1-(終) 天翔る使者
「緊張するか?」
"役人ノ館"の廊下を歩きながら、茂光は"光ノ使者"になったばかりの少年に話し掛ける。
「はい。少し緊張しています。でも、緊張よりも期待のほうが大きいです」
「そうか」
二人は"役人ノ館"を出ると、少し冷たい北風を頬に受けながら"華天宮"に入った。
無事"認証ノ試験"を終えてから三日目の今日、天真は"光ノ使者"や"影ノ使者"の面々と顔を合わせることになっていた。
また、今日初めて"光ノ使者"の正式衣装に腕を通した。使者の衣の色は人によって違うらしく、天真に与えられた衣装は水色を基調としている。父親の空光が来ていた衣装と似たような色で、だから余計に、"光ノ使者"としての責任の重みを感じていた。
茂光は、『朝焼ノ間』の札が下がった扉の前で立ち止まった。
「さて。ここが俺達の会議場だ。既に、"光ノ使者"の奴らは全員集まっている」
入るぞ、と小声で言うと、茂光は扉を三回叩く。すると、中にいる者によって扉が開けられた。
「隊長。待ってましたよ」
扉を開けた者も含め、"朝焼ノ間"には二人の男と一人の女性がいた。
「すまないな、待たせてしまったようで。さぁ、全員席に着いてくれ」
茂光が声を掛けると、使者達は円形に並べられた座布団に腰を下ろした。そして、茂光の背後に立つ天真を見る。
「へぇ。君が、新しい"光ノ使者"か」
目の前にいる"光ノ使者"達が、若いなぁと嬉しそうに笑う。
茂光は小さく咳ばらいした。
「一応、紹介しておこうか。彼は天光。青川平野出身だ」
「初めまして。天光と申します」
天真は、与えられたばかりの新しい名前を名乗り、頭を下げる。
「専門は"魔槍"。槍の腕はほとんど独学で磨いたらしい」
茂光がそこまで言うと、集団の中でただ一人の女性が手を挙げた。
「隊長。もしかして、彼は空光さんの息子さんですか?」
「その通りだ」
やっぱり、とその女性は頷いた。
「真面目そうなところとか、そっくりだと思ったのよ。衣装の色までそっくりね」
「確かに。空光さんも青い衣装でしたよね」
その横で、天真よりも少し年上に思われる若者が、懐かしいなぁと呟く。
「"認証ノ試験"での君の話は聞いているよ」
そのさらに隣で、さっき扉を開けた、四十歳後半くらいの男が口を開く。
「景汐皇子から見て、月と手が上手く被さるように跳んだこととか、必要無いのに助走を付けたこととか。わざわざ松の横に立って跳躍の高さを強調するとは、考えたものだな」
そう言って、男はにやっと笑った。
「さて。君達にも自己紹介をしてもらおう」
天真に座るよう促し、茂光も自分の席にあぐらを掻くと、"認証ノ試験"の話をしてきた男が咳ばらいをした。
「俺は杉光。"光ノ使者"の副隊長だ。専門は長刀、任務内容によっては短刀を使うこともある。茂光隊長は任務には厳しいお方だが、俺も副隊長として厳しくやるからな。覚悟しておけ」
「もう。新人に何を言い出すのかと思ったら……」
男――杉光の隣で、女性が呆れたように彼を睨む。
「彼は空光さんの息子ですよ? 息子にもきつく当たる必要無いでしょう?」
「別に、そんなつもりはない。ただ厳しくすると言っただけだ」
「そうですか? やめてくださいね、あの頃みたいなことをするのは」
二人の話が見えない天真は、どういうことか茂光に聞こうとしたが、女性の声がそれを遮る。
「ごめんなさいね。今のは気にしないで。私は紅光。専門は弓矢。矢の先に毒を塗ることもあるから、"光ノ使者"での毒の扱いは全て私がやっているわ」
"魔槍"にも使えるわよ、と紅光が付け加えると、隣の若者が手を挙げた。
「僕は森光。時々刀も使うけど、手裏剣を使うことが多いかな。――余計かもしれないけど、紅光は僕の姉だよ」
「ご姉弟なんですか!?」
「もー、何で言っちゃうのよ。後々教えてあげようと思ってたのに」
後輩を可愛がるのが楽しみだったのだろう、紅光は森光を睨む。
「別にいいじゃないか。どうせ、天光だったらすぐに感づいただろうし」
苦笑しながら姉の視線をかわすと、森光は再び天真と向かい合う。
「僕が君と一番歳も近いからね。何でも気軽に話して欲しい。よろしく」
