようにしてくれ」
「はい!」
召使達が揃って返事をする。あまりの揃い様に景月は薄気味悪さを感じたが、笑顔のまま天光を見た。
「では、参ろうか」
「はい」
天光は頷くと、景月の先に立ってゆっくり歩きだす。
「良かったのですか?
「……何がだ?」
景月は首を傾げると、天光は歩きながら振り向いた。
「僕の他に、召使を付けなかったじゃないですか。移動するための馬とか、駕籠とか……」
天光の台詞に、景月は若干うんざりしながら肩を竦める。
「また余計な心配を……。身支度くらい、俺一人でできる。俺は、特別扱いされるのが嫌いなんだ」
「それは知ってます。僕が心配しているのは、召使を付けなかったことで皇子が非難されることです」
「……非難される?」
予想外なことを言われ、景月は再び首を傾げる。
「――景月皇子。皇子が将来帝に即位なさることに反対する人々がいることをご存知ですよね?」
「そりゃぁ、もちろん」
景月は、脳の片隅に松条清之や清継らの顔を思い浮かべた。
「だったらどうして、わざわざ彼らの反感を買うような真似をなさるんですか?」
天光の怒ったような言い方に少し気圧されながら、景月は答える。
「不自由な身分に腹が立つから……?」
「……まぁ、皇子ならそうおっしゃると思いました」
天光は立ち止まった。
「チェン・イェンに魔よけの術を掛けてもらっても、皇子の命を脅かすものは他にたくさんあるのです。危険性を少しでも減らすためにも、突飛な行動はお控えください」
「……すまないな」
肩を竦めて反省の意を示し、景月は辺りを見回した。
二人は今、裏門から真っ直ぐに伸びる通りを歩いている。皇族が徒歩で移動することはほとんど無いため、いつも牛車から眺めていた道を己の足で歩くことは、景月にとって新鮮だった。
「こうやって歩いていても、案外気付かれないものだな」
「多分、それは笠を目深に被っているからです。衣服もいつもと違いますから、誰も気付かないと思いますよ」
景月の呟きに、"魔槍"を担ぎ直しながら天光は小声で答える。
「まぁ、注意すべきは殺し屋くらいでしょう」
「殺し屋……?」
「えぇ。特に……"七条ノ殺シ屋"でしょうか」
苦虫を噛みつぶしたような表情で"七条ノ殺シ屋"を口にする天光だが、景月はそれにあまり気を留めなかった。
「"七条ノ殺シ屋"なら、この俺でも知っているよ。天弓京では有名だ」
「……そんなに有名なんですか?」
「まぁな。一年前は、皇子殺害予告が来たりして、大騒ぎだったし」
「殺害予告?!」
思わず声を大きくしてしまった天光は、口に手を当てながら「すみません……」と謝った。
「別に謝ることは無い。驚いて当然だ」
「いや、今ので僕達に注目が集まってしまいますから……。皇子、少し急ぎましょう。良いですか?」
「あ、あぁ、構わない」
景月は頷くと、天光に置いていかれないよう、歩く速度を速くした。
(今日はやけに、俺の身の安全に敏感だな……)
先を立って歩く天光の背中を見つめながら、景月は考える。
(多分、使者隊長二人組に厳しく言われたんだろうな)
脳裏に、出発間際に厳しい言葉を掛けていた茂光と、心配そうな笑みを見せる砂影の顔が浮かぶ。
(確かに、"幻花"を持った俺はある意味危険人物だ。――でも、俺は天光を信じる)
"任命ノ儀"の後に初めて天光と対面してから、まだ一週間も経っていない。しかし、今、景月を守り、味方するのは天光しかいない。
「皇子。あと少しで山に入ります。山道入口で休憩しましょう」
「分かった」
景月の旅は、まだこれからだ。
* * *
(何故、こんな所に天真が……)
任務の下見で茂みに隠れていた青年は、思わず息を呑んだ。
(後ろにいるのは誰だ?)
青年の目が、ほんの一瞬、景月の顔を捉える。
(よく見えないな……。あの色白さと長い黒髪からして、皇族か? ――つまり、天真は護衛をしているということか)
「――隼矢さん。ここはどうですか?」
背後から後輩の声が聞こえる。思考を一旦中止し、青年は振り返った。
「――ここは、少し視界が悪い。それに、感覚が良い奴だったら気配に気付くかもしれないな。お前の方はどうだった?」
「身を隠すには丁度良さそうでした。ただ、やはり視界が……」
「そうか。とりあえず、俺もそっちに行く。いずれにしろここは使えない」
青年は立ち上がると、後輩の後に続いて茂みを出た。
(天真。今日は見逃してやるが、次は必ず――)
殺す。
青年は、腰に挿した短刀を握り締めながら、遠ざかる人影を睨んだ。
いつもよりも短めですが、ご了承ください(汗)
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