生き別れの双生児
楽器になど触れたこともないというのに、私の耳の奥ではいつも、甘美で残酷なヴァイオリンの調べが鳴っている。弓弾く指先から陶酔に濡れた眼差しに至るまで、洗練を極めた己の姿を脳裏に描き出しながら、私は帰路の歩みを進めるのだ。張り詰めた弦の震えが、見えざる群衆の歩みを縫い留める。そうして空虚な喝采を浴びることで、私は日々の澱のように底に溜まった鬱憤を、密やかに空へと放っている。
現代という乾いた時代にあって、承認という名の渇きを露わにすることが、いかに底知れぬ冷笑を招くか。私は熟知している。ゆえにこそ、私は閉ざされた頭蓋の内側で幻の賛美を喰らい、飢えを凌いできた。そもそも、この無力な私が現実という堅牢な壁を打ち破り、真の喝采を勝ち得ることなど出来ようはずもない。
これを読んでいるあなたにも、幾ばくかの覚えがあるのではないか。平穏な学舎を襲う凶刃から愛する者を守り抜く、秘められた超常の力。あるいは、時間を遡行し、未来の知恵をもって富と栄光を手にする痛快なる遊戯。世界は、声なき妄想のざわめきで満ちている。私は決して彼らを嘲笑しない。私自身が、その甘やかな幻影に依存する重篤な中毒者であるからだ。
だが、そのような私だからこそ、今ここで告白し、問わねばならないことがある。近頃、私の内で奇妙な変容が起きているのだ。
その日も私は、ありふれた恋の歌を耳に流し込みながら、愛しい人に想いを告げる幻影の只中を歩いていた。そのとき不意に、脳の片隅からもう一人の私が這い出してきて、冷ややかな声で囁いたのである。
「陶酔のさなか恐縮だが、それは所詮、妄想に過ぎないのではないか」と。
彼奴は、私の裡における最も純粋で崇高な避難所を、泥足で蹂躙したのだ。呪いはそれきり私の精神に棲み着いた。それからのち、事あるごとに私の密やかな営みは妨害されるようになった。近頃では、幻影の幕が上がるたびに冷徹な傍観者が同時に立ち現れるようになり、私はあたかも手足の動かし方を忘れた不器用な役者のように、己の想像の中で立ち竦んでいる。一種の精神的硬直、俗な言葉を借りるなら、妄想のイップスに陥ってしまったのである。
問いたい。あなたがたの中で、このような不可逆の喪失を経験した者はいるだろうか。そして、もしそれを乗り越えた者がいるとすれば、いかにしてその冷たい視線を退けたのだろうか。
このままでは、私は遠い昔に少年の心を捨て去った、ひどく凡庸で退屈な大人に成り果ててしまう。私は、命尽きるその瞬間まで、妄想という名の双生児とともに生きていくものとばかり信じていた。生を享けてよりこの方、私たちは片時も離れず連れ立って歩んできたはずだった。しかし、刻まれる年輪が、いつしか私と彼の間に暗く深い亀裂を穿ってしまったようだ。私は、悲しいかな、大人になり過ぎてしまったのである。
白日夢に遊ぶ者を引きずり降ろし、「現実を見よ」と説教を垂れる大人たちは大勢いる。だが、私は決してそうは思わない。現実という砂漠を歩む我々にとって、夢や妄想の泉こそが、何にも代え難い生の拠り所であると、今なお固く信じているのだ。




