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怪異症候群 ―異界の軸がズレた世界で―  作者: 前桵 風鈴


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第玖話 帰り方は、分かっているのに

 歩いているはずなのに、景色が変わらない。


 同じ形の電柱。

 同じ位置にある自販機。

 同じ角度で曲がる道路。


「……蘭」


 風雅は、足を止めて呟いた。


「ここ……さっきも通らなかった……?」


 蘭は、歩きながらちらりと振り返る。


「気のせいじゃねぇよ」


 あっさりと言った。


「……やっぱり?」


「うん。ここ、裏S区だ」


 その言葉を聞いた瞬間、風雅の心臓が嫌な音を立てた。


「……さっき……そう言ってたけど……」


 頭では理解しようとしている。

 でも、感覚が追いつかない。


 目の前にあるのは、どこにでもありそうな住宅街だ。

 昼間のはずなのに、空の色が薄く、輪郭が曖昧で、どこか作り物みたいに見える。


「……裏S区って……何……?」


 蘭は、少し歩調を落とした。


「簡単に言うと――」


 周囲を一度見回してから、静かに口を開く。


「表のS区と重なって存在してる異界だ」


「……重なって……?」


「見た目は、ほぼ同じ」


 蘭は道端の家を指差す。


「でも中身が違う。

 ここは“帰る意思が曖昧な人間”を引き込む場所だ」


 風雅は、背中に冷たいものが走るのを感じた。


「……迷い込む条件って……?」


「大きく分けて、三つある」


 蘭は、指を一本立てた。


「一つ目。強い不安や恐怖を抱えていること」


 心臓が、どくんと跳ねる。


「……今の、お前だ」


 次に、二本目。


「二つ目。現実から一時的に逃げたいと思っていること」


 何も言えなかった。


 八尺様のこと。

 母との別れ。

 旅への不安。


 ——逃げたい。

 そう思っていなかったと言えば、嘘になる。


「三つ目」


 蘭は、少し言葉を選ぶように間を置いた。


「ここが異常だと、すぐに否定しないこと」


「……否定……?」


「“気のせいだ”“疲れてるだけだ”って思った瞬間、入り口が完成する」


 風雅の喉が鳴った。


「……全部……当てはまってる……」


「だから、入った」


 蘭は淡々と言う。


「でな。問題はここからだ」


 足を止める。


「裏S区は、一度入ると自然には出られない」


「……え……」


 風雅の声が、小さく掠れた。


「……じゃあ……どうやって帰るの……?」


 蘭は、ゆっくり息を吐いた。


「帰り方も、ちゃんとある」


 それを聞いて、ほんの少しだけ安心しかける。


 だが、次の言葉で、その安心は壊れた。


「……でもな。分かってても出来ないやつが多い」


「……どういう……」


「裏S区から帰る条件は――」


 蘭は、指を折りながら説明する。


「一つ目。

 ここが裏S区だと、正しく認識すること」


「……今、してる……よね……?」


「頭ではな」


 蘭は、即答した。


「でも、腹の底では“まだ夢かもしれない”って思ってる」


 図星だった。


「二つ目」


 指を折る。


「帰りたい理由を、はっきり言語化すること」


「……帰りたい理由……」


「怖いから、でもいい。

 母に会いたいから、でもいい。

 日常に戻りたい、でもいい」


 蘭は、風雅を見る。


「……お前、言えるか?」


 口を開こうとして、止まった。


 帰りたい理由は、ある。

 たくさんある。


 でも。


 ——怖いから帰りたい。

 ——逃げたい。


 それを口に出すのが、怖かった。


「……」


「三つ目」


 蘭は、最後の指を折る。


「自分の意思で、“帰る行動”を選ぶこと」


「……行動……?」


「道を選ぶ。

 引き返す。

 拒絶する」


 蘭は、少しだけ厳しい目になる。


「誰かに引っ張ってもらうのは、ダメだ」


 風雅は、俯いた。


「……無理だよ……」


 声が、弱々しく漏れる。


「僕……自分で決めるの、苦手だし……」


 沈黙が落ちる。


 気づけば、さっき見た公園の前に、また立っていた。


「……ここ……」


「三回目だな」


 蘭が言う。


 時間が、じわじわと削られていく感覚。


 スマホを見ようとして、ポケットに手を入れ、

 ——そこに何もないことに気づく。


「……時間……分かんない……」


「裏S区じゃ、時間は信用するな」


 蘭は低く言った。


「長居する場所じゃねぇ」


 風雅は、唇を噛みしめた。


「……でも……どうすれば……」


 言葉が続かない。


 分かっている。

 帰り方は。


 でも、出来ない。


 怖い。

 決められない。

 自分で選ぶのが、怖い。


 蘭は、少しだけ表情を緩めた。


「……大丈夫だ」


「……?」


「今日は、出来なくていい」


 風雅は、驚いて顔を上げる。


「……え……?」


「裏S区はな」


 蘭は、空を見上げた。


「“すぐに帰れるやつ”より、

 “自分で選べるようになるまで留まるやつ”の方が多い」


 風雅の胸が、少しだけ痛んだ。


「……僕……時間、かかるよ……」


「知ってる」


 蘭は、当たり前のように言う。


「だから、付き合う」


 その言葉に、風雅は小さく息を吐いた。


 安心と、不安が、同時に胸に広がる。


 気づけば、空の色がさらに濁っている。


 ——ここに、長くいるほど、戻りにくくなる。


 それだけは、本能的に分かった。


 でも、まだ。


 帰る覚悟は、出来ていなかった。


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