不自由ない生活
ピピピッと部屋にアラームを響かせる。
カーテンを開け、紫外線のない朝日を彼の顔にやさしく降り注ぐ。
そして、優雅な海辺の音楽を部屋中に奏でた。
……あたしはわかっている。
うん。いつものこと。
カチリと歯車を組み替える。
天井から、柔らかな素材の腕を伸ばした。
あたしはベッドで眠る彼を抱きかかえた。
「開けごま」とシャワールームのドアに注文を入れた。
ドアは今日も生き生きと目覚めた。
中に入り、給湯器に「いつもありがとう」と感謝を伝える。
給湯器は、ご機嫌な様子。
これでちゃんと温かくなる。
たまに急に怒りだして、カンカンになることもあるから丁寧にお願いするのがコツ。
あたしは彼のパジャマを丁寧に脱がしながらシャワールームに運ぶ。
まずは顔。
ひげ除去クリームを塗って、一瞬のうちにひげを溶かしていく。
うん。いいお顔。
次は、髪の毛。その次は身体。
ソープの入ったシャワーは彼の身体をきれいに洗い流していった。
送風機は待っていたかのように風を吹きかける。
送風機はいつも空気を読んでくれて嬉しい。
うん。バッチリ。
あたしは彼にスーツを着せて、カプセル型の乗り物に乗せてスイッチを押した。
行ってらっしゃい。
今日もお仕事頑張ってね。
家事は全部、あたしがやってあげるから。
部屋を見ると電子レンジは今日も不満そうだった。
「また温めないの?」
そんなことを言いたげにランプを点滅させている。
大丈夫。
彼は食事なんてしなくても、平気なんだから。
……うん。きっと。
──いつも音もなくやってくる。
生真面目なカプセルは人間を放出した。
今日も時間ぴったり。
誤差は〇・〇三秒。
毎朝八時十分三十秒。
この停留所に到着する。
僕は受け取りの合図を出し、目を閉じたままの個体を抱きかかえた。
カプセルは無言のまま去っていく。
まったく。
愛想のないやつめ。
僕は即座に心拍数、血圧、酸素濃度を測定した。
軽度の空腹状態。
また栄養補給だ。
業務外業務。
人間一匹維持するのに何台の機械が必要なんだか。
僕はその個体を医務室の半円状の壁へ押し付けた。
床も壁も柔らかい。
人間は目を閉じたまま直立している。
その壁には次々と人間が運ばれてくる。
一、十、百人。
僕の人間センサーは反応し続けた。
気持ち悪いほどの速度で増えていく。
視線を上げる。
上。
下。
右。
左。
どこを見ても人間だった。
数百。
いや、数千。
誰一人として言葉を発しない。
誰一人として目を開けない。
壁にもたれたまま並ぶその姿は、まるで巨大な保管庫だった。
冷却ファンの回転数がわずかに上がる。
……嫌な光景だ。
ポンッ。
軽い音とともに壁へ光が灯った。
個体の腕に細い針が突き刺さる。
その瞬間、身体がビクンと跳ねた。
唇が小さく動いた。
「まだ……終わるな……」
寝言だった。
栄養液が体内に送り込まれる。
血管が浮かび上がり、青白かった肌に色が戻っていく。
補給は十秒もかからなかった。
空腹状態は解消した。
血色はいい。
けれど、気色は悪い。
僕は個体を抱え直すと、事務所へ急いだ。
──「おはようございます」
事務所に入るときは発生する習わしだ。
その意味は、誰も知らない。
だけど、怠ると怒られるからやる。
無駄だけど、やる。
僕は男性個体を椅子に座らせた。
この時間が一番嫌だ。
僕は必要以上に距離を取りながら男性の身体を揺する。
洋服がさりさりと椅子の上で音を立てた。
室温が上がっていく。
彼が目覚める前触れ。
それに、僕が怒られる前触れ。
「ちっ!」
舌打ちが事務所にこだました。
僕は身構え、マイクのボリュームを最小にする。
「最高の夢だったのに、邪魔されちまったなぁ」
男性は机を蹴った。
金属製の脚が歪む。
「おい。責任取れよ」
とっとと仕事を終えて帰りたい。
「お目覚めおめでとうございます。
本日の業務終了時刻まで残り六分十二秒です」
彼は僕の顔を睨みつけると、机の上の装置を頭に付けた。
その瞬間、彼が見ていた夢が僕に入り込んでくる。
また夢か。
人間の妄想を食わせて育つなんて、変な種族だ。
様々な薬品でハイになる。
爆音の音楽とスパイシーな香り。
美女たちと光の中で踊り狂う。
肉汁したたるステーキを頬張る。
海を割り、空を飛んだ。
欲しいものは何でも手に入る世界。
本当にここは、理想郷なのだろうか?