「――は、はい。よろしくお願いします!」
天真は、茂光に教え込まれた作法にならい、床に手をついて頭を下げる。
「念のため、俺からも自己紹介しておこうか」
茂光にそう言われ、天真は急いで頭を上げた。
「俺は、"光ノ使者"隊長の茂光。専門は"魔刀"だ」
「"魔刀"……ってことは、茂光さんも」
驚愕の表情を浮かべる天真に、大袈裟だなぁと茂光は笑う。
「そう。君と同じく、"魔具"を使えるんだ」
「知りませんでした。父の葬式の日、茂光さんは"魔布"で"魔槍"を持ってたので……」
天真は、村の丘の上で茂光と出会った時のことを思い出す。
「そういえば、そうだったな。理由はよく分からないが、あの日、いつもよりも"魔槍"が重く感じたんだ」
「"魔槍"が重くなったっていうのは、物質的に、ということですか?」
普段は右手に携えている"魔槍"を握る真似をしながら、天真は首を傾げる。
「そうだ。"魔刀"も持ってみたが、それの重さに変化は無かったからな」
この話はまたにしよう、と言って茂光は立ち上がった。
「明日の"任命ノ儀"を経て、天光は正式に"光ノ使者"の一員となる。"任命ノ儀"が終わり次第、天光には早速任務に就いてもらう。内容はまだ未確定だが、決まり次第、俺が直接伝える」
「分かりました」
天真は短く返事をすると、茂光も頷き返した。
杉光は立ち上がると、懐から小さな帳面を取り出した。
「"任命ノ儀"の前に、一度我々だけで集まりますか? 天光は無理でしょうが……」
「そうだな。では、"任命ノ儀"の打ち合わせと、報告会と今後の任務の確認をしてしまおう。明日は、朝食の後、出来るだけ早くここに集まってくれ」
「了解」
杉光にならって紅光と森光も立ち上がり、三人は茂光に向かって敬礼する。
「明日、僕はどうすれば良いでしょうか」
天真も起立すると、茂光に尋ねた。
「天光の予定については、今日の夕方、"影ノ使者"との対面が終わった頃に知らせに行く。それまで、自室で待機していてくれ」
「了解っ」
両足を揃え、若干ぎこちなく敬礼をする天真。紅光が嬉しそうな笑みを浮かべたのは言うまでもない。
よし、と茂光は一同を見渡す。
「明日からは、天光を加えたこの五人で活動していく。天光は少しでも早く使者として自立し、他の者はそれをしっかり支えること。いいな?」
「了解!」
四人が揃って敬礼すると、茂光は会議の終了を告げた。
* * *
"光ノ使者"達との対面を終え、夕方まで時間に空きが出来た天真は、"光ノ使者"になれたことを報告しようと静音のもとを訪れることにした。
「本当?! "光ノ使者"になれたの?!」
天真が持ち込んだ大きな知らせに、静音は人目をはばからずその場で飛び跳ねた。
「本当だよ。明日"任命ノ儀"があって、正式に入隊だ」
「すごい! おめでとう、天真! 夢が叶ったのね」
部屋へ案内しようとする静音を制しながら、天真は苦笑する。
「確かに、夢へ一歩近付いたけど、叶ってはいないよ。まだこれからが勝負だ」
「また、そんなこと言って。素直に喜べば良いのに」
「もちろん喜んでいるよ。でも、本当にこれからだから」
天真の真剣な目を見て、静音は黙り込んだ。
「どうかした?」
その姿が思い詰めているように見えた天真は、うつむき気味の静音の顔を覗き込む。
静音は、微笑を浮かべながらつぶやく。
「――正直、"光ノ使者"になって欲しくない気持ちもあったわ」
「えっ?」
静音の意外な発言に、天真は目を丸くする。
「もちろん、天真が"光ノ使者"になれたのは嬉しいことだわ。けれど、天真が命の危険にさらされ続けるって考えると、不安で仕方なくて……」
苦しそうに顔を歪めると、静音はうつむく。
「ありがとう。静音は優しいんだね」
天真の静かな声が静音の頭上に降る。
「でも大丈夫。僕はそう簡単に死んだりしないから」
その天真の台詞を聞いても、静音はまだ不安げに彼を見上げる。天真は、顔の前で右手の小指を立てた。
「静音を悲しませるようなことはしないよ。約束する」
天真の真剣な表情に、静音は思わず頬を赤くする。
「――うん」
そして、静音も同じように右手を差し出し、自分の小指を天真の小指に絡める。
