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怪異症候群 ―異界の軸がズレた世界で―  作者: 前桵 風鈴


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第捌話 旅立ちと空の色

 神社の境内に、朝の光が差し込んでいた。


 夜が終わったという事実だけが、妙に現実感を伴わず、風雅はまだ夢の中にいるような感覚だった。

 石段に腰を下ろし、膝の上で両手を組む。


 身体は、重い。

 心は、それ以上に重かった。


 ——生きている。


 それだけは分かる。

 だが、それが喜ばしいことなのかどうか、今の風雅には判断できなかった。


 八尺様の白い顔が、何度も脳裏に浮かぶ。

 耳元で聞いた濁った笑い声。

 掴まれた時の、冷たく硬い感触。


 思い出すだけで、喉の奥が詰まり、息が浅くなる。


 ——もう大丈夫だ。


 そう言い聞かせても、身体は正直だった。


「……調子、悪そうだな」


 隣から聞こえた声に、びくりと肩が跳ねる。


 蘭だった。


 赤い着物。

 いつも通りの軽そうな雰囲気。


 それだけで、少しだけ安心する自分がいる。


「……うん……」


 短く答える。


 正直に話せば、怖い。

 まだ、全部が怖い。


 蘭は何も言わず、風雅の隣に腰を下ろした。

 距離は近すぎず、遠すぎず。


 ——気を遣われている。


 そう思うと、胸が少しだけ痛んだ。


「……風雅」


 呼ばれて、背筋が伸びる。


「話さなきゃならねぇことがある」


 その声色に、冗談はなかった。


 風雅は、無意識に唾を飲み込む。


「……異界の軸、って覚えてるか」


「……うん」


 曖昧に頷く。


 正直、完全には理解できていない。

 でも、「世界が壊れかけている」という感覚だけは、肌で感じていた。


「怪異が現世に来すぎないようにする……境界みたいなもの、だよね」


「そうだ」


 蘭は地面に線を引き、その線を指でずらした。


「それがな……何者かに、ズラされた」


 その言葉を聞いた瞬間、風雅の胸がざわついた。


「……ズラされた……?」


「だから、八尺様みたいなのが、あそこまで暴れられた」


 ——じゃあ、あれは。


 偶然じゃなかった。

 不幸な事故でもなかった。


 誰かの“せい”で、起きた。


「……それを、治すには……」


 蘭は一度言葉を切り、風雅を見る。


「妖術を扱える人間が、必要なんだ」


 嫌な予感が、背中を這い上がる。


「……まさか……」


 蘭は、視線を逸らしたまま言った。


「俺が会った人間の中で、その条件を満たしてたのが……お前だった」


「……え?」


 言葉が、すぐに理解できなかった。


「……ぼ、僕……?」


 思わず、自分を指差す。


「無理だよ……」


 声が、震える。


「僕……結界も、ちゃんと使えないし……」


 胸の奥に溜まっていた言葉が、溢れ出す。


「怪異なんて……今でも、怖くて……」


 視界が、少し滲む。


 ——まただ。


 また、自分は期待されている。

 また、応えられない。


 その時、背中に、そっと手が置かれた。


「……ふーちゃん」


 母の声。


 振り返ると、そこにはいつもの優しい表情があった。


「……お母さん……」


「私はね、今からお父さんと一緒に、八尺様の成仏とお祓いをするわ」


 その言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。


「……だから……」


 母は、風雅の背中を軽く押した。


「しばらく、家には帰れない」


「……っ」


「蘭さんと、一緒に旅に出なさい」


 はっきりとした声。


 逃げ道を塞ぐような言い方ではない。

 でも、覚悟を促す言い方だった。


「……僕……」


 不安が、喉を詰まらせる。


「怖い……」


 正直な気持ちだった。


 すると、蘭がすぐに口を挟んだ。


「大丈夫だ」


「……え」


「お前、八尺様に白い光を放っただろ」


 その言葉に、風雅ははっとする。


 ——あの時。


 何も考えず、必死で。


「あれはな」


 蘭は少しだけ笑った。


「怪異が嫌う光だ」


「……嫌う……?」


「そう。完璧な術じゃなくていい」


 肩をすくめる。


「危険な怪異に会ったら、その光で追い払えばいい」


 風雅は、ゆっくりと拳を握った。


 ——僕にも、何かできる。


 ほんの少しだけ、胸の奥が温かくなる。


「……わ、分かった……」


 声はまだ弱い。


 それでも。


「……僕、頑張る……」


 その言葉を聞いた母は、風雅を強く抱きしめた。


「ふーちゃん、気をつけて」


 震える声。


「ごめんね……怖い思いをさせて……」


「……お母さん……」


「また……落ち着いたら、お家に帰ってちょうだい」


 ぎゅっと、抱き返す。


 この温度を、忘れないように。


「あら、ふーちゃん」


「……?」


「今日は“お母様”じゃないんだね」


「……なんか……堅苦しいから……」


「ふふ」


 優しい笑い声。


「ふーちゃんは、可愛いね」


「も、もう……恥ずかしいよ……!」


 別れの時。


 振り返らずに歩こうとした。

 でも、一度だけ、振り返ってしまった。


 母は、ずっとこちらを見ていた。


 ——戻ってくる。


 心の中で、そう誓う。


 旅に出てすぐ、風雅の身体は限界を迎えた。


 足が重い。

 呼吸が浅い。


 八尺様の笑い声が、何度もフラッシュバックする。


「……っ」


 よろめく。


 蘭が、すぐに支えた。


「今日は、休もう」


「……ごめん……」


「謝るな」


 だが、宿が見つからない。


 何度歩いても、同じ道。

 同じ景色。


 その時、蘭は空を見上げた。


 ——色が、おかしい。


 朝から昼の時間帯。

 なのに、濁った青。


 住民の視線も、合っていない。


「……もしや……」


 蘭の脳裏に浮かぶ、古い話。


 表と裏がある区の話。


 戻れなくなる場所。


「……これ……」


 低く呟く。


「……裏S区、だな」


 風雅は、その言葉の意味をまだ知らない。


 ただ、

 ここから先が、

 今まで以上に“おかしい”場所だということだけは、

 嫌というほど感じ取っていた。


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