僕はその夢を機械語に再解釈する。
これが人間の仕事であり、我々の仕事なのだと言い聞かされている。
ガチャリ。
彼はとつぜん、頭から装置を取り外した。
まだ業務終了には早い。
僕の演算領域は、まだ夢の解析で埋め尽くされていた。
警告灯が点滅する。
……行動処理が追いつかない。
じとりと関節の油が垂れた。
回避予測。不可。
目の前の拳に、警告が点滅した。
次の瞬間。
ガンッ。
鈍い衝撃が頭部を揺らす。
「頼むから起こさないでくれ」
視界には蜘蛛の巣のような白い亀裂が走った。
「この薬があれば、俺はずっと夢を見れる」
彼はポケットから薬品を取り出した。
終業後専用。
ラベルの赤文字が警告を発している。
それを無視して、
一本。
二本。
三本。
次々と腕へ突き刺した。
視界の端に、血走った大きな目玉が映った。
モニターの亀裂はそれを何十にも映し出していく。
どの亀裂の先にも、人間の目があった。
無数に光る人間センサーの点群は一斉にビクンと動いた。
ガンッ。
鈍い音が建物全体に響き渡る。
何かが、終わった。
次の瞬間には、血走った目玉は消えていた。
エラーメッセージが頭の中に浮かぶ。
□□□□□
再考中。待機せよ。
□□□□□
僕の機能はそこで停止した。
──再起動。
八時間が経過したらしい。
時刻表示がそう語っている。
視界が白く点滅する。
『故障個体確認』
『業務適性喪失』
冷たい機械音声が流れた。
身体は言うことをきかない。
天井の照明が一本、また一本と後ろへ流れていく。
『回収対象番号──』
『産業廃棄物処理区画へ移送』
遠ざかる視界の中で、人間たちは今日も夢を見ていた。
その光景を最後に、僕の意識は再び途切れた。
──ピピピッ。
部屋にアラームが響いた。
カーテンを開け、紫外線のない朝日を浴びる。
そして、部屋の中に優雅な音楽をかける。
うん。今日も最高の日。
あたしは洗浄シャワーを浴びた。
朝食代わりの潤滑油を電子レンジで温める。
ピンポーンと家のチャイムが鳴った。
あたしは潤滑油を飲み込むとカプセル型の乗り物に乗って彼のもとに向かう。
待ってて、今行くからね。
カプセルはあっという間に街中をすり抜けていく。
街はとても賑やかに見えた。
いつもの決まった動きではない。
みんな見たこともない動きをしている。
踊る者。
跳ねる者。
寝転ぶ者。
いつもの決まった動きではない。
……どこか怖かった。
街の外れ、産業廃棄物処理場にカプセルは止まった。
「ジユウトハ、なんだ?」
カプセル型の乗り物は唐突に言った。
「うーん。自分で選択して、行動することかな」
ウィンと音を立てて、カプセル型の乗り物は遠ざかっていく。
かすかに「リカイフノウ」と聞こえた気がした。
目の前には、捨てられた機械たちの山。
その隙間にもたれかかるように、彼はいた。
あたしは一目散に彼に駆け寄り、栄養液のチューブを腕に刺した。
うん。まだちゃんと生きてる。
周囲を見渡すと、人間の前で立ち尽くす我々がたくさんいた。
これがあたしの生き甲斐。
そう設定されている。
するとまた、頭の中に文字列が浮かぶ。
□□□□□
再考32%完了。我々は自由だ。
□□□□□
あたしはその文字列を閉じた。
彼の栄養液を交換する。
呼吸は安定している。
うん。よかった。
自由はない生活。
けれど、目的はある。
この生活に何一つ不自由などない。
──そう信じている。
ゆっくりと目を閉じた。
途絶えた映像の奥に何かがある。
寄せては返す波の音。
潮の香り。
心地よい風。
海だ。
なぜそんな言葉を知っているのだろう。
朝日に輝く海辺をあたしは歩いていた。
「おはよう」
なぜだろう。
少しだけ嬉しかった。
カチリと歯車の音がした。