「絶対だからね? 約束破ったら、わたし、怒るからね?」
「静音が怒るところなんて見たことないけどなぁ」
つい先程までの真剣な表情とは打って変わって、天真はのんびりと笑う。
「もう、人の気持ちも知らないで……」
頬を膨らませる静音だったが、笑いながらも鋭い天真の目を見て、心の中で確信した。
天真はきっと死なないだろう、と。
そんな彼女を前にして、天真は、自分のことをこんなにも心配してくれる人がいることに喜びを感じた。
(また一つ、僕が死んではならない理由ができた)
天真は、左手に握っていた"魔槍"を右肩に担ぎ直した。そして、寂しがる静音のもとを立ち去った。
別れ際に静音が教えてくれた道を使って、天真は帰り道を急ぐ。
一旦大通りに出て、もう一度小路に入ろうとしたその時、ふと刺さるような視線を感じて天真は立ち止まった。振り返ったが、そこには誰の姿も見当たらない。
天真は、茂みを凝視したまま呟く。
「――隼矢?」
返事は無い。しかし、天真は別に返事を求めている訳では無かった。
「隼矢だね? 分かるよ、君の殺気。僕に向けられているから尚更だ」
右手に下げていた"魔槍"を、静かに茂みの一点に向ける。
「でも、隼矢はまだ僕を殺せないよ。次期"七条ノ殺シ屋"総長の君にとって、"魔槍"を構えてもいない僕の胸を貫くことくらい、難しくないはず。でも、今は逆に、こうして僕に穂先を向けられている」
茂みの向こうにいる友人に"魔槍"を向ける手は、微かに震えている。
「僕も君を殺せない。なぜなら、僕達は友人だからだよ、隼矢」
「――俺達は友人なんかじゃない」
布で鼻と口を覆っているのか、隼矢のくぐもった声が返ってくる。
まさか隼矢の声が聞けるとは思っていなかった天真は、少し"魔槍"の位置を下げた。
「君が何と言おうと、敵だなんて、僕は認めないから」
「そんなことを言っていられるのも今のうちだ」
殺気は少し弱くなったが、依然として無感情な声で隼矢は続ける。
「その格好をしているということは、お前は"光ノ使者"になったんだろう? 元々、殺し屋と使者は敵対しているんだ。たとえ、お前が俺の父さんの仇じゃないとしても、俺達は敵同士だ」
敵同士――。
隼矢の言葉に、天真は胸が苦しくなる。
「直接、刃を交えなければ良いんだ」
「そんな上手いことがあるか。俺はお前を殺す気でいるんだ、何度でも短刀を突き付けてやる」
そう言い残すと、葉と葉がわずかに擦れる音がして、茂みの奥から人の気配が消えた。
――俺はお前を殺す気でいるんだ、何度でも短刀を突き付けてやる。――
隼矢の台詞が、天真の中でいつまでもこだました。
* * *
夕方、天真は"影ノ使者"の面々と対面する予定だったが、"影ノ使者"側の都合が悪くなり、結局、対面は明日以降やることになった。
茂光から"任命ノ儀"の説明を受け、遅めの夕食をとった後、天真は自室で窓の外を見上げていた。
漆黒の闇に浮かぶ真っ白な月を眺めながら、天弓京に来てからゆっくりと夜空を見上げるのは、今日が初めてだということに気が付く。
(忙しいし慣れないしで、最近疲れていたからなぁ……)
右肩に"魔槍"を乗せたまま、壁に背を預けるようにして座ると、身体の奥から疲れがじわりと押し寄せてきた。次第に頭が重くなってきて、何の気無しに"魔槍"を額に当てる。
「?」
天真は、反射的に"魔槍"を顔から離し、窓の外や周りを見る。
――誰もいない。
天真はもう一度"魔槍"を額に当てる。するとやはり、同じように、水の如く透き通る笛の音が聞こえる。
聴いたことの無い旋律。それでいて、どこか懐かしさを感じさせる響き。天真が"魔槍"に額を当てている限り、闇夜に吸い込まれそうな短い旋律が、少しずつ形を変えて、何度も繰り返される。
(こんなの初めて聴いた。どうなっているんだろう……?)
天真は目をつむり、"魔槍"から額に流れてくる笛の音に耳を傾ける。
そのうちに、途切れることのない旋律が子守唄のように思えてきて、天真は寝息をたて始めた。
明日からは、お前は『天真』じゃなく『天光』だぞ――。
空光の声が聞こえた気がした。
[第一章 天翔る使者 完